心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

五輪オリンピック)オリンピックは代理戦争で、スポーツマンシップは嘘だらけ

2018年02月14日 | 学歴もスポーツも同じ

今回は冬季五輪、韓国の平昌オリンピック開催中ということで、オリンピックのような国際試合について記事を書いていきたいと思います。

まず、オリンピックは大企業のためのものであり、逆経済効果しかないという事実について以下の記事を転載いたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下こちらから転載)

ここ最近、このブログを書きながら思うことは、この世のマスコミが一部の人たちの利権を守るためにありとあらゆる嘘をこの世に蔓延させ、我々庶民もいつのまにかその嘘を当たり前のように信じ込んでいる、そしてその嘘が余りにも膨大な数にのぼる、ということです。
 
そのため、この世の誰一人として天皇がまさか悪魔崇拝者であるとは思わず、日本のトップのほとんどが悪魔崇拝者だと知らず、天皇も政治家もみんな国民のために善意をもって働いてくれていると信じ込んでいる。
 
なので、どこかの政治家がちょっと悪さをしたりすると、誰も彼もが「政治家としてあるまじき行為だ」と言って目くじらを立ててバッシングする。
 
しかし、このブログの読者の皆さんは、この日本のトップの連中がほとんど悪魔を拝んでいるようなヤクザな連中だと分かっているので、今さら政治家が賄賂を受け取ったりしても、「まあ、そんなことは当然でしょうね」と思って終わりでしょう。
 
なので、私が今さら「オリンピックの経済効果なんて嘘」と言ったところで、皆さんはもう少しも驚かないかも知れません。
 
正直、私もこの話を知ったときは全く驚きもしませんでした。「またこの人たち、我々庶民を騙して、自分たちだけボロ儲けしようとしているんだな」と思っただけでした。
 
しかも、今回もまた世紀のスーパー詐欺師「竹中平蔵」がしゃしゃり出てきて、いかにも美味しそうなエサ(嘘)をばらまきながら我々国民を騙そうとしています。
 
なので、今日ははっきりと「竹中平蔵」の愚にもつかない「嘘」を一刀両断しておこうと思います。一人でも多くの国民に、日本の政府が嘘をついて我々庶民を騙しているということを知ってもらわなければいけませんので。
 
img_62ae57e0cef013f5a0d3985d0e493c31326351

〈竹中平蔵〉


 
先ず東京都は、東京オリンピックの経済効果の試算として、2013年から2020年までの7年間に全国で約3兆円、約15万人の雇用を生み出すと公式に発表しました。
 
3兆円と聞くと、確かにものすごい経済効果がありそうな気がしますよね。
 
しかし、日本の年間GDPはおよそ500兆です。なので、七年間で3兆円の効果があると言っても、実は大した効果ではありません。
 
七年間で3兆円ということは、年間で4200億円の効果しかないわけですし、これでは年間GDPの0.1%にも及びません。もはや雀の涙ほどの効果にしかならないわけです。
 
確かTPP交渉が始まったときにも、その経済効果は10年で3兆とか言われていて、多くの人が「おい、ちょっと待て。10年で3兆では大したことないじゃないか」と苦言を呈し、大騒ぎになりましたよね。
 
それと全く同じことを東京都はまたもやっているわけです。
 
で、さすがにこれではマズイということになったのか、例の如く、竹中平蔵がしゃしゃり出てきて、こんなことを言い出したわけです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に伴う経済波及効果が約19兆4千億円にのぼることが5日、竹中平蔵慶大教授が所長を務める森記念財団都市戦略研究所の試算で分かった。
 
日本の国内総生産(GDP)は毎年0・3%程度押し上げられることが期待され、五輪開催までの間に生まれる雇用誘発数は、全国で延べ約121万人と想定している。試算は7日に公表する。
 
竹中氏は昨年12月、地域を限定して規制緩和を行う「国家戦略特区」の具体的な対象地域や方針を決める政府の「国家戦略特区諮問会議」の民間議員に任命された。諮問会議で「オリンピック特区」を提唱し、経済効果を発揮するために、より大胆な規制緩和を国に求めていく考えだ。
 
五輪の経済効果については、東京都が五輪開催決定前の平成24年6月に約3兆円との試算を弾(はじ)いている。ただ、効果の範囲は、五輪関連の施設整備費や運営費などに限定していた。
 
これに対し竹中氏の試算は、都が想定していない需要の増加や新規産業の創出なども幅広く加味した。
 
具体的には、▽訪日する外国人の増加で3300億円▽宿泊施設の建設増加で1兆300億円▽鉄道や道路整備、オフィスビルなどの都市開発の前倒しで2兆4400億円▽新規雇用や外国企業進出で5兆700億円-などの経済効果を見込んでいる。
 
さらに、五輪開催に伴う先行きへの希望から消費活動などが活発化することを「ドリーム効果」と名付け、7兆5千億円の経済効果を期待している。これらを全てあわせて16兆4千億円とし、都の試算3兆円を合算した19兆4千億円を五輪の「真の経済効果」と位置づけた。
 
竹中氏は「単なる『ハード効果』だけでなく『ソフトパワー効果』が加わることで五輪開催のメリットはより大きくなる。前回の開催地であるロンドンは五輪を契機に目覚ましい発展を遂げた。東京にもそのチャンスがある」と期待を寄せる。
 
東京五輪の開催を機に、これまで進まなかった規制改革が促進される可能性もある。竹中氏は「世界最大のコンテンツである五輪を成功させるためには、世界基準のビジネス環境を整える必要がある」と強調。さらに「五輪は日本の『岩盤規制』にメスを入れる絶好の機会でもある」と語っている。
 
----------------(転載ここまで)
 
見ての通り、「ドリーム効果」とか「ハード効果」とか「ソフトパワー効果」とか、またしても意味の分からない曖昧な言葉をならべて我々国民を煙に巻こうとしています。
 
要するに、彼が言いたいのは、普通にやれば3兆ぐらいしか儲けられないけど、もっと頑張れば7兆、もっと頑張れば16兆、さらにもっと頑張れば19兆は儲かるよ、というわけです。
 
こんな話、小学生でもできますよね。
 
しかし、それだけでは説得力がないから、「ドリーム効果」とか「ハード効果」とか「ソフトパワー効果」とか意味不明の言葉を使って、何となく凄いことを言っているかのように我々に思わせようとしているわけです。
 
もっとも、確かに一部の人にとっては、もう既にオリンピックによる経済効果が出ていると言っても過言ではないでしょう。
 
何しろ、数百億で建てられるはずの競技場をその十倍以上の値で建てようとしている建設会社がいるぐらいですから。詳しく以下のリンクをご覧下さい。
 
日本国民から集めた血税をポケットマネーのように自由に使い回す「数土文夫(すどふみお)」という怪しげな人物。
 
しかし、国民の大半はこんな詐欺みたいなことはしませんので、東京でオリンピックが開催されたとしても、さして収入は変わらない。というか、むしろ下がる可能性すらなきにしもあらずです。
 
実際、1998年に行われた長野オリンピックの後、我々庶民の所得は毎年のように減りつづけています。
 
2013091200002_1
 
その一方で、大企業の内部留保はどんどん増えつづけています。つまり、オリンピックをやっても、その恩恵に預かれるのは一部の大企業だけということです。
 
しかも、そうやって大企業が儲かれば、マスコミはまたしても経済効果があったと言って大騒ぎするでしょう。
 
そういう話は正直、もう飽き飽きしました。国民の皆さんも、もうそろそろ目を覚ましましょう。大企業がいくら儲かっても、あなた自身が儲からなければ、それは経済効果とは言えないのです。
 
しかし、長野オリンピックのときのように企業が儲かるならまだマシです。企業が潤えば、失業者の数も減り、労働人口も増えるからです。それだけでもまだ不幸中の幸いだと言えるでしょう。
 
しかし、もし企業までもバタバタと倒れるようなことがあったら大変です。
 
いいや、まさかオリンピックをやって企業がバタバタと倒れるようなことはないだろう、と思う方もいるかも知れません。しかし、それは考えが甘いです。
 
実際のところ、1988年のソウルオリンピック以降、オリンピックを開催した国は、どこもかしこも景気が悪化しています。(出典はこちら
 
96958A96889DE6E7E7EBE0EBE6E2E1E3E2EAE0E2E3E085E3E6E2E2E3-DSXDZO4559293031082012W14001-PB1-21
 
見ての通り、オリンピックの開催後に景気がよくなっているのは、アトランタオリンピックを開催したアメリカのみ。あとはみんな景気が年々、悪化しています。
 
ギリシャに至っては、皆さんもご存知の通り、今ではもう財政破綻寸前の状態ですよね。
 
このように、オリンピックを開催しても、経済的には何の効果もありません。ただオリンピックの競技場を作ったりした一部の企業だけが、一時的に儲かるだけなのです。
 
それ以外の人たちは、何の儲けも手にできないばかりか、オリンピックが終わった後はむしろ収益減で悩まされる。
 
はっきりと言いますが、オリンピックというのは「天皇派」のスポーツの祭典なので、天皇とロスチャイルドがオリンピック開催国から生き血を吸って肥え太るだけで終わりです。
 
彼らはまさにそのために世界各地でオリンピックを開催していると言ってもいいのです。
 
なので、自分の国がオリンピックの開催国になったと言って喜ぶのは愚の骨頂としか言いようがありません。(ちなみに最上の画像は、東京オリンピック招致が決まったときの様子です。)
 
恐らく「教皇派」のアメリカはこのことを十分に心得ていたので、アトランタオリンピックを開催する際にも、「天皇派」に生き血を吸われないよう、それなりの対策を練っていたのでしょう。だからこそ、オリンピック開催後も景気の悪化に悩まされずに済んだのです。
 
その一方で、最も「天皇派」の犠牲になったのがギリシャでした。
 
ギリシャの場合、もともとEUに加盟できていなかったため、なんとかEUに加盟したいと思い、オリンピックをやれば経済成長してEUに加盟できる条件がそろうと言われて、お金もないのに無理やりオリンピックを開催してしまいました。
 
で、その甘い餌をばらまいたのが、例の如く「ロスチャイルド」でした。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
大まかな流れでいえば、もともとEUに加盟する財政条件を満たしていなかったギリシャに、投資銀行(たしかゴールドマン・サックス)が接近し、書類が通るように、債務の証券化や会計手法で条件をクリアさせ加盟。
 
(註: ゴールドマン・サックスはロスチャイルド系の企業です。)
 
そしてギリシャは90年代後半にアテネ五輪への野望と、EUの地域通貨ユーロへの加盟を並行して準備。アテネが開催地に決まるとユーロに移行をする。
 
ユーロ債権は旧通貨ドラクマより、知名度も金利もよいので資金が外国から集まっていき、その金でオリンピック会場や必要なインフラのほか、豪勢な観光スポット(ハコモノ)も建造。
 
そしてオリンピックの2004年まで突っ走る。
 
----------------(転載ここまで)
 
このように「ロスチャイルド」の罠にはまって、無理してオリンピックを開催した結果、ギリシャは経済破綻すれすれの状態となってしまいました。
 
見て下さい。ギリシャが大枚をはたいて建設したオリンピック競技場も、今ではすべて瓦礫の山と化しています。
 
0ea4be4e

 

6d7bb144

6dd20422

8d5e7569

67dcc483

74fc71b6

144a4245

08667ffa

434420c9

d612d000

d2049007

e6e8b34a

e28f5957

 
本当にひどい有様です。こうしてオリンピックによってギリシャは滅亡し、天皇とロスチャイルドだけが私服を肥やしたというわけです。
 
しかし、この話は我々日本人にとっても他人事ではありません。この国でも今、ギリシャと全く同じことが起きているからです。
 
----------------(以下、こちらから転載)
 
反緊縮派の勝利でますます混迷を極めるギリシャ問題。財政をここまで逼迫させた直接のキッカケは2004年のアテネ五輪だった。
 
02年のユーロ加盟で資金調達がラクになったギリシャ政府は、国債をジャンジャン発行。
 
アテネ五輪を口実に新国際空港や地下鉄、高速道路などのインフラ整備にのめり込んだ。
 
関連支出の総額は当初計画から倍増の89.5億ユーロ(約1兆円)に膨張。夏季五輪では歴代5位の出費になった。
 
その後も年金受給者や公務員への厚遇で国債を刷り続け、借金は15年3月時点で3130億円ユーロ(約42兆円)までかさみ、対GDP比177%に達した。ユーロ圏断トツのヒドさだ。
 
ヤバイのは、日本もギリシャと全く同じことをしていることだ。
 
2020年開催の東京五輪にかこつけて公共事業にカネをつぎ込んでいる。
 
五輪のための施設整備費だけでも総額7141億円に膨らみ、さらに東京の再開発まで進めるつもりだ。これじゃいくら費用がかかるのか分からない。
 
----------------(転載ここまで)
 
で、「数土文夫」のような天皇とロスチャイルド関係者のみが肥え太るという寸法です。
 
もっとも、「天皇派」の面々はこの日本をNWOの中心としようとしているわけですから、ギリシャのようにみすみ財政危機に陥れるようなことはしないでしょう。もしかしたら、日本はオリンピック開催後も経済的には栄えるかも知れません。
 
しかし、それで潤うのはあくまで一部の大企業のみ。我々庶民のところには一銭たりとも還元されることはありません。
 
特にサラリーマンやOLは長野オリンピックのときと同様、年々、給料が切り詰められていくばかりでしょう。
 
我々はこのようなことをきちんと理解した上で、2020年の東京オリンピックに臨む必要があります。「オリンピック景気に湧いている」とか何とか、テレビの言うことを鵜吞みにして浮かれ騒ぎ、うかつに財布の紐を緩めるようなことがあってはならないのです。
 
特にオリンピック最高位スポンサーになったトヨタには要注意ですね。下手にトヨタ車には手を出さないようにしなければなりません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

説得力のある内容です。

オリンピックは代理戦争だという考えもちらほらあります。

私も概ね賛成の意見ですが、さらに踏み込んで

戦争は

①殺し合い(勝ち負け)を合法化させ人間を動物以下の獣にすること

②借款により利益を出す悪人がいる

ということです。

で、誰にお金や開催費用を貸すのでしょうか?

鋭い方ならお分かりになると思いますが、開催国の国民に重税として貸すのです。

そして一部の企業が暴利を貪る、貧富の格差が生まれる仕組みなのです。

そりゃ、メディアもスポンサー料がはねますから躍起になるでしょうね!!

パナソニックの宣伝戦略担当のインタビュー記事です。

・・・・・・・・・・・・・・(以下こちらから転載)

2020年東京五輪のスポンサーに最初に決まった日本企業がパナソニックだ。昨年2月、国際オリンピック委員会(IOC)と最上位「TOP」スポンサーとして24年まで契約延長した。1988年カルガリー冬季大会から続ける古参スポンサーは、五輪の価値をどうみているのか。パナソニック担当役員の竹安聡氏に聞いた。

 ――五輪は競技会場内に広告看板を出せない「クリーンベニュー」と呼ばれる独自のルールがあるが、スポンサーを続ける理由は。

 

竹安聡(たけやす・さとし)氏 旧松下電工マーケティング部長などを経て12年に役員。ブランド戦略など担当

竹安聡(たけやす・さとし)氏 旧松下電工マーケティング部長などを経て12年に役員。ブランド戦略など担当

 「スポーツを通じて世界平和に貢献するという理念への共感が半分、マーケティングの狙いが半分だ。映像・音響機器などの納入や実績のプロモーションになるし、五輪マークを使った販促宣伝もできる。17年からの契約には白物家電も含まれる。従来の黒物家電と合わせた弊社製品のPRができる」

 「20年五輪が東京に決まらなくても続けるつもりだった。IOCからは『20年の開催地が決まるまでに(契約延長かどうか)方向性を出してくれ』と言われていた。2期連続最終赤字の直後で続けるべきか議論も社内であったが、四半世紀続けてきたので継続を決めた。13年9月のIOC総会(ブエノスアイレス)で東京開催が決まる前夜にIOCに伝えた」

 ――五輪スポンサーの費用対効果をどう測定しているのか。

 「我々なりの手法がある。どれくらいの人に商品を理解して買ってもらえるかや、商品の優先納入の権利など周辺ビジネスも含めてスポンサー費用はペイできている」

 ――多くのスポーツイベントがある中でなぜ五輪なのか。

 「グローバルなPRには五輪が最高だ。自動車レースF1などのスポンサーは降りた。野球やラグビー、バレーを企業スポーツでやっており、社員の一体感も出る」

 ――東京五輪のローカルスポンサーにはNEC、富士通、キヤノンが入った。1業種1社というスポンサーの区分が難しくなっている。

 「(他社と権利が重なりそうな商品の)線引きを明確にしてほしいとは言っている。東京五輪についてもIOCがパナソニックの意見を代弁してくれており、大会組織委員会が(業種を細分化してすみ分ける)因数分解をうまくやっていると理解している」

 「TOPスポンサーとしてグローバルで活動できる点が、他の協賛社との違いだ。20年をにらんだ新商品・サービスの開発を社内で検討中で『交通システム』『暑さ対策』など5つのテーマがある。例えば、太陽光パネルでつくった電力で冷たいミスト(霧)を吹き掛ける製品を試作中だ」

 ――18年冬季が平昌(韓国)で、22年も北京かアルマトイ(カザフスタン)とアジア開催が続く。

 「開催地について言う権利はないが、家電をアジアで伸ばすという我々の戦略には合っている」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

はっきり言っちゃってますね。

「スポーツはイメージが良い」

企業はそれくらいしか考えていません。

スポーツマンシップに則って正々堂々と汗を流す。

これもマスコミが作っただけなのでしょう。

スポーツは一歩間違えれば害しかありませんが、その代表格が国際試合、オリンピックなのでしょう。

多国間で争う必要がどこにあるのでしょうか?

「感動を与える、素晴らしいプレーが観たい!」

はっきり言いますが、ミラクルプレーは実力差がないと出ませんよ。

どのような競技でもそうですが、実力僅差の試合ほどつまらないものはありません。

極論すると、「どちらかがミスをするのを待つのが勝負になってしまうから」です。

ということは、素人が見てもその醍醐味は伝わってきません。

フィギュアスケートも、大会よりもエキシビションの方が明らかに演技は素晴らしいです。

「相手のミスを誘う、相手のミスを待つ」

こんな姑息なやり方がスポーツマンシップなのでしょうか?耳を疑いますね。

スポーツだから許されるのでしょうか?

池田昌子さんという文筆家がオリンピックを痛烈に批判しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・(以下こちらから転載)

オリンピックと戦争

2012-04-09 21:43:43 | 時事
今年はロンドン五輪があるので、連日オリンピック関連の話題が報道されている。オリンピックは平和の祭典と必ず言われるが、そこで行われるのが争いごと、つまり戦争であることを池田晶子さんは書いている。


「「オリンピックの精神」というのがあるらしく、スポーツマンシップでもって、世界を平和にしようというものだそうだ。
このフレーズ、一見もっともらしく聞こえるが、ちょっと考えると変だとわかる。なぜなら、オリンピックのその現場で行なわれているのは、明らかに勝負事である。・・・・・行なわれているのは勝負すなわち争いなのである。争いは平和の反対である。なんで争いが世界の平和なのか。
さらに考えてみれば、選手というのは自分ではない。・・・・・なぜ人は他人の勝ち負けを、我が事のように喜んだり悔しがったりしているのであろうか。
言うまでもない。それが自分の国の選手だからである。自分の国の選手だから人は応援するのだから、人々の意識は国同士の勝敗にある。だから、国家と国旗なのである。他の国と争って勝つことがオリンピックの精神なのだから、これはその意味では戦争の精神である。戦争の精神によって、なんで世界の平和なのだろうか。要するにあれは代理戦争なのである。」(『勝っても負けても』「オリンピックで世界の平和」より)



上の文章のあと池田晶子さんは、世界の平和のためというのなら、自国の選手応援禁止や、国旗や国家をなくすなどの提案をしている。

言われてみれば、確かにそうだ。その意味ではW杯というのも、競技種目が一つになるだけで、精神としてはオリンピックと同じということになる。あのなでしこジャパンのW杯優勝には感動したが、自国の選手を応援する精神の中に、常に他国に勝つことが優先されるのであれば、それは戦争の精神に他ならない。
・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

余談ですが

日常生活で「相手が仕事でミスするのを待って、ミスを指摘して心理的に優位に立とうとする先輩」

がいました。(汗

小さい人だなと思う反面、今思えば、

「スポーツマンシップに則って正々堂々としている」

と感心してしまいますね。

その先輩は部下、後輩に対してそういう態度をとるため、

上司からも警戒されて、出世はさせてもらえません。

人間性が低いから仕方ないですが、企業もスポーツと同じですから

結局、今の社会の仕組みでは

「相手がミスをするまで待つ、足を引っ張って自分が上に行く」スタイル

が主流ですから、負の力、悪の法則ばかりが働き、ろくなものはないかもしれませんね。

隣国批判、芸能人・政治家の不倫や汚職、公務員バッシングしか盛り上がらない文化は

まさに「スポーツマンシップ」を体現していると思います。


スポーツマンシップの由来、起源について調べると出てきました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下こちらから転載)

クーベルタンはフランスの男爵家の三男として生まれた。陸軍士官学校を卒業したが、軍人にはならず教育者の道を選んだ。イギリスに留学したとき特権階級の私立中学(パグリック・スクール)で教育にスポーツが取り入れられているのに関心を示し、フランスでもスポーツ教育が必要だと感じて帰ってきた。

彼は古代史にも興味があり、スポーツ教育と古代史が融合してオリンピック復興を提唱するようになった。これが、アテネで第一回オリンピックが開かれたネタだ。このネタのお陰でスポーツがやたらと教育的に扱われるようになったんだと思う。

「スポーツ」の語源はフランス語で、des(離れて)+ porter (運ぶ)、運ぶのを離れる→仕事を止める→仕事を止めて楽しむ、となった(小学館・プログレッシブ英和中辞典第3版)。 もとは娯楽だ。それを教育現場に持ってきたのだから、クーベルタンもなかなかのやり手。それほどまでに魅せられたものは何だったのか。

それは恐らく「スポーツマンシップ」だ。日本の選手権大会でお決まりのように「われわれはスポーツマン・シップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います」とやるこの言葉は、すでに日本語になっていて、国語辞典に載っている。どう定義されているか2つご紹介。

「スポーツマンとして求められる、明るく正々堂々と全力をつくして競技をする態度・精神」(小学館・国語大辞典)

「フェアプレーをし、勝負にこだわらない、明るい健康な態度・精神」(三省堂・新明解国語辞典)

この2つの辞書を見るとぞっとする。選手は、何をいわれても明るくニコニコと勝ち負けはどうでもいいからコーチや監督の言うことをよく聞いて文句を言わず逆らわず最後まで全力を尽くせと偉そうに部長や指導者が怒鳴っているのを想像してしまうからだ。だからスポーツは嫌いだ。

そもそも勝負を決するのがスポーツ。勝負にこだわらないスポーツなんて全く魅力ないし意味がない。フェアプレーは当然のことだが、正々堂々と全力を尽くすかどうかは選手の作戦の部類。ゲームの展開いかんでは全力を尽くしたら負けることだっていっぱいある。そういうことを考えずに勝負に挑んで何が面白いのか。全く理解できない。

そこで英英辞典を開いてみる。これが違うのだ。sportsmanship の意味が違う。

Conduct and attitude considered as befitting participants in sports, especially fair play, courtesy, striving spirit, and grace in losing(アメリカン・ヘリテイジ英英辞典 第3版)

私の訳で恐縮だが、意味はこうだ。

「スポーツの参加者としてふさわしいと重んじられる行為および態度、特にフェアプレー、礼儀、競う精神と負けたときの品のよさ」

この英英辞典は代表的な辞典だ。小学館でも三省堂でも自社の辞典にスポーツマンシップを定義する際参考にしているはずだ。それをうかがわせる言葉使いだが、肝心の意味が英語と日本語では異なっている。

欧米人のスポーツマンシップは「戦え」と言っている。ただし「負けたときの品性」にこだわっている。クーベルタンがイギリスの学校でスポーツ教育が実を結んでいると思ったのはこの点だという気がする。実際、教育現場では「負け」や「失敗」が人間を大きくする。そこから学ぶことは山ほどあり、勝ちは人間に自信は与えてもそれ以上のものはもたらさない。「負け」と向き合う心構えは非常に大事だ。

日本にこの点が伝わらなかったのは、政治的なたくらみのせいだろうが、日本人は大きな財産を失った。これからそれを取り戻そうじゃないか。

2004年4月7日(水)

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

スポーツとは

お金の亡者である大企業が、マスコミを使いスポーツ選手を広告塔にしたて、自社の製品を原価の10倍以上の値段で売りつけるイメージ戦略の手段

です。

スポンサーからみれば、自社製品を使って負けた選手は、イメージダウン以外の何も産まない存在です。

当人たちは真剣に競い合っていますが、その純粋さ単純さを逆手にとって、大企業が金儲けしています。

金儲けがいけないとは言っていません。

イメージ戦略で法外な価格で売ることで暴利を貪ること、騙して価値を錯誤させるやり方がいけないのです。

負けた人がぼろくそに言われる、下野していくのは、結局企業スポンサーから見放されるためです。

そんな彼らが大切にしているキーワード「スポーツマンシップ (Sportsmanship) 」を調べました。

・・・・・・・・・・・・・・・(以下こちらから転載)

スポーツマンシップ (Sportsmanship) とは、スポーツで関係者らに求められる精神論の一種。競技の上では競争関係にあるもの同士でも、競技を離れた際には友好関係を築くべきとするものなどが良く知られている。

概要[編集]
スポーツマンシップは、スポーツのルールを遵守してゲーム(競技)を行っていくうえでの根本的な姿勢をいうものである。

スポーツマンシップは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される。また様式化された礼節の発揮も、マナーという面から重視される傾向があり、選手同士が試合の前や後に挨拶を交わすのも、このスポーツマンシップの延長で見られる風習である。

『Oxford English Dictionary』によれば、“sportsmanship”の初出は、フィールディングの小説作品『トム・ジョーンズ』(1749年)で、主人公のトムが5本の柵を飛び越える乗馬技術を指して用いられており、これが19世紀末から20世紀初期にかけて倫理的ニュアンスを含むようになった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「ヘンリー・フィールディング」なる英国の作家に辿り着きましたね。

どのような人物なのでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・(以下こちらから転載)

ヘンリー・フィールディング(Henry Fielding, 1707年4月22日 - 1754年10月8日)は、18世紀イギリスの劇作家、小説家、治安判事である。小説『トム・ジョーンズ』が代表作で、「イギリス小説の父」と呼ばれる。
生涯[編集]
サマセット州シャーパム生まれ。伯爵家の末裔で、父は軍人であった。イートン校で学んだ後、ロンドンに出て劇作家になり、風刺の効いた芝居を書いて人気を博した。フィールディングの政治批判によって演劇取締りが厳しくなったため、弁護士に転身し、その傍ら、小説を書き始めた。また、新聞の編集長になり、当時のウォルポール内閣を批判した。フィールディングらの度重なる政権批判の風刺劇を取り締まるために1737年には、上演を制限する演劇検閲法(Licensing Act)が発布された(この影響で演劇の文学的重要性が弱まり、代わりに小説がより注目されるようになった[1]。また、無難であることからシェークスピア劇が盛んに演じられるようになった一因にもなった)。ウォルポール内閣が倒れた後、ボウストリート治安裁判所の治安判事に就任。もともとは無給だったコンスタブル(Constable)に定期的な給料を与えて組織化したボウストリート巡察隊(英語版)を結成し、犯罪を減少させた。同隊はイギリス近代警察への第一歩とされている。1749年に代表作『トム・ジョーンズ』を発表した。その後、病気が悪化したため、リスボンに転地療養に出かけ、そこで没した。

妹サラ・フィールディング (Sarah Fielding) 、従姉妹のメアリー・モンタギュー (Lady Mary Montagu) も小説を残している。
関連項目[編集]
ピカレスク小説
ロバート・ウォルポール - 彼の内閣を風刺する演劇を製作し続けたため、「劇場封鎖例」によりフィールディングは劇作家としての筆を折られた。

・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

小説『トム・ジョーンズ』が代表作で、「イギリス小説の父」だそうです。

 1749年に代表作『トム・ジョーンズ』を発表した。とあります。

『トム・ジョーンズ』とはどういう作品かというと、関連項目にあるようにピカレスク小説です。

『トム・ジョーンズ』と「ピカレスク小説」「コンゲーム」について以下の通りです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下こちらから転載)

『トム・ジョーンズ』(Tom Jones)は、イギリスの小説家ヘンリー・フィールディングの小説で代表作。18世紀のイギリスが舞台。1749年に発表された。正式な題名は『捨て子トム・ジョーンズの物語』(The History of Tom Jones, a Foundling)。

日本語訳は朱牟田夏雄訳で岩波文庫(全4巻)がある。サマセット・モームが『世界の十大小説』の一つに挙げている。

1963年にイギリスでトニー・リチャードソン監督により『トム・ジョーンズの華麗な冒険』として映画化されている。また、宝塚歌劇団が同じタイトルでミュージカル化している

あらすじ[編集]
ある日、大地主オールワージーの屋敷の寝室で捨て子の赤ん坊が見つかる。大地主は赤ん坊をトム・ジョーンズと名づけ、トムは裕福なオールワージーの養子として、オールワージーの妹ブリジットの息子であるブライフィルとともに育てられる。トムは地主の娘ソファイアと相思相愛になるが、ソファイアは両家の親によりブライフィルと婚約させられていた。陰謀家のブライフィルはトムを中傷してオールワージー家を追い出してしまう。トムはロンドンへ向かい、ソファイアも後から追ってくる。ところがトムは美男子すぎて行く先々で女性たちに言いよられ、決闘騒ぎに巻き込まれたり、肉体関係を持ったウォルターズ夫人が自分の母親だという驚愕の事実(これはあとで誤報とわかる)が明らかになるなど波乱に満ちた暮らしをする。最後にトムが本当はブリジットの息子であったことがわかり、トムはソファイアと結ばれる。

 

ピカレスク小説

ピカレスク小説(ピカレスクしょうせつ、英: Picaresque novel, 西: Novela picaresca)は、16世紀 - 17世紀のスペインを中心に流行した小説の形式。悪漢小説や悪漢譚、悪者小説とも呼ばれる。

特徴として、一人称の自伝体、エピソードの並列・羅列、下層出身者で社会寄生的存在の主人公、社会批判的、諷刺的性格

を持ち、写実主義的傾向を持った小説を指す。

ただし、実際にはここまで厳格ではなく、いずれかの要素を持った作品が現代ではピカレスク小説と呼ばれる事が多い

日本のピカレスク小説
現在でもピカレスクは世界各国で盛んに愛読されており、日本国内でも新作が発表され続けている。

日本においても同様で、やはり上述してきた様な性格付けを受けた人物を主人公や重要人物として物語が展開される。この様な人物が、暴力・犯罪の現場や経済市場などにおいて、時に激しく時に華麗に、一般的に悪と言われる行為を行ってゆき、一度は成功を収めるものの、結末において零落・破滅するのが和製ピカレスクの基本フォーマットとなっている[要出典]。また、欧米の作品と比較すると、宗教的背景や社会・文化的背景、生活感は比較的希薄である一方、ハードボイルド、ニヒリズム、ダンディズムと密接に結びついている場合が多い事も、特徴として言える要素である
関連項目[編集]
物語の類型
アンチヒーロー
コンゲーム
やくざ映画
犯罪

 

コンゲーム

con game (confidence gameの略)信用詐欺。取り込み詐欺師。相手を信用させて詐欺をはたらくこと。また、策略により騙したり騙されたり、ゲームのように二転三転するストーリーのミステリーのジャンル。

・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

完全に日本のやくざの世界です。そしてコンゲーム=偽善ですね。

ピカレスクの語源は

・・・・・・・・・・・・・(以下転載)

語源[編集]
ピカレスクの語源はマテオ・アレマンの『ピカロ:グスマン・デ・アルファラーチェの生涯』[注釈 2]の「ピカロ」から。悪者と訳されるが、単なる悪い人ではなく、この小説の主人公グスマンのように、

出生に含みのある表現がある(ユダヤ系や娼婦の子であることを暗喩しているものが多い)
社会的には嫌われ者である(が、カトリック的には慈悲を施すべき対象)
食べる(生きる)ために罪を犯したり、いたずらをしたりする
というような特徴を持った者のことをピカロという。

『グスマン』では犯罪を繰り返す非道徳的な話をしながらそれを中断し、道徳的な訓話を挿入するというバロック的な対比をみせている。そして批判的な叙述はよりユーモアに溢れる一方で、より悲観主義の傾向を強めてゆく(詳しくはマテオ・アレマンを参照)。

・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

堕落した天使のようですね。

善と悪をごちゃまぜにする。

そして悪に染め上げ、罪の虜にし堕落させる。


まさにサタン=ルシファーです。

となると、ピカレスクで描かれている人物像はルシファーそのものなのかもしれませんね。

やくざ映画やルパン三世をやたらと放送するメディアのやり方もうなずけます。


スポーツマンシップほど、いい加減で偽善なものはありません。

戦争、代理戦争といえばいいと思うのですが、

大企業からすれば、ビジネスにおいて戦争というとイメージが悪いため

スポーツで言い換えてるだけだとお分かりでしょうか?


そうではなく

それぞれが個性を発揮して、お互いに補完しあう文化、思想こそ成熟した社会だと思いませんか?

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 障害者法定雇用率)発達障害... | トップ | 救急車は民間にすべき理由、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

学歴もスポーツも同じ」カテゴリの最新記事