いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その2)

2016年06月27日 | 日々の出来事

京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その1)からの続きです。


本館1階中央フロア付近に展示されているワム3500形7055。
大正時代設計の木造車体を持つ古い有蓋車です。もっとも今や有蓋車そのものが「古い」存在になりつつありますが・・・。
縦や斜めに渡された鋼製のアングル、横一列に並んだ木材の合わせ目がいかにも古色蒼然とした雰囲気です。

地味に日々黙々と働き、そして人知れず消えていく貨車は記念物として保存されることは少ないですが、
(廃車になったあとも倉庫などとしてなおその役割を果たし続ける続ける車両もいますが)
このワム7055は昭和40年代に除籍されてからも数十年の間教材用として訓練所に保管されていた車両なのだそうで、
かつて鉄道が現在以上に日本の物流を支えたシンボルとして、こうして保存されたとても幸せな車両だと思います。


そしてそのワム7055の足元には鉄道設備の保存として、
かつて大規模な操車場で使われていたカーリターダが設置されています。

カーリターダはヤードなどの仕分け線で突放された貨車を減速させるためのブレーキ装置で、
このタイプはレールの両脇に設置された桁が車輪に押し当てられることによって減速させるタイプのものだそうです(たぶん)。

ちなみに博物館のミュージアムショップには限定品としてTOMIX製のワム3500形7055のNゲージ車両が売られていますが、
聞くところによると展示用としてこのカーリターダを模した線路が付属しているそうです。
当然市販の線路にはないもので、TOMIXの気合の入れようが感じられる逸品ですね(いやあマニアックだ、笑)


こちらは元梅小路蒸気機関車館エリアにある「客車休憩所」として利用されているオハフ50 68。
この車両は正式な収蔵・展示車両には含まれてはおらず、あくまでも休憩所としての利用車両のようですが、
ご覧の通り他の展示車両同様にぴかぴかつやつやの大変きれいな姿に化粧直しされていました。
しかも律儀にもJRマークまで入れられています(もともと付いていたような?)。

昨年末、京都から山陰本線の列車に乗って築堤上から梅小路の構内を見たときに、
このオハフ50がいつもいた線路から転車台をはさんで反対側の線路に留置されているのを見て
「あのオハフ50って動けたのか!?」とびっくりした覚えがあります。


一時は「レッドトレイン」として全国各地で活躍した50系客車ですが、
その当時のイメージをほぼそのままにとどめているのはもうこのオハフ50くらいでしょうか(真岡のはぶどう色なので)。

梅小路から京都鉄博へのリニューアルに際してこの客車の去就も気になっていましたが、
きれいな姿で梅小路時代と同じ場所に鎮座し、これからも来館者の憩いの場として活躍し続けてくれるのは
客車好きの端くれとしては大変うれしい限りです。
(たまには横の線路にDD51とかDE10、あるいはスハフ12なんかを一緒に並べてくれたら楽しそうですね)


交通科学博物館時代から4両編成を組んで展示されている0系新幹線電車(H1編成)。
往時の12・16両編成と比べると短いですが、たいてい旅客車の保存は諸事情から先頭車のみのことが多いので、
このように編成の体裁でもって展示されていることは意義深いことだと思います。
京都鉄博のプロムナードに移設されてからは明るい場所で見学できるようになりました。


12号車・グリーン車16-1の出入り口。
新幹線電車のグリーン車といえば「金縁」のドアが特徴ですが、
なぜか磨き出しではなく金色の塗料を塗って再現されていました。
保存中の一時期はこのドアの縁も他と同じく青とアイボリーに塗られていたことがあるようなので、
磨き出さずに単純に上塗りしたのでしょうか。


最後にC62 2牽引のSLスチーム号を。
実は梅小路時代のSLスチーム号には乗ったことがなく、このときが初乗車でした。
客車は以前に使われていた遊園地のアトラクション風のものから一変して、
レール輸送用貨車であるチキ5200形から改造されたレトロ調展望車両(オハテ321・オハテフ310の形式入り)に衣替えして雰囲気満点です。
その客車はデザイン学校の学生の方の手による凝った内外装が特徴ですが、乗るのに夢中で写真を撮り忘れていました(汗)

むしろ自分としては「この台車ってもとを辿ればコキフ50000の台車だよな・・・」とか、
「貨車用の台車の乗り心地はどんなもん?」などと余計なことを考えていました(笑)
ちなみに乗り心地は低速ながらゴツン、ゴツンと結構硬い感じでした。
というわけで、こんな感じの台車で95km/hのスピードで爆走されたら良くない意味でさぞすごい乗り心地だったろうなあ、
と昔のコンテナ緩急車の乗務環境に思いを馳せるのでありました。
(事実、不評だったので10000系貨車のエアサス台車と交換に)

という感じで、工場長さんと二人してあれやこれやと歓談しながら、
午前中から15時くらいの閉館までを楽しく過ごしました。
遅くなり申し訳ありませんが、この内覧会に招待してくださった工場長さんにはこの場を借りましてお礼申し上げます。
ありがとうございました。

さて、京都鉄博の内覧会の話は以上ですが、次はそのあと帰りがけに(?)寄り道してきた話をば。


京都鉄博に行ってきて、さらに寄り道(その1)

2016年06月18日 | 日々の出来事

もうふた月ほど前のことになってしまうのですが、
いつも何かとお世話になっている「鳥取総合車両所備忘録」の管理人・工場長さんから
「京都鉄道博物館の内覧会チケットに当選したのですがご一緒にいかがですか?」とのメールをいただき、
またとない機会なのでぜひ、と同行させていただくことになりました。(いつもいつもお世話になります。ありがとうございます。)

さて内覧会の当日、新横浜始発のひかり号に乗って一路西へ。
途中名古屋で時間調整もかねて朝飯にきしめんをぞぞーっとすすり、後続のこだま号に乗り京都駅で工場長さんと合流しました。

ちょうど開館まで程よく時間があったので、梅小路公園を抜けて徒歩で京都鉄道博物館へ向かいました。
そして待機列に並んで程なく入場。さすが新しい建物なので気持ちがいいですね。

 以下、私なりの視点から思ったことについてつれづれと書いていこうと思います。


まずは山陰に始まり、そして山陰に散っていった“悲運の機関車”DD54。
弁天町の交通科学博物館時代は大阪環状線の高架下に窮屈に押し込められた感のある展示でしたが、
京都鉄博に移転してからは一躍、入場口から本館へのプロムナードの中央に展示されるという大出世(?)を果たしました。

機関車の後ろには20系寝台特急客車の食堂車であるナシ20形が据えてあるのですが、かつての活躍を偲んでの演出でしょうか。
もしそうであるならぜひ「出雲」のヘッドマークを付けてあげて欲しいです。
ああ、KATOのDD54ブルートレイン牽引機が欲しくな~る・・・(笑)。


トワイライトプラザ(旧京都駅ホーム上屋下)に展示されているEF58 150号機。
大宮の鉄道博物館や東海のリニア・鉄道館にも保存されているEF58は茶色(ぶどう色2号)の塗装ですが、
ここ京都鉄博での塗装は青とクリームの塗り分けで雰囲気が変わっています。

EF58といえばぶどう色2号や青大将色などもいいですが、やはりこの塗り分けという人も多いのでは・・・。

この後ろにはJR東日本から譲渡されたオロネ24形が展示されていますが、

これも「彗星」などEF58が関西発着ブルートレインを牽引していた時期をイメージしていた時期の演出でしょうか?
機関車のそばにある説明板には「貨物列車の牽引にも活躍」というような趣旨の説明がありましたが、
おそらくごく一部の例を除いて「荷物列車」の間違いでしょう。


ちょっとぶれ気味ですが、JR西日本に残る貴重な旧型客車オハ46形13号車。
オハ46には当初からの新製車とスハ43後期グループからの編入車がありますが、これは新製車に分類されます。
こんな微妙な写真なのは鋼板屋根のために妻面のキャンバス押えがない姿を撮りたかったから・・・、だと思います(笑)

大宮鉄博ではオハ31形の博物館記念品モデルが発売されているので、
金型を持っているはずのKATOさんには是非オハ46 13を京都鉄博記念品として発売して欲しいな・・・なんて思ったり。


「ザ・山陰本線の機関車」としては欠かせない存在であるDD51。
京都鉄博にはJR貨物からお輿入れした756号機が展示されています。
独特の「かさ上げ展示」と下回りを通路から覗き込めるということでまさに迫力満点です。


なお756号機は山陰本線を走ったことがあるのかは定かではありませんが、
1番違いの755号機は一時期米子機関区所属だったことがあるようです。

ただ正直なところ山陰本線を走ったDD51のうち1017号機以前の機関車はJRに引き継がれなかったこともあり、
個人的には馴染みは薄いのですが、ぴかぴかつやつやの姿に化粧直しされた姿は本当にかっこいいですね。
やはりこの機関車にも「出雲」のヘッドマークを取り付けてあげて欲しいです。

いつものように長くなったので続きます。