いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

春休みの帰省から

2010年03月31日 | 日々の出来事

タイトルの通り、短いながらも鳥取に帰省していました。
年度替わりの時期なので、忙しいといえば忙しかったのですが・・・。
今回は普段は山陰から遠く離れた土地に暮らしているため、模型だけでは不足しがちだった「地元鉄分」の補給(笑)のはなしです。


午前5時40分頃の西鳥取運転区。あと少しでキハ181系特急「はまかぜ」が出区していきます。
よく見ると智頭急行HOT3520(イベント対応車)の姿も・・・。


所属表記が広クチ(山口鉄道部)のままながらも山陰地区で運用されているキハ40 2044。
最近山口のキハ40がそれまでの広島色から首都圏色で出場して話題になりましたが、この車はそれよりも前から首都圏色です。


姫路から後藤へと転属してから山陰地区でも見られるようになった姫新線色のキハ47形2連。
まさか鳥取駅でお目に掛かれるようになるとは思いもしませんでした。


鳥取に帰省している間、何回か朝5時に無理矢理起きて「はまかぜ」のキハ181系を撮影してきました。
この時期、鳥取市の日の出の時刻は午前6時過ぎなので、「はまかぜ」が発車する頃はまだ十分明るくないため流し撮りに挑戦。
まあ撮影は模型の片手間にやっているようなものなので、結果は・・・。

月曜日は鳥取駅からふらりと鈍行に乗り米子へ出かけてきました。
で、米子駅に到着するとなんと留置線にはキハ181系の7連が。

どうやら益田地区で団臨に使用された編成のようです。益田の団臨はこの時期恒例ですね。
それでも狙っていたわけではないので、久々にキハ181系の長編成を見ることができて感激でした。

米子駅でキハ181系をひとしきり観察した後は、境線に乗り後藤駅へ。ここでは隣接する後藤総合車両所の構内の一部を見ることができます。
先日、キハ33やキハ65エーデル丹後・鳥取の展望車が回送されてきたという話を耳にしたので、もしやと思いやってきました。


幸いにも「ほのぼのSUN-IN」やキハ33、エーデル展望車はまだ解体されていませんでしたが、
エーデル展望車は工場奥の線路に留置されており、駅のホームから少しだけ見える状態でした。
「ほのぼのSUN-IN」とキハ33は解体線で連結されたまま留置されていて、工場の職員の方が写真を撮影していました。


その後工場裏手の道路から敷地をのぞいてみたところ、「エーデル鳥取」のキハ65は姿が見えましたが、
「エーデル丹後」のキハ65は陰に隠れていて見えませんでした。
ちなみに工場にはキハ181、キハ47、381系などが検査入場中でした。

さて後藤工場でキハ65などを見物した後は後藤駅界隈を街歩き、暇をつぶして米子駅に戻りました。
程なくして2番のりばに381系電車がやってきたのですが・・・!?

というわけで381系の試運転に遭遇しました。どうやらモハユニットの工場出場試運転のようです。
普段はおそらく見られないであろう「ゆったりやくも」色と「緑やくも」色の混結だったり、
最後尾にはクモヤ145形が連結されていたりと、なかなかにシュールな編成です。


特に381系とクモヤ145形の連結面は、双頭連結器を介して連結しているために間隔がやや広かったり、
両車で車高が大きく異なるため振り子車の低重心構造が分かるなどとても興味深いです。

この後は駅近くの模型屋に立ち寄ったり駅構内の写真を撮ったりして、夕方の快速列車で鳥取に帰りました。


8/9 夏休み旅行5・炭田地帯と くろがね線と かしわめし

2010年03月01日 | ぐだぐだ旅行記

8/8「鹿児島市内あちこち編」からの続き

鹿児島市内を動き回った昨日から一夜明け、この日は雨にそぼ濡れる博多駅からスタートしました。向かう先は直方、篠栗線のワンマン列車に乗車します。やってきたのは817系電車でした。

817系の車内は転換クロスシートが装備されており、なんとその座席には本物の革が張られています。さすがに一部分だけではありますが、普通列車用の車両の座席にしては異様な高級感を醸し出しています。さすが水戸岡クオリティー。


ちなみに博多駅では電車に乗る前に売店で駅弁を購入しており、車内も空いていたのでここで朝食とすることにしました。ちなみに買ったのはこれ。


「博多かしわ飯弁当」という弁当で、九州に来たからにはかしわ飯を、という単純な理由で購入しました。かしわ飯というと鶏肉のそぼろご飯というイメージがありますが、この弁当は鶏肉のムネ肉がごろっと入っています。

さて、817系の豪華な座席に揺られることしばらく、列車は終点の直方駅に到着しました。石炭輸送全盛期の名残か、やたら構内が広いのが特徴的です。
駅の一角には車両基地が併設されており、817系・キハ31形にまぎれて国鉄色の415系の編成もいました。


電車を降りて少し駅構内を観察したのち、いったん途中下車して駅近くにある「石炭資料館」なる施設を見学してきました。筑豊炭田の功績と歴史を後世に伝えるべく建設された資料館です。資料館の人いわく自分たちのような大学生が観光に訪れるのは珍しいようで(研究のために資料を探しに来ることはたまにあるらしい)、普段は開けていない書庫を見学させてくださいました。他にもいろいろと興味深い展示があり、見ごたえのある施設でした。

さて、資料館には炭鉱に関係する資料ということで、何両か実際に筑豊地区で働いていたの鉄道車両も展示されています。本当のところは自分もK先輩も7割方こちらの展示車両のほうがお目当てだったりするのですが(笑)

資料館本館横に置かれているコッペルCタンク機。ちなみに左隅に写っているのは炭鉱の救護訓練に活用された坑道があったことを示す記念碑です。大人の人間の大きさに比べて、実際の炭鉱の坑道の大きさはこんなに小さかったであろうことが窺えます。


少し切れていますが、こちらはコッペルの後ろに連結されていた社線の石炭車です。
かなり古い車両らしく、足回りが非常に簡素です。また、連結器は自動連結器ではなくリンク式で、赤く塗られたバッファが目立ちます。


こちらは石炭の選鉱工場などで使われていたと思われるナローの凸形電機とトロッコ。細身の車体とやぐらに乗ったパンタグラフが「いかにも」な雰囲気です。ちなみに右に写っている木は石炭のもとになった木なのだそうです(名前失念しました)。つまりこの木が非常に長い間、地中の高温と高圧を受けて石化・炭化し石炭が形成されたということになります。



資料館正面には2軸の石炭車セム1形1とC11形蒸気機関車が置かれています。
九州といえば2軸の石炭車、北海道といえばボギーの石炭車ですね。筑豊地区の石炭貨物列車はC11よりもD51や9600などのテンダ機が牽引しているイメージがあるのですが、おそらく支線区の小運転や駅での入れ換えに使われていたのでしょう。
このほかにも屋外には削岩機など、炭鉱で使われていた機械が多数展示されていました。

さて、石炭資料館も見学し終わり、直方の町へ向かって歩いていきます。
途中直方駅前を通りがかったのですが、大変風格のある歴史的な駅舎がそこには建っていました。なんでも明治時代は九州鉄道時代からあるのだそうで、文化財級の建物です。残念ながら数年後には新駅舎に建て替えられてしまうとのことですが・・・。


そしてさらに直方の街中を歩いて、筑豊電鉄の筑豊直方駅にたどり着きました。

高架線が道路にぶつかってぷつんと途切れている感じで、ぱっと見の雰囲気ではあまり駅っぽく見えません。


筑豊電鉄は全線専用軌道を走りますが、かつて西鉄北九州市内線に乗り入れを行っていた名残か、軌道線規格の車両が走り、ホームもこの通り低いです。
今では数少なくなったインターアーバン的な路線です。
というわけで、筑豊電鉄に乗って黒崎まで移動しました。乗った電車は釣り掛け駆動車の車体更新車で、迫力のある釣り掛け音で乗り応えがありました。

終点の黒崎駅前駅ですが、やはり駅というよりは路面電車やバスのターミナルに近い印象です。

黒崎の駅では駅弁を昼食用の駅弁を購入し、鹿児島線の列車でスペースワールド駅へ移動。
とはいっても自分たちはもちろんスペースワールドに遊びに来たのではなく(笑)、この近くを走るある鉄道を見るためにやってきたのでした。




その鉄道とは、(株)新日本製鐵が所有する専用鉄道、「くろがね線」です。
これらの写真はJRのスペースワールド駅近くにあるヤードを撮影したものですが(もちろん敷地外から)、いかにも専用線らしい、ある意味あやしい(笑)車両がたくさん見られました。くろがね線は新日本製鐵の北九州市内にある2つの工場間を連絡している路線でその歴史は古く、戦前から列車が通っていたとのことです。

くろがね線の線路に沿って歩いていると、不意に列車がやってきたのであわてて写真を撮りました。

どちらも専用線らしい独特の形態の機関車ですが、片方の機関車には専用線の車両にしては珍しく動物のキャラクターをあしらったラッピングが施されていました。

その後は県道を渡ってくろがね線と鹿児島線の列車が見渡せる丘の中腹にある公園で一休み。ここで黒崎駅で購入した駅弁を開くことにしました。


こんどは有名な折尾駅・東築軒の「かしわめし」です。こちらはそぼろ状の鶏肉がご飯の上に乗っており、刻み卵と刻みのりとできれいな3色の彩りとなっています。ちなみに鶏肉のそぼろはご飯の中にも混ぜ込まれていました。
この「かしわめし」も文字通り「ケッコーなお味」で、内容は単純ながらその分しっかりと味がついていてとてもおいしかったです。
博多と黒崎(折尾)の2つのかしわ飯を食べ比べてみた感想ですが、一言で言うとしっかり食べたいなら博多、おいしさを味わいたいなら黒崎(折尾)といったところでしょうか。

この公園からは鹿児島線を行きかう列車が見え、飽きることがありません。
たいていは近郊電車ばかりで、たま特急やにコンテナ列車が通過しますが、しばらくすると博多方から結構な速さで赤い電機と黄色い車両がやって来ました。

「あっ!」と思いあわてて撮ったのがこの写真。完全に不意打ちでした。
タキ5450形での液化塩素輸送はもはや九州島内だけとなっていましたが、この列車も2009年の秋~冬にかけてコンテナ化されてしまったようです。

突然の出来事に少し呆然となっていましたが、しばらくすると今度はくろがね線の列車がやって来ました。さっきは重連単機回送でしたが、今度は貨車をつないでいます。

しかし、シャッターを切るタイミングを誤ってしまい、前照灯が架線柱のビームにかかってしまいました(泣)
こちらの列車はJR線のそれとは異なり、時速25キロ程度でゆっくりと進んできます。先頭のけん引機はさっきのラッピング機関車で、後補機がついていました。

その後は丘を越えて、トンネルの反対側にある陸橋に移動して列車が折り返してくるのを待ちます。
そして待つこと数十分。


再び列車がやって来ましたが、今度はやや長めの編成です。先ほどと同じく本務機はラッピング機関車、後補機は青い電気式ディーゼル機関車でした。プッシュプルトレインの形態ではありますが、終点で必ず前後の機関車を入れ替えて常に同じ機関車が先頭に出るようになっているようです。

この列車を見送った後、次いでさらに線路をたどり、今度は住宅街の中にある跨線橋の上から再び折り返してきた列車を撮影。

さっきとはまた編成中の貨車の種類が異なっています。
ちなみにこの白い機関車は大柄な車体の割には走行音がとても静かで、姿を見ない限りではかなり近くまで来ないと列車が来たことに気がつかないくらいです。住宅地の中を走るため、防音対策が徹底されていることが分かります。

くろがね線は、沿線を走る道路とはすべて立体交差となっていて、そのうち道路が線路の上をまたぐ跨線橋にはきちんと「くろがね線」という文字がありました。

くろがね線は貨物専業のどちらかといえば地味な鉄道ではありますが、ラッピング機関車といい、地域の人たちにそこはかとなく存在をアピールしているようです。
ちなみに日中は往復毎時1本ずつ程度の列車が走っているようです。

その後折り返しの列車をもう1本見送った後、近くのJR九州工大前駅から列車に乗り、スペースワールド駅に預けてあった荷物を取りに行き、小倉駅に移動しました。
小倉駅では夕食をとり、土産物を購入。これでしばらく時間をつぶして駅北側にあるフェリー乗り場に移動しました。


看板にもある通り、このフェリーに乗船して松山に向かいます。
自分はフェリーに乗るのはこれが初めてでした。
乗船手続きを済ませ、しばらくすると出航の時刻となりました。船の出航は列車の出発とはまた違う趣が感じられます。

途中、関門海峡では関門橋の下を通過しました。

船の上から見る陸地の夜景はとても新鮮でした。

以下、8月10日に続く・・・