心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

心の問題を医療だけに任せておいて良いのでしょうか?

2021年11月28日 | 精神科医療とRAPT理論

今回は「心の問題」という広い視点で考えていきたいと思います。

多くの人は「①人生でトラブルなく、嫌な思いを感じることなく生きていきたい」

と考えていると思います。

そして「②毎日、楽しく生きられたらどれほど素晴らしいだろうか?」と生き甲斐を求めて生きている人もいると思います。

「①人生でトラブルなく、嫌な思いを感じることなく生きていきたい」

「②毎日、楽しく生きられたらどれほど素晴らしいだろうか?」

この①と②が満たされないため、人生に閉塞感を感じたり、思い煩い、悩んでしまう、

無気力から引きこもりになったり、答えが見つからず絶望して自殺してしまうのではないかと思います。

また「自分は世の中から、社会から必要とされていない」と孤独感を感じたり

「死んだら終わりだ。何のために生きるのか?なんのために努力するのか?もう頑張りたくない」

と希望が持てない日々が続くのではないでしょうか?

私は「心の問題に向き合いたい」「自分自身の問題に向き合うにはどうすればいいか?」

と模索して、看護師として精神科医療の業界に入りました。

しかし、そこには「相手の思いを傾聴する、寄り添う看護」と口先だけのものしかなく

実際は「肯定も否定もしない、ただの問題の先延ばし」しかしていないことが分かりました。

精神病院に入院している患者は知っているのです。

「退院して働いて、恋愛して、旅行したり買い物しても幸せは続かない、むしろお金を得るためだけに

馬車馬のように働いてストレスをためて体調を崩すだけ、最悪違う身体疾患が発症して別の問題で苦しむことになる」

ということを。

ある意味において、精神科病院に長期入院している人達は「もう自分は変わりたくない、一生このままでいい」

と考えている人達です。

「アメリカのグレートキャニオンを見てきて感動した」

「韓国に旅行に行って美味しいものを食べてきた」

「最新のスマホで動画撮影してアップしたら100いいねされた」

「新車を購入して京都までドライブに行って、美味しいスィーツを食べてきた」

そのような世間的な価値を重要だと感じていないのです。

ある意味において、感情の起伏を最小限にして「今日一日無事に終わればいい。何事もなく生きられればいい」

と考えているのです。

ある意味、悟っています。

しかし、一方で「仕事しなくてもいい、三食昼寝付きの生活ができる医療制度が終わったら、働かなくてはいけない」

という潜在的な恐怖を感じていることも確かです。

そのため自分は病気でもなんでもないのに、精神科医の診察では「時々、悩むことがあって不安で眠れないこともある」

「時々、変な考え方が浮かんできたり”お前は必要がない人間だ”と責められる声がして、死にたくなります」

と訴えて、入院治療を先延ばしし続けなければならない「自分に嘘をつき続ける人生」になり、苦しみを抱えています。

また、そのような人生を送っていると、たまに外出したり知り合いに会うと「ひけめ、負い目」を必ず感じます。

他人に会いたくなくなります。

これはとても辛いことです。

「狭い世界」でしか生活できなくなります。

人間の脳は世界最高峰のスペックを持ったパソコンだと思います。

そのスペックを使うことなく、ただYoutubeなど動画再生したりニュースを見ているだけで終わっていく、、、

「こんな最高性能のパソコンじゃなくても良かったのに」

「わざわざ人間として生まれてきた意味あるのかな?」

と感じてしまうでしょう。

「人から必要とされない人生」実は人間としてこれほど辛い生き方はないと思います。

なぜかというと、人間だけは「高度な社会生活ができるため」なのです。

他の動物と違って脳機能が発達している分、他人と比較するし、より良いもの、作品、情報が発信できる人こそ

価値ある人だといつの時代でも言われています。

「自分の力を最大限に発揮できずに終わってしまう人生、生まれてきた意味あったのかな?」

「精神病院を食わせるため、医療スタッフを食わせるため、家族に迷惑をかけないため」

だけに自分の人生があるとしたら、、家畜と一緒じゃないか?と思ってしまうかもしれません。

「病院経営のためにあなたが必要なの」

「スタッフが給料をもらうために入院しててもらう必要があるの」

だとしたらその存在価値は動物園の檻に入れられている鑑賞用の動物たちと同じかもしれません。

狭い檻に閉じ込められ、能力を発揮することなく終わっていく。。。

確かに自然界で生活すれば天敵から襲われたり、飢餓で死ぬこともあるかもしれない。

しかし自然な姿で一生を終えることができる。

「人間も自然な姿」があります。

「人間は神にかたどられて作られた」のですから。

ただ1日ゴロゴロしていて、3食昼寝付きでぐーたら生活するために創造されたわけではないのです。

 

精神科医療に心の問題を任せると何が起こるか?

医療は権威を守るために「心の問題は分からない」とは決して言いません。

「脳科学でここまで分かっているため治療方法を模索している」と言い逃れします。

しかし、実際精神科医療で行っていることは、「3食昼寝付きの生活と補助金づけの長期入院だけ」なのです。

医療だけでは心の問題を解決することはできません。

哲学、科学や医学といった人間の知識、叡智などに頼っても心の問題のゴールには辿り着けません。

私たちはもっと謙虚になり、へりくだって自分たち人間の作り主に答えを求めるべきだと思います。

心の問題は薬やカウンセリングで解決できない。

創造主=神に頼るしかないのです。

RAPT有料記事602(2021年11月1日)変化せず成長しない人は、希望のない空しい生を生きるしかない。しかし、常に変化し成長する人は、喜びと希望に満たされ、真の成功と繁栄の道を行くことができる。
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