心のハンドル操作方法 幸せに生きるための教習所

旧精神科医療は思想警察なのか?

宗教を排除した日本医療。心・脳の問題は医療で解決できるのだろうか?

2024年06月29日 | 世界一分からない日本の精神科医療と精神科看護

『感染症法「患者に罰則」正当か<新型コロナ法改正ここが論点②>2021年1月25日 https://www.tokyo-np.co.jp/article/81817』

コロナを大騒ぎしていた頃、療養のため隔離されてた人が、ホテルから脱走し、コンビニで買い物をしたり、ホテル内で酒盛りをしていたことが問題になりました。

(公衆衛生・医療と人権、どちらが大切なのか?考えられる機会となりましたね。)

 

医療と人権を論じる際、精神科医療を避けて通ることはできません。

推定で病名をつけて、死ぬまで治療名目で入院させることが許されるのが精神科医療の実態なのですから。

精神科病院に入院すると、医療法ではなく、精神保健福祉法という法律が適応されます。

その中に、行動制限という項目があります。

日本国憲法22条では「国内外への移動の自由を保障している。 そして、移動には、旅行は勿論の事通勤や通学を含む日常生活における外出も、当然に含まれる。」と定義されており、国家がいかなる場合においても行動を制限してはならないと明記されています。

ところが、精神科病院の閉鎖病棟では、24時間終日、外部に出入りできないように出入口が施錠されています。

開放病棟と呼ばれる病棟も1日8時間出入口を開放しているだけです。

「治療上、患者の安全を守る」という名目で、刑務所のように閉じ込めておくことが、正当化されているのです。

 

社会との間でトラブルがあって、精神科に入院してくるのに、解決方法がみつからないため、「それなら死ぬまで隔離しましょう」というのが精神科医療の実態です。(退院できる人とは、何とか自分の力で社会に適応できた人だけです)

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ここからが本題になります。

行動制限とは、一言で言えば人権侵害なのですが、その中に面会制限というものがあります。

 

宗教と心の問題という視点から、

面会制限のエピソードを紹介します。

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入院中の患者が、外出中にエホバの証人というカルト教団の信者と仲良くなりました。

(エホバの証人の幹部たちは、統一教会と同様、信者を献金してくれる資金源や金づるくらいにしか考えていません。宗教を使ってビジネスをしている連中です。)

 

エホバの信者は、「聖書を勉強しましょう」と近づき、精神病院に面会に来たそうです。

そして、何を言い始めたかというと

「向精神薬では病気は治らないので、薬を飲んではいけません」

と入院中の患者に伝えたそうです。

今まで、向精神薬漬けになっていた人に、急に「薬を飲むのをやめろ」と言ったそうです。

今まで覚醒剤やシンナーをやっていた人が、中断したらどうなるでしょうか?

禁断症状が出て、本当に気が狂ってしまいます。

若者からスマホを取り上げたら、発狂するか無気力になってしまうのと同じ理屈です。

だから断薬は難しいのです。

そういった知識もないまま、話を進めると大変なことになりますよね。

 

精神科病院では、薬物療法といって、看護師が薬を飲ませるのがメインの業務です。

エホバの証人のせいで、患者が拒薬し始めたら困ります。

ですから、急に反抗的になった患者を見て、現場の看護師はエホバの証人とのやりとりに困り果ててしまい、結果として面会制限がかかってしまうのです。

精神科で働く看護師は「向精神薬で治療できる」とか「向精神薬のおかげで、患者は精神症状が安定している」と信じきっています。

「鎮静と治療」を同じものだと考えているのです。

「人間性を多少奪っても、周囲に迷惑かけなければいいじゃん」

という予防拘禁の視点を持っています。

医療従事者も「医学信仰」というカルト教団の熱心な信者です。

しかも医学信仰は、政府から健康保険税や消費税を投入して維持している国公立の宗教団体ですから、お金が裕福で社会的地位も高いです。

国(悪魔崇拝)の後ろ盾のある「医学真理教」と、悪魔崇拝の「エホバの証人」、どっちもどっちですが、実質的に患者を養い、食べさせてくれているのは、精神科病院、つまり「医学真理教」なのです。

「精神病は原因不明で不治の病」と診断され、一生病院で生活することを決意した人に、目に見える生活保障を与えない、エホバの証人は太刀打ちできませんね。

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「無職で、三食昼寝付き、週1,000円のお小遣い付きの生活ができる環境」に適応しているため、患者は苦しんでいないのです。

霊的に苦しんでおり、いつも無気力で、生きた屍のような生活しているのです。

 

「自分の病気を治したい」と思うのが一般人の心情でしょう。

しかし、精神病院に入院している患者が困っていることは「自由がないこと」「暇で仕方ない」くらいのものです。

抱えている問題が違うのです。

「幻聴が悪口を言ってくる」とか「ヤクザがスパイを雇って自分を監視して殺そうとしている」という妄想を持っているというファンタジーの世界で生きている人はいません。

仮にいたとしても、それをどのように事実として確認することができるでしょうか?

不穏になったり自殺未遂しただけで、本当にそれが症状によるものかどうかは検証できません。

むしろ、不穏になったり自殺を図る人たちは、「虚無感」「絶望」の考え、「自分が無価値に感じる」ことで、生きることが辛くなり自殺を図ったり、自暴自棄になって暴れ回っているのです。

つまり、ただ安穏と単調な日々を生きることで、「生きている意味」「存在価値」が分からなくなって、気が狂ってしまうのです。

チョコレート好きな人に、「3食チョコレートしか食べてはいけない」と言われたら、さすがに飽きてきますね。

人間は、「楽で暇な状況で悠々自適に生活したい」と言いますが、実際に「何もすることがないこと」「社会に参加できないこと」「お金がなくしたいことを指せてもらえない状況」が永遠に続くとしたら、疎外感によって苦しくなっていきます。

家畜や動物園の檻の中にいる動物のように生きるのが辛くなるのです。

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日本の医療は、宗教を目の敵にします。

そして、神の存在、自分たちよりも遥かに賢い存在を目の敵にします。

「腕が切断された人を放置しておいて、神に祈っていてその人の命は助かるのか?」とでも言いたげです。

確かに止血して、創部を綺麗に保つ必要はあるでしょう。筋肉と関節を繋ぎ合わせることも必要かもしれません。

しかし、医療の現場は救急医療はほんの一部で、多くは、よくわからない病名がつけられ、実際の収益源は、老化現象を病気にして濃厚な検査や処置をしたり、一生薬を飲み続けなければならない慢性疾患扱いして繋ぎとめているだけです。

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神様は人間を不安と恐怖だらけで生きるように創ったのでしょうか?

違います。

人間が成長し、神と愛をなせるまで高い次元にまで登って来て欲しいと思って人間を創造されたのです。

宗教は悪だ!と決めつけて

「目に見えない世界」を排除したところで、人生の問題は解決できません。

精神の問題、心の問題は、人生の問題です。

私たちは人生について向き合っていく必要があります。

人間と動物の違いについて、人生について、明確に答えを示しているのはラプトブログしかありません。

私たちは「人間とは何か?」という明確な答えがなければ、人生が前進できません。

どうか人生に行き詰まりを感じている人が、ラプトブログに出会い、喜びと感謝で満ち溢れた人生を生きられることを願います。

『RAPT有料記事286(2018年6月18日)サタンから完全に身を守るためにも、主を100%愛して、主から100%の完全な導きを受けられる者となりなさい。https://rapt-neo.com/?p=47983』

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