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いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

12系+他系列の編成メモ(その1)・夜行普通列車「山陰」

2016年03月04日 | 鉄道模型のあれこれ

前回12系が他系列の車両と組んで走った列車の編成を模型で再現すると書きました。
というのも、12系単一組成の青地に白帯が連なる編成美もいいのですが、
模型的には編成のアクセントとして見た目が異なる他系列・他番台の車両を組み込めばそれはそれで面白そうかなと思ったためです。

なお12系と他系列客車の混成列車は全国各地にいくつかの事例が存在したようですが、
ここでは筆者の独断と偏見により(?)、山陰地方を走った列車の事例を取り上げます。

さて、今回は京都~出雲市間を走っていた夜行普通列車「山陰」号のはなしです。
「山陰」はそのスジの源流をさかのぼれば戦前の京都~下関間の列車にまで行き着く歴史ある列車だったそうで、
寝台車の連結は1968(昭和43)年開始、「山陰」の愛称は1975(昭和50)年の指定席予約マルスシステム導入に伴い付与されました。

この列車は長らく荷物・郵便車、オハネフ12形寝台車と旧型客車の座席車(スハ43形など)で運行され
長距離旅客から両末端区間の通勤通学輸送、荷物・郵便輸送とさまざまな役割を担っていましたが、
1984(昭和59)年2月のダイヤ改正で荷物・郵便車の連結を終了の上使用車両がオハネフ12+12系に変更され、
翌1985(昭和60)年3月ダイヤ改正で廃止となりました。


(模型でのイメージ)

そんな「山陰」号の最末期、わずか1年ちょっとの組み合わせであったオハネフ12+12系の編成ですが、
個人的な思い出話ながら今から十数年前に図書館で借りた本にこの編成の写真が載っていたのを見たことがあり
「山陰線に夜行の普通列車、それも寝台車つきが走っていたとは!!」
という事実を知った衝撃とともに強く印象に残ったこともあって、そのときからこの編成を模型で走らせたいと思っていました。

そんなわけで、その座席車が12系化された826・829列車「山陰」を模型で再現するにあたり、
書籍やネットで調べた情報をもとに編成表を自分の備忘録も兼ねてまとめてみました。
(私の資料見誤りの可能性や推測・独自解釈などが大いにありますので、内容の正確さは保障いたしかねます)

①基本的な編成パターン
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
(<・>は車掌室の向きを示す、オハ12の便洗面所は出雲市向き)
編成表やネットでよく紹介されているたぶんもっとも基本的な組成のされ方です。牽引機は米子機関区のDD51。
車両の配置は当時の出雲客貨車区(米イモ)、運用は6両全車が「米5」運用、所要編成数は2本でした。

1984(昭和59)年度当時、出雲客貨車区には13両の12系の配置があり、その内訳は
オハ12が7両(143,144,146,189,190,191,203)、スハフ12が4両(23,45,72,73)、オハフ13が2両(17,33)でした。
一般形のオハネフ12は5両(2010,2018,2022,2033,2094)が配置されていました。ただし、2033は1984(昭和59)年4月1日時点で廃車予定車となっていたようので、運用から外されていた可能性が高そうです。
つまり、それぞれオハ12が使用6・予備1、スハフ12が使用4・予備なし、
オハフ13が予備2、オハネフ12が使用2・予備2(2033は除外)でやりくりされていたものと思われます。

②スハフ12の向きが反転
←出雲市 <オハネフ12+スハフ12>+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
ときには運用上の都合からか上記のようにB寝台車の隣のスハフ12が京都向きで運用されることもあったようです。

なお帰省シーズンや大型連休などの多客期には座席車が増結となることもあって、
③座席車1両増結
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
のような7両編成も出現していたようです。ただし増結するにも予備のオハ12は1両しかないので、
所要のもう1本の編成には代わりにオハフ13を増結するか、米子区からオハ12を1両借り入れてくるなどしていたことでしょう。

④オハフ13を中間に組み込み
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハフ13>+オハ12+オハ12+スハフ12> 京都→
オハ12が1両抜けた代わりにオハフ13が登板。

⑤借り入れ車両入り編成
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハ12+オハ12+オハ12+オハ12+<スハフ12-100 京都→
京都寄りスハフ12が100番台で逆向き(米子区からの借り入れか)。
上述の通り予備車が少ないので、通常充当されるオハ12やスハフ12が検査等により運用から外れてしまうと変則的な編成が出現することも。
スハフ12 100番台の便洗面所側妻面のテールライトが使用されるのは割と珍しいケースだったのではないでしょうか。

⑥緩急車マシマシ(笑)パターン
←出雲市 <オハネフ12+<スハフ12+オハフ13>+オハ12+オハ12+オハフ13>+スハフ12> 京都→
珍編成の極めつけ(?)は1984(昭和59)年の夏ごろ出現した上記の例で、
座席車が6両に増結のパターンでかつスハフ・オハフが4両も組み込まれているという編成が走っていたようです。
よほどオハ12が足りなかったのでしょうか。
この編成の写真を最初に見たときはさすがにぶったまげました・・・。

以上が自分が調べた中で把握している12系「山陰」の編成です。
このほかにもまだ編成のバリエーションが存在する可能性もありますが、それにしても思ったのは
1年ちょっとしか走っていない割にはさまざまな編成が存在して、さすが客車列車は奥が深い(笑)ということです。
これだけあれば模型でも気分に応じていろいろと車両を組み替えて遊べそうではあります。

余談ながら、
「山陰」廃止後もそのスジの京都~福知山間は早朝・深夜帯の普通列車として存置され、
福知山客貨車区(福フチ)の50系4両に編成を衣替えの上運転されました(さらにその後12系近郊改造車に取替え)。
福知山で大阪発着の急行だいせん5・6号に接続し相互に乗り換えられるようになっていたそうです。

参考文献・webサイト
昭和40年代~・懐かしの鉄道100選(淡交社)
国鉄気動車客車情報 84年版(ジェー・アール・アール)
国鉄客車ガイドⅡ(ジェー・アール・アール)
復刻版国鉄電車編成表1986.11ダイヤ改正(交通新聞社)
客車列車1984(鉄道ジャーナル社)
懐かしの国鉄客車列車(鉄道ジャーナル社)
一般形客車資料室(http://www.est.hi-ho.ne.jp/train829/index.html)
トランスポート・DD51写真館(http://www.apionet.or.jp/DF5051/dd51/index.htm)
愛称別トレインマーク事典・夜行普通山陰号(http://nihonkai.exp.jp/hm/s/sanin.html)
R&R・ドン行”山陰”1984 其の壱(http://randr.blog.so-net.ne.jp/2012-01-19)
元鉄ちゃんのフォト☆ライブラリー・夜行寝台付普通列車「山陰」とオハネフ12(1984年)
(http://blogs.yahoo.co.jp/senkyu_san/33066110.html)
温泉文化研究所・鉄路憧憬(http://onbunken2009.web.fc2.com/03-T-shoukei/03-T-shoukei.htm)



4 コメント

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Unknown (Pinecone)
2016-03-27 12:24:29
ご無沙汰してます。

12系時代の夜行「山陰」って1年ほどだったんですね。
記事を拝見して知りました。

錆がでてかなり老朽化したオハネフ12の画像をサイトで見かけたぐらいしか知識がなかったので、模型での編成再現など参考になりました。

この頃の山陰本線は旧客もあって、いろいろ楽しめますね。

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Unknown (いなば路快速)
2016-03-29 07:18:37
>Pineconeさん

お久しぶりです!コメントありがとうございます。

私も当初は「山陰」の編成は12系にオハネフ12が1両くっついている、程度の認識でしかなかったのですが、よくよく調べると実は編成にバリエーションがあるぞ、ということでまとめてみました。
内容的には参考文献の寄せ集めの備忘録程度のものですが、参考になれば幸いです。

80年代は山陰本線に旧客がありながらも50系や12系が進出する過渡期でもあり、模型的には並べられる列車のバリエーションが網羅しきれないほど多く、そういう意味で色々と楽しめる年代だと思います。
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Unknown (ねるねる)
2018-12-14 15:32:20
84年に下り列車を利用した時でしょうか、京都寄りのスハフ12がトイレ・洗面所側を最後部にして連結されていました。

その頃、ホームに据え付ける時は推進運転したのでしょうか?
そうだとしたらかなり面倒な入線になったかもしれませんね。
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Unknown (いなば路快速)
2018-12-21 07:28:27
>ねるねる さん
コメントありがとうございます。
また、当時乗車した際の貴重な証言をありがとうございました。12系だと、トイレ・洗面所側が最後部の場合見た目の違和感がすごかったのではないかと思います。

当時の京都駅山陰ホームへの客車列車の据え付けですが、上野駅で見られたような推進運転ではなかったようです。
客車列車の一般的な折り返し方と同様に機関車を先頭に入線し、頭端ホームの車止め直前にあった渡り線で機回しを行い、編成の反対側に機関車を連結、反対方向へ発車する、という流れだったそうです。
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