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いじめはなくせるのか? 2017年度に認知した「いじめ」の件数が、前年度比9万1235件増の41万4378件

2018年11月19日 | 子育て論

世の中には色々な人がいます。

性根が腐ってしまっていると思えるほど、他人を攻撃したり、誹謗中傷したりすることしかできない人もいます。

日本人は「優越感」という言葉が大好きで、とにかく「他人をよってたかって見下す文化」を持っています。

「村社会」とは「よってたかって他人を見下す」集団リンチをする文化です。

ですから、一人ひとりが、「村社会から脱退すれば」この文化は終わります。

 

2017年度のイジメの認知件数が41万人を突破したそうです。

政府としてはこれほど嬉しいことはないでしょう。

 

政治が悪いのに、上下で争わず、庶民同士が争ってくれているのですから!

・・・・・・・・・・・・・・・(いじめ認知41万件に=最多更新、小学低学年で急増―17年度問題行動調査・文科省 10/25(木) 17:04配信 時事通信)

 全国の小中学校などが2017年度に認知した「いじめ」の件数が、前年度比9万1235件増の41万4378件だったことが25日、文部科学省の「問題行動・不登校調査」で分かった。

 過去最多を更新。特に、小学校の低学年での増加傾向が顕著だった。

 文科省は17年、いじめ防止の基本的方針を改定

けんかやふざけ合いでも調査し、被害性に着目していじめか否かを判断するよう通知した。同省は、件数増について「初期段階も積極的に認知し、解消に向けた取り組みのスタートラインに立っている」と肯定的に評価している。

 認知件数は、小学校が7万9865件増の31万7121件、中学校が9115件増の8万424件、高校は1915件増の1万4789件。小学校1~4年で各1万4000件以上増えた。

 いじめの内容(複数回答)では「冷やかしやからかい、悪口」の割合が62.3%を占め、最も高かった。「軽くぶつかられたり、遊ぶふりをしてたたかれたり、蹴られたりする」が21.0%。インターネット交流サイト(SNS)を含む「パソコンや携帯電話などでの誹謗(ひぼう)、中傷」は3.0%の1万2632件で過去最多となり、高校ではいじめの内容で2番目に多かった。

 小中高校から報告があった児童生徒の自殺は250人で、前年度から5人増。このうち、いじめの問題が要因とされたのは10人だった。

 30日以上欠席した不登校は、小学校が4584人増の3万5032人、中学校が5764人増の10万8999人、高校は1078人増の4万9643人だった。暴力行為の発生件数は、小学校が5474件増の2万8315件だった。

 今回の調査では、政令市別の結果も公表。文科省は同じ道府県内の他自治体と比較し、特徴的な傾向があるか分析する。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

 

私たちは、本来、税金を吸い上げ、自分たちの利権のために使っている悪人たちを攻撃すべきです。

しかし、彼ら支配者と呼ばれる人たちは、「マスコミ」をコントロールをして、芸能人やスポーツ選手を使って、世論誘導します。

気が付くと、庶民同士でもめごとを起こしたり、国同士でもめごとを起こすようにして、物事の本質を隠すのです。

これぞ、まさに「分断して統治せよ」です。

らっきーデタラメ放送局★第135回『支配の手法!分断統治とは?』


うまく解説されているサイト文章を転載いたします。


・・・・・・・・・・・・・・・(資本主義は階級社会です。階級あるところに分断統治あり。)

■エセ個人主義
学校教育は助け合うことを阻害します。

 

競争が良いことだとみなされ、自分の利益を最大化することが「合理的」とされます。学校の試験はバカバカしいです。みんなで協力して答えを出しあえば全員100点ですから。

 

メディアは犯罪報道を繰り返すことで、この世は犬が犬を食らう世界だと演出します。他人への恐怖を作り上げ、他者を心から信用してはならないと教え込みます。

 

その結果、現代ではほとんどの人がただ自分だけの利益のためにはたらき、自己中心的で利己的に生きています。

 

究極的にはだれかが車に轢かれても素通りしてしまうようになります。

 

だれもが同じ目的で、同じ「プログラム」を実行している。にもかかわらず、互いに争いあって反目しあう。

 

しばしばこのような態度は個人主義と呼ばれます。しかし、これはエセ個人主義です。だれもが同じように利己的であるとき、それは個人主義ではありません。

 

なぜこのようなエセ個人主義が私たちにプログラムされたのか。それは支配に都合が良いからです。

 

私たちが互いに争いあっているときこそ、完全な管理が実現しているのです。

■差別感情

「あなたは私とは違う」

 

これが差別の始まりです。

 

私たちはまず社会階級で分断されます。大まかにいえば極少数の支配者と、彼らに奉仕する大多数の被支配者が存在します。これがベース。

 

被支配者のなかでも、年収や地位によって、数百もの職業階級が存在します。そして同じ職業階級であっても、人種、性別、年齢、学歴、宗教、出身国、性的指向、政治、地域、能力などによって差別が生じます。

 

これらの差別感情が愛国主義や同性愛恐怖へと導きます。また同時に対等な人間関係が難しくなり、私たちは自らを孤立した存在なのだと感じることになります。

まとめ:私たちは団結して助け合う存在である
「群盲象を評す」という言葉があります。

 

盲人がそれぞれ象を触って、「これは蛇だ」「これは壁だ」「いや、木である」と主張して譲りません。アホです。

 

このことが意味するのは、私たち個人に認識できる世界は限られているということです。個々人が知恵を持ち寄って、互いの意見を尊重し、共存することによって「真理」は見えてきます。

 

人類は数十万年間そうやって生きてきました。他人の思想や訴え、感情を受け入れ、受容して問題解決してきました。 人間は協力しあう本能をもっているのです。

 

偉い先生に教えを請うのではありません。問題はなにか、それに対してどうすべきか、自分たちで意見を出しあい、自分たちで決定した。

 

それを防ぐのが分断統治です。

 

というのも、現代社会のさまざまな問題は個人というより社会に原因があるからです。高すぎる税金や劣悪な労働環境はその一例です。

 

分断統治がある限り、私たちは人間として十分に能力を発揮できず、服従を強いられます。

 

私たちにすべきことは、ただひとつ。

 

「他者に共感すること」

 

驚くほど冷たい現代社会では、こんな当たり前のことでも十分に革命的なのです。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

私たちは、気が付けば競争ばかりさせられています。

しかも、自己の欲求を満たすために競争させられている。

ここが間違っています。

皆が幸せになるための競争なら良いのですが、自分ひとりが、一族が栄えるように競争することが良いと教えられています。

こういった「間違った競争」がイジメの構造を産出します。

しかもそれを意図的にさせているのが、文部科学省であり、学校教育であるから困ったものです。

学校に行けば、みんな知らない間に不必要な競争に巻き込まれ、個人主義になっていきます。

団体生活をするところが、周りは敵だらけなのですから、たまったもんじゃありませんね。

しかし、競争がなければ文明は発達しません。

どのように競争するのが良いのでしょうか?

いじめやわが子をイジメの手から守りたい人、教育関係者はこちらの記事を読んでみてください。

RAPT有料記事291(2018年7月7日)神様の世界では誰が最も愛するかという競争をするから、競争が激しくなればなるほど平和が作り出される。

私たちは基本的なものが欠落しています。

それは『愛』についてあまりにも知らなさすぎることです。

私たちが知っているのは「愛情」に過ぎず、一過性の欲を満たすものでしかありません。

一時的な快楽を求め、欲望を満たすものを「愛だの恋だの」と教えられてきたのです。

友愛、親子愛、男女の愛、独善的な愛、ペットブームへの愛、このような偏った、自己中心的なものを「愛」だと教えられてきました。

愛とは不断の努力によってなされるもので、限界はありません。

私たち大人が「愛」を知らず、実践していないから、子供たちの社会は冷え切ってしまい、いじめが蔓延るのではないでしょうか?

もっと大人が成長して、子供たちに「愛」を実践できるようになっていくしかありません。

そして、「愛を知るには神を知るしかない」ことを頭の片隅に置いておいてください。

 

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