お座敷列車を訪ねて(その2)からの続き
山陰本線の列車に乗って松江から出雲市に向かうと車窓には宍道湖が見えてきます。このときはまだいい天気だったので、青空の下に青い水面が広がるきれいな景色が広がっていました。
ただ、バスの中であまり眠れなかったせいか、列車の中では終始うとうとしていて写真撮り忘れましたが(- -;)
出雲市駅に着いて改めて列車を見てみると、キハ126系のトップナンバー編成でした。
キハ126系の1次車は車体側面にビードがなく、全体的にのっぺりした印象があります。
駅の案内表示には早くも臨時列車の案内が。
時刻表には「ありがとうお座敷ほのぼのSUN-IN1号」という列車名で掲載されていましたが、長すぎるのか「ありがとうお座敷」と表示されています。しかしローマ字で「Arigatou Ozashiki」と表示されるとぱっと見て、ん!?という感じになります(^^;)
ちなみに駅の案内放送では「ありがとうほのぼのSUN-IN」と言っていました。
米子寄りのホームの先端で回送されてくる「ほのぼのSUN-IN」を撮ろうと待っていると、何やら不穏な駅の放送が。いわく、「東海道線での人身事故のためサンライズ出雲号に遅れ、お座敷列車も発車が30分近く遅れる見込み」とのこと。
・・・前日も埼京線で人身事故があったのですが、まさか東海道線でも発生、しかも関東から遠く離れたこんなところにまで影響が及んでくるとは。
長距離列車がある以上、こればかりは仕方がありません。なんだかな~。
それでも「ほのぼのSUN-IN」の回送列車は(たぶん)ほぼ定刻にやってきました。
(動画からの切り出しのため画質悪いですがご容赦ください)
朝方は天気が良かったのですが、この期に及んで天気が崩れだし、雨まで降りだしてきました。しかし、憧れのお座敷列車を目の前にしてテンションは上がりっぱなしです。
下関方、平窓前面のキロ29 551。
京都方、パノラミックウインドウのキロ59 551。
平窓前面のキハ58系の残存車が多い現在、パノラミックウインドウ車はより貴重な存在だと思います。
このお座敷列車の運転は9月末~11月末の土日に運転となっていたので駅はいわゆる激パ状態とはなっておらず、自分も含めてカメラを構えていたのはだいたいこの後乗車する人がほとんどのようでした。
「ほのぼのSUN-IN」の側面ロゴマーク。二人ともどこを見つめ、何を思っているのでしょう。あと女の人の髪の毛はツッコミ無用です(笑)
そういえば、かつて山陰にはもう1編成「ふれあいSUN-IN」というお座敷列車もいました。「ほのぼのSUN-IN」とは兄弟関係に当たります。そのロゴマークも参考までに。
ええ、デザインが全く同じですね、はい(^^;)
続いて車番。
かつて、国鉄民営化前後のころは北海道から九州まで数多くのキハ58系改造ジョイフルトレインがあり、「59」形式を名乗っていた車両も結構あったと思うのですが、気がつけばもうわずかしか残っていないみたいですね。
さて、前面の貫通路部分には臨時運転に合わせて特製のトレインマークが取り付けられています。
島根県の伝統芸能「石見神楽」をイメージした図案のようです。ちなみに通常運転時には側面ロゴマークと同じデザインのものが掲出されていました。
いつだったか通常のトレインマークが盗難にあったことがあり、この特別マークもある意味盗難対策なのかなあとつい穿った見方をしてしまいます。よく見るとこのマークにもしっかりと錠前が取り付けられています。
これは運転席横に取り付けられたタブレットキャッチャーです。因美線で最後のタブレットの走行授受が終了したのはもう随分前ですが、今ではJR線でタブレット閉塞を行っている旅客線も数えるほどになってしまいました。
おそらくタブレットキャッチャーを装備している旅客車はこの「ほのぼのSUN-IN」のキロ59・29が最後ではないかと思います。
キロ59 551の所属・定員表記。お座敷車なので定員が36名とかなり少なめです。表記の左側には車体の傷みを修正した跡がありますが、ここだけでなく車両全体が全体的にかなり傷んでいるようでした。青白ベースの塗装なので遠目で見た時と近くで見た時のギャップが激しいです。車体がこれだけ傷んでは引退もやむなしか・・・、といった感じでした。
続いて特徴的な車端部のグラデーション塗装。
実際にはグラデーションというよりもある時点から塗装を薄くしているだけの「手抜き」状態です。登場時の写真を見た時ははもっとちゃんとしているグラデーションだったような気がするのですが、検査などで塗り直しているうちに面倒臭くなってしまったのでしょう。確かにこれだけの大きな面積にシールではなく塗装でグラデーションを行うのは大変そうです。
それでも小さい頃にこの車両を初めて見た時、このグラデーション塗装の部分が一番印象的だったように思います。
よく見ると雨どいはオレンジ色に塗装されているのが分かります。
さて、一通り車両を観察し終わった時点で本来ならば発車時刻となるのですが、前述のように東京からの寝台特急が遅れているのでその接続を取るために発車がしばらく遅れているとのことなので、今度は車内をゆっくり観察してみましょう。
以下、その4に続く・・・
お座敷列車を訪ねて(その1)からの続き
さて、前回の最後にあるとおり、米子駅構内の車両基地には様々な車両が止まっていました。その一部をご紹介。
山陰の鉄道界でも注目の国鉄色のEF64 1050。
こちらは岡山更新色のEF64 1046。こんどM社からNゲージで製品化されますが、・・・ですね。
冬支度を整えているDE15。先日木次線で試運転があったようです。これも山陰の晩秋の風物詩。
今日の主役、「ほのぼのSUN-IN」もいますね。出雲市まで回送するくらいなら米子から乗せてくれ~(^^;)
キハ47の姫新線色が列をなしています。今年の初夏の頃に姫路からまとまった数が米子に転属してきました。所属表記が「神ヒメ」のままの車両と「米トウ」に書き換えられた車両がいます。
そうこうしているうちに松江行の普通列車がやってきました。この列車も姫新線色の車両が繋がれていました。山陰のキハ47とは座席の色が異なります。
「ほのぼのSUN-IN」が入れ替えで動いてきました。姫新線色の車両と一瞬の顔合わせ。
朝の静寂の中にDMH17Hと4VKのエンジン音が響きます。
キハ126系1次車。今でも「新車」のイメージがありますが、気がつけば登場からもう8年近く経過しているのですね。
ついこの間登場したばかりの「4代目鬼太郎列車」。ものすごく派手な塗装で、以前とは雰囲気が一変しています。キハ40にブラックフェイスはなんだかなあ(^^;)
そしてこのあと、さっきの松江行の普通列車に乗り松江駅に向かいました。
この列車は2両編成で、米子側に姫新線色、出雲市側に首都圏色のキハ47が繋がれていました。
どちらも朱色ベースの塗色ですが、連結面を見てみると両車で微妙に朱色の色合いが異なるのが分かります。
松江駅ではいったん途中下車して駅弁を買い、その後キハ126の快速「アクアライナー」に乗り出雲市に向かいました。
というわけで今回の記事は写真ばかりですがこれで。
以下、その3へ続く・・・
相変わらず仕掛りネタだらけの当ブログですが、久々に最近の出来事の記事を上げます。
この前の11/7・8の土日、とんぼ返りではありますが、私いなば路快速ゆかりの地、山陰へ出かけてきました。
タイトルにあるとおり、今回は臨時運転のお座敷列車「ほのぼのSUN-IN」に乗車するために出かけたわけなのですが、それ以外にも久々に山陰の鉄道を見たり乗ったりするのも楽しみでした。
金曜の夕方、授業が終わりいったん自宅に戻って支度を整え出発。友人や先輩と一緒に目黒のラーメン二郎で夕飯の後、浜松町バスターミナルに向かいました。
20時半発の米子行きの夜行高速バスに乗車。
「サンライズ出雲」に乗らないの?との声が聞こえてきそうですが、なにぶんノビノビ座席に乗るのでさえバスより運賃割高になってしまうので、今回は安さで夜行バスを選択しました(結果的にはこの選択で間違ってはいなかったのですが)。
深夜の高速道路をひた走り、途中のSAで休憩をはさみながらさらに走って、翌朝6時過ぎに米子駅前に到着、30分以上の早着でした。まあ早く着く分には困らないのですけどね。
朝6時台の米子駅前はまだひっそりとしていて、人影もまばらでした。
ここから列車に乗って出雲市方面に向かうのですが、まだその列車には時間があるのでしばらく駅付近で時間をつぶします。
ちなみに鳥取育ちの自分にとっては「列車」よりも「汽車」と言うほうがなんだかしっくりきます(笑)。さすがに電車は「電車」と言いますが(^^;)
駅から東へしばらく歩いて行くと、「津山街道踏切」という踏切があります。地元の人やファンには名の知れた「開かずの踏切」(と言っても都会のそれとは比較にならないでしょうが)で、今の山陰ではおそらくここだけだと思います。
ここは米子駅構内の東端部にあり、本線の列車以外にも入れ替えの車両がこの踏切を通過することが多いために遮断時間が比較的長めなのでした。そのために歩行者・自転車用の地下道もあります。
最近になって踏切近くの不要な線路が整理され、入れ替えのやり方も見直されたことで遮断時間は短縮されているそうです。それでも自分が行った時には上下列車の通過で約10分くらい警報機が鳴っていました。
津山街道踏切から見た米子駅構内。車両基地のある駅にはなぜか憧れます。といっても駅と車両基地の2つを同時に楽しめるからという単純な理由なのですが。
近くにある国道の陸橋からは、朝焼けの大山が見えました。頂上付近は「雲の笠」をかぶっていますが、空模様としてはまずまずのようです。
それから駅方向に戻り、商店街の中を歩いていくとたまに地元のイベントが行われる広場に出ます。ここには1両の古い鉄道車両が保存されていました。
かつて鳥取県西部に走っていた日ノ丸自動車法勝寺鉄道線(通称法勝寺電車)の車両・フ50形でした。この車両、日本に現存する最古の明治期木造客車で、製造は1887(明治20)年、イギリスのバーミンガムなんだそうです。車齢は122年!よくぞ残っていたものです。今のところ塗装が色あせてはいますが、屋根の下で大切に保存されています。
松葉スポークの車輪がシブイ。
しばらく車両を観察したのち、米子駅に戻ります。米子駅前にはいくつかのオブジェがあるのですが、鉄道の町として発展してきた米子だけあって、鉄道に関するオブジェもありました。
たぶん「銀河鉄道999」あたりをモチーフにしているであろうこれ。C62と思しき機関車がスハ43(オハ46?)と思しき客車を2両けん引しています。客車のTR47形台車などをはじめ、それなりに細かい部分も作り込まれていますが、床下機器が電車のM車っぽい感じだったり、連結器が模型のドローバーみたいだったりするのはご愛嬌。
個人的には米子ならC62よりもC57のほうがしっくり来ると思いますが・・・
こちらはどこにでもあるようなスタイルですが、「山陰鉄道発祥之地 米子」と刻まれた石碑がこの町の鉄道の歴史を感じさせます。置いてあるのはC57の動輪と松葉スポークの車輪です。
このあと駅の中にある食堂で朝食を食べた後、ホームの中に入りました。
広大な駅構内には、さまざまな車両が停まっていますよ・・・?
以下、その2へ続く・・・
8/7-8「ありがとうブルートレイン」編からの続き
さてさて、前回からもうだいぶ間が開いてしまい、申し訳ありません。ネタとしてももう3か月も前のこと、鮮度が落ちておりますが今さらながら続けてまいります。
鹿児島中央駅でブルートレインを降り、路面電車に乗って次に向かったのは、K先輩の親戚のお宅でした。そこからお昼ご飯をごちそうになった後、桜島がよく見える場所へ車で移動。フェリーターミナルの近くの、最近よくあるスタイルの、港近くにある商業施設の前で降ろしてもらいました。
ちょうど自分たちが車を降りた時に桜島が「ぽふっ」と小さく噴火したようで、また灰がパラパラと降ってきました。まあでも噴火した姿を見られたのはちょっとラッキー(?)でした。
この後、再び路面電車に乗って鹿児島駅へ移動。鹿児島の路面電車は吊り掛け駆動の旧型車(昭和28年製!の車両もいました)から、VVVFインバータ制御の最新型の連接車まで車両の種類が豊富で、ラッピング車も走っているなど、見ているだけでも楽しいです。
鹿児島駅では保留車となっている475・457系電車をしばらく撮影。クーラーの形状が他とは違っている車両やグリーン車改造の先頭車も留置されていましたが、これらの車両も今では解体されてしまったのでしょうか・・・。国鉄色に復活した車両くらいは九州鉄道博物館に行って欲しかったのですが。
いやはや、もう活躍しないだろうことがわかっている車両を見るのはやはり切ないですね。
しばらくすると赤い485系がやって来たのでそれも撮影。初めて見ましたが、赤一色のインパクトは鮮烈です。いかにも九州らしい雰囲気です。
そういえば、鹿児島駅構内にはキロポストが2つ並んでいました。
手前のキロポストは日豊本線の小倉から462kmのキロポスト、少しわかりづらいですが奥のキロポストは鹿児島本線の門司港からちょうど400kmのものです。
こうして見ると日豊本線のほうが鹿児島本線よりも距離が長いことがわかります。路線の終点でキロポストが並ぶ光景もたぶん珍しいのではないでしょうか。
さて、こんどは鹿児島駅を後にして路面電車で鹿児島市内に向かい、繁華街の天文館で下車。
ここに来たのは鹿児島名物の「白くま」を食べてみるためでした。
で、しばらく町中をうろついて、白くまの元祖とされるお店に入店、注文をして待ちます。そして数分後・・・
来ました。でかい。それ以外の言葉が出ません。フルーツや寒天でカラフルに彩られていますが、存在感は某ラーメン○郎に匹敵するものがあるかと。ちなみに高さ自体も横に置いてある携帯電話の2倍くらい盛られています。
さっそく頂きましたが、練乳がかき氷の中にうまく浸透しており、フルーツの酸味も程よく作用していておいしく頂けました。途中頭がキーンとするかと思いましたが、そんなこともなくペロッと完食。というわけで
ごちそうさまでした。おいしかったので、また今度鹿児島に行くことがあれば食べたいと思います。
さて、大盛りかき氷を食べて体が冷えたところで、また蒸し暑い外に出て今度は市電を「乗り鉄」します。一日乗車券を買っているのでどこでも行けるのですが、せっかくだから専用軌道のある谷山駅へ行くことに。しかし、自分は乗ったそばからうたた寝してしまい、気が付いたら谷山駅でした(- -;)
谷山駅でしばらく過ごした後、折り返しの電車に乗り鹿児島中央駅方面に向かいます。天文館にいたあたりから雨が降っていたのですが、路面電車はそれに構わず爆走していたのが印象的でした。
途中の電停で電車を降り、ちょっと寄り道。鹿児島総合車両所を門越しにのぞいてみました。
疎開中の14系客車がいます。今度は近くの陸橋に移動して
南国のキハ47を見たり
また14系の姿を見たりしました。「なのはな」や「はやとの風」の車両もいますね。
やはり疎開中の14系の姿を見るのはさっきの鹿児島駅の時と同じくなんとも・・・です。雨にぬれているせいかなおさら車両が寂しげです。
さて、そろそろ新幹線の時間が近づいて来たので鹿児島中央駅に急ぎました。
適当に買い物をした後、新幹線に乗車。九州新幹線は初乗車です。
夜間の走行で残念ながら車窓は楽しめませんでしたが、揺れも少なく快適でした。
新八代駅ですぐにリレーつばめに乗り換え、またうつらうつらとしていると、気が付いたら博多駅でした。
自宅に戻るA君とは駅で別れ、この日はK先輩が予約した博多駅近くのホテルに泊まりました。
以下、8月9日へ続く・・・
えー、長かった夏休みも終わって新学期が始まり・・・、って遅すぎますよね(汗)もう寒い季節になっています。
またしても更新が停止してしまっていました。申し訳ございません。
新学期が始まって学校の授業等で急に忙しくなり、なかなかブログの更新まで手が及ばず、またそのための元気も出ませんでした。
とはいえまだ夏休みの旅行記など、ネタとしての鮮度はほぼなくなっているものの仕掛ネタがまだあるので、片付けていかなくてはという気はあります。
あと「鉄道模型のあれこれ」のカテゴリがまだ記事0件というのも何とかしないといけないなとも思います。というのも、一見するとこのブログからは自分は「乗り鉄」っぽく思われているかも知れませんが、一応自分の鉄道趣味のメインは模型(のつもり)なので・・・。
という訳で何やら言い訳がましい感じになってしまいましたが、とりあえずこれからは時間を見つけてブログもぼちぼち更新していきます。
今週末には地元(?)の山陰地方に出かけてくるので、その様子も追って上げていく予定です。というわけで写真を。