いなば路快速の日記帳

鉄道ファンの管理人が日々の出来事・雑感などを綴っていきます。

6/11 信越本線ぐるり乗り鉄(その2)

2011年07月28日 | ぐだぐだ旅行記

今さらながら12系客車の裏にかまけてこちらの記事を更新するのをすっかり忘れていました・・・。

さて前回からの続きですが、長野電鉄長野駅から向かった先は善光寺下駅。「牛にひかれて善光寺参り」とはよくいうものの、特に目的があるわけでもなくただ反対方向の列車にうまい具合に乗れそうだという理由で下車。

土曜日の朝ということで人影はまばら、駅全体が薄暗く古びた感じで殺風景な印象を受けます。
長野電鉄長野線の長野駅付近は昭和56年に地下化されたそうですが、そのころから駅の全体的な様子は変わらないままのような気がします。せめて壁や床の汚れはきれいにしたようなほうが・・・。

長野行きの列車が来るまでの間、駅の近所を歩いているととある店先にこんなステッカーを発見。

地下線らしきところを電車が走っています。描いてあるのは非貫通車なのでたぶん2代目OSカーの10系でしょうか。
先頭部に何やら飾り付けがなされているところをみると、昭和56年の長野線地下化完成記念のステッカーかもしれません。今からもう30年も前のこと、このステッカーの絵柄もそれ相応に色あせています。


しばらくして駅に戻って長野行きの列車に乗りました。やってきたのはやはり8500系、地下駅に8500、うーん新玉川線(田園都市線)っぽい感じの雰囲気です。
違うところは編成と駅間距離が短いのと、地下区間でブッ飛ばさないことくらい?

終点に着いたら再びJR長野駅へ。今度はここから信越本線~しなの鉄道線とたどっていきます。で、これから乗るのは

この日のお目当ての169系電車です。
土休日は平日に比べて運用が少ないしなの鉄道の169系ですが、その休日運用のうち1本は湘南色に復元されているS52編成が充当されているようです。
ただ現在は冷房電源のSIVがJR区間の踏切や信号の装置に影響を及ぼす恐れがあるとのことで、JR線乗り入れ運用は115系が代走しているらしいです。ひょっとするともう解消されているかもしれませんが。


もはや全国的に風前の灯となっている「急行形車両」ですが、直流急行形電車に乗るのは今回が初めてです。湘南色の塗り分けが決まっていてかっこいいですね。
湘南色といえばしばらく前に上野口の185系で旧国80系の塗りわけ(金太郎塗り)の湘南色になった編成が登場しましたが、半分悪ノリでやってしまったようなあちらとは違ってこちらは正統的なスタイルの湘南色です。
さらに185系といえば最近田町の10連が登場時のストライプ塗装に復元されましたが、あれは歓迎できることだと思います。

閑話休題、169系は駅に着いてからしばらくの間は車内整備中となっていましたが、それも終わっていよいよ乗車。しなの鉄道の169系の車内は発生品の簡易リクライニングシートが設置されており、この時は座席2組が向い合せになるようにセッティングされていました。
同じ簡易リクライニングシートでもさっき乗った「妙高」の189系よりもこっちのほうが良かったような・・・。189系の椅子はなんだか使い古されておんぼろな感がありました。


さてこの時は真ん中のモハ168に乗車、台車直上の席に座って終点の戸倉まで軽快な急行形電車の音と走りを楽しみました。まだ冷房が入っていなかったため、窓を少し開けて外の冷気を取り入れてちょっと涼んでいたのですが、これができるのも窓の開く車両ならではですね。


終点の戸倉駅には長野から30分ちょっとで到着。169系はここで運用終了、夕方の運用に入るまではこの駅の留置線でしばらくお休みです。
本来なら169系の休日運用はこの乗ってきた列車の運用以外にも走行距離の長い運用が別にあるようなのですが、それは115系との共通運用だったので確実に169系に乗れるこちらの運用の列車を選びました(実際、もう1つの運用は115系が運用に入っていました)。


跨線橋から見た169系の屋根上。おでこ上部分の塗り分けが独特です。屋根の肩部分にはマスキングをして塗装したようですが、マスキングをしていなかったであろう中央部分にはみ出した黄かん色の塗料が付いているのが見えます。


3番ホームの向かい側には件の留置線があり、しなの鉄道色の169系と115系が並んで留置中でした。こうして同じ塗色で並んでいると、前面の設計はほとんど共通の部分が多いのでぱっと見の見分けはつきにくいですね。国鉄電車マニアからは全然違う顔だろ!とか言われそうですが(笑)
国鉄色もいいですが、こういう地域カラーの車両も個人的には好きです。


戸倉には駅裏手の少し離れた場所にも留置線があり、これはかつて採石場の引き込み線だったものを転用しているのだそうです。ここにも169系と115系がいて、169系は3+3連で留置中でした。JR時代からここの線路は留置線として使われていたのでしょうか?


戸倉駅の2番線に止まっていた湘南色の169系はやがて入換でいったん軽井沢方に引き上げ、折り返して留置線に入線、その後パンタグラフを降ろして「昼寝」に入ってしまいました。

駅部分には長さのある留置線2本と洗浄台のある行き止まりの留置線の1本があり、このように電車が数編成並べられているといかにも模型的な風景に見えてきます。規模的にも2面3線+留置線数本+引き込み線というセットはいかにも模型向きなように思えますね。
引き込み線は採石場でなくて農業倉庫や製材所、石油タンクでも面白そうだなとか、それだとスイッチャーが数両の貨車を入換して・・・、とかあーだこーだと模型化のことを考えるとどんどん妄想は膨らみます(笑)

さて、169系の入換が終わってもうこの後は夕方までしばらくは動きそうにないので、こんどは戸倉駅から長野方面の115系に乗って2つ隣の屋代駅に向かうことにします。

以下、その3に続く・・・。


7/3 今さらながら・・・、若鉄に12系!(その2)

2011年07月27日 | 日々の出来事

今さらながら・・・、若鉄に12系!(その1)からの続き

多忙な期末試験が終わり、とりあえず更新再開できそうです。中途半端な状態で中断してしまいご覧の方々には申し訳ありませんでした。

結局明け方に帰宅したあとはしばらく少しうたた寝をしていましたが、朝7時半には起きて鳥取駅前バスターミナルを8時過ぎに出る若桜行きの日交バスに乗りました。

12系客車が到着して夜が明けたこの日(7月3日)は、若桜駅構内と隣接する道の駅「桜ん坊」で「12系客車誘致記念イベント」なるものが行われました。ということでその様子も前夜の甲種輸送に引き続いて見物してきました。
ちなみに汽車ではなくバスで若桜に向かった理由は、列車だとイベントの開始時刻に間に合わないからです(結果的にはそれでもまあ良かった気がしますが)。

バスは鳥取駅前から約1時間ほどで若桜駅前に到着。
あれから12系はまた入れ替え作業が行われたようで、4両中スロフ+オロ+スロフの3両は若桜駅構内南側の引き上げ線(道の駅建物の裏手)に、隼駅行きのオロは排雪モーターカーに牽引されて駅の留置線に移動していきました。DE10は留置線上に単機で留置された状態でした。


その後しばらくすると留置線からおもむろにDE10がやってきて、スロフ12に連結。入換作業にはボランティアの人の手伝いも加わって、少しずつ展示会の準備が進みつつありました。

短いながらも、客車の両端に緩急車が連結され、さらに機関車も連結されて整った編成スタイルとなりまさに「ザ・客車列車」(笑)と言える雰囲気。客レ好きの自分にとってはたまらない光景です。


この後12系+DE10はいったん若桜駅のホームを通り越して構内北側へ移動していきました。



イベントの開始時刻がそろそろ近い頃合いになると、駅の北側に移動していた12系が引き上げ線に戻ってきました。転車台脇でスタンバイしていたC12もDE10の横に据え付けられました。

そしてC12とDE10には特製の12系入線記念ヘッドマークが取り付けられ、撮影会がスタート。お祭りムードを盛り上げていました。いつの日かC12が本当に12系を牽引して本線上を走る姿が見られるといいのですが・・・。
こんな感じで蒸気機関車とディーゼル機関車が並ぶとかつての動力近代化の時期の一こまと言った感がありますね。

しばらくすると今度はスロフ12の発電エンジンが起動し(!)客車内の公開が始まりました。
まさか発電エンジンを動かすとは思わず・・・、クーラーもちゃんと動作していました(機関車寄りのスロフ12 6はその後冷房がオフになりましたが)。スロフの煙突から排煙が立ち上る姿を見たときはちょっとした感激ものでした。

さてその車内見学ですが、場所の関係でなんと見学者はC12とDE10の間を通って入口に至るというマニアックな経路を通ることになります(笑)

SLとDLの足回りの間をすり抜けるというのは普段絶対にできない経験だと思います。

客車への入り口はスロフ12 6の後位側ドア。いつの間にか左下の所属札がもともとついていたJR四国のものから「若桜」に差し替えられています。また、ドア横のサボ受けには「わかさ」の愛称サボが入っています。・・・って、この「わかさ」は若桜というよりは若狭、「わかさ」違いだと思うのですが・・・。


初めて入った四国12系の車内ですが、座席車はかなり空間をぜいたくに使っている感じで、2+1列の大型のリクライニングシートが置かれシートピッチもかなり大きくとってあり、前の座席には足が届かないくらいです。さすがグリーン車扱いのことだけはあります。
やはり「ムーンライト高知・松山」で使われていただけあって、競合相手の夜行バスを意識した作りになっていますね。
これだけ座席がグレードアップされていると、最繁忙期に増結されていたJR西日本持ちの14系との設備水準の差がすごいような・・・。


カーペット車のオロ12 9のほうはまさにいわゆる「ます席」と言った感じで、サンライズのノビノビ座席と同じ位置付けで利用されていたのでしょうか。ノビノビ座席と違って一人ひとりに割り当てられた区画ごとに仕切りがなく、4人分ごとに仕切りが設けられています。言うまでもなくこれもグリーン車扱いですが、個人的には座席車のほうがグリーン車っぽい感じのような・・・(「はまなす」のカーペット車は普通車扱いだし)。
なおこの車両は固定窓のため室内には空調がかけてあり、冷房が動作していないスロフ12 6に比べると座敷でくつろいでいる人が多かったです。


座席車の椅子ですが、実際に座ってみたところかなり上等な椅子で、幅は広く座り心地もなかなか、リクライニング角はかなり深く、それに座面下から足乗せが出てきて読書灯もついているという豪華仕様(ちなみに別に用意される足置きは車掌室横の貫通路に山積みにされていました)。
モケットがだいぶ日焼けしているのが玉にきずですが、それさえ気にしなければ1人がけタイプのものは家に欲しいですね(笑)

一通り車内を見学したら、そのあとは連結面の様子や床下などを適当に観察していました。
このように間近で眺められる機会はそうそうないのでなかなか良いです。

四国12系は発電エンジン部分以外の床下機器や台車もグレーに塗装されていて細かいディテールが観察しやすいです。ちなみにこのときこのDMF15HS-Gエンジンは轟音を立てて「発電中」でした。
しかし塗膜がはがれた跡が痛々しいなぁ・・・。


オロ12の後位側(便所寄り)妻面には編成の最後尾に立った時のためのテールライトが設置されています。そういえばテールライトがついたオハ12形はかつて九州にもいましたね。あちらは便所の部分が改造されて車掌室になっていましたが。
スロフ12が2両いるので、若鉄ではこのテールライトはもはや不要かもしれません・・・。
そのスロフ12には「多度津工」の検査標記が。「~工」と表記する検査標記はJR西日本車では見られないはずなのでちょっと珍しい(?)です。


個人的にグッときたのがスロフ12 6に取り付けられた銘板。保有の「日本国有鉄道」、製造の「富士重工」、量産化改造の「高砂工場」ですが、当然ながら国鉄はとうの昔になくなり、高砂工場も国鉄と運命を共にする形で閉鎖されています。また富士重工は数年前に鉄道車両製造事業からは撤退してしまいましたね。
今後登場してくる車両にはまず取り付けられることはないであろう銘板ばかり、何か感慨深いものを感じてしまいます(ただ実際、国鉄と富士重の銘板は鳥取にいればまだいくつも見られるのですが)。


さて若桜鉄道にやってきたこれら12系ですが、上の写真の製造銘板にある通り昭和44(1969)年に製造されており、これは大阪万博輸送対策名目で製造された12系の最初期のグループに該当します。車番はそれぞれスロフ12 3、オロ12 9、スロフ12 6ですが、JR化後にグリーン車に改造されて等級標記が変更される前は車番がスハフ12 3、オハ12 9、スハフ12 6でした。


特にスロフは今となっては貴重なスハフ12形0番台車のグループで、車体側面のエンジン吸気口の位置と形状が100番台車と異なっています。なお写真反対側の側面には吸気口はありません。そのほかにもエンジンや発電機の形式など異なる個所がかなりあります。
余談ながら、100番台車は後位側ドアから2番目の窓下にJRマークが貼り付けられていますが、0番台車だとこの位置に吸気グリルがあるためにJRマークの貼り付け位置に何種類かのバリエーションが生じているようです。

以上、色々と知ったかぶって蘊蓄を傾けてしまいましたが(笑)、まあとにかくこれら12系が貴重な車両であるということが言いたかったわけです。


さらに余談ですが、前回でもネタにしたこの左右で劣化具合が違うスロフ12 3の丸妻側の妻面。
おでこの部分にくっきりと片側と貫通扉だけ再塗装したためにできた怪しい塗り分け線が見えています。
原因はよくわかりませんが、なかなか不可解な見た目です・・・。

さて、おおよそ客車を見学し終わった後は道の駅をのぞいてみたり物販コーナーを冷やかしたりして家路につきました。で、その日のうちに夜行で横浜の下宿に帰宅。

夜行は夜行でも高速バスではなく、姫路から「サンライズ出雲」のノビノビ座席に乗車しました。実はサンライズに乗るのはこれが初めてだったりします。
ノビノビ座席は下段だったのですが、走行音や機器類の音が伝わってきて少し寝にくかったですね。

ぐだぐだになってしまいましたが、以上で若鉄の12系の記事を終わります。相変わらず長さの割には中身のない話ですみません・・・。

PS:編成から1両だけ切り離されたカーペット車のオロ12 6ですが、この後の7月7日から8日にかけての夜間に隼駅に移動し、無事に側線に据え付けられて北陸ED301との顔合わせを果たしたようです。側線設置にあたってはクレーンでつり上げられるのではなく、本線から車両をスライドさせて側線に移設するという方法がとられたようです。
参考:「うさみみ電鉄」-七夕の夜、念願かなう(http://www.nnn.co.jp/mt/usatetsu/2011/07/post_184.html)
「隼駅を守る会のブログ」-客車設置完了!!(http://blogs.yahoo.co.jp/hayabusaeki/26084091.html)


7/2 今さらながら・・・、若鉄に12系!(その1)

2011年07月13日 | 日々の出来事

実家から自宅に戻って以来にわかに忙しくなり、更新が滞っておりました。申し訳ございません。
やはり期末試験シーズンに無理して遠出したことが色々と響いています(汗)

ということで本当に今さら感たっぷりな状況ではありますが、7月初旬に行われた若桜鉄道への12系甲種輸送を見に行って来たのでその時のことを自分なりに適当に書いていこうと思います。
(このときの詳細を記録している人は他のブログや動画投稿サイトに結構いらっしゃるので・・・)

さて、7月2日の夜はまず鳥取駅で甲種輸送列車の到着を待っていました。
実はこの日は例によって横須賀線の始発列車で出発して、ずっと東海道を普通列車で下ってきていたので眠気と疲れがすごかったのですが、そこは気力で乗り切りました。


ちょうど日付が変わった頃、深夜の鳥取駅に押し掛けた撮影者集団によるぎすぎすした異様な緊張感の中、列車は到着。某情報誌に掲載されていた時刻から10分ほど遅れていました。
甲種輸送列車のため扱い上は貨物列車ですが(たぶん)、そこに現れた姿はまさに今や希少となった「客車列車」。少し大袈裟ですが目にすることができて感無量でした。
ただ四国で長期にわたって屋外留置され、相当客車のほうにガタが来ていたのか走行のきしみ音が凄まじかったです。
編成は京都方からDE10 1058+スロフ12 3(座席)+オロ12 9(カーペット)+スロフ12 6(座席)+オロ12 6(カーペット)でした。このうちオロ12 6は隼駅側線設置用車両で、残り3両が若桜鉄道の車両となります。
入換や車両設置などの都合なのか、ちょっと変わった組成のしかたですね。


最後尾はこのとおり。こちらから見ると板でふさがれた貫通路や反射式後部標識などいかにも回送列車然としたスタイルです(厳密には「回送列車」ではありませんが)。
この甲種輸送、伯備線内はEF64+コキ数両+12系4両という模型もびっくりのとんでもない編成で行われたようで、沿線は大撮影大会状態だったらしいです・・・。

さて、これら12系の4両は使用されなくなってからしばらく時間がたっているので、外観的に雨だれ跡や錆などいくらか劣化が目立っている部分がありますが、中でも突出して荒れた状態だったのが機関車次位に連結されているスロフ12 3(の1-3位側側面)でした。

塗装は他の車よりも段違いに色あせており、ところどころ塗膜が剥がれ落ちて錆が浮いているなど凄まじい状態です。屋根からの錆もすごいです。一目見て相当にオンボロな状態でした。
で、上でわざわざ(の1-3位側側面)と書いたのは、逆サイドの2-4位側を見てみると・・・、

意外にもそこまでボロボロになっていないからです。
スロフ12 3の外観は片側だけボロボロで、もう片側はそんなでもないという不思議な状態となっていたのでした。明らかに2-4位側だけを補修して塗りなおしたように思えます。
よく見ると2両目以降の車両と青色の色合いが異なっていますね。


こちら側からのほうがスロフ12 3の外観が整っている分、編成としての見た目はよいです。


他には個人的に気にとまった甲種輸送の荷票やスロフとオロの連結部など、ちょっと観察してから鳥取駅を後にしました。

その後は若桜までこの列車の追っかけをするという友人の車に便乗。深夜の国道29号線には車列をなして郡家方面に向かう県外ナンバーの車が目立ちました。

郡家駅は人が多そうだったので車の中から様子をちょっと見ただけで最初からスルーし、自分たちは途中適当に寄り道して写真や動画を撮りつつ若桜駅に向かいました。若桜線内は列車のスピードがとてもゆっくりだったので中何度か追い抜いたり並走したりすることがあり、なかなか胸が熱くなる光景(笑)を目にすることができました。


そうして午前2時半頃に若桜駅に到着。駅構内には客車の入換に備えるためと撮影の便宜を図って投光機が設置されていました。目が眩みそうになるくらいの強い光と、詰めかけた撮影者の異様な熱気などで深夜の若桜駅は異様な雰囲気に包まれていました。
鉄道ファンだけでなく近所の人々も深夜にかかわらず老若男女を問わず見物に来ている姿がかなり目につきました。もうちょっとした祭り状態です。


若桜駅では滞泊中のキハ47形と並び、ある意味80年代くらいの国鉄時代さながらのような光景が展開しており、撮影者はしきりにカメラを向けていました。正直、この時ばかりはC12にカメラを向けていた人は全くと言っていいほどいなかったような・・・。



「歓迎・ようこそ若桜へ」ということで若桜駅のかかしの職員さんも12系客車が来てちょっと嬉しそう?

このあとは客車の入換でDE10や排雪モーターカーが12系を押したり引いたりで構内を動いていたのですが、さすがに深夜で疲労がピークに達していたので撮影は友人に任せて自分は駅の敷地外からその様子を見物するに留めておきました。
この時点でほぼ20時間近く寝ていなかったので・・・(汗)

結局入換があらかた終了する午前4時前まで若桜にいましたが、友人の車に送ってもらって実家に帰り着いた頃にはもう既に空は明るくなっていました。
その後泥のように眠りこけたのは言うまでもありません(笑)

以下、その2に続く・・・


若鉄に12系客車がやってきた!(その0)

2011年07月01日 | 日々の出来事

こんばんは。

前回の12系の記事を書いてから、鳥取に見に帰ろうかどうか迷っていましたが、行かずに後悔するよりは行ったほうがやはりいいということで、結局見に行くことに決めました。

とりあえず明日下宿を発って途中ちょっと寄り道しながら夕方ころに実家に帰り、夜になってから鳥取駅で甲種輸送列車(列番9890だったかと)を見物しようと思います。
で、翌日は若桜の12系客車のお披露目イベントに行き、横浜には姫路からサンライズ出雲のノビノビ座席で戻ろうと思います。

結構慌ただしい感じになりそうですが、何はともあれ12系を見れるのは楽しみです。
さて、もうそろそろ件の甲種輸送列車が高松を発車する頃合いですかね・・・。


写真はJR西日本の12系で、今回のJR四国の12系とは色々と異なる部分が(ry