高齢者や障害者などを一般的に「社会的弱者」などと言ったりします。
生産性が低く、煮ても焼いても食えぬものとして支配者(イルミナティ)は、それら社会的弱者を
「生かさず殺さず飼殺す」ように政策を実行しています。
それを医療や福祉といった公的資金を導入して、国民から吸い上げた税金を投入して対応しています。
実際に健常な高齢者に対しても、少ない老後の年金を給付しひもじい思いをさせています。
障害者に対しては、生活保護や障害者年金など「ギリギリの生活しかできない金額、サービスしか供給しない」という現実があります。
政府から見れば、高齢者や障碍者は「使えない奴隷」です。
ですから、こういった「使えない奴隷」を政府は抹殺したいのですが、そんなことをしてしまうと
他の奴隷たちが、「次は自分が抹殺されるかもしれない」と思い、政府に対して不信感を持つようになります。
ですから、セーフティーネットという形で最低の福祉制度を用意し生活がおくれるようなシステムを作っています。
簡単に言えば「奴隷が逃げ出さない仕組み」を作っているのです。
その奴隷が逃げ出さないように管理するのが専門職と呼ばれる医療従事者や福祉従事者です。
刑務官のような立場の職業だと思います。
「誰だって病気になるから医者や看護師は必要だろ?」
「誰だっていつ寝たきりになるかわからないから介護する人は必要だろ?」
その通りです。
しかし、本当に今の時代のように毎年何万人とそういった専門職と呼ばれる医療従事者や福祉従事者を養成する必要はあるでしょうか?
答えはノー。
医療産業になり福祉産業になっているためその一環として養成ビジネスがあるだけなのです。
「使えない奴隷を世話するビジネス」が横行しているのです。
長期療養型の病棟など行ってみると、ほとんどの高齢者が胃瘻や経鼻栄養をされています。
人工呼吸器をつけられ、肺炎兆候があれば抗生剤点滴がされている光景が目に浮かぶと思います
「欧米にはなぜ寝たきり老人がいないのか?」を読んでもらうと分かると思いますが、死ぬまで地獄を味合わせるための
終末期医療が日本には準備されています。
しかも、それで医療や福祉が経営できる仕組みまであります。
寝たきり状態で、節々は拘縮して週に2回程度機械浴してもらい、人工的な機械や道具で生命活動を助けてもらっている状態です。
一言でいえば室内観葉植物のように、「誰かから世話を受けないと枯れてしまう植物」のように生きています。
自然な形で死ねなかった高齢者たちが、「生命の尊厳」という形で「観葉植物のように世話させられている」のです。
人間の尊厳とは何でしょうか?
第1に「脳をフル活用、フル稼働すること」ではないでしょうか?
第2に私たち「人間が創造された目的を果たすこと」ではないでしょうか?
「生きているだけで価値がある」というのは嘘です。
ただ生きているだけなら、悪人たちに搾取されるだけの不幸な人生が待っています。
頑張っても頑張っても報われないシステム、上級国民しか勝てないシステムが存在することを知らずに私たちは生きています。
詳しくは以下の動画をご覧ください。
人間は「神のために生きること」でその本来の能力を発揮できるような目的で作られています。
ジュースを飲むときに、お皿にジュースを注いで飲むひとはいるでしょうか?
大半の人は、コップに注いで飲むと思います。
人間も同じように「目的を持って造られている存在」です。
人間が作られた目的も分からず、人間以外の動物や植物と同じように「ただ生きているだけ」の人は
「お皿にジュースを注いで飲んでいる人」と同じです。
ある意味において、人生の目的も分からず高齢者になったり障害者になった人にジュースを注ぎ続け
「あんたたちはお皿だけど一応ジュースを注ぐことはできる。手ですくって飲むよりはマシでしょ?」
と誤魔化す役割をしているのが医療福祉専門職の現状なのです。
目的も分からずに生きていても「幸せにはなれない」と思いませんか?
一時的な快楽や欲望を満たすだけでは、本来人間は物足りないのです。
ジュースを美味しく飲んでもらうための器として、コップとしての役割を果たしてこそ
「人間として生まれてきてよかった。たった一度の人生、完全燃焼できた!」と思えるのです。
その方法や道筋を知らない人は一度「聖書」を読んでみてください。
そしてその聖書の紐解き、解説がなされている御言葉から学んでみてください。
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