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いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

キユニ28形の塗装済みキットを組む(宮沢模型/GM製・その2)

2023年07月10日 | 鉄道模型のあれこれ

キユニ28形の塗装済みキットを組む(宮沢模型/GM製・その1)からの続きです。

前回の記事では一般色の車両をストレートに組み立てましたが、今回は残る首都圏色の車両をKATO製キハ47と組み合わせて前面ライトが点灯する仕様に仕立てたいと思います。


まずは上回りの材料を揃えます。なお、屋根上に7個設置するベンチレーターはキットにもともと15個分しか付属しないので、2両組み立てて予備が1個しかなくなかなかシビアな仕様です。


そして、ランナーから各部品を切り出してサクサクと組み立てて…


上回りが出来上がりました。ここまでのプロセスは前回の記事と同じですね。


さて、ここでKATO製のキハ47を用意します。これを分解し、集電対応の床下一式とライトユニットやレンズを転用します。


(KATO製キハ40系用のライトユニット)
ライトユニット一式は細いピンセットを駆使して車体内側から取り外していきますが、ヘッドライト用レンズが特に取り出しにくいので注意を要します。


GM製キユニ28(左)とKATO製キハ47(右)の前面付近ボディ内側の比較です。ほとんど同じような形で、ライトユニットの転用を意識した設計になっているのが分かるかと思います。


そして、キユニ28の車体にライトユニット一式を組み込んで…


さらにキハ47の床下一式と組み合わせれば…(車内の座席はそのまま放置)


(ヘッドライト点灯)


(テールライト点灯)
ライトが点灯するキユニ28の出来上がりです。床下は完成品なのではめ込んで完了、そのぶんはキットをストレートに組むより手間がかからないですね。なおヘッド・テールライトともに、光源のLEDの光がちょっと透けてしまっているのはご愛嬌…、もっと手をかけるなら運転台内側に遮光として黒の塗料を塗っておいたほうがよいかもしれませんね。


ちなみに床下一式はガラスパーツ側の窪みに爪がはまって車体側と固定される仕組みですが、例によってキユニ28とKATO製キハ47のガラスパーツの床下固定部は同じような構造になっています。


(床下固定部を拡大)
床下一式を転用する前提なので当然といえばそうですが、別メーカーの設計なのにそっくり同じ形になっているのはなんだか面白いですね。


ライトユニット供出元のKATO製キハ47と並べたところです。手すりなどモールドの造形具合はキユニ28とKATO製とでほぼ似たような感じです。キユニは窓周りのHゴムが細いのでそのぶん印象が変わってくる感じでしょうか。


こちらは先に組み立てた一般色のキユニ28と。KATO製床下をそのまま使うので、キハ40系用スカートのほうがキット付属のスカート部品よりそれらしさが出ますね(あくまでもこの2両で比較した場合の話ですが)。


3両並べて。KATO製キハ40系は前面にホロが取り付けてあるのがデフォルトで、しかも取り外しは考慮されていないので、このキユニ28のキハ40系顔でホロなし仕様というのはひと頃重宝されたのではないかと思います。


ちなみにKATO製床下を組み込んだ場合の車高ですが、キット付属の床下を組み込んだ場合に比べると少し低くなります。もとよりデフォルトの床下だと腰高気味なので、ちょうどいい感じに思えます。


なおKATO製キハ47と比較しても、KATO床下付きキユニのほうがわずかに車高が低いようです。


ところで今回組み立てたキユニ28は床下をキハ47のものを転用したので、エンジンなどの機器類もキハ40系のものとなっています。実車は余剰となったキロ28形からの機器流用車ですが、この模型ではまるで車体も足回りもキハ40系に準じた設計の新製車、形式キユニ47みたいな…(笑)
もしかしたら模型でもキロ28形あたりからDMH17H仕様の床下一式を切り出してきて実車の雰囲気に近づける加工をした人がいたかも?


(他形式と組んでちょっと編成っぽく)
終わりになりますが、GM・宮沢模型がこのキユニ28キットを発売したあと、マイクロエースが完成品としてキユニ28を発売しました。これはM車+T車の2両セットでライト点灯、床下もDMH17仕様となっていました。前面の造形は相変わらずの"マイクロ顔"でしたが、上記の仕様からこちらはこちらで需要があったものと思われます。さらに月日は流れ2020年頃にGMが塗装済みキットとしてキユニ28を再発売し、一般色と首都圏色が別個の2両セットとしてリリースされました(その後1両分の未塗装キットも発売)。


(KATO製のキユニ28)
ところが2023年になってまさかのKATOがキユニ28(首都圏色)を製品化!造形やライト点灯など機能面でGMやマイクロ製品を過去のものに追いやってしまった感があります…(しかも1両あたりの定価はGM・マイクロよりも安い)この記事も今となっては役に立たないような内容ですが、まあこんな気動車のキットもあったのね…ということで書き留めておこうかと思います。


キユニ28形の塗装済みキットを組む(宮沢模型/GM製・その1)

2020年05月24日 | 鉄道模型のあれこれ

今回は久々のキット製作の話題から・・・。

題材は宮沢模型発売・グリーンマックス(GM)製造のキユニ28形塗装済みキットです。

キユニ28形を先頭に、各種の形式や塗装の気動車で混成された列車の写真が楽しげなパッケージ写真ですね。

このキットは2003年頃(?)に発売された少し古い製品ですが、2018年の年末に某中古模型店で未組み立ての中古品を発売時の定価(9000円)の半額以下で発見してしまい、思わず購入してしまっていたものでした。

しかしそれ以来長らく棚にしまわれたままで「積みプラ」と化していましたが(汗)、世間の流れ的に家で過ごす時間も増えた今日この頃、ようやく組み立てようかと思い立ちました。

箱の上蓋をぱかっと開くと、塗装・印刷済みの車体や各種部品のランナーなどが納まっています。

この箱の構造は現在のキハ23形などの塗装済みキットと同じもののようですね。

中身を広げるとこんな感じに・・・、中古で買ったキットでしたが部品の欠けはなさそうで一安心です。

このキットにはキユニ28のツートンカラーの気動車一般色と朱色一色塗りの首都圏色の車体が1両ずつ収録されています。

2020年にGMより発売された同じキユニ28形キットは一般色と首都圏色がそれぞれ別個の2両セットとなりましたが、こちらの宮沢模型キットのほうが1箱で2カラー楽しめる良心的なセット構成なような・・・。
(ただし定価は宮沢模型キットのほうがGMより少しお高いですが)

さて、どちらの塗色の車両から組み立てていってもいいのですが、まずは一般色の車両から組み立てていくことにしました。

上の写真は各種部品のランナーを小分けの袋から出し、並べてみたところです。

1両分の部品は左上~左下~右方向の順に、前面スカート、塗装済み車体、前面窓ガラス、側面窓ガラス、塗装済み屋根板、乗務員室仕切り等の車内パーツ、エンジン等の床下パーツ、DT22形台車、箱形ベンチレーター、ウェイト、床板から構成されています(貫通ホロは付属しません)。

とりあえず、塗装などの追加加工は一切行わず、概ね説明書どおりに素組みしていこうと思います。

まずは屋根周りからスタート、塗装済み(GMねずみ色1号相当)の屋根板をランナーから切り離します。

ランナーと部品をつなぐゲートは屋根板裏側の端に接続されていますが、部品ぎりぎりをニッパーでいきなりカットしようとすると切り口が荒れて屋根板のふちの形状が乱れるので、接続部から少し離れたところをカットします。

その後、残りをデザインナイフで少しずつ切り詰めていきました。

屋根のふちまで切り詰めたら、屋根板裏にゲートが出っ張りのように残るので、これをさらにやすりやデザインナイフで削ります。

あまりやりすぎるとやはり屋根板のふちが抉れてしまい、車体に組み付けたときに隙間ができてしまうので、様子を見ながらほどほどに削ります。

屋根板の切り出しが済んだら、次は箱形ベンチレータの切り出しに移ります。

このベンチレータはGM灰色9号相当のような色ですが、塗装はされておらず成形色そのままです。

この部品はこのキユニ28キットとほぼ同時期に発売されていた、キハ54形や119系の完成品セットに付属していたもの(品番97-1→8015で単品販売)と同一ではないかと思います。

この部品は少し厄介なことに、ベンチレータ本体とゲートの接続部(2ヶ所)がベンチレータの足と不明瞭に連続した形になっています。
そんなわけでやはりゲートを少し残したままベンチレータを切り出し、残りは他の足の長さに合うようにカットしました。

細かい作業なので大変ですが、これを所要数の7個分繰り返します(汗)
小さい部品なので、多少処理が上手くいかなくてもそんなに目立つものではないと思いますが・・・。

ベンチレータが切り出し終わったら、屋根板に設置していきます。

取り付け足を屋根板に開いている穴にはめ込んでいくだけなので簡単ですが、一応設置する向き(上面の窪みを千鳥配置の外側に)が決まっているので、説明書を見ながら設置します。

このベンチレータは屋根板の穴に割としっかりはまり込むので、接着剤での固定は省略しました(横着・・・)。

なおベンチレータのランナーには列車無線アンテナとカバー付きホイッスルの部品も含まれていますが、このキットでは使用しません。

次に、ベンチレータ付きの屋根板を車体に組み付けます。

屋根板裏の固定用ツメを車体天井にある穴にはめ込みます(写真は時系列が前後していてベンチレータ設置前ですが・・・)。

エンジンからの排気口のモールドが運転台側に来るように、屋根板の向きには注意です。

これも結構しっかり固定できるほどのはめ合いがあるので接着剤は省略。

種別表示窓とヘッドライトのふち部分は色差し済みとなっているので、屋根板と車体が組み合わさるだけでもなんとなくそれらしく見えてきますね(笑)

さて、次は上回りの後半戦、ガラスパーツの切り出し・組み付けです。

最初にランナーから切り出すときは、ゲートの部品本体から離れたところをニッパーでそっとカットしました。

しかしこのガラスパーツは普通のパーツと違って、透明プラの性質からか硬くて切り出しにくいです。
その上ちょっとした拍子に割れたりひびが入ったりしやすく、修正も不可能なのでなかなかの難物です。

ゲートの残りはカッターやデザインナイフで必要な部分を傷めないように気をつけながら切り取っていきましたが、少し力を入れないと刃が進まないので、勢い余って怪我をしないように注意が必要です。

さらに面倒なのが前面窓部品の切り出しです。

ゲートが窓の上下に直に接続しているため、少しでも切り出しをミスすると窓に傷やひびが入ったり白く抉れてしまう可能性があります。
そこでゲートの切り離しにはニッパーを使わず、模型用のノコギリを使って慎重にカットしていきました。

最終的に切り口はデザインナイフややすりで整えますが、削り足りないと車体に合わず、削りすぎると窓が欠けてしまうというなかなかシビアなものでした。

ガラスパーツの切り出しが済んだら、車体に組み付けます。

先に前面周りから、前面窓は開口部の横方向からスライドするように差し入れ、押し込むようにセットします。
例によってはめ合いがきつく、パーツが割れそうで力加減にヒヤヒヤしました・・・。

さらにヘッドライトとテールライトのレンズも車体裏側からセットしておきます。
横幅が狭いほうがヘッドライト、広いほうがテールライトですが、これらはパーツの中央部分に少量のゴム系接着剤を塗って車体に接着しておきました。

ここでも横着して、テールレンズにクリアレッドを色差しするのは省略・・・。

続いて側面ガラスパーツを車体に組み付けます。

説明書では「ボディ内側の角にある4箇所のツメにはさむようにはめます」と書かれていますが、この指示はスルー。

というのも、窓の開口部は窓ガラスとのはめ合いがとてもきつくなっていて(またか・・・)、ガラス止めのツメにはさむように斜めに差し入れてはめ込むことが困難だったからです。
特に郵便区分室の明り取りの小窓はシビアで、ツメありの状態で車体に窓パーツを組んでみた上の写真でもうまくはめ込めていません(汗)

強引にやろうとすると、おそらくはめ込むことはできても、窓のふちのサッシやHゴムの表現が傷んでしまうのではないでしょうか・・・。

そんな訳でツメ部分はかえってガラスはめ込みの邪魔になるので、ニッパーですべて除去してしまいました。
(窓ガラスパーツ天井側の切り取られて白くなった部分がツメの跡)
これで車体の内側からまっすぐガラスがはめ込めるようになります。
その後ガラスパーツがはめ込みやすくなるように、車体の窓の開口部のふちをやすりでほんの少し(気休め程度に)削りました。

そしてようやく車体にガラスパーツを組み付け。相変わらすはめ合いはきつく、パキッと割れるような音を立ててはまり込みましたが、その分多少のことで窓ガラスがぐらつくようなことはなく、接着剤で固定する必要はなさそうです(笑)

さて次は、床板や床下周りパーツの組み立てです。この工程では特に難しい作業はなく、説明書に沿って淡々と進めていきます。

まずは2枚重ね合わせ構造の床板をランナーから切り出し、上部床板のくぼみに金属ウェイトをゴム系接着剤で固定しておきました。次いで上部床板と下部床板を貼り合わせてひとつの床板に。

続いて、床下や車内に取り付ける部品を切り出します。

経験のある方はお分かりかと思いますが、床板やその周辺パーツは同じGM製のキハ23・45形塗装済みキットと同じものを使用しているようです。したがって本キットでは不要な座席やトイレ仕切り壁などもランナーに収録されています。
(取っておけば何かに使えるかも?)

今回はとりあえず塗装も省略して、ランナーから切り出した部品をさっさと床板に接着していきました。

タンク類や蓄電池箱、ラジエーターなどがまとまった床下機器パーツは床板のくぼみに合わせて設置します。

ただし、そのまま接着しようとすると、床下機器パーツ左右のくぼみに収まらない部分が引っかかって、全体が床板から浮く格好になってしまいます。
したがって、床板とパーツの間に適宜の厚さのプラ板などを入れて隙間埋めをしたほうがよさそうです。
(画像では仮に接着しているのでプラ板は入れていません)

台車はスナップ式で、床板の前後2箇所の穴にパチパチとはめ込みます。

床板一式が組みあがったら、いよいよ車体と組み合わせます。

ただその前に、運転台後ろの乗務員室仕切り板を床板に、スカートを車体に接着しておきます。

なお説明書ではスカートも床板に接着するように指示がありますがこれは誤りのようで、床板にスカートを接着すると、スカートの開口部と台車のカプラーポケットが干渉してカプラーが通りません。
(2020年発売のGM製キユニ28キットの説明書ではスカートは車体に接着するように修正されています)

床板と車体を組み合わせる際は、床板のふちとガラスパーツの下部が接する部分を少量のゴム系接着剤か細切りの両面テープなどで固定します。
ちなみにガラスパーツには思わせぶりな床板を固定するツメを受けるくぼみがありますが、見ての通りキット付属の床板には固定・位置決め用のツメはありません。

床板を車体に組み付けたところです。

実は床板は車体よりもだいぶ長さが短くなっていて、必ず前後に隙間ができてしまう構造になっています。
そのうえガラスパーツとの合いも前後方向に遊びがあり、床板を固定する位置がバッチリと定まらないので微調整する必要があります。

一応、目安としてはスカートにカプラーを通した状態で台車を左右に振ってみて、カプラーの動きに問題がないような位置であればOKです。
(床板が前すぎるとカプラーポケットが、後ろ過ぎるとカプラー本体がスカートとぶつかります)

なぜ床板がこんな寸足らずな形状になっているのか不思議ですが、これは先に述べたようにこのキットの床板がキハ23・45形キット用のそれを流用しているところに原因がありそうです。

初期のキハ23・45形キットではTOMIXのボディマウントTNカプラー(当時の品番でJC62・JC63)が付属していて、床板はそれらを取り付ける前提の構造になっていました。(台車もカプラー非装備のものが付属)
すなわち、TNカプラーを取り付けた状態の床板の長さが車体長に合うように設計されていたようです。

このキユニ28形キットもTNカプラー対応である旨が説明書に書かれていますが、写真のように取り付けてみればなるほど、車体と床板の長さが一致します。
(運転台側がスカート付きJC63、妻面側がステップ・流し管付きJC62を使用、ただし説明書にはなぜか運転台側のみTN対応と記載)

以上、ちょっとした余談でした・・・。

さて、長くなりましたがこれで一応の完成、車両の姿になりました。

説明書どおりに素組みする分にはさほど困難が少なく取り組めるキットだと思います。
一部に丁寧な作業を要求されたり、面倒な手間がかかったりするような工程もありましたが、まあそれもキット制作の醍醐味ということで(?)

本当はさらに車番や各部の標記をインレタで転写する工程がありますが、それはいったん保留としておきます。

手持ちの他の形式の郵便荷物気動車と撮影。

キユニ28形は老朽化が進行した従来の郵便荷物気動車を置き換えるべく、1978(昭和53)年より余剰のキロ28形の足回りとキハ40系に準ずる新製車体を組み合わせて登場した車両ですが、新旧交代の過渡期には車両基地でこんなシーンも見られたのだろうかと想像してみたり・・・。

次回はキットに含まれていたもう1両、首都圏色の車両をKATO製キハ47を利用して前面ライト点灯仕様で組み立ててみようと思います。→その2へ続く

◎おまけ

キットに付属するインレタ(転写シート)とステッカーです。

キットの製造はGMですが、あくまでも発売元は宮沢模型名義なので、インレタやステッカーには宮沢模型のマークが入っています。
なんとなく、ステッカーの「クリアーコート厳禁」の注意書きが平成10年代のGMっぽさを感じさせるような(?)

さて気になる収録内容ですが、

  • 車両番号
    キユニ28 1、キユニ28 3、キユニ28 4、
    キユニ28 6、キユニ28 12、キユニ28 16、
    キユニ28 20、キユニ28 22、キユニ28 25、
    キユニ28 28、キニ28 2、キニ28 4、キニ28 5、
    キニ58 2、キニ58 3、キユニ26 10、
  • 所属標記
    名ミオ、名ナコ、天ナラ、天イセ、
    福トカ、岡オカ、広ヒロ、広アサ、
    広コリ、四カマ、鹿カコ、水ミト、
    仙コリ、秋カタ
  • 車体標記
    ATS-S標記、①位側標記、②位側標記、荷物標記、
    ②位側標記(荷重表記付き)、②位側標記(郵袋数・荷重表記付き)、
    郵袋数・荷重表記、荷重表記
  • 予備記号・番号
    キユニ、キニ、キハ、ユ、ニ、ヤ、
    1~9、0の各数字
  • ステッカー
    急行、普通(白地)、回送、普通(紺地)、架線注意

以上の通りとなっています。

インレタの収録内容は豊富で、とりあえずの番号選びには困らなさそうです。所属区はキユニ28形が在籍した歴代の区所はあらかた網羅されている模様です。細かな車体各部の標記もちゃんと収録されているのがうれしいですね。

また、キユニ28形以外にもキニ28形などの他形式の番号がおまけ的に入っているのも、どことなくGMらしさを感じます(笑)
(このキットをベースにキニ28・58形を作ろうとするとめちゃくちゃ大変そうですが・・・)


TOMIX・DD51の前面手すりを交換するはなし

2020年03月29日 | 鉄道模型のあれこれ

今回の記事はTOMIXのDD51の前面手すりをKATOのassyパーツに交換し、
製品そのままの状態とはちょっと雰囲気を変えてみよう、というはなしです。


(手すりの根元が直線タイプ・開放てこ内側通しの例、DD51 1040号機)


(手すりの根元が曲がったタイプ・開放てこ外側通しの例、DD51 1187号機)

実物のDD51では前面手すりの中央寄り2本の柱の形態が大まかに2種類に分類され、
重連形のうちDD51 501~799、1001~1051、801~885では根元が直線のタイプ、
1052~1193、886~899、1801~1805では根元が曲がったタイプとなっているようです。

この差異は自動連結器の開放てこが通る位置を変更したことによるもので、
根元が直線のタイプは開放てこが手すりの内側を、根元が曲がったタイプは手すりの外側を通るようになっています。
(模型では開放てこが省略されているのでいまいち見た目の説得力が薄いのですが・・・)


(左:手すり交換済み車両、右:手すり未交換の車両、下:KATOの手すりパーツ2種)


(左:手すり交換済み車両、右:手すり未交換の車両、根元付近の形状違いに注目)

さて、Nゲージ鉄道模型のラインナップでは、TOMIXはDD51の重連形中期タイプ(500番台)、後期タイプ(1000番台)、800番台後期タイプなど各種形態を製品化していますが、前面手すりはどのタイプも柱の根元が曲がった後期タイプのものになっています。
一方、KATO製のDD51ではおおよそ製品別にそれぞれのプロトタイプの年式に応じた前面手すり形状が作り分けられているようです。(もしかしたら例外があるかも)

そこで、KATO製品の根元が直線タイプの前面手すりをTOMIX製品に移植すれば、
TOMIXのDD51も番号別により実物に近い雰囲気になるのではないか、と思い今回の加工を行った次第です。
(欲を言えば後藤工場タイプの増設つかみ棒が再現された手すりパーツがあれば、なんて思いますが・・・)

素材として用意するものは、
TOMIXのDD51-500(800)形
KATOassyパーツのDD51前面手すり(800番台用もしくは1043号機用)
の2種類です。


まずは車体をバラします。
先にキャブを上に引き抜き、その後ボンネットを車端部へスライドさせるように取り外します。


次にMカプラーとカプラー押さえを兼ねているスノープロウを取り外します。
スノープロウはボンネット先端部内側にある2つのツメをつまようじなどで内側に押して外すことができます。

手すりやステップなどが一体の白い前面周りパーツは、車体裏の固定用のツメ(ウォームギアの上の、白い梁の中央に見える小さな突起)から白い梁を浮かせて逃がすように車端部へスライドさせれば取り外すことができます。
力加減の調整が難しく、外した勢いで吹っ飛ばしたり壊したりしないように注意です。


前面周りパーツが取り外せたら、グレー成形の端梁(写真中央の部品)を分離します。
端梁は手すりパーツ下部の2つの穴にピンでもって固定されているので、
それをつまようじなどで内側から押し出せば外すことができます。


次に、前面周りパーツから手すり部分を切り離します。写真右上が切り離した後のパーツです。
デザインナイフで根元の部分を切り出していき、
ステップ横の左右に下がった部分の切り口は跡をきれいにしておきます。

なお写真左は今回用意したKATO製の根元が直線タイプの前面手すりassyパーツです。
これは2020年に発売された下関総合車両所のDD51 1043号機用で、
重連用ジャンパ線納めやSGホース掛けも含めて全体が白くなっているタイプです。


つづいて、各パーツを一体化させるためにそれぞれの形状を整えていきます。
写真左が加工前、右が加工後です。
ニッパーやデザインナイフを駆使して余分を切り離していきますが、
繊細なパーツなので壊さないように注意が必要です。
特にKATO製の手すりパーツは折れやすく、不注意ですぐポキッとやってしまいます・・・(汗)


現物合わせで仮組みしつつ各パーツの形が整え終わったら、順次接着していきます。
少量のゴム系接着剤を用いて前面周りパーツと端梁、手すりを組み上げれば・・・、


出来上がりとなります。分解とは逆の手順で車体に組み戻していきます。
ちなみに写真左のものは、重連用ジャンパ線納めやSGホース掛けが朱色の800番台用assyパーツを使ったものです。


(左:800番台用手すりに交換、中央:1043号機用手すりに交換、右:製品そのまま状態の手すり)
手すり交換の加工を施した車両と未実施の車両を並べてみました(ただし、未実施車は1121号機なので本来は交換不要)。
正直、いざやってみると手間の割には地味な違いです(笑)。
前面手すりの形状違いなどは、走らせれば分からないレベルの自己満足の世界でしょうかね。

むしろ、800番台用手すりパーツを使って重連用ジャンパ線納めやSGホース掛けが朱色になっているのが模型的に目立っているように思えます。


(左:800番台用手すりに交換、中央:1043号機用手すりに交換、右:製品そのまま状態の手すり)
斜め方向の角度から。前面手すりの根元付近の形状に注目です。
なお実車では、重連用ジャンパ線納めやSGホース掛け部分の色は配置区所によってまちまちで、
例えば国鉄末期の山陰線筋では米子機関区配置車が白で、吹田第一、福知山、岡山、厚狭機関区配置車が朱色となっていたようです(転属直後の時期など例外はあり)。


交換したKATO製の前面手すりですが、TOMIX製品付属のヘッドマークも通常通り取り付け可能です。
そもそもTOMIX製品、KATO製品ともにマーク自体の取り付け方法は同じようなものですが・・・。
ただし取り付けはかなりゆるく、ちょっとした拍子にすぐマークがどこかへポロッと落ちてしまうので、紛失には注意が必要です(いっそヘッドマークもKATO製を使う手もありますね)。


ちなみに余談ながら、この加工ネタはずいぶん前にTOMIX製品でDD51 844号機タイプを仕立てた際にも行っていて、
当時は加工の手順が掲載されたwebサイトを参考に見よう見まねで作業したのですが、
気がついたらそのwebサイトが消えてしまっていたので、今回自分の備忘録も兼ねて記事にした次第です。
したがって自分オリジナルの加工アイデアではないことをおことわりしておきます(汗)

 


冷房電源は自車専用・TOMIXのキハ58系急行由布セットのキロ28形

2018年06月16日 | 鉄道模型のあれこれ

◎2月9日:キロ28形の冷房と屋根の仕様について加筆・修正しました

前回に引き続きTOMIXのキハ58系急行「由布」セットのはなしです。

今回はこのセットの目玉的存在の車両である、グリーン車のキロ28形0番台・冷房改造車をピックアップしていこうと思います。

まずはざっくり実車の解説から

キロ28形0番台(基本番台)は、様々なバリエーションが存在するキロ28形の中でも最初期の1961(昭和36)年~1963(昭和38)年に製造された番台区分で、番号としてはキロ28 1~85が該当します。

登場当初は全車が非冷房車でしたが、のちに普通車に先んじて1965(昭和40)年ごろから本格的に冷房化されることとなり、屋根上にAU13形クーラーを、床下には自車専用の冷房用電源として4DQ/DM72発電セットを搭載しました。
(バスクーラーを用いた簡易冷房車やAU12形クーラーによる冷房試験車がこれ以前に若干数存在します)

このころはまだ基本的に他車への冷房電源供給は考慮されていなかったものと思われます。

そこで、後年になって普通車の冷房化が進展してくると、編成中間に組み込まれたキロ28形によって冷房用電力の供給が分断されないようにするため、キロ28形自車専用の給電系統はそのままに隣の車両からもう一方の隣の車両へ冷房制御指令や電力を中継するジャンパ線などが設置されています。

しかしながら、やはりキロ28形の冷房用電力の供給が自車専用という状態では運用効率がよくないため、1977(昭和52)年ごろから発電セットを自車を含めて3両分の冷房用電力を供給できる4VK/DM83に換装した車両が一部で現れるようになりました。
これにより車番は元番号に+2000する改番が行われています。
(冷房化にまつわるこのあたりの経緯は他の番台のキロ28形もだいたい同じ)

なお、1969(昭和44)年に登場したキロ28形の2309以降と2508以降の車両は、製造当初から冷房車かつ4VK発電セットが搭載済みでした。

その後キロ28形0番台(ないし2000番台)は老朽廃車や他車への改造により1980年代前半には急速に両数を減らしていき、国鉄民営化前後の時期には全車引退となったようです。

さてここからは模型のはなし。

今回TOMIXが製品化したキロ28形0番台・冷房改造車は4DQ給電による冷房化が施工された姿がモチーフとなっています。
(この形態のキロ28形は今回初製品化ですね)

TOMIX公式の製品情報では、このキロ28形では車体、屋根、床下を新規に製作しているそうです。
写真の右から2番目のクーラーの真下にある床下機器が4DQ発電セットで、車体の同じ位置の窓間には発電エンジンの吸気口があります。

しかしながら4DQ発電セットつきの床下は北海道向け形式のキロ26形や郵便車のキユ25形で作ってなかったか?と思ったのですが、製品写真などを見比べてみると、どうやら各形式で機器配置などに微妙な差異がある床下を細かく作り分けているようです。

上の写真と反対側の側面から。

製造年次的にキハ58系の初期グループに相当する車両なので、乗降ドアの下側隅にある丸い小窓は当初から設けられていません。

ちなみに、このキロ28形に続いて1963(昭和38)年から製造された100番台の初期車両(キロ28 101~108)もこれとほぼ同一の車体のようです。(こちらにはドアの丸い小窓あり)

このタイプのキロ28形は割と広範囲に配置されていたので、模型で単品発売されているキロ28形後期・最終タイプ(2300・2500番台)がほとんど東海~中国地方に偏り気味に配置されていたことに比べれば、地域設定的に使い勝手のよいグリーン車のように思います。

単品発売されているキロ28形後期タイプ(2300番台・奥)と並べた様子です。

側面を見る限りではトイレ窓や強制換気装置の有無など細部は異なるものの割と似たような印象ですが、屋根周りの様子はクーラーの形状やその脇にあるベンチレータの有無でそれなりに違いがあるのが分かります。

奥の後期タイプは普通車各形式と同じ小判形キセのAU13A、手前の0番台は六角形キセのAU13を搭載していて、微妙に設置された位置や間隔も異なっています。

というわけで、このようにキロ28形0番台入りの編成を組んだ場合にはずらずらと並ぶクーラーの中で角形のキセがちょっとしたアクセントになります。

なお実際のAU13とAU13Aは互換性があり、キロ28形初期タイプに小判形、後期タイプに角形が搭載されているなどといった実例も見られるので(ただし同じ車両の中で混用されるケースは少なかった模様)、好みに応じて載せかえるのも一興かもしれません。
(TOMIXではPC6054・AU13角形キロ26として分売されています)

妻面の比較です。

0番台(左)と2300番台(右)では貫通路の扉の有無がまず目を引きますが、よく見ると屋根カーブの形状も異なり、2300番台のほうがやや扁平です。

この差異はキロ28形としてはAU13形の設置に対応した新製冷房車(一部冷房準備車)として登場したキロ28 139以降に製造された車両に対する設計変更によるもので、これらの車両はそれまでに比べて屋根高さが60mm低くなっているそうです。
(普通車形式でいえばキハ58・28形の前面平窓・非冷房車と前面パノラミックウインドウ・冷房準備車の関係と同じ)

少し余談になりますが、キロ28形の製造番号区分と屋根の仕様について簡単に以下の表に整理してみました。


(参考文献:鉄道ピクトリアル2018年3月号別冊『国鉄形車両の記録 急行形気動車』)

屋根の高さに違いが生じている理由ですが、参考文献によればAU13形を設置した場合、冷房運転中にユニットクーラーから生じた排水(ドレン)を従来タイプの高さの屋根では天井裏に設置した排水皿を通して雨どいへ流していたものを、直接屋根上に流す方式に変更するために屋根を低くしたから、ということのようです。
天井裏の工作の簡略化と水分による腐食防止が目的だったのでしょうか?

さて話を妻面の比較に戻すと、冷房制御と電源用のジャンパ線は自車給電の0番台にも装備された姿が再現されています。
つまり、前述の通り
キハ58(冷房)+キハ65(3両給電可)+キロ28(自車給電)+キハ58(冷房)
と編成が組まれている場合でも、キハ65形から供給される冷房用電力はキロ28形を飛び越して太字のキハ58形にも行き届くということになります。

ところで、単品のキロ28形後期タイプは2300番台を名乗っている通り、3両給電の4VK発電セットの装備車となっています。
上の写真では0番台(左)と2300番台(右)をトイレ側を向き合わせて連結していますが(互いに向きが逆)、どちらも連結面から2個目のクーラーの下に発電機が見えます。

つまり、4DQ発電セットと4VK発電セットはキロ28形の場合、エンジンと発電機が左右逆に取り付けられていることになり、それに伴い発電エンジン用の吸気口も4DQ搭載車と4VK搭載車では互いに逆の側面に設けられています。(写真の矢印の位置)

そんなわけで、単純にこれらのキロ28形各種で床下をトレードして、キロ28形2000番台を再現したり、キロ28形後期タイプの4DQ車(キロ28 301~308の登場時と501~507)を再現したりするには、同時に吸気口の埋め戻し・移設も必要になり地味に大変なのでは?と個人的に思っているところです。(例外の車両はいるのでしょうか?)

そもそも論で製造年次の違いから水タンクの形状など床下の細かいところが違う、という問題はありますが・・・。

さてさて、また例によって重箱の隅をようじでつつくような細かいはなしを延々と続けてしまいましたが、実はまだ今回購入したセットと単品の車両にはいまだ車両番号入れ(=どういう列車の想定で使うか)をしていないという体たらく。
個人的な好みから、九州というよりはやはり中国地方に配置されていた番号で遊びたいところなので、配置区所や車番と実車の形態の関連はさらに研究する必要がありそうです・・・。


暖地タイプのキハ58系・TOMIXのキハ58系急行由布セットのはなし

2018年06月10日 | 鉄道模型のあれこれ


今回は、品番98283キハ58系急行ディーゼルカー(由布)セットのはなしです。
先月(2018年5月)の後半発売された当初は買おうかどうかちょっと悩んだのですが、結局まんまとお買い上げ(笑)
写真には写っていませんが、同時発売の単品・品番9434キハ58形(スリット形タイフォン)も購入しました。

キハ58系は1961(昭和36)年に登場した急行形気動車で、国鉄気動車を代表する存在のひとつといえるでしょう。
派生形式を含めるとおよそ1800両余りが量産され、北海道から九州までの全国各地で長年にわたり活躍しました。

今回セットのプロトタイプとなった急行「由布」(博多~由布院~大分・別府)ですが、1961(昭和36)年に運転を開始した同名の準急列車を1966(昭和41)年に急行に格上げして誕生した列車で、JR化後の1992(平成4)年に現在のキハ185系特急「ゆふ」に格上げされるまで運転されました。

模型の時代設定は、説明書の編成例によると1979(昭和54)年ごろとなっているようで、ちょうど模型が同時発売となったキハ66・67形気動車による急行「日田」との併結運転を再現できるのがアピールポイントのようです。
(なおキハ66・67形気動車セットは未購入)

さて、それではセットに含まれる車両を見ていきましょう。


キハ58形400番台
こちらが動力車となっています。
暖地である九州地区のイメージということで、タイフォンがスリットタイプになっています。
単品のキハ58形(スリット形タイフォン)はこれのトレーラー車仕様です。


キロ28形0番台(冷房改造車)
今回のセットの目玉的存在と思われる、キロ28形の初期タイプの冷改車。
屋根上の角型キセのAU13クーラーが目を引きます。


キハ65形0番台
キハ65形の暖地向け車でタイフォンはスリットタイプですが、これは単品発売のキハ65形も同様です。


キハ28形2300番台
こちらも上のキハ58形と同様に、タイフォンがスリットタイプになっています。

正直なところ上の写真では前面の細かい様子までは分からないので、
(自分で撮っておいてなんですが)

比較ついでに前面の拡大画像を。
左が今回生産品のタイフォンがスリットタイプのキハ58形、右が単品で発売されているタイフォンがシャッタータイプのキハ58形です。

タイフォン以外の造形上の違いとしては、テールライトが内はめ式か外はめ式か、その上にある標識掛けが逆T字形かI字形か、といったところでしょうか?
なお前面以外の部分、側面や屋根パーツなどの形状はどちらも差異はなさそうでした。


さらにキハ65形の暖地向け0番台(左)と寒地向け500番台(右)
キハ65形の場合、模型的な違いはタイフォン形状だけのようですね。

全体的には大体同じ形の中の割と細かい部分の違いなので、模型としてはスミ入れしないと違いが分かりづらいかもしれません・・・。

同じ暖地タイプつながりだと、2015(平成27)年ごろに白地に青帯のキハ58系九州色セットが発売になりましたが、おおよその車体形状的にはその国鉄色バージョンと見ることもできそうです。
(キロ28形を除く)

さて、このほかセットの付属品としては
説明書、車番などの転写シート、台車排障器、幌枠、種別部品パーツ(急行、白地無表示)
が含まれています。
今回は国鉄時代がプロトタイプのためか、列車無線アンテナのパーツは含まれていませんでした。

一方、単品のキハ58形(スリット形タイフォン)には
説明書、車番などの転写シート、台車排障器、幌枠、
種別部品パーツ(急行、紺地普通)、列車無線アンテナとその取り付け用穴あけ治具が含まれていました。

ただし不思議なことに、かつてTOMIXのキハ58系製品には必ず付属していたはずのライトのON/OFFスイッチを操作する棒はセット・単品ともに付属していません。
説明書にはつまようじなどの先の細いものを使って切り替えるよう指示があるので、封入忘れではなく、そもそも付属しなくなったようです。


セットに付属の転写シート(上)と単品に付属の転写シート(下)

セット名に「由布」の名前が入っている通り、セット付属の転写シートに収録されている車番は1979(昭和54)年ごろの大分運転所に配置されていた車両のものとなっていました。
少なくとも想定された時代設定で急行「由布」(あるいは同じく大分のキハ58系を使用の急行「火の山」など)として使うぶんにはあまり問題ないと思われます。

一方、単品に付属の転写シートに収録されている車番は、セットと同時期の大分配置車を基本に収録しつつも同じ九州内の竹下(キハ58 569,570)や人吉(613)、長崎(624)のほか、広島(649)、高松(654)といったように配置にはある程度のバリエーションを持たせているようでした。

なおキハ58 569は九州内のキハ58系のうち最末期まで活躍した1両で、国鉄色に復刻されキハ65 36とコンビを組み、2010(平成22)年ごろまでリバイバル列車などとして活躍しました。

以上の車番のほかには、キロ28形に使うグリーン車用等級帯(セットのみ)と付録としてJRマーク、シルバーシートマーク(セット・単品とも)が収録されています。

グリーン車用の等級帯は1978(昭和53)年に国鉄の塗装規定が改定され、等級帯が廃止される以前のキロ28形の姿を再現するためのものです。
この等級帯の有無は人により好みが分かれるポイントだと思うので、こうして選択の余地があるのはありがたいことです。

JRマークはセットは赤、単品は赤・白2色が収録されており、赤はJR九州用、白はJR西日本や四国など用となります。

特に赤いJRマークはこれまで車両付属の転写シートに収録された製品は(少なくとも気動車製品では)なかったと思われるので、人によっては実は結構欲しかった、という方もいらっしゃるかもしれません?

民営化後、まだ九州色や急行色に塗り替えられる前の過渡期の想定で単品のキハ65形やキハ58系パノラミックウインドウ車などに使うには好適でしょう。

シルバーシートマークは国鉄末期から民営化後にかけて、九州のキハ58系が普通列車運用にも進出した際に貼り付けられていたものと思われます。そのまま急行用として運用された車両にはついていなかったかもしれません。


・・・以上長々と語りましたが、セットの内容に関してはざっくりと解説してこんなところでしょうか。

記事が長くなったので続きます。


12系+他系列の編成メモ(その2)・夜行急行「さんべ5・6号」

2016年03月19日 | 鉄道模型のあれこれ

今回は12系と20系寝台車を併結した急行「さんべ5・6号」の編成についてのはなしです。

山陰地方と北部九州地区を結んだ急行「さんべ」(定期)はJR化後の1997(平成9)年まで存在した列車ですが、
1984(昭和59)年2月のダイヤ改正までは座席車・寝台車併結の夜行列車も1往復存在し、
当時3往復あった「さんべ」の中で5号・6号を名乗っていました(改正後は臨時格下げ)。

その編成が旧形客車+10系寝台車から座席車が12系、寝台車が20系に変更されたのは1978(昭和53)年10月のダイヤ改正からのことです。


(模型でのイメージ)

なお、12系座席車と20系寝台車の併結編成は「かいもん」「日南」「さんべ」「ちくま」で見られたスタイルですが、
併結相手となる20系側では12系から空調などサービス電源の供給を受けるべく変圧器を搭載したり、
手動開閉式ドアを自動ドアにしたりするなどの改造で1000・2000番台に区分されていました。

基本的な編成はおおよそ以下の通りで
←博多 スユニ50>+<マニ50+<スハフ12+オハ12+オハ12+<スハフ12+ナハネ20+ナハネ20+ナハネフ22(23)> 米子→
(<・>は車掌室の向きを示す、オハ12の便洗面所は博多向き、中間にオハ12を1両増結の場合あり)

このうちスユニ50は下り博多行き列車の出雲市→浜田間、マニ50は下りの全区間と上り米子行き列車の博多→浜田間で連結されています。

所属はスユニ50が出雲客貨車区(米イモ)、それ以外が米子客貨車区(米ヨナ)で、
運用番号はスユニ50が「米郵1」(所要数5)、マニ50が「米荷3」(所要数2)、12系と20系が「米1」(所要数2)でした。

牽引機関車は米子~下関間が米子機関区のDD51、下関~門司間が門司機関区のEF30もしくはEF81-300、
門司~博多間が鳥栖機関区のDD51でした。

1980(昭和55)年当時、米子客貨車区には「さんべ5・6号」用として12系11両、20系12両の配置があり、
スハフ12が6両(143,144,145,146,147,148)、オハ12が5両(353,354,357,358,359)、
ナハネ20が8両(1309,1313,1324,1354,2220,2237,2243,2314)、
ナハネフ22が3両(1004,1005,1013)、ナハネフ23が1両(1019)といった内訳でした。

なおこの11両の12系は意外なことに(?)夜行「さんべ」の使用車両変更に合わせて米子客貨車区に直接新製投入された車両です。
このことを知るまでは他の区に新しい12系を投入し、捻出したお古の12系を玉突きで米子に持ってきたのかなとなんとなく考えていました。
(これらの12系最終増備グループはだいたい尾久や宮原に投入されていたようなので)

このためTOMIXの12系も「山陰」「さんべ」の再現用に最初は前期形セットを2つ買おうかと思っていたところを、
前期形と後期形セット1つずつの購入に変更しました。
ただし、実際は車両の落成が「さんべ5・6号」の運転開始にやや間に合わなかったようで、
しばらくの間は(1ヶ月弱くらい?)出雲区から12系を借りてきて運転していたようです(のちに増結時の借用もあり)。

さて、そんな「さんべ5・6号」の編成ですが、やはり変り種編成が出現したことがあるようで
←博多 スユニ50>+<マニ50+<スハフ12+オハ12+<スハフ12+ナハネ20+ナハネフ22(23)> 米子→
上記のように寝台車と座席車を通常編成から1両ずつ減車して走ったことがあるようです。

これは1980(昭和55)年夏から翌年の春にかけて、山陰本線土砂崩れのため山口線を迂回運転したときのもので、
これに伴い、通常の牽引機に加えて小郡~下関間を下関機関区のEF65PFが牽引しました。
迂回運転時というイレギュラーな編成ではあるものの、模型的にはちょうど扱いやすそうな編成長だと思います。

ちなみに模型としては以前にKATOから12系+20系急行「ちくま」セットが発売されており、
これを用いてセット内の車両を適宜連結して「さんべ」として遊ぶことができます。
自分の場合は20系を「ちくま」セットから持ってきて、12系をTOMIXのものに差し替えました。

捻出したKATO12系は宮原所属車で扉帯なしのタイプなので、
JRマークを入れた上で臨時列車や急行「だいせん」の増結車に転用し有効活用(?)を図っています。

参考文献・webサイト
国鉄客車ガイド(ジェー・アール・アール) 国鉄客車編成表80年版復刻(ジェー・アール・アール)
鉄道ピクトリアル1990年7月号(電気車研究会)
客車倶楽部メモSP―急行さんべの編成・山陰旧客鈍行
(http://www.mamezoo.com/pc/PC-CLUB/LOG/SP/508-sanbe.html)
中央本線&EF64の写真館・主要列車編成表・三瓶(さんべ)
(http://homepage3.nifty.com/6480/page576.html)
赤ベコ広場・DD51 877
(http://blog.goo.ne.jp/sakurasyukugawa8205/e/3cb72bc400ffc7313409fcbe3a0ffb2c)
鉄道サウンド広場(別館)・【古書】急行列車はどこへ行く(81年4月)
(http://railway-sound.seesaa.net/article/69785182.html)
十二徒然・今週のテーマ写真館
(http://loco-prairie.cocolog-nifty.com/jun/2012/01/post-df24.html)


12系+他系列の編成メモ(その1)・夜行普通列車「山陰」

2016年03月04日 | 鉄道模型のあれこれ

前回12系が他系列の車両と組んで走った列車の編成を模型で再現すると書きました。
というのも、12系単一組成の青地に白帯が連なる編成美もいいのですが、
模型的には編成のアクセントとして見た目が異なる他系列・他番台の車両を組み込めばそれはそれで面白そうかなと思ったためです。

なお12系と他系列客車の混成列車は全国各地にいくつかの事例が存在したようですが、
ここでは筆者の独断と偏見により(?)、山陰地方を走った列車の事例を取り上げます。

さて、今回は京都~出雲市間を走っていた夜行普通列車「山陰」号のはなしです。
「山陰」はそのスジの源流をさかのぼれば戦前の京都~下関間の列車にまで行き着く歴史ある列車だったそうで、
寝台車の連結は1968(昭和43)年開始、「山陰」の愛称は1975(昭和50)年の指定席予約マルスシステム導入に伴い付与されました。

この列車は長らく荷物・郵便車、オハネフ12形寝台車と旧型客車の座席車(スハ43形など)で運行され
長距離旅客から両末端区間の通勤通学輸送、荷物・郵便輸送とさまざまな役割を担っていましたが、
1984(昭和59)年2月のダイヤ改正で荷物・郵便車の連結を終了の上使用車両がオハネフ12+12系に変更され、
翌1985(昭和60)年3月ダイヤ改正で廃止となりました。


(模型でのイメージ)

そんな「山陰」号の最末期、わずか1年ちょっとの組み合わせであったオハネフ12+12系の編成ですが、
個人的な思い出話ながら今から十数年前に図書館で借りた本にこの編成の写真が載っていたのを見たことがあり
「山陰線に夜行の普通列車、それも寝台車つきが走っていたとは!!」
という事実を知った衝撃とともに強く印象に残ったこともあって、そのときからこの編成を模型で走らせたいと思っていました。

そんなわけで、その座席車が12系化された826・829列車「山陰」を模型で再現するにあたり、
書籍やネットで調べた情報をもとに編成表を自分の備忘録も兼ねてまとめてみました。
(私の資料見誤りの可能性や推測・独自解釈などが大いにありますので、内容の正確さは保障いたしかねます)

①基本的な編成パターン
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
(<・>は車掌室の向きを示す、オハ12の便洗面所は出雲市向き)
編成表やネットでよく紹介されているたぶんもっとも基本的な組成のされ方です。牽引機は米子機関区のDD51。
車両の配置は当時の出雲客貨車区(米イモ)、運用は6両全車が「米5」運用、所要編成数は2本でした。

1984(昭和59)年度当時、出雲客貨車区には13両の12系の配置があり、その内訳は
オハ12が7両(143,144,146,189,190,191,203)、スハフ12が4両(23,45,72,73)、オハフ13が2両(17,33)でした。
一般形のオハネフ12は5両(2010,2018,2022,2033,2094)が配置されていました。ただし、2033は1984(昭和59)年4月1日時点で廃車予定車となっていたようので、運用から外されていた可能性が高そうです。
つまり、それぞれオハ12が使用6・予備1、スハフ12が使用4・予備なし、
オハフ13が予備2、オハネフ12が使用2・予備2(2033は除外)でやりくりされていたものと思われます。

②スハフ12の向きが反転
←出雲市 <オハネフ12+スハフ12>+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
ときには運用上の都合からか上記のようにB寝台車の隣のスハフ12が京都向きで運用されることもあったようです。

なお帰省シーズンや大型連休などの多客期には座席車が増結となることもあって、
③座席車1両増結
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
のような7両編成も出現していたようです。ただし増結するにも予備のオハ12は1両しかないので、
所要のもう1本の編成には代わりにオハフ13を増結するか、米子区からオハ12を1両借り入れてくるなどしていたことでしょう。

④オハフ13を中間に組み込み
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハフ13>+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
オハ12が1両抜けた代わりにオハフ13が登板。

⑤借り入れ車両入り編成
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+オハ12+<スハフ12-100 京都→
京都寄りスハフ12が100番台で逆向き(米子区からの借り入れか)。
上述の通り予備車が少ないので、通常充当されるオハ12やスハフ12が検査等により運用から外れてしまうと変則的な編成が出現することも。
スハフ12 100番台の便洗面所側妻面のテールライトが使用されるのは割と珍しいケースだったのではないでしょうか。

⑥緩急車マシマシ(笑)パターン
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハフ13>+オハ12+オハ12+オハフ13>+スハフ12> 京都→
珍編成の極めつけ(?)は1984(昭和59)年の夏ごろ出現した上記の例で、
座席車が6両に増結のパターンでかつスハフ・オハフが4両も組み込まれているという編成が走っていたようです。
よほどオハ12が足りなかったのでしょうか。
この編成の写真を最初に見たときはさすがにぶったまげました・・・。

以上が自分が調べた中で把握している12系「山陰」の編成です。
このほかにもまだ編成のバリエーションが存在する可能性もありますが、それにしても思ったのは
1年ちょっとしか走っていない割にはさまざまな編成が存在して、さすが客車列車は奥が深い(笑)ということです。
これだけあれば模型でも気分に応じていろいろと車両を組み替えて遊べそうではあります。

余談ながら、
「山陰」廃止後もそのスジの京都~福知山間は早朝・深夜帯の普通列車として存置され、
福知山客貨車区(福フチ)の50系4両に編成を衣替えの上運転されました(さらにその後12系近郊改造車に取替え)。
福知山で大阪発着の急行だいせん5・6号に接続し相互に乗り換えられるようになっていたそうです。

参考文献・webサイト
昭和40年代~・懐かしの鉄道100選(淡交社)
国鉄気動車客車情報 84年版(ジェー・アール・アール)
国鉄客車ガイドⅡ(ジェー・アール・アール)
復刻版国鉄電車編成表1986.11ダイヤ改正(交通新聞社)
客車列車1984(鉄道ジャーナル社)
懐かしの国鉄客車列車(鉄道ジャーナル社)
一般形客車資料室(http://www.est.hi-ho.ne.jp/train829/index.html)
トランスポート・DD51写真館(http://www.apionet.or.jp/DF5051/dd51/index.htm)
愛称別トレインマーク事典・夜行普通山陰号(http://nihonkai.exp.jp/hm/s/sanin.html)
R&R・ドン行”山陰”1984 其の壱(http://randr.blog.so-net.ne.jp/2012-01-19)
元鉄ちゃんのフォト☆ライブラリー・夜行寝台付普通列車「山陰」とオハネフ12(1984年)
(http://blogs.yahoo.co.jp/senkyu_san/33066110.html)
温泉文化研究所・鉄路憧憬(http://onbunken2009.web.fc2.com/03-T-shoukei/03-T-shoukei.htm)


国鉄客車の新機軸・TOMIXの12系客車のはなし

2016年02月29日 | 鉄道模型のあれこれ

◎ご案内
この記事は2016年2月に投稿されたものを2018年6月に加筆・修正のうえ再構成しました。


青い車体に白い帯!国鉄客車の新機軸・12系!
・・・と出だしから謎のテンションですが(笑)、


今回は以前購入したTOMIXの12系客車についてのはなしです。

具体的には2015年から2016年にかけて新発売となった品番92542・国鉄12系客車(スハフ12-100)セット、品番92597・国鉄12系客車(スハフ12-0)セットについて取り上げます。
(単品各種の品番9502・国鉄客車スハフ12-100形、品番9503・国鉄客車オハ12形、品番9504・国鉄客車スハフ12-0形、品番9505・国鉄客車オハ12形(前期型)についても内容的にこれに準じます)

まずは実車について簡単に

(2012年12月・スロフ12 6ほか)

12系客車は1969年から1978年にかけて総数603両が製造された波動輸送用・急行形客車です。

冷房や空気バネ台車を当初から装備し従来の客車より大幅なサービスアップを実現、さらに客車では初めての自動ドアを採用し安全度の向上を図っています。
これにより居住性は当時最新の急行形電車・気動車と遜色のないレベルに引き上げられました。

また、ユニットサッシやFRPなどコストダウンを意識した車両部材を使用したり、客車初の分散電源方式を採用し牽引する機関車を選ばず運用の自由度を高めたりするなど数々の新機軸を盛り込み、当時の国鉄としては大変画期的な客車となりました。

基本的にはスハフ12形、オハフ13形、オハ12形の3形式から構成されますが、後年ジョイフルトレインに改造されグリーン車となった車両もいて、形態的なバリエーションは大変豊富になりました。

それでは模型の話に戻りまして、まずは国鉄12系客車(スハフ12-0)セット(4両入り)に含まれる12系前期グループの車両から見ていきます。
これらの車両は1968~1971年にかけて製造されました(試作車も含む)。


スハフ12形0番台
12系の発電装置つき緩急車で、自車を含めた編成に主に冷暖房用の電力を供給します。
その発電装置は床下のグレーの部分で、外見上のアクセントとなっています。
また、車体側面には発電用エンジンの吸気口があります。


オハ12形(前期型)
12系の中間車です。セットには2両含まれています。
12系は従来の客車と座席数は同じながら、車体長を延ばすことでその分それまでよりシートピッチが広くなり、さらに裾絞り車体の採用で車体の最大幅も拡大したことで余裕のある車内空間を実現しています。


オハフ13形
緩急車がスハフ12形だけでは製造コスト高となり不経済なため、発電装置を省略(搭載準備工事)した緩急車として製造されました。

編成内の給電容量が十分な場合など、スハフ12形に替えて適宜連結されました。
この形式のみ試作車の使用実績を鑑みて、1970年からの製造です。

続いて国鉄12系客車(スハフ12-100)セット(4両入り)に含まれる12系後期グループの車両を見ていきます。
これらの車両は1977~1978年にかけて製造されました(オハフ13形を除く)。


スハフ12形100番台
前期グループの製造から6年後にマイナーチェンジして登場したスハフ12形です。
発電装置の給電容量の増強や、火災対策の強化などを施し車番は新たに100番台に区分されました。


オハ12形(後期型)
スハフ12形100番台と同時期に製造されたオハ12形で、前期型同様にセットには2両含まれています。
車番は前期グループからの続き番号ですが、車体各部の構造が見直され微妙に外観が変化した部分もあります。


オハフ13形
この形式のみスハフ12形100番台と同時期に製造された車両は存在しません。
したがって(スハフ12-0)セットのオハフ13形とは基本的に同一ですが、作り分けられている部分もあります(後述)。

そのほか両セットで共通事項としては、スハフ・オハフにはテールライトの消灯スイッチ装備、ダミーカプラーとジャンパ線の部品(購入時はオハフ13形に装着済み)、およびそれらと交換するアーノルドカプラーつき台車枠が付属しています。

どの車両も塗装に乱れはなく、青色の車体に入った2本の白帯(正確にはクリーム10号)がバッチリ決まっていていい感じです。
ただし車体側面に入る所属表記や積空換算表記は省略されているので、ちょっともの足りなく感じる人もいるかもしれません。

以上がセットに含まれる各車両の概説ですが、単品で発売されるスハフ12形・オハ12形各種も車両的にはそれぞれ同じです。

つづいて、製品で作り分けられている12系の前期・後期グループの微妙な相違点を見ていきます。


まずはスハフ12形の比較から、上が100番台、下が0番台です。
このアングルだと両者の違いは側面の発電エンジン用吸気口の形状や位置、発電装置の形状や床下機器配置などが挙げられます。

これは発電装置を0番台のDMF15HS-G/DM82から100番台ではDMF15HZ-G/DM93に変更し、火災対策なども含めて床下機器の設計・配置変更が行われたためです。


今度は屋根上の比較です。奥が100番台、手前が0番台です。
小判形のAU13Aクーラーやその両脇に配されたベンチレーターなど、外見上基本的には共通に思えます。
しかしながらよく見ると、0番台の屋根にはクーラーの間に凸形のモールドが表現されています。

これは実車の屋根の鋼板が凸形にプレス成形されている部分で、鉄道ピクトリアル1990年7月号(特集:12・14系座席客車)によれば、
『屋根上のクーラー取付部に強度を持たせるため、凸形にプレスし、タテケタを2本通した』
と記述されています。
つまりこの部分はなぜだかよく誤解されている(?)、クーラー間補強「板」ではありません。

なお1977年以降に製造されたスハフ12形100番台とオハ12形は、設計の見直しによりこの補強リブはなくなりました。


次にオハ12形。左が前期型、右が後期型です。
屋根上の違いはスハフ12形と同様ですが、後期型にはトイレ・洗面所のない側の車端部に貫通扉が増設されました。
これは火災対策の強化によるものです。
なおトイレ・洗面所側の車端部の貫通扉は登場当初より設置されています。


最後にオハフ13形。左が(スハフ12-0)セット、右が(スハフ12-100)セットに付属の車両です。
一見するととても分かりづらいですが、貫通路窓のHゴム支持の表現が(スハフ12-0)セットの車両には有り、(スハフ12-100)セットの車両には無しというように作り分けられています。

これはやはり火災対策としてスハフ12形100番台において、貫通路窓をHゴム支持に替わって金網入りガラスをステンレス製の押さえ枠で取り付ける設計変更があったのですが、それを受けて後天的にスハフ12形0番台やオハフ13形でも同様な構造に変更された姿を再現しているようです。
(なお全車が変更されたわけではなく、Hゴム支持で残った車両もそれなりにいるようです)


さてさて、ここまで製品のぱっと見で分かる部分を色々と見てきましたが、このTOMIXの12系はKATOやマイクロエースに比べて後発の製品というだけあって、設計陣の気合の入れようがよーく伝わってきます。
ともすると機関車と比べるとどうしてもモブキャラ的な立ち位置になりがちな客車ですが、12系は蒸気機関車時代の末期から2000年代に至るまで様々な機関車や情景に似合いますし、特に機関車だけでなく客車の形態にもこだわりたい方にはオススメできる製品であるかと思います。
(他社製品に比べてその分お値段は張りますが)

☆補足①
TOMIX公式サイトの「N情報室」第188号(2015年12月)に12系試作品紹介の記事がありますのであわせてご紹介(→こちら)

☆補足②
12系セット・スハフ12形単品に付属の転写シート(インレタ)に収録されている車番の配置区所をまとめました。
手元の資料の都合と、まだ大半の車両が健在で廃車が進んでいなかった時代ということで1989年4月1日現在の配置を示します。
なお改形式・改番号を伴わない改造などは表中に反映していません。
(出典:1989年版JR車両配置表、鉄道ピクトリアル1990年7月号、2005年2月号)

国鉄12系客車(スハフ12-0)セット付属の転写シート収録車番の配置

小郡に配置の4両は1988年にSLやまぐち号用客車として改造されています。

国鉄客車スハフ12-0形付属の転写シート収録車番の配置

大分に配置の2両は1980年に和式客車「海編成」に、高松に配置の2両は1988年にオロ12形(ムーンライト用)にそれぞれ改造されています。
また、名古屋配置のオハ12 139は1986年に廃車となっています。

国鉄12系客車(スハフ12-100)セット付属の転写シート収録車番の配置

尾久に配置の4両は1985年に和式客車「江戸」(オハ12 323)、1986年に和式客車「やすらぎ」(オハ12 319・320・322)に、宮原に配置の1両は1987年に和式客車「あすか」にそれぞれ改造されています。
なぜかオハフ13形の35と68は(スハフ12-0)セットと(スハフ12-100)セットの両方に収録されていました(笑)

国鉄客車スハフ12-100形付属の転写シート収録車番の配置

こちらもセットと単品でスハフ12形の104と112が重複して収録されています。

12系は北海道を除く全国区で配置されていた車両なので、転写シートに収録の車番も全国各地のものが選ばれていますが、その中でもなんとなく名古屋、宮原、鹿児島に配置の番号が多いように見受けられます。
まあ12系も全国規模で需給に応じてあちらこちらへ転属が繰り返され、同じ車両でも時期によって配置が異なることは多々あるので、これは基準にした時期から結果としてそう見えているだけかもしれませんが・・・。


(以下、2016年2月投稿の原文です)

ひと月ほど前のことになりますが、TOMIXから新仕様の12系客車が発売になりました。
2015年初頭に発売となった後期形(スハフ12形が100番台のグループ)に続いて、
今回は前期形(スハフ12形が0番台のグループ)の製品化です。


で、客車好きとしては待ってましたということで早速2セットと単品車両数両を購入。
セットは当初スハフ12 0番台セットを2つ買うつもりでしたが、
方針を変えて0番台セットと100番台セットを1つずつにしました(理由は後の記事にて)。


右手前がスハフ12 0番台(前期形)、左奥が100番台(後期形)。
最新製品というだけあって各部はとてもシャープな出来となっています。


スハフ切妻車端部屋根上から。左が100番台、右が0番台です。
よくぞ再現してくれたと思うのが、
0番台前期形グループの車両に存在する屋根上クーラー間のリブ。
KATOはもちろんのことマイクロの12系でさえも再現されておらず、
特徴的というか、模型では比較的目立つ割にはなぜか今まで見過ごされてきたディテールではないかと思います。
なお実車では屋根の鋼板がプレス成形されて凸形のリブになっているそうで、
つまりクーラー間補強「板」ではないようです。
便所・洗面所ユニットの搬入口の蓋や妻面の尾灯の有無も前期形・後期形で作り分けられていますね。


前期形(下)と後期形(上)で異なる吸気口・給水口の位置・形状はもちろん、
別パーツとなっている発電セット(エンジン・発電機)も実車に合わせて微妙に異なる形状のものが再現されています。
さらにそれにあわせてそのほかの床下機器の配置が違う様子まで作り分けられています(見切れていますが)。
設計陣の気合の入りぶりがうかがえようかというものです。

ところで、前期形の12系といえば(厳密には試作車グループですが)


記憶に新しいのは2015年の春に地元を走ったあの列車、でしょうか。
写真の模型は機関車・客車ともども色々と大いに異なる部分がいくつもありますが、雰囲気なら楽しめます。
実はスハフ12 0番台セットに付属の車番インレタには「スロフ」「オロ」の形式文字が・・・(譲渡前の想定でもありますね)。
再現して遊びたい方はオロの窓埋めなどはともかく、
お手軽に床下・台車をすべてグレーに塗装するところからいかがでしょう(笑)


しかし今回自分が12系で再現したい編成はそちらではなくて、
ひと頃見られた12系が他系列とも手を組んで走った列車がテーマだったりします・・・。
(これで分かる方は80年代好きかリアルタイムで見た人か)

ということで続きます。


おまけナンバーとジャンクの機関車・DD51 844タイプ(その3)

2014年12月07日 | 鉄道模型のあれこれ



しばらく途切れていたDD51 844風機関車の話ですが、実は前回の話の時点でほぼほぼ工作は完了していました。
しかし、ねずみ色1号で塗装した屋根の色合いがボンネット部分のグレーと合っていないのが気にかかり、
結局その部分だけ再塗装することに・・・。

で、これが泥沼の始まりで、製品のグレーと合うような色合いの塗料を探し回り、
いくつかを買い込んでそのままもしくは調色して試し塗装を繰り返しました。
ミリタリー系やキャラクター系模型のおかげでグレーは模型用塗料の色としては大変種類が豊富ですが、
その結果あの色この色といくつも試してしてみたせいで、気がついたら手元には20種類くらいの塗料瓶が・・・(大汗)

これではきりがないので色の比較は打ち止めにして、それまで試し塗りしてきた中で一番似ている色合いのグレーで塗装することにしました。
完全一致の調色はなかなかに困難ですが、それにしても今回は色合わせに神経質になりすぎていた感がありました。


で、結局こんな具合に塗装。
確かタミヤカラーのニュートラルグレイとスカイグレイを1:1で混色したものです。
遠目から見ればまあ違和感少ないだろう、くらいの感じです。
ちなみにキャブ屋根に追加した通風口ふたと機関予熱器の排気口は前回の記事のものから作り直しています。
特に通風口ふたはスーパーのお惣菜が入っていたトレー(透明スチロール樹脂製)を洗って乾かしたものから切り出しました。
この素材、非常に薄いので今回のふたのような「確かにあるけど目立たない」ものを作るには便利です。

というわけでこれでDD51 844タイプは工作完了としました。


それではヘッドマークを掲げてDLやまぐち号出発・・・(笑)
ようやくおまけナンバーとヘッドマークが活きてくるときです。


レイアウト上を走るDD51やまぐち号の図。
ふつう、乗るほうにしても撮るほうにしてもSL列車のDL代走はがっかりもいいところですが、(喜ぶのは一部の趣味人?)
まあ模型の世界では走らせて楽しいネタ列車、ということで・・・。

なお機関車の後ろに連なる12系やまぐち号編成(リニューアル前・マイクロエース製)ですが、こちらはずいぶん前からもともと持っていたもので、
臨時急行「味めぐり但馬カニスキ」としてKATOのEF58 150のお供にするために手に入れたものでした。
そんなわけでこのときまでやまぐち号として走ったことはなく、C571にも牽引されたことがないという、
ずいぶんひねくれた使われ方をされております・・・。


おまけナンバーとジャンクの機関車・DD51 844タイプ(その2)

2014年10月09日 | 鉄道模型のあれこれ

今回のTOMIX・DD51-500をDD51 844風に仕立てる加工では、大きく分けて以下の3つを行いました。

①キャブ屋根周り
844号機はDD51のSGなし800番台としてはキャブ屋根に大きな扇風機カバーのないタイプで、
当然SG関連の排気口やベンチレータもないため屋根上は平らな形態をしています。
ここがTOMIX製品の800番台とは異なるポイントです(KATO製品はこの形態)。
したがって500番台、800番台どちらを種車にした場合も屋根上の部品を撤去する必要があります。


屋根上の部品をニッパーやナイフでざっくりと除去したあと、残った穴をパテ埋めしてやすりで形状を整えていきました。
このときクレーンフックや屋根板を止めているボルト表現まで削らないようにマスキングテープなどで養生(カバー)しておきます。
この次に、844号機が厚狭機関区所属時代に追加改造で取り付けられた2ヶ所の通風口のふたを、
0.3mm厚プラ板から切り出したものを貼り付けて表現。
また、800番台特有の屋根肩部分にある機関予熱器の排気口も同じく0.3mm厚プラ板に穴を開けたもので表現しました。
このあたりパーツの大きさや配置は実車写真やTOMIXの「さよなら紀勢貨物」セットに含まれているDD51 852の屋根板を参考にしました。
(現状では852号機の模型が844号機に一番形態が近かったり・・・)
塗装はねずみ色1号吹きつけ後、つや消しクリアーを重ねて吹き付けて見た目を整えています。


奥が(模型的な)原形、手前が844号機風の屋根です。
思っていたよりもねずみ色1号が明るい色合いで、製品のグレーと比べるといくらか浮き気味となってしまいました。
屋根上の通気口のふたや列車無線アンテナですが、プラ板の厚みのせいでたぶん実物や852号機の模型よりも自己主張が激しいです(笑)
まあでもこれくらいのほうが却って他との違いを強調する結果となっていいかもしれませんね・・・。

②ナンバーとその周辺
まず実車についているナンバーは車体に切り文字を並べた形態なのですが、
模型のナンバーパーツは後期タイプのブロックナンバープレートを再現するために少々厚みがあり、
これをそのまま車体に取り付けると少し出っ張ってしまいます。このためナンバーパーツの裏を削って車体からの出っ張り感を減らしました。
それでも別パーツになっている時点である程度の出っ張り感が残りますが、あまり削りすぎて窪んでしまっても面倒なので、適当に済ませています。


またキャブ側面のナンバー部分は白帯がかかってなく地が朱色となっているので、
ナンバーパーツを朱色4号の塗料で塗りつぶしたあと、文字部分だけをつまようじの先でこすって削りだしてこれを表現しました。
区名札差し部分も同様に地が朱色なので、こちらは薄め液を用いて白帯の塗料を除去しました。
このとき下地の朱色までいくらか一緒に落ちてしまいますが、素材のプラスチックの成形色が朱色なので、遠目にはあまり違和感はないと思います。
さらに実物は区名札差しの枠が銀色(ステンレス製?)となっているのですが、この部分に関してはモールドが浅く、
無理に銀色を色さしするとはみ出したりかすれたりと却って汚くなってしまうので、省略しました。
なおメーカーズプレート右の通気グリルはSG用のものらしいのでSGのない800番台では塞ぎ板になっているそうですが、
ここも削った貼ったするのは面倒なので加工省略。そもそも製品の800番台もここはSGあり機と共通の表現になっています。

③前面手すりの交換
TOMIXのDD51に取り付けられている前面手すりは重連形の後期タイプのものが各製品で共用されていて、
KATOのDD51のそれのように各プロトタイプに応じた作り分けはなされていないようです。
844号機の前面手すりは製品そのままの中央寄り2本の根元が曲がった形態(写真右)ではなく、
まっすぐな形態のKATOの800番台用のもの(写真左)が近いので、このパーツに交換しました。

なお交換の方法は、ネット上に作例が公開されているのでそれを参考に加工を行いました。
(2020年3月追記:作例を参考にしたページが消えてしまったので、
備忘録を兼ねて本ブログで記事にしました→こちら)

KATOの手すりパーツはTOMIXに比べて力がかかると折れやすく、
各部を切削する際に扱いには注意が必要でした(つまりひとつ折ってしまった・・・)。

このほかに製品に手を入れたこととしてはヘッドライトの光源をオレンジLEDから電球色のものに交換、
JR化後のイメージでキャブ窓のHゴム表現を黒く塗ったり列車無線アンテナを屋根に取り付けたりしています。

以下、その3に続きます・・・。