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旧精神科医療は思想警察なのか?

臨床で看護過程が使えない理由がわかりますか?

2018年02月08日 | 看護学について

今回は看護学のカテゴリーを書いて行きます。

馬鹿高い健康保険料を取られながら、いざ入院すると

日本の医療のサービスはとてつもなく低いと日々感じております。

これがなぜなのか?と考えてみると、看護師が「単なる処置屋さん」であり、

「国家資格のお手伝いさん」と変わりないからです。

それは教育プログラムと実際とがかけ離れているため、そのような結果になるのかなと

仮説を立てて調べてみました。

 

看護師になるためには、必ず看護過程を学習しています。

看護過程とは調べてみました。

・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

看護過程(かんごかてい、Nursing Process)とは、

独自の知識体系に基づき、ヘルスケア、看護ケアを必要としている対象者に的確にこたえるために、どのような計画・介入援助が望ましいかを考え、系統的・組織的に行う活動のこと。臨床では看護記録として記載する場合が多い。

看護過程の5段階[編集]
看護過程には、次の5段階がある。人によっては、いずれかの段階を二つに分けたりなどしているので、必ずしもこれとは一致せず、また、必ずしも一方向のみに展開すべきものでもない。

看護アセスメント  目の前にある健康問題、または潜在的な問題を把握するために、情報を収集する。バイタルサイン、病歴(既往歴)、家族構成
看護診断  収集した情報が正しいことを確認し、次いでデータを分析する。
看護計画  その問題の解決のために、患者と共に行動計画を作成する。
看護介入  目標に到達するための、看護行為や患者の自己努力。
看護評価  看護者はどのような成果が現れたか、あるいは看護計画を変更する必要はないかなど患者と一緒に評価を行う。
これは、アメリカ合衆国のコロンビア大学に初めて看護学部が誕生したときに、その直前までコロンビア大学の教授だったジョン・デューイの問題解決学習を下敷きにして、看護師が臨床現場で働く場合の看護的な思考と行動のパターンを様式化して、看護を目指す人や、自らの提供している看護ケアの質を高めようとする志ある人にとって、その目指すべき境地を標準化し、具体的にするべく考案されたものである。

また、具体的な看護計画を立てることで、異なる看護師によって同一のケアを実施する目的もある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

要するに、「問題発見のプロセス」です。

問題だらけの人が大病を患って入院してくるのですから当然といえば当然ですね。

余談ですが、私が小売業で店長をしていたころ、お店に入ったら、問題を100個書き出して、優先順位をつけろと教えられました。これはペガサス研修で学ぶみたいです。

と脱線しましたが、

では、看護過程の元となるかんがえかたの祖である「ジョン・デューイ」さんについて調べてみました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

ジョン・デューイ(John Dewey、1859年10月20日 - 1952年6月1日)は、アメリカ合衆国の哲学者。チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズとならんでプラグマティズムを代表する思想家である。また米国では機能主義心理学[1]に貢献したことでも知られている。20世紀前半のアメリカ哲学者のなかでも代表的且つ進歩的な民主・民衆主義者(ポピュリスト)だった[2]。

リチャード・ローティは「最も敬愛する哲学者」として評価し、「われわれをプラトンとイマヌエル・カントの呪縛(ドグマ)から解放した[3]」と指摘したうえで、17世紀の哲学者がスコラ哲学に対して「革命」を興したように、「正確な表象」というそれまでの知識理論を拒絶した点でルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとマルティン・ハイデッガーに並ぶとしている[4]。またヒラリー・パトナムもデューイをヒーローとしている。

・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

教育哲学みたいなものを考えており、プラグマティズムという思想を持っていた方みたいですね。

デューイの人物像、来歴について見ていきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

バーモント大学学生時代とミシガン大学教授[編集]
1859年、アメリカバーモント州バーリントン町の食料品店に、父アーチボルトと母ルシナの三男として生まれる。デューイ家はイギリスから移住してきた開拓者の末裔で、父はその四代目だった。裕福とはいえず、少年時代のジョン・デューイは、新聞配達や農場の手伝いなどをして小遣いを稼いでいた[6]。

15歳のとき、兄のDavis Rich Dewey(1858-1942、のち経済学者・統計学者)が通っていた名門バーモント大学に入学。大学ではチャールズ・ダーウィンの進化論やオーギュスト・コントの実証主義哲学・社会哲学などに感化された[7]。成績優等のためThe Phi Beta Kappa Societyに入会。

バーモント大学卒業後はペンシルベニア州で高校教師を2年間務めたが、中等高等教育機関での教師には自分は向かないと考えるようになり、バーモント州の小学校で一年ほど勤務する。1882年、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院に再入学し、心理学者スタンレー・ホールのもとで学んだ後、同大学心理学研究所で働きながら、博士号を取得。出版されず紛失した博士論文の題は「カントの心理学」だった。1884年からミシガン大学に勤務。2年間講師を務めたあと、助教授に、1889年に30歳で教授になる。

このミシガン時代にはヘーゲルおよびドイツ観念論を主に研究していたが、1891年に留学先のドイツから帰国し同大学講師になったジョージ・ハーバート・ミードと交友関係をむすび、ヘーゲルの影響圏から抜け出す。ミードはウィリアム・ジェイムズの教え子であり、デューイはジェイムズにも影響を受けるようになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

実証主義哲学とは何でしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

実証主義(じっしょうしゅぎ、英: positivism、仏: positivisme、独: Positivismus)は、狭い意味では実証主義を初めて標榜したコント自身の哲学を指し、広い意味では、経験的事実に基づいて理論や仮説、命題を検証し、超越的なものの存在を否定しようとする立場である。

英語の「positive」は、もともと「(神によって)置かれた」を意味するラテン語「positivius」に由来する。この原義から転じて、実証主義における「positive」とは、経験的に裏付けられたものを意味する。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

ダーウィンの進化論はそもそもが「神の否定」でしたね。

その他、アインシュタインの相対性理論、フロイトの精神世界といった世界3大発明は全て「神の否定」のために作られた理論です。

ですから実証主義を調べていくと、「要するに神の否定」につながります。

デューイ自体、フリーメーソンから指導を受けています。

・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

イルミナティはこの圧倒的な財力によって、教育を支配してきた。

教育を支配するには学問を支配しなければならない。

学界が誰によって支配されているかを見れば誰が教育を支配しているかわかるだろう。

アントニー・C・サットンは、著書『アメリカの秘密組織』の中において、イルミナティの組織であるスカル・アンド・ボーンズの各界への巨大な影響力について次のように述べている。


「…彼らは、カーネギー、フォード、ピーボディー、ラッセル・サーガなど、すべての主要な財団を獲得した。彼らの目的は、これらの財団に真っ先に入り込み、その将来をコントロールすることにある(27ページ)。…学術団体の中でも、米国歴史協会、米国経済協会、米国化学協会、米国心理学協会は、すべてスカル・アンド・ボーンズのメンバーか、彼らに近い人々によって設立された。これらは、社会を左右する中心的な組織である。」

スカル・アンド・ボーンズのメンバーであり、ジョンズ・ホプキンス大学(及びカリフォルニア大学)の初代学長であったダニエル・ギルマンが、ヘーゲル主義者ジョージ・S・モリス博士を招き、教鞭をとらせた。

モリスは次のように述べている。

教育は、子供中心ではなく、国家中心であるべきだ。ヘーゲルは、『子供は、社会の歯車として機能しない限り、個人としての価値はまったくない。』と考えていた。 

このモリス博士のもとで学んだのが、アメリカ教育の父ジョン・デューイであるデューイは、「子供は個人の才能を発達させるために学校へ行くのではなく、組織体としての社会の『単位』となる準備をするために行く。」と信じていた。

デューイの社会主義、集団主義、国家主義は、モリスのヘーゲル主義に由来する。モリスは、カーネギー研究所の初代所長になり、ピーボディ・スレイター・ラッセル・サーガ財団の創設に参加した。このどちらの組織もスカル・アンド・ボーンズの支配下にある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

お金や設立の流れを見ていくと、大学とはそもそも、イルミナティの教育支配をするために作られたのだとわかります。

教育学の父と呼ばれている(呼ばせている)ジョン・デューイは、モリス博士から学び、教育について「子供は個人の才能を発達させるために学校へ行くのではなく、組織体としての社会の『単位』となる準備をするために行く。という考えを持っていたのですね。

こんなトンデモ理論を堂々と展開していたため、イルミナティから「教育の父」と認定してもらえたのでしょう。

やはり教育業界もフリーメーソンの傘下に入らないと、大成できない仕組みなのですね。


そして、このデューイが使っていた、問題解決学習をベースにして、看護過程が作られたのですね。

どうりでお粗末なはずです。

彼らの理論では、実証主義に表れるように、

「経験的事実に基づいて理論や仮説、命題を検証し、超越的なものの存在を否定しようとする立場である。」

「目の前で起こっている事象しか捉えませんよ」というスタンスです。

 つまり潜在的なことに関しては「神のみぞ知るんだから知らねーよ」という

人間理解とは程遠い、無機質な考え方、哲学を持っておられる方です。

西洋において、堂々と神の否定をするこの人、無心論者かもしれません。

つまり、キリスト教文化にありながら、神を否定して来た人の考えをベースに看護過程をコロンビア大学で作ったのです。

ですから、「問題を隠すことはできても、解決することはできません」からそもそもの発端において

対人間理解を優先する、看護過程においては彼の理論を使ってしまっている段愛で間違っているとお分かりでしょうか?

このほか、デューイの哲学、教育論はありますが、読んでみると頭が痛くなるだけで、一体何が言いたいのかさっぱりわかりません。

要するに「詰め込み教育はいかんよ」という考えですね。

しかしながら「考える力」は基本の知識があってできることで、

詰め込み教育否定をするということは

そもそも、アホを育てるということに他なりません。

一方的に詰め込むことが良くないのはわかりますが、基本のイロハもわからない人には教育は無理ですからね。

「民主共同体における様々な問題を解決する力をつけさせる」とありますが、彼らの思考では

「そもそも、人間が堕落し腐っているから問題が出てくる」

という当たり前の根本原因にはたどり着くことはできないでしょう。

スカルアンドボーンズというワードが出てきましたね。

・・・・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

隠された真実 権力者達の系譜‎ > ‎

スカル&ボーンズ

 

米国の名門イェール大学に秘密結社スカル&ボーンズが設立される。

創設者はアルフォンゾ・タフトとウイリアム・ラッセル。

アルフォンゾ・タフトは、ユリシーズ・グラント政権で司法長官と陸軍長官を務めた。息子は第27代米国大統領のウィリアム・タフト。

ウイリアム・ラッセルは、ロスチャイルドとベアリングが支配する阿片貿易の利権を分けてもらった麻薬貿易会社ラッセル社の一族。

ラッセル社は、英国が独占するインド産阿片より質が悪いけど安価なトルコ産阿片を中国に持ち込み、そこで得た資金で「マサチューセッツ銀行」(のちのボストン・ファースト・ナショナル銀行)を設立している。

スカル&ボーンズは、1856年には「ラッセル信託基金」の名の下に正規の法人格を取得している。

ウィ リアム・ラッセルがドイツに留学した際、どうやらイルミナティと接触したようで、帰国後にその秘密結社の儀式を真似て設立されたのがスカル&ボーンズであ る。イルミナティとの違いは、スカル&ボーンズはホワイト・アングロサクソン・プロテスタントのみで構成されるという点である。従って、WASPのみで構 成された米国版イルミナティと言ってもよいかと思われる。

 

初期のスカル&ボーンズは、阿片貿易で巨万の富を得たニューイングランドの有 力商家が中心であった。17世紀に最初にアメリカにやってきたピューリタンの末裔たちが第一グループとされ、ホイットニー家、ロード家、ワッズワース家、 アレン家、バンディ家、アダムス家、スティムソン家、タフト家、ギルマン家、パーキンス家などがある。第二グループは、18世紀から19世紀に巨万の富を 得た名家で、ハリマン家、ロックフェラー家、ペイン家、ダヴィソン家、ピルスベリー家、ウェイヤハウザー家、そしてブッシュ家などである。

 

ウイリアム・ラッセルがドイツ留学から持ち帰ってきたもう一つのものが、ヘーゲルの弁証法である。スカル&ボーンズは、このヘーゲルの弁証法を戦略として 採用している。どんなものかというと、簡単にいえば、まずテーゼ(定立)を立てて、それに対してアンチテーゼ(反定立)をぶつけて、ジンテーゼ(総合)を 導きだすというもので、正+反=合という図式で表せる。自らの優位を導くために、世界の中に意図的に対立を引き起こし、緊張が極まったところで自分たちを 有利に導く解決策を提供するという方法論である。これもイルミナティーと同じで、キーワードは「分裂と混沌」

 

スカル&ボーンズは教育 界に大きな影響を与えてきた。ティモシー・ドワイドがイェール学長。アンドリュー・ホワイトがコーネル大学の初代学長。ジョン・ロックフェラーはロック フェラー大学とシカゴ大学を創立。ダニエル・ギルマンは、カリフォルニア大とジョンズ・ホプキンス大の初代学長になっている。このギルマンがロックフェ ラーたちと一般教育委員会を設立し、米国の学問を方向づけた。

また、ギルマンの愛弟子にジョン・デューイがおり、デューイはアメリカ「進歩主義教育運動」の思想的な柱となっている。このデューイの教育思想と理論は、戦後日本の教育にも大きな影響を与えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

どこからどうみても、ジョン・デューイが看護学の悪の根源ですね。

転載もとは「隠された真実」というブログですが、もう隠れていないですね。

こうやってみると、海外から輸入されてきている学問には何らかの爆弾がしかけられていますね。

ところで、医療の現場では、看護師は、医師とともに共同目標を解決していくことが求められますが

現行の看護教育では、医師と同等の知識は教えてもらえません。

臨床に出てから学ぶ必要がでてきます。

では学生時代何してた?となりますが、これがまた「人間理解」だそうです。

私が学生時代、「看護は人間理解だ」と偉そうに教授から教えていただきました。

当然、教授だし、学生に教える立場ですから人間理解できているかというとそうでもなく

極めて俗的な方ばかりでした。

ですが、多くの学生は「人間理解」になんか興味もありませんし、単につぶしが利く国家資格をとって

病院で働きたいだけで資格を取りに来ているだけです。

苦しんでいる人をたすけたいなら、ボランティアでもなんでもすればいいのです。

言い換えれば、苦しんでいる人をたすけるビジネスで働きたいだけなのですからね。

スタートが間違っているから、歯車が狂ってくるのです。

残念ながら臨床で求められる看護師像とは、ルーチンワークを淡々とこなし、

看護師配置基準が診療報酬制度を満たす頭数にいればいいだけです。

つまり現場から求められる像と教育像が大きく乖離していることがお分かりでしょうか?




 

 

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