いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

新余部橋りょう訪問記2010(その3)

2010年09月24日 | ぐだぐだ旅行記

前回に引き続き餘部駅を見ていきます。


餘部駅ホームの鳥取方はスペースの関係からかかなり幅が狭くなっています。
この細さはTOMIXのミニホームに匹敵、あるいはそれよりも細長いかもしれません(笑)
このホームですが、現状では気動車4~5両編成は停車できそうな長さがあります。
改築前(新線建設前)のホームは気動車6~7両は止まれそうな長さがあったのですが、
もはやそんなに長い編成の列車が停車することもそうはなさそうですね・・・。


餘部駅の駅名表のそばには、地域の方々の要望により設置されたらしい旧鉄橋の橋脚を利用したモニュメントがあります。
写真には映っていないかもしれませんが、このモニュメントには98年前の製造当時のアメリカの工場の銘板が取り付けられています。
鉄橋の存在を伝える記念碑的な存在ではありますが、
実際にはカバン置き場になったり、ベンチ代わりになったりと、いいように使われているようです。
確かにちょうどいい高さではありますが・・・(苦笑)


旧線と新線の分岐部。バラストの色は白く新しいものが使われていますが、
この付近のレールや木まくらぎは旧線で使われていたものをそのまま移設して使用しているようです。
ちなみにカーブ外側、いちばん右にそって敷かれているレールは脱線防止ガードレールです。一見すると三線軌のようで面白いですね。
このカーブ、現時点では25km/h(45km/hだったかも)の速度制限がかけられていますが、
その割にはかなりきつめのカントがつけられており、将来的にはもっと速い速度での走行に対応しているものと思われます。


餘部駅の山を下り、再びクランク部を下から。全体的に見渡してみると、やはりくねっと曲がっていることがわかります。
高速道路のコンクリート橋などでは同じ方向にぐーんとカーブを描いて架設されているものはよく見かけますが、
このように比較的小さな半径でS字カーブを描いているコンクリート橋は興味深いです。


クランク部を列車の中から。望遠のため距離感が圧縮されているように見えますが、
橋の途中からにゅるっと曲がってトンネルに吸い込まれていく線形はなんだか不思議な感じがします。


鎧方にある旧橋の橋台。この部分の橋脚だけは新橋りょうの架設時に完全に支障するので、真っ先に撤去されたと思われます。
新橋りょうのコンクリート製の橋台の下に見える石積みの遺構が旧橋の橋台ですが、見る限りではそう大きくは壊されていないように見えました。
夏草が生い茂るなかに半ば忘れ去られているように埋没してしまっていますが、これも旧鉄橋の存在を後世に伝える貴重な遺産といえるでしょう。


さて今回は橋りょうやその周辺をメインに写真を掲載しましたが、実際には列車の写真もいくらか撮影しました。
コンクリート橋なので旧鉄橋より走行音は静かながら、エンジン音を周囲に響かせてキハ181系特急はまかぜが通過していくところ。
半逆光なうえに空気が霞んでいてすっきりしない感じですが、とりあえず記録にということで。

それにしても、この日は暑い中餘部駅や展望台に何度も上り下りしたので結構疲れが出てしまいました。
やはり涼しい季節のほうが体が動かしやすいですね。
これからの季節に余部~鎧の「たかのすの森遊歩道」あたりを散策するとさぞ気持ちがいいのではないかと思います。

(2015年追記)
現在の新橋りょうが使用開始となってから約10日後のころに訪れた記事です。
このときはまだとりあえず線路が切り替わって、周囲の整備はまだこれから、といった状況でした。
今では道の駅や展望台、公園の整備も済み、一連の工事のごたごたがすっかりおさまった感じでしょうか。

2013年に周辺が「余部鉄橋 空の駅」として再オープンしたときの訪問記事はこちらです。


新余部橋りょう訪問記2010(その2)

2010年09月24日 | ぐだぐだ旅行記

さて、今度は線路切り替え後の旧橋りょうと餘部駅がどのようになっているかを見ていきましょう。


歴史の証として残された旧橋りょう。唐突にぷつっと途切れたような見かけが物悲しいですね・・・。
将来この部分が展望台として整備が完了するのは確か2年後の2012(平成24)年くらいだったような気がします。完成したら是非とも行ってみたいですね。


餘部駅に登る道の途中から撮影。やはり空中で途切れた旧橋りょうがインパクト大きいです。
橋としての役目を終え、これからはモニュメントとして新たな日々を過ごします。


餘部駅構内踏切跡地より。橋りょう上のレールは撤去されておらず、立ち入り禁止のフェンスがなければ今でも列車が走って来そうな気がします。


餘部駅のホームを望む。こちら側も旧線の線路が残されたままになっており、これは奥に見える待合室あたりまで続いています。
心なしか、まだレールの表面には列車が通っていた頃の輝きが見えるような気がしました。


発車直後の上り列車。カメラを持った手を少し上げて高い目線から撮影しました。
新橋りょうのまだ新しいバラストと、透明アクリル板の側壁が目立ちますね。
新橋りょうの計画当時はこの部分はコンクリート壁となる予定でしたが、
その後列車からの眺望に配慮して透明なアクリル板に変更されて建設された経緯があるそうです。


片面ホーム・1面1線餘部駅の新ホーム。一応旧ホームを改築して作られているようですが、
ホーム面の舗装の新しさからすると部分的に新しく作られているのかもしれません。
この日は残暑が厳しく、ホームの上にはほとんど日陰になっている場所がないので、
工事現場に置かれているような大型の扇風機が数台稼働していました。
やはり新品のバラストにPCまくらぎ(これは中古っぽいですが・・・)の立派な線路が目を引きます。

以下、その3へ続く・・・


新余部橋りょう訪問記2010(その1)

2010年09月24日 | ぐだぐだ旅行記

8月も終わりに近づいてきたある日曜日に、車の運転の練習を兼ねて鳥取の実家から余部まで行ってきました。
もちろん第一の目的はこのたび開通となった新余部橋りょう。
この夏に免許を取ったばかりなのでまだ運転に慣れていないために道中は緊張の連続でしたが、なんとか余部の集落に到着。


この時は集落の南側に車を止めて、山側から新橋梁を望んでみました。空中を一直線に伸びた橋が青い空と緑の山に映えますね。
トレッスルの橋脚がずらずらと立ち並んでいた旧橋梁と比べると、だいぶすっきりとしたような印象となりました。
この後同行してきた家族は車で城崎方面へ。一人になったので散歩がてら新橋りょうを少し観察してみることにしました。


一番東寄りにある橋脚はこの時まだ足場とカバーが掛けられている状態でした。
新橋りょうが開通してから1週間と少ししか経っていなかった頃なのでまだ足場の撤収作業が完了していなかったのか、
あるいは旧橋りょうの橋脚がまだ解体途中だったので、破損防止のためのカバーも兼ねていたのかもしれません。
その解体途中(この日は日曜で作業が休み)の旧橋脚ですが、もはや残骸の体をなしている雰囲気で、
ところどころにガス溶断で焼き切った黒い焦げ跡が痛々しく残されていました。
よく見ると、近くの地面の上には、取り外された鋼材が無造作に積み重ねられています・・・。
なお、これから数日後に余部を車で通り過ぎたときには、写真の2基の旧橋脚の姿はありませんでした。


前述のように新橋りょうは橋脚の数が少なくすっきりとした外観となっているので、
旧橋りょうよりも余部の谷を「ひとまたぎ」にしている感が強いように思いました。
この橋はエクストラドーズド箱桁橋と呼ばれる形式なのだそうで、
橋脚が橋げたを下からだけでなく上からもワイヤによって支持しているのが特徴的に見えます。
また、「箱桁橋」の名の通り橋げたの中は空洞になっています。
ちなみにこの橋は列車運行規制風速が毎秒30mに引き上げれられており、
これにより今までと比べて冬季の強風による運転規制が大幅に少なくなることが期待されています。
また、設計列車最高速度は110km/hとかなりハイスペックです(笑)
現在のところ新橋梁上は余部側が25km/h制限、鎧側(クランク部)が45km/h制限がかかっているために、通過列車はゆっくりと橋の上を進んでいきました。
なぜこのような速度制限かかけられているのかはよく分かりませんが、
列車がゆっくり走ってくれるおかげで車内からはじっくりと車窓が楽しめますし、結果的に写真も撮りやすくなっていますね。


橋の下の工事スペースには重機や建材が置かれています。
新橋りょうそのものの工事はほぼ完了しているようなので、
いずれこの敷地に今後新設される予定の道の駅や公園、余部鉄橋記念館が作られていくのだろうと思います。
ちなみに重機の奥には2基の橋脚の一番下の骨組みだけが残されていますが、
これらは公園のモニュメントや東屋の屋根支えとして活用される予定のようです。


クランク部を下から撮影。半径がそれぞれ約300mのS字カーブですが模型の線路の急曲線を見慣れているせいか、
結構ぐーんと大きくカーブしているように見えます。1/150に換算すると半径2000mmになりますね。


余部の村の空を突き抜ける新橋梁。あえて旧橋梁が写りこまないようにしてみました。意外にも周りの風景に溶け込んでいるような?
橋は掛け変わっても、余部の村は以前と同じように時間が流れているように感じました。

以下、その2へ続く・・・


新余部橋りょうのプッシュプル列車とキハ181系並び

2010年09月11日 | 撮り鉄記録

さて、もう半月ほど前のことになってしまいましたが、8月も中盤を過ぎたとある金曜日、青春18きっぷを使って山陰線を豊岡方面に出かけてきました。


最初は鳥取から豊岡までまっすぐ行こうと思っていたのですが、途中の香住駅に列車が到着すると、
隣の線路に夏姿のDE15形が停車しているのが見えました。
最初は単機回送か何かと思い、停車時間が長いのをいいことに隣のホームまで見物に出てみると、
なんと機関車の後ろには連なるホキ800形が。その上、最後尾にはもう1輌DE10形が連結されています。


つまりプッシュプル列車!(実際は最後尾の機関車はぶら下がりだったかも)こんな列車を見てしまった日にはテンション急上昇です(笑)

結局その後の予定を変更して香住駅を反対方向に出る列車に乗車。
18きっぷならこういう予想外の事態にも柔軟に対応できるのでいいですね。


その後鎧駅で後続のDE15+ホキ800+DE10の編成を撮影。
撮影後すぐ、鎧駅の脇から出ている「たかのすの森遊歩道」を1.5km走って余部橋梁が俯瞰できる展望台まで行きました。
この遊歩道は遊歩道という割には急勾配やアップダウンの連続なのですが、折り返しの列車に間に合うようにかなり無理して走りました(笑)
結果的にはその必要はほとんどなかったのですが。


そして無事に折り返しの列車を撮影。餘部駅から再び豊岡行きの列車に乗車し、本来の目的地に向かいました。
今回のこのプッシュプル列車は、往復ともホキ800に積み荷が無かったのでハンドル訓練列車だったのかもしれません。
それにしても、事前情報も何もない状況で偶然にも新余部橋りょうをゆく姿を記録することが出来てとてもラッキーでした。

ちなみにこの日の本来の目的地とは、山陰本線の宿南信号場でした。
ここでは特急はまかぜ3・4号の行き違いが設定されており、キハ181系同士の並びが見られるのでした。
猛暑日の炎天下、熱中症になりかけながらふらふらと最寄の八鹿駅から4キロほど歩き、行き違いの時間には何とか間に合って撮影。


正直あまり見られたようなものではないですが、出来はともかくキハ181系の並びを記録できただけで自分としては満足でした。
ちなみに撮影後は一緒に撮影していた方が豊岡駅まで車で送ってくださいました。
送ってくださった方にはこの場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

この日は山道を全力疾走したり、炎天下の中をずっと歩いていたりと、だいぶ無茶をして体にこたえたハードな一日でした・・・。


8/11 夏休み旅行7・水島臨海ノスタルジー+とあるナローゲージを訪ねて

2010年09月06日 | ぐだぐだ旅行記
8/11「松山名物?単行回送と平面交差 編」からの続き

一夜明けて翌日、この日は駅前の「ふるいち」で有名なぶっかけうどんを朝食に食べた後、まず水島臨海鉄道の倉敷市駅へ向かいました。倉敷市駅はJRの駅とは少し外れた、ちょっとひっそりした雰囲気の場所にあります。

今回の訪問目的は水島臨海鉄道は平日の朝夕ラッシュ時にだけ運転されている元国鉄のキハ20形による列車に乗車することでした。

8時15分過ぎ、遠くの踏切の警報機が鳴り始め、水島方面からガタゴトと列車がやってきました。
うれしいことに国鉄色の2連です。

編成は水島方よりキハ205+キハ203で、キハ205は塗り替えられてまだ間もないのか塗装のつやが強く、色合いが明るいです。建物の下に作られたホームにカラカラカラカラ・・・とDMH17Cの音が響きます。
よく見ると前面の貫通扉中央付近のクリーム色と朱色の塗り分け線が、本来なら曲線状に処理されている部分が直線状に処理されています。どうやら簡略塗装がなされているようですね。ちなみに窓枠もクリーム色に塗られており、KATOのキハ20形の模型みたいです(笑)


昭和30年代に製造された車両だけあって、車内の雰囲気はなかなかレトロな感じがします。座席に設置されている手すりや、吊革のステーなども時代を感じさせるデザインです。
モケットの色も青色で、冷房化はされているもののあまり大きな改造がされることなく、国鉄時代に近い状態がよく保たれているように思いました。もちろん非ワンマン車です。


運転台も、一見無機質な感じながらも古い車両独特の温かみが感じられます。速度計が円形ではなく長方形なのが興味深いですね。


昭和35年日車製の銘板。その形状や「日本車両會社」がいい雰囲気を出してます(笑)


ボックスシートの窓際には木製の小テーブルが残っていて、さらには「センヌキ」までも残存していました。今となっては使う人も皆無だとは思いますが、なかなか貴重なものだと思います。しかし優等列車に充当されることがほとんどなかったであろう一般形気動車にもセンヌキが設置されているのはちょっと不思議な感じがしますね。
天井に設置されている扇風機には「JNR」マークが残されています。乗車したキハ20は冷房化改造がなされていたので、この時は動作していませんでした。


ドアはプレスドアで、下部にある明りとり用の窓も残っています。ドア脇に自動ドアスイッチが設置されていますが、確かこの時は半自動扱いだったように思います。

倉敷市から出発して、住宅地や畑の中を列車はゆらゆらと走りながら30分弱で終点の水島に到着しました。
水島駅は高架駅となっています。

短い時間ではあったものの、古き良きノスタルジーを感じることができる列車だったと思います。平日のみの運行という点がちょっと惜しいですが。

この後、後続のMRT300形の列車に乗って水島からもうひと駅、三菱自工前駅まで乗車しました。
しかしこのMRT300形、おそらく20m級車両で、軽快気動車(NDC)の割にはやたら車体長があります。沿線には工場地帯もあれば住宅地も多いので、ラッシュ時の輸送力確保のためなのでしょう。

水島駅を出て左手に貨物線が分岐していくのを望みながら、列車は数分で終点の三菱自工前駅に到着します。文字通り三菱自動車の工場近くにある駅ですが、朝夕以外のデータイムには列車の発着がなく、通勤客用といった感じの駅です。


三菱自工前駅の先にはまだ線路が続いており、その先には倉敷貨物ターミナル駅と水島臨海鉄道の車両基地があります。歩くと地味に遠いのですが、帰りの三菱自工前発の列車に間に合うように、少し駆け足で構内を見てきました。

時間帯のせいもあってか広い構内には車両の数もまばらで、がらんとした雰囲気が漂っています。それでも奥のほうには入れ替え用DLと一緒に止められたままの色あせた四国色のキハ20がいたり、本線上に朽ち果てたDE10と入れ替え用DLが止められて(置かれて)いたりと、興味深いものが見られました。
四国色のキハ20はユニットサッシ改造車という珍品ですが、部品取り用として置かれているだけのようです。朽ちたDE10には側面にJRマークが描かれているので、これも元JR四国の車両だと思われます。

さて、本当はもう少し時間がほしかったのですが、三菱自工前発の列車の時刻が近づいてきたので見物もそこそこに撤収することにしました。この列車に乗り遅れると水島駅まで延々歩いていかないといけません(笑)


この後、倉敷市駅でJRに乗り換え、岡山駅で昼飯を調達した後115系に乗り相生へ、さらにそこから223系の新快速に乗り換えて尼崎駅で下車しました。


阪神尼崎の駅に寄ってから荷物をロッカーに預けた後、南側、海のほうへ向かって歩いていきます。歩いて行く途中で、だんだん周りの風景が住宅地から工場地帯に変わっていく様子がわかります。

やがて県道を歩いて行くと工場の敷地に挟まれたような場所を進んでいくようになるのですが、しばらくするとその工場の通用門と思しき信号機が設置されている場所に突きあたりました。

交差点にしてはやたら広い感じのスペースの中央に、まっすぐナローの線路が走っています。
この線路は鋼管工場の構内用軌道で、道路を挟んで東西に分かれている工場の構内を結ぶ運材列車が時折走っています。
とはいえきちんと時刻が定められて運転されているわけではないので、その姿を見ようとするとじっと待っていることが必要になりますが(汗)

このときはちょうど真夏日の夕方で、夕陽の斜光線にじりじり焼かれて汗だくになりながら列車が走るのを待ちました。工場地帯の道路なので近くにはろくな日陰もありません・・・。

そんなわけで道路の縁石に腰掛けてじっと待っていたのですが、ある時工場の人が出てきて信号の押しボタンを押し、信号が赤になり短くサイレンが鳴りました。
もしや、と思いカメラを構えると、工場構内から緑色の小さな機関車が走りだしてきました。

残念ながら機関車の後ろに続く貨車はなく単機の状態でしたが、道路をトコトコと横断していく姿はなかなかシュールな雰囲気です。
この後、機関車は工場構内に消えて行きました。

この後ももう少し粘ってみたのですがなかなか列車は現れず、仕方なく切りのいいところで尼崎駅に戻りました。


阪神尼崎駅からは阪神なんば線で近鉄線に入り、某所にある近鉄電車が見える居酒屋で大学の先輩とささやかな飲み会を開催。やはりレールファンにとっては窓から列車が行きかうのを見ながらの飲み会は盛り上がります(笑)

それから新横浜駅へは最終近い新幹線で帰りました。車両はN700系で、自分にとってはこれが初乗車でした。さすが新形車両だけあって、揺れがほとんどなく快適でした。

夜のホームで先頭部分を撮ると陰影のために独特な先頭形状が強調されますね。


新横浜からJRと東急を乗り継いで自宅に帰りついた頃にはもう日付が変わっていました。

今回の旅行は釣りかけ電車やブルートレイン、産業鉄道に単行回送、キハ20系やナローゲージと、色々と「濃い」テーマが盛りだくさんのなかなか楽しい旅行でした。ブログに綴っていくのに気がつけば1年以上かかってしまいましたが、とりあえず2009年の夏休み旅行ネタはこれで終わります。

最後までご覧下さり、ありがとうございました。