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旧精神科医療は思想警察なのか?

第31回 自傷行為とは薬物依存症と同じで慢性化するとアドレナリン分泌が鈍くなり本当にうつ病になってしまう

2020年09月13日 | 精神科医療とRAPT理論

今回は、リストカットやオーバードーズなどに代表される自分の体を傷つける行為「自傷行為」についてお話していきたいと思います。

私が以前勤務していた児童思春期病棟では「自傷行為は生きるために行うため、無理に止めてはいけない」と言われてきました。

 しかしながら「自傷行為をしないと、自分を保つことができないのは間違っているため、他の方法で自分の心を保てるようにしないといけない」と言われます。

 よく自傷行為に対しては「行為に対しては厳しく叱る。本人を責めない」

という対応をします。

 なぜそのような対応をとるか?という理由についてお話します。

 精神を病んでいる人は、自分の行動や価値感の一部を否定されただけなのに、「自分の全人格、存在を否定された」という被害的な考え方をする傾向にあるのです。

 それが、外側に向けば攻撃的になったりすぐに興奮するようになり、内側に向けば鬱々となり無気力となるため、自傷行為をしたり、自閉的になり引きこもりという形で自己表現するのです。

 

 実はどちらも「自分の言動や価値観が全て正しい」と腹の中で思っている証拠で「1つ指摘されると、自分の全人格を否定されたように感じ、怒ったり、落ち込む」というだけなのです。

 とんでもなく利己的で傲慢に育ってしまった人だと思いませんか?

 

 発達段階で学童期は「万能感で満たされている時期」だと言われています。

 つまり、精神を病む人=心が育っていない人とは、この学童期で止まってしまっている「心が子供の人」だということです。

 

 よく、精神科看護では「精神を病む人は自己肯定感が低い」とか「自己決定力が弱い」と言われ、「何か活動を通して、達成感を感じ自己肯定感を感じてもらう」とか「少しずつ主体的に生きられるように、小さなことでも自分で選択してもらうようにする」などと看護計画を立てます。

 しかし、実際効果的なのか?というとそんなことはない。

 自己肯定感が低いのではなく、むしろその逆で認めてもらいたい気持ちが強かったのに、認めてもらえないため

 他人に無関心を装って、自己肯定感を隠しているだけ

なのです。

 また、「主体的でない」理由は責任感がなく、快不快の世界で生きており、「怠け者」「幼稚な性格だ」という裏返しなのです。

 他人から褒められれば嬉しいものです。

 他人から褒められる、認められる行いや仕事をしなければ、どうやって社会の一員として生活することができるのでしょうか?

 

 「子供への叱り方と、大人への指導の仕方の違い」をご存知でしょうか?

 子供を叱る時とは、叱るばかりでなく、良かった面も付け加えなければなりません。

 「飴と鞭」を使うのです。

 その理由は簡単で、子供は万能感、自己肯定感の塊であるため「自分が正しい」と思い込んでいるためある程度相手を認めてやらないとこちらの「指導や指摘を受け入れないため」です。

 

 実際には正しくなくて単なる自分勝手に生きているだけで社会では通用しません。

 そういったプライドの塊の人を指導する場合、まずは認めてあげることから始まるのです。

 しかしながら、子供を認めすぎると逆効果になり「あの人は分かってくれたのに、指摘してくる時があるから嫌いだ」

となります。

 これは看護学校で指導しているときに頻繁に感じました。

 学生を褒めたり、話を聞きすぎると「馴れ馴れしくなってきて、指導を聞かなくなる」のです。

 「駄目なものはだめ」と「子供は叱り続ける」しか指導方法はありません。

 

 そうやって「叱られること」に対しての免疫をつけさせるところから始めることで、自分以外の価値観を受け入れることができるようになってきて、考え方がかわっていき、行動が変わっていくのです。

 

 遊びの中でルールを覚える、スポーツの中でルールを覚えるのが良いのは、遊びやスポーツが本来楽しいことであり、楽しいことを続けるためにルールを守る必要があると繋がるからです。

 「我慢に意味がある」「我慢することにメリットがある」もっと言うと「考え方を変えることにメリットがある」「どんどん考え方を変えていけることが成長なんだ」と教えていくのです。

 現代人がストレスに弱いのは腹の底で「自分は正しい」という自尊心、プライドを持っているからです。

 傲慢なのです。

 しかし、その傲慢さを隠しているのです。傲慢だと思われると社会から孤立してしまう、「あいつ嫌な奴だね」と周囲から言われ、嫌われてしまうため「腹の中の悪い感情」を隠す、粉飾しているのです。

 

 自傷行為に話を戻しますが、手首を切ったり、首を締めたりすることで、単純に脳内ホルモンが放出されます。

 それがアドレナリン・ノルアドレナリンと呼ばれるもので、アドレナクロムなどと呼ばれる「悪魔崇拝者」が生き血をすすると得られる快楽物質を指します。

 リストカットなどをして出血すると、脳は止血するためにすぐさま血管収縮作用のあるホルモンを放出するのです。

 その副産物として放出される「アドレナリン」によって快感を感じる事ができるのです。

 つまり外部から覚醒剤や麻薬のような物質を体に入れる方法ではなく、自分の体を傷つけ出血させることで、止血作用のため放出されるアドレナリンによって「らりっている」状態を作り出しているのです。

 そして、自分が切った腕を見る事で「出血性ショックによる死」の恐怖を味わい、アドレナリン分泌に相乗効果を加えているのです。

 また副産物としてリストカット痕に気付いて「リスカするくらい辛かったんだね」と同情してくる偽善者からの一言で自尊心を満たしているのでしょう。

 ①止血作用のあるアドレナリンによる快感

 ②視覚的な刺激によるアドレナリン分泌

 ③周囲からの注目による興奮

 この3つのによってリストカットという儀式は、「酒を飲んで憂さ晴らしする行為」や「オーバードーズして意識を飛ばす行為」と同じように気晴らしで行う行為として習慣化されていくのです。

 

 実はホラー映画などを見るとアドレナリンとノルアドレナリンが放出されます。

 それは恐怖体験などを映像を通じて疑似体験することで止血作用と同じホルモンが放出されるからです。

 恐怖、不安によって快感物質が放出されるのです。

 それは不安から解放される安堵感から由来するものなのかもしれません。

 「不安や恐怖からも快楽を感じることができる」同じ快楽なのだから良いではないか?という理屈なのかもしれませんが、このような方法でアドレナリンを出して快感を得ることがまともなやり方なのでしょうか?

 

 かつて、サタニストとして有名なミュージシャンのオジーオズボーンは相方のベーシスト、キーザ・バトラーがホラー映画を観るために長蛇の列ができていた事に着想を受けて、雑誌のインタビューで「人間は恐怖を求めている」と発言しており、悪魔崇拝音楽を始めています。

 恐怖、緊張感の後の解放による安堵、快楽を行っていたわけです。

 実際、オジーはパラノイド(精神異常者)という作品で全英ビルボード1位を獲得したり、ヴァンヘイレンはアルバム「5150」で全米1位を3週連続獲得しています。

 5150と言えば、何の数字だと思いますか?

 ブリトニー・スピアーズは、子供と共に立て籠もり騒動を起こし、病院で精神判定を受けます。

その時に受けた鑑定結果がコード番号「5150Hold」と言われる、精神障害によって人を傷つける危険にある患者に与えられるものだった

と言われています。

ブリトニースピアーズ自身、ドラッグとアルコールの重度の依存症で鬱状態になっていたそうです。

 5150という数字はロス市警が使用する暗号で「犯罪行為寸前の、精神に異常をきたした要注意人物」という意味を持ちます。

 ヴァンヘイレン自体、悪魔にかかわる曲を沢山製作しており、彼自身サタニストなのかもしれません。

 彼はライトハンド奏法というタッピングの技術をもたらしたと言われて華々しくデビューしましたが、ギターのライトハンド奏法はエディーが登場する以前からあった技術です。

 オジーオズボーンはイギリス、ヴァンヘイレンはアメリカですが、彼らはキリスト教文化圏であるため、パラノイドや5150といった精神異常者、精神障害者のことを悪魔が乗り移った狂人と捉えている事がわかります。

 実際に、イタリアやアメリカは精神病院を廃止したり減らすことに成功したのは、キリスト教文化がある国だからとも言えそうです。

 逆に言えば、日本のような仏教や神道を拝む国は、神や悪魔の存在がわからないため、結果として精神異常や精神障害者のことが理解できません。

精神病を「単なる脳の障害としか捉えることができず、神や悪魔のような存在が脳機能に影響を与えること」を理解できないのです。

 日本の場合、民間の精神病院が多いから、ベッド数を減らすに減らせないという理由だけではなく、国民全体が神や悪魔の存在を知らないため、本当に精神障害者が得体のしれない存在に思えてしまい「潜在的に強い不安、恐怖を感じさせる存在であるから、治ろうが治らまいが、そんな危険な人たちは施設に閉じ込めておいてほしい」と考えているのかもしれません。

 旧約聖書の列王記上18章には予言者エリアがバールの予言者たちと戦う場面があります。

 バールの預言者たちは、呼び求めても現れないバール(悪魔)に対して、自ら体を傷つける行為をしてなお呼び求めるというシーンがあります。

 今から数千年前に既に自傷行為を行っている人たちがいたのです。

 しかもそれらの行為は彼らが信じる悪魔の力を借りるために行っていたのですから、気持ち悪くて仕方ありません。

 自傷行為をすることで、快楽が得られるとバールの預言者たちは知っていたのでしょう。

 そして、自傷行為をによって得られる快楽や恍惚感が、彼らが信じるバール神と繋がった証拠だと信じ込んでいた可能性もあります。

 欲求を満たすことばかり追及して、「健全に欲求を満たす」という観点が抜け落ちているとしかいいようがありません。

 確かにリストカットのような自傷行為をすることで、アドレナリンが出て快感を感じることができますし、自傷行為をする姿をみて、憐れんでくれる、助けの手を差し伸べてくれる人がいることは間違いありません。

 いい大人が自傷行為をして「私はこれだけ不幸なんだよ」とアピールしている姿は、まるでオモチャコーナーで買ってもらうために駄々をこねている子供のようなものだと思います。

 「おもちゃを買ってもらうには、親に買ってもらえるように普段から努力しなければならない」はずなのに、泣きわめいて迷惑をかければ、その状態を終息させるためにオモチャが買ってもらえるだろうという、一時的な感情に流されることを期待して、オモチャコーナーのフロアで寝っ転がって駄々をこねる子供の心理によく似ていると思います。

 自傷行為、リストカットやオーバードーズなどをしても根本的な問題は解決できないのです。

 それは「愛がないから」です。

 心の病は「何をやっても心が満たされない」ところから始まります。

 「心を満たすとは?」「人間以外の動物は食欲、性欲、睡眠欲さえ満たされれば済むが、人間だけは他の動物と違って、基本的欲求だけで心を満たすことができないのはなぜか?」ということについて、精神医学や心理学では答えを持っていません。

 その答えは「聖書」にしかなく、RAPTブログ有料記事で詳細に「心を満たす方法」が詳細に説明されていますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

 

 今回はリストカットのような自傷行為についてお話させてもらいました。

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