心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

ブラック企業の共通点:飲みにケーションは古い)リーダーシップとマネジメントは酒の席でしか会話できないの人にはムリ

2018年05月04日 | 盛和塾、稲盛和夫

京セラフィロソフィーを使っている会社は、やたらとアメーバー経営の「コンパ」と称して飲み会を開催します。

私が勤務していた企業では、月に1回のエリア会議の後が毎回「飲み会=コンパ」でした。

それまで、お酒を飲む生活でなかったのに、急に浴びるように飲み始めた結果、体重が増える増える。(汗

「仲良くなる」ことは確かにできますが、仲良くなっても「成績があがること」とはリンクしないのがビジネスの世界です。

私は重ね重ねマネジメントで大切なことは、適切な仕事量の分担、分業で、「人に仕事をつけてはいけない」ということと、「簡単に人員を削減してはいけない」ということです。

確かに人件費は一番たかい経費ですから、勤務中にピーチクパーチクお喋りしたり、暇そうにぶらぶらしているパートを見たりすると「ここの会社は社員がパートの管理ができていない」と思ってしまいますから、有り余るような労働力は確かに不要です。

とはいっても、緊急事態や非常事態で頼りになるのは、余裕のある労働力のほかありません。

労働力に余力がないと、能力が高い人にしわ寄せが行ってしまいます。

さぼる人はいけませんが、緊急事態対策する余剰人員は必ずいるのです。

分業化を進めることと、ムダを省く発見をする人を分けて考えることが大切になってきます。

日本企業の飲み会は単なる「サービス残業」のほかありません。

会社の飲み会で苦しんでいるサラリーマンが多いこと多いこと。

この記事は、「飲み会やりたいレガシーサラリーマン」ですかね?という記事です。

・・・・・・・・(職場の飲み会が「参加した人ばかりが出世している」という理由で廃止に 会社がそこを制限する意味ってあるの?2018年5月3日 8時0分 キャリコネニュース)

僕は比較的お酒が強い上に、友達も多い。そのため、仕事関係で知り合った連中ともしょっちゅう飲んでいる。こういう場合、僕は意図的に仕事の話は避けていて、代わりにもっと俗っぽい話をするようにしている。

せっかくのお酒が、仕事のエッセンスを混ぜてしまえば不味くなってしまう。それが僕は勿体なく感じるからだ。

職場の飲み会って、規模が大きければ大きいほどめんどくさいことになりがちだ。しかし、もしも大勢で飲んでいて、なおかつその場が仕事とはそんなに関係なく、無礼講で楽しめると言うのなら、それは幸せなことのように思える。(文:松本ミゾレ)

「グループでやるんだから輪も大事にしなきゃだめじゃん?」

先日、おーぷん2ちゃんねるで、「会社の飲み会が無くなって悲しいんだが」というスレッドを見つけた。なんでも、このスレ主は、「参加した奴だけが出世している」という理由で会社の飲み会が廃止となり、酷く落ち込んでいるのだ。

経緯を見ると、普段飲み会に参加してない同僚が、飲み会参加頻度が高い社員ばかり出世していると社長に進言。社員は「能力とか人柄」で正当に評価するよう要求したという。スレ主も「俺が飲み会の参加回数が多いことが気に食わないと罵倒された」と書き込んでいる。

スレ主は「そんなんで出世できるとは端から思ってない」とも書いている。一方で、

「怖い先輩いるけどさ、その人はどうして怒るのかってのは飲み会参加しなきゃ分かんないこと多いんだよ。それに、グループでやるんだから輪も大事にしなきゃだめじゃん? 何かミスっても『飲み会仲間だから』て事で助けてくれることもあるし」
「それを参加しない奴が『えこひいき』てのは違うと思うんだよ」

とも書いており、飲み会に参加することで目上の人との関係が改善された、という認識はあるようだ。

そして、「別に(飲み会参加が)強制でもないんだし、そんなに好かれたいなら参加すればいいのに。こんな馬鹿みたいなことで実績なんてつくかよ」と返す返す毒づくスレ主。うん、その気持ち、おじさんも分かるぞ。楽しいことをぶち壊すのって、いつの時代もその輪に入れないネクラな部外者だもんな!

悪しき飲み会の風潮は確かにある!だけど、今回は廃止しても意味ないのでは
もちろん世間には「参加しないとダメ! 仲間はずれにするぞ!」と高圧的に参加者を募る、クソ飲み会もある。が、そういう飲み会ばかりが社会に横行しているというほどでもない。

むしろ大多数の会社の仲間との飲み会って、日々の慰労であるとか、軽い愚痴大会を目的としたラフな息抜きが多いんじゃないだろうか。

そしてこのスレ主の参加していた飲み会も、どちらかと言えばそういう類のものだったように見える。だとしたら、そんな楽しい飲み会を潰された悲しみは、やっぱり察するに余りある。

……ただ、一方で会社の方針で飲み会が廃止になったからと言って、それがどうした、という部分もある。だって、飲み会廃止のお触れなんて、いくら出されてもオフレコで集まればいいだけだし。表立って飲み会ができなくなるだけで、気の合う仲間と集まる分には、そう難しいことでもない。

結局、世の全ての飲み会を一括りに「悪しき風習」と言い放ったところで、それから先のイニシアチヴまでは握れはしないのだ。今回、この会社での飲み会に異を唱えた同僚も、表立っての飲み会を潰しただけに過ぎない。そして、それから先、その人物が正統に評価されるかどうかは別の話なのである。

・・・・・・・・(転載ここまで)

では、時代に逆行し、飲み会を会社の経費で出している、「京セラコンパの実態」について見ていきましょう。

・・・・・・(無気力社員を戦力化する"コンパルーム" 京セラの“飲みニケーション術”スキル 2015.3.26 #京セラ #人材育成 高井 尚之 PRESIDENT 2013年3月18日号)

工場にもある巨大コンパ部屋

コンパの発案者も京セラ創業者で、現名誉会長の稲盛和夫氏だ。創業まもない昭和30年代から、残業続きの社員をねぎらう慰労会を開いていたのがルーツとか。滋賀工場(当時)の設立当初、社員と「野外すき焼きパーティ」で鍋をつつく、若き稲盛氏の写真も残っている。


コンパの思い出を語る滋賀八日市工場長の松下茂次氏
京セラ流コンパを、滋賀八日市工場長の松下茂次氏はこう説明する。

「各組織が『同じ目標に向かって、みんなの気持ちを一つにする行為』がコンパです。ふだんの会議では、どうしても形式的な話に追われてしまう。お酒が入ると、人は本音で話しますから、腹を割って意見を交わすことができるのです」

役職が上になるほど、若手との対話が減りがちになるが、潤滑油の役目も果たすようだ。

現在は工場長の松下氏だが、かつては事業部の副事業部長を務めた時期もある。事業部門と間接部門でコンパの中身に大差はないが、生産では、課題解決のためにアイデアを出し合う場になるという。

実は京セラでは、大半の工場にも畳敷きのコンパ・ルームがある。コンパの参加人数は、状況によって違い、5~6人で行うときもあれば50人規模のときもある。一般企業の歓送迎会や忘年会と変わらないが、実施回数は断然多い。

「昨年1年間に八日市工場で開催されたコンパは350回ありました」と、総務課責任者の松永健司氏は説明する。客集めに苦労する飲食店が、うらやましがるような稼働率だ。

コンパで交わされるのは、仕事の話が圧倒的に多い。昔に比べて社員気質の変化もあるが、京セラでは病気や出張以外でコンパを欠席する社員は、まずいない。交通不便な工場では社員の大半は自家用車での通勤だが、大人数のコンパでは、最寄りの駅まで送迎バスを用意する。

・・・・・・・・・(転載ここまで)

『現在は工場長の松下氏だが、かつては事業部の副事業部長を務めた時期もある。事業部門と間接部門でコンパの中身に大差はないが、生産では、課題解決のためにアイデアを出し合う場になるという。』

つまりは「コンパ=時間外の全体会議」と言い換えることができます。

普通の感覚でいけば「生活するために働きに来ているだけなのに、時間外も拘束されるのは嫌だ」となるはずです。

京セラコンパはそこがずれまくっています。

なぜなら「人生を幸せにするのは、仕事=労働以外はないからだ。

仕事をすれば、「物=給料が貰える+心=やりがい、心の成長が得られる」こんな素晴らしいことはないじゃないか?

という理屈です。

「心の幸せ」なんぞ企業が勝手に決めるな!と言いたいですね。

稲盛和夫は現に「経営者は偉いんです。社員を食わせてやっているんですから」と明言しています。

京セラでストが起きたらどうなるんでしょうかね?

経営者と従業員なんて「役割が違うだけ」なんですけど、、、。

ライン労働者がいなければ、製造業は成り立ちません。

こんな基本的なことも解っていないのですから、「社員なんぞは奴隷だ。パンとサーカスだけで生きているのだから、ここにパンとサーカスに労働も加えてやれ!」程度にしか考えていないのでしょう。

ですから、従業員の心の中に土足でヅカヅカ入ってくることができるのです。

続いて京セラの管理職が残念すぎる人生を歩んでいる事例を見てみましょう。

・・・・・・・(第2回:稲盛流は「全員参加」「手酌ご法度」北方 雅人2015年4月17日(金)

最強の組織をつくる究極の飲み会「稲盛流コンパ」。ただの飲み会と稲盛流コンパは、一体どこが違うのか。全国の導入例を取材した結果、7つの共通項が見えてきた。リーダーがどれだけ真剣にコンパに向き合っているか、それを目の当たりにすると戦慄すら覚える。

 稲盛流コンパに明文化された流儀はないが、稲盛氏が主宰する「盛和塾」の塾生が実践するコンパを取材・分析すると、以下のような7つの共通点が浮かび上がる。

1、「全員参加」が大原則
2、コンパに「テーマ」を設ける
3、「時間割」と「座席表」を決める
4、心は「利他」。手酌はご法度
5、「壮大な夢」を語る
6、自らの言葉で「総括」する
7、コンパの形態は「日々進化」
 今回は、このうち3つを紹介する。

■「全員参加」が大原則

 単なる飲み会なら自由参加でも許されるが、稲盛流コンパは信頼関係を築く場なので、対象メンバーは全員参加が原則だ。病気や育児、介護などよほどの事情がない限り、プライベートは後回し。たとえ仕事が残っていても、コンパを優先させる。盛和塾生のコンパ事例を見ても、出欠を取らないケースが多い。全員参加を前提にしているからだ。

 京セラではコンパはもちろん、すべての催しで全員参加を求めてきた。稲盛氏はこう語る。「(前略)従業員みんなが参加できるような場をつくろうと、コンパをする、運動会をする、社員旅行をする、慰労会をするといったような懇親の場づくりに気を配ってきました。ところがそのような催しをすると、必ずといっていいほど『若い連中と一緒になってドンチャン騒ぎをするのは面白くない』というような人が出てきます。しかし私は『どのような催しであれ、全員参加でなければ意味がない、ただの遊びで集まってくれと言っているのではなく、一緒にそういう雰囲気を味わうことが大事なのだ』と言って、すべての催しは『全員参加』を鉄則としました」(「盛和塾」29号より抜粋)。稲盛流コンパは遊びではない。同じ会社で働く仲間がより良い人間関係を築き、どうすれば会社が発展し、皆が幸せになるかを全員で考える場だ。会社のベースになるものという意味では、その重要性は日中の仕事以上といえる。

欠席者が出るのは、リーダーの執念の欠如
 だからこそ、初めてコンパを導入する際には「何のためにコンパをするのか」という意義と、全員参加の必然性を説かなければならない。欠席を申し出る人がいたなら、リーダーが強引に誘ってでも、時には叱りりつけてでも全員参加に持ち込む。

 それでもコンパに出たくないという人が1人でも出るようなら、最初からコンパをしないほうがいい。稲盛流コンパには是が非でも全員で語り合うというリーダーの執念が必要であり、執念なくしてコンパは機能しない。欠席者が出るのは執念の欠如。この点が、一般的な飲み会とは全く異質だ。

■コンパに「テーマ」を設ける

 盛和塾生が実践するコンパでは、「テーマ」を設けることが多い。稲盛流コンパを知らない人は、「今日のコンパのテーマは〇〇です」と宣言する、その始まり方に驚くだろう。テーマに制約はない。「数値目標を達成するために何ができるか」といった業務に直結する内容でもいいし、「利他の心はどうしたら身につくのか」など哲学的なことでもいい。

 テーマがないと話題が散漫になり、ただの飲み会になりかねない。それを防ぐために、稲盛流コンパではテーマを設け、さらに司会進行役を立てる。テーマに沿った議論の内容を後から振り返ることができるように、議事録まで取るコンパもある。また、事前にテーマを伝えておけば従業員が考えをまとめてくるので、おとなしい人でも意見を言いやすくなる。傍観者を出さないためにも、テーマを立てることは重要だ。

 テーマまで設定して真面目な議論をするのであれば、会議の場ですればいいと思うかもしれない。しかし、両者は全く別物だ。

会議とコンパを組み合わせる
 会議の議論は筋道を立て、直線的に進む。これに対して、コンパの議論は情感に基づいて進む。「昼間の会議ではこう言ったけれど、本当はこう考えてもいいんだよ」と語りかけたり、「おまえは勝ちたくないのか!」と気合いを入れたり。組織が感情を持った生き物としてうごめくので、同じテーマで議論しても、会議とコンパではアウトプットが異なる。

 コンパ導入企業の間で、会議とコンパを組み合わせるケースが多いのは、その相乗効果を期待しているからだ。

 会議の後、そのままコンパに突入すれば、会議の議論をより実りのあるものにできる。研修の後なら、学んだことをより深く掘り下げられる。そのためにも、会議や研修と同じ内容をコンパのテーマに据える。漫然と飲むだけでは、単なる「お疲れさま会」になってしまう。

・・・・・・(転載ここまで)

・『全員参加』を鉄則としました」

・欠席を申し出る人がいたなら、リーダーが強引に誘ってでも、時には叱りりつけてでも全員参加に持ち込む。

・どうすれば会社が発展し、皆が幸せになるかを全員で考える場だ。

・欠席者が出るのは執念の欠如。この点が、一般的な飲み会とは全く異質だ。

・会議とコンパを組み合わせる

・コンパの議論は情感に基づいて進む。

いかがでしょうか?単なる「パワハラ企業」ですね(汗

吐き気がしてきます。しかしながら労働者というのは、企業に時間を切り売りしてその対価として賃金を貰います。

この賃金も相当ピンはねされています。

さらに京セラは、労働者の「思想・信条」まで奪うのです。

労働者という弱い立場に漬け込んで、「企業に人生を捧げよ」といっているのです。

まさに、「カルト宗教」と同じですね。

さらに言えば「どうすれば会社が発展し、皆が幸せになるかを全員で考える場だ。」

とあるように、幸せの定義が実は定まっていないのです。

これではどうしようもありません。

「コンパの議論は情感に基づいて進む。」とありますように

以前から、このブログで書いていますが、マネジメントで一番大切なのは、「情」です。

しかしながら「情」で動いてくれる社員は「能力が低い=知能が低い人材しかいない」です。

能力が高い人材は「情」でなく「理性」で動きます。

ですから、コンパのようなものは、自由参加にしなくてはいけない。

別に夜にしなくてもいい。

上うな丼を取って、長めのランチミーティングにすればいいだけなのです。

テーマを決めて、ブレインストーミングをすればいいだけです。

酒の入っていないブレインストーミングの方が新しい発想が出てきそうですけどね!


次いで、リーダーの役割について見てみます。

 リーダーの役割とは何でしょうか?

「組織をひっぱっていく」ことは確かに大切です。

しかし、組織を引っ張っていくには明確な目標設定が必要です。

つまり、リーダーは「目標設定する役割」だといっても過言ではありません。

そして、部下に「目標設定してもらうために努力する、支援するのが仕事」となります。

次の京セラコンパの例を見てみましょう。

・・・・・・・(無気力社員の8割をも戦力化するコンパ部屋 -京セラ 2015年3月26日 16時15分 プレジデントオンライン)

一般的な「コンパ」の様子。100畳敷きの専用の大部屋を本社や各工場が完備。

京セラ発のフィロソフィと部門別採算制度という2大稲盛メソッドを国内外のあらゆる企業・団体が採用している。加速度的にコストが下がり、飛躍的に業績が上がる奇跡の現場に密着。
酒を飲みながら本音で語る「飲み会」は、多くの会社では、時代とともに位置づけが変わったイベントだ。その昔、部下が喜んでお供した時代から、一時は世代間ギャップの象徴となり、上司が声をかけても部下に断られるようになった。近年は逆に“飲みニケーション”の効果が、若手にも見直されつつある。

だが京セラでは、昔もいまも重視される存在だ。同社では社員同士の飲み会を「コンパ」と呼ぶ。

京都市伏見区の京セラ本社ビル。この12階に居酒屋の座敷のような100畳敷きの和室がある。コンパ・ルームだ。ここで社員は、酒を酌み交わしながら意見をぶつけ合う。

京セラのコンパは「和室」で「鍋」を囲むのが基本。ひざをまじえての対話を重視する。グローバルに事業展開する同社だが、年に2回、世界中から経営幹部が集まる「国際経営会議」後のコンパでも、すき焼きなどの鍋が用意される。

専用部屋があるように、開催場所は社内が多い。食事の材料は、同社の社員食堂を運営する業者が割安で提供し、費用は全額、個人の自己負担。会によって異なり、1人2000円から3000円程度が多い。基本的に全員参加で、1~2週間前から参加者の予定を押さえる。

■工場にもある巨大コンパ部屋
コンパの発案者も京セラ創業者で、現名誉会長の稲盛和夫氏だ。創業まもない昭和30年代から、残業続きの社員をねぎらう慰労会を開いていたのがルーツとか。滋賀工場(当時)の設立当初、社員と「野外すき焼きパーティ」で鍋をつつく、若き稲盛氏の写真も残っている。

京セラ流コンパを、滋賀八日市工場長の松下茂次氏はこう説明する。

「各組織が『同じ目標に向かって、みんなの気持ちを一つにする行為』がコンパです。ふだんの会議では、どうしても形式的な話に追われてしまう。お酒が入ると、人は本音で話しますから、腹を割って意見を交わすことができるのです」

役職が上になるほど、若手との対話が減りがちになるが、潤滑油の役目も果たすようだ。

現在は工場長の松下氏だが、かつては事業部の副事業部長を務めた時期もある。事業部門と間接部門でコンパの中身に大差はないが、生産では、課題解決のためにアイデアを出し合う場になるという。

実は京セラでは、大半の工場にも畳敷きのコンパ・ルームがある。コンパの参加人数は、状況によって違い、5~6人で行うときもあれば50人規模のときもある。一般企業の歓送迎会や忘年会と変わらないが、実施回数は断然多い。

「昨年1年間に八日市工場で開催されたコンパは350回ありました」と、総務課責任者の松永健司氏は説明する。客集めに苦労する飲食店が、うらやましがるような稼働率だ。

コンパで交わされるのは、仕事の話が圧倒的に多い。昔に比べて社員気質の変化もあるが、京セラでは病気や出張以外でコンパを欠席する社員は、まずいない。交通不便な工場では社員の大半は自家用車での通勤だが、大人数のコンパでは、最寄りの駅まで送迎バスを用意する。

松下氏によれば、コンパを通じて部下の適性を見極めることもできるという。

「アイツはふだん口数が少ないけど、強い意志を持っているなとか、こういう面が得意なんやな、といった意外な一面を知ることができます。日ごろは目の前の仕事に追われて、一人ひとりの社員とじっくり話をする機会が少ないですから」

コンパで把握した部下の適性を勘案して、新たなアメーバ組織を編成する際のメンバー選定にも使う。ふだんから段取りがよい人よりも、内に秘めた部分を持つ人のほうが、「アメーバリーダーに抜擢すると真価を発揮する」とか。

ただしコンパは、社外の人とは実施しない。生産部門の場合は「協力会社」と呼ばれる取引先が多いが、そうした相手とも行わない。これは馴れ合いを防ぐ意味もあるようだ。

懇親目的の飲み会は、組織の壁を乗り越える役割も期待されるが、「生産の場合は、壁というよりも、他部署と競い合うことが多い」という。

松下氏はこう振り返る。

「私が若いころ、みんなが必死に作った製品が出荷できず、他部署の製品が先に出荷されたことがありました。あのときは、アタマにきて『みんな帰れ!』と叫んだものです。その後にコンパをやって、『あのときは悔しかったな。今度はこういう手順でアピールしようや』と次々にアイデアが湧いてきた。酒の席で本音を語ると、そんな知恵も出てくるのです」

■熱意を引き出すための仕掛け
酒席における姿勢を示す、稲盛氏のこんな言葉がある。「ただ面白おかしく、ただ酒をくらって己を忘れてしまうような、酒に飲まれるような酒は『下の下』です」というものだ。

その意を汲んだ京セラのコンパは、あくまでも仕事色が強い。目立たない下支えの業務の担当者にも目を配る機会となる。「会社にはメジャーな仕事とサブメジャーな仕事がある。どんな仕事であれ、その仕事でのキーパーソンをねらえ」と激励するという。

コンパを決起集会の場に使うことも多い。若手から順に「私はこの役割で、必ず目標を達成します」といった決意をメンバーの前で発表させる。

上司と部下の関係も、1980年代を思わせる濃密さだ。松下氏はこんな体験を明かす。

「若手社員を叱る場に使うこともあります。『オマエと同期の人間はここまでやっとるぞ。そんな取り組みでいいんか。もっと頑張れや』と。当社では少数ですが、そういう社員は仕事へのやりがいを感じず、目標設定も甘い。コンパの場を利用してガツンと言います」

こうして叱った効果はどうなのか。「正直言って5人に1人は変わらないですね。でも、あとの4人は心を入れ替えて、仕事への取り組みに変化が表れてきます」。

時にはフォローアップも行う。

「あのときの決意表明で話したこと、その後どうなっとるんや」と仕向けると、向こうから経過報告してくれることもあるとか。

稲盛氏のフィロソフィの中に「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という言葉がある。能力は先天的な面もあるが、熱意は自分の意思によって引き上げられる。考え方は、生きる姿勢によってマイナス100点からプラス100点まで差が開く――と示す。

京セラにおける「コンパ」とは、アメーバ経営と同じように、社員の「考え方」をプラスの方向に向かわせて、「熱意」を引き出す役割のようだ。

企業現場では、よく「全社一丸」という言葉を使うが、昔から日本では「同じ釜の飯を食った仲」という関係も重視する。この絆が、アメーバ経営を側面から支えているようだ。

(高井尚之=文 永野一晃=撮影 京セラ=写真)

・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「昨年1年間に八日市工場で開催されたコンパは350回ありました」

一年が365日ですから、ほぼ毎日何らかのサービス残業飲み会(コンパ)に参加していたことになります。

気が狂っているとしか思えませんし、このおじさん、人生に仕事以外の楽しみが無い人なのだなと残念な気持ちになりますね。

さらに、仕事とったら、この人の人生何が残るのかな?と気の毒にもなったりします。

 

「アメーバー経営」出てきましたね!

「トップからボトムまで同じ考えで行動し、全員が何らかの数値目標を掲げ、数値責任を負う」

ことにより

「全員がリーダー、経営者と同じ視点を持ち、次世代のリーダー育成に繋げる」ことが狙いだったはずです。

数理目標を与えることはマネジメントでは大切です。

そして、数値責任の一端を与えることも重要です。

目標数値が達成できたら、給料アップ、臨時ボーナスが出るか?といったらそれはありません。

そこは「達成感、遣り甲斐、成長」という言葉で誤魔化すのが「京セラ流」であり「稲盛流」です(笑

 

京セラフィロソフィーは

「達成した、給料、給料、金、金」というと、「なんて、心の貧しい人間性なんだ?」と感情論で来ます。

私達が、人生100年の間の貴重な人生の時間を企業で働く時間として提供しているのは何故でしょうか?

「成長するためでしょうか?」

「生きがいを見つけるためでしょうか?」

「無職はかっこ悪いから、世間体を保つためでしょうか?」

違いますよね?

もし、来月から政府が「最低生活保障金を給付します!独身世帯なら1ヶ月20万円、夫婦なら25万円、子ども一人につき5万円づつ加算して、毎月、お支払いします」

と言われて、今の会社で仕事を続けますか?

「いやいや、政府がいつこの最低生活保障金を打ち切ってくるかわからんから、とりあえず仕事は続けるよ」

と考え、仕事を続ける人はよっぽど心配性な人でしょう。

一般的な考えなら「来月、仕事辞めます」のはずですね。

私達は、「生活していくため、食っていくため」に仕事をしているだけなのです。

本当は嫌々仕事しているのです。

嫌々仕事すると辛いので、会社の中の人間関係を少しでも良くしたり、会社の中での出世や人事で有利になって偉くなりたいなど、「何らかの楽しみ」を見つけ出そうとしているだけなのです。

つまり「見も心も会社に依存して生きている」ほうが楽な社会、それが日本なのです。

その一方で大企業の経営者は、そういった豊富で潤沢な労働力を搾取して、私腹を肥やしているのですからどうしようもありませんね。

少々長くなりましたが、こういったサービス残業主義、時間外労働を平気で課してくる「京セラ系列」には就職しない方が良いです。

皆さんが、京セラに就職しなければ、いずれ京セラも潰れるでしょう。

「わが社はフィロソフィーを大切にしています」

と面接で言われたら、その企業では長く仕事はできませんよ。

こちらも参考にしてください(京セラ “稲盛教”の洗脳力)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 野球を代表するスポーツ=賭... | トップ | 上司の警察官の指導力が足り... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

盛和塾、稲盛和夫」カテゴリの最新記事