いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

夏の鳥取帰省から(その2)・初乗り一畑電車

2013年09月23日 | 日々の出来事


鳥取と言っておきながら今回は島根の話ですが、
「平成の大遷宮」と謳われている出雲大社に家族で参拝してきたその足で一畑電車に乗ってきました。
(自分以外の家族はそのまま島根ワイナリーへ・・・)

一畑電車といえば山陰唯一の現存する「私鉄」であり、
数年前には映画「RAILWAYS」でも有名になっていましたが、恥ずかしながら乗車するのは今回が初めてです。
いままで米子にいたならともかく、鳥取いたのだと微妙に遠くて隣の県ながらなかなか足が向かなかったのでした・・・。


今回の乗車は出雲大社前→川跡→松江しんじ湖温泉というルートです。
有名な出雲大社前駅の駅舎はモダンな洋風建築で、内外装ともに凝ったつくりになっています。
近年改装されたのか、古い建物ですがきれいでしゃれた雰囲気を醸し出していました。


駅の裏手の踏切から。のりば1面に線路が2線、側線が1線と、
こぢんまりとした構内はいかにも地方私鉄の終着駅といった雰囲気でいい感じです。
停車している黄色い電車は元南海の3000系、オレンジの電車は保存車のデハ二50形52です。


電車が発車するまでまだ時間があったので、その保存されているデハニ52を見学。
さすが映画の主役を飾った車両だけあってか、大変きれいな姿で保存されています。
展示場からだと車両から引きが取りづらく、上屋の太い柱があるので、全体を撮るには駅のホーム側からのほうがいいかもしれません。


その車内。もともと近年はお座敷車両として活躍していたそうですが、
映画の撮影にあたってロングシートの座席に復元されたのだそうです。
内装はところどころ化粧版が張られている以外はほぼすべて木製、古風な雰囲気が漂っています。


デハニ52の運転台。かなり狭く、現代人の体格どころか昔の人のそれからしてもとても窮屈なのではないでしょうか。
何かの本で読んだのですが、「旧型車の狭い運転台は姿勢がよくなる」といわれていたそうです。
確かにこれでは背筋はまっすぐ、腰もひざも直角にならざるを得ませんね・・・。


さて保存車を後にして、出雲大社口から川跡まではさっきから停車していた3000系に乗車。
お盆休み中ということで、平日日中の列車ながら立ち客が出るほどの盛況振りでした。
車窓を眺めていると、途中高浜駅付近の沿線の保育園には2両の旧型車が保存されていました。


そんな列車にがたごと揺られて、分岐駅の川跡に到着。
ここでは電鉄出雲市行きのデラックス車5000系と出会いました。
3000系の車内を埋め尽くしていた乗客は、おおよそがこの電鉄出雲市行きに乗り換えていきました。ちなみに松江温泉行きは元京王の2100系。


途中雲州平田の駅では3000系の南海カラー、2100系のイベント編成カラー(白とオレンジでなんとなくみかん入りのヨーグルトを連想してしまう・・・笑)を目撃、
写真はありませんが、どこだったかの駅では一畑旧型車(自動ドア)塗装の2100系とも行き違いました。

今まで通ったことのない宍道湖北岸からの景色を楽しみながら、途中一畑口駅でのスイッチバックを経て、
出雲大社口駅から約1時間ほどで終点の松江しんじ湖温泉駅に到着。

松江しんじ湖温泉の駅では京王カラーの2100系とも出会いました。
片方の先頭車は京王時代の特急塗装のイメージということで前面帯にひげ付きという凝った仕様です。
さてこの日見た限りでも2100、3000、5000の各系列をまとめると、
一畑標準、スーパーライナー、一畑旧型、京王、南海、イベント車の6種類の塗装を見ることが出来ました。

これだけの規模だと見ていて楽しくなりますが、近い将来には新製車と東急からの譲渡車(元日々直用1000系の改造車?)で車両の置き換えが始まるそうなので、
カラフルな一畑電車を見ることが出来るのは今のうちなのかもしれません。

ありがちな締め方ですが、またいつか機会があれば乗車や撮影に行きたいですね。
うーむ、つぎの帰省は年末年始か・・・。


夏の鳥取帰省から(その1)・「余部鉄橋 空の駅」訪問

2013年09月10日 | 日々の出来事



毎度ながらもうひと月ほど前の話になってしまうのですが、
今年もお盆休みの頃に鳥取に実家に帰省しておりました。

今年の夏は(も?)特に暑かったので、あまりどこかへ出かけようという気力は起きなかったのですが、
せっかくの帰省ということで、「地元鉄分」の補給は欠かせません(笑)

そんなわけで、これから「なつやすみの日記」的に盆休みのできごとをいくつか話のネタにしていこうと思います。
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この日は、今年5月のオープンの旧余部橋梁を利用した展望施設、「余部鉄橋 空の駅」に行ってきました。


鳥取からは直通の臨時快速「山陰海岸ジオライナー」で餘部駅へ。乗車した編成はキハ126-11・1011のジオパークラッピング編成でした。
たぶんジオライナーにはこの編成が優先的に運用されているのでしょう。「快速 豊岡」という表示はだいぶ見慣れた感があります。


快速列車の軽快な走りに揺られて、鳥取を出て1時間足らずで餘部駅に到着しました。
豊岡に向かって走り去る列車を見送ると、それと同時に展望台へと変貌を遂げた旧余部鉄橋の姿が。
どんな風になっているかと思いましたが、けっこう小ぎれいな感じに整備されています。


餘部駅ホーム入り口から旧橋梁の展望台入り口までの間は、線路が載ったままの旧線の路盤がそのまま通路となっていました。
このプロムナードを歩きつつ、以前は自分も列車に乗ってこの上を通っていたのだと思うと、なかなか感慨深いものがあります。


展望台入り口左右には「余部鉄橋」の看板とともに石造り風の門柱が。
レールはなおも橋の上まで続いていますが、橋の上は舗装され、レールはその舗装面に埋め込まれています。
レールが4本もあると混乱を招くのか(?)、
さすがに走行用レールの内側にあった脱線防止のレールは撤去されていますね。


展望台終端部の光景。ただ柵越しに風景を眺めるだけでなく、足元の強化ガラスの床や金網から鉄橋の真下を見ることも出来ます。
余部鉄橋を渡る列車の車窓として眼下の風景を眺めたことは何度もありましたが、鉄橋の上に直接立って眺めるのは初めてです。


柵があるとはいえ吹きさらしで地上からの高さおよそ40m、ちょっと足がすくみそうでした。
ただこの日はとても暑かったので、日陰のまったくない展望台の上に海からの風が吹きぬけてきたときは心地よかったです。


展望台の終端から先は少しだけ線路が続き、そして空中でぶつっと途切れてしまっています。
なんとなく某銀河鉄道の空に向かう線路をほうふつとさせるような・・・
ここを見ていると1067mm軌間ってこんなに狭く見えたっけ?と思ってしまいますが、
余部鉄橋の上で使われていたマクラギは、一般的なものよりもかなり長いものなのだそうです。


さて、地上に目を転じると、国道178号脇の広場には「山陰本線 余部橋りょう」と大書きされた桁が鎮座していました。
以前この一帯が公園整備の工事中だったときにはこの桁はなかったような気がしますが、研究用などに貸し出されていて返却されたのでしょうか?
たしかこの
桁はだいたい国道の真上あたりに架かっていたはずで、国道と直角に交差していたのが今では平行に置かれてしまっています。


橋梁真下の地上は芝生広場や旧鉄橋の橋脚を活用したステージなどが整備され、公園になっていました。


この日は展望台と公園の整備完了記念、道の駅開業1周年記念ということでちょっとした催し物が開催されていました。
地元の人々や観光客が集まって、歌手のライブやパフォーマンスを楽しんでいたようです。
日差しも暑さもきつい時間帯だったので、テントの下に入らないとすぐ汗だくで大変です。


地上の国道辺りも山腹の駅辺りもほぼ整備が済んだようで、道の駅が出来たこともあり鉄橋が現役だった頃よりも、
より観光地らしい体裁が整った感のある余部橋梁周辺でした。



余談ながら、帰りは城崎温泉発の鳥取直通の普通列車に乗車しました。
が、その先頭車には米トリ・キハ47唯一のイラスト車キハ47 146が連結されていました。
こんなことなら「お立ち台」で待機しておいて新橋梁を渡るところの写真を撮って置けばよかったと思いましたが、
餘部駅旧ホーム時代と違ってお立ち台で写真を撮ってその列車に乗るということが現在ではほぼ不可能なため、
これを撮ったとしたらその次まで2時間くらい待たされてしまいますね・・・。

長くなったので今回はこれくらいにして、以降続きます。