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旧精神科医療は思想警察なのか?

「精神医療必要論」 【精神障害者とは何者なのだろう】

2015年11月01日 | 精神科訪問看護

以前少しまじめにまとめたものを掲載します。

 現在の精神科医療の教科書やDSM、ICDといわれる、国際疾病分類では、その分類がなされているが、日本で有力な精神病の定義とは一体なんであろうか?

 人間が精神病になる原因は現在のところ、①MAO仮説 ②ストレス脆弱性仮説の2説ある。

 まずは、あくまで「仮説」である事をご理解頂きたい。なぜかといえば、この2つは原因でなくあくまで推測であり、この2つにアプローチしたところで「治癒」しないからである。

①     MAO仮説

モノアミン仮説と呼び、ドパミン、セロトニンという脳内のホルモンバランスの崩れが原因で病気を発症するという考え方である。しかし、現在ではMAO仮説は完全に否定されており、グレーでもないレベルの仮説を日本の精神科医療、厚労省は採用している。処方している薬の裏づけを製薬会社がエビデンスと称して使用しているのみ、仮説で医学をやっているのである。

 ②ストレス脆弱性仮説

  家族や所属する集団に適応できず、逃げ場がなくなり、脳のエネルギー枯渇を起こしてしまい、エネルギー過剰状態を躁状態、エネルギー枯渇状態を鬱状態、コントロール不能状態を精神分裂状態とし、適応できないレベルは個々の生育暦や資質によるストレス耐性、我慢強さで決定するという仮説である。

 こういった仮説を元に、警察や保健所、家族が精神病院につれてきた人を患者と呼び、自由に出入りができない、刑務所に近い環境に療養という形で入院し、抗精神薬と呼ばれる「鎮静剤、安定剤、睡眠剤」を与薬し、休息してもらうのが精神科医療なのである。

 そこで行われるプログラムは、「精神療法」「薬物療法」「認知行動療法」「心理検査」「社会技能訓練」が行われる。

 実際どんな人が入院しているのだろうか、その患者例を以下に列挙してみる。あなたの周りにもこんな人いないだろうか?

①     学校も登校拒否となり自宅に引きこもりになり、何か親が言うと家の中でバットを振り回す人

②     会社や学校で能力以上の仕事を任され、達成する力が無いことを認められず、プライドが邪魔しその仕事を断ることもできず、行き場をなくし、燃え尽きて多大な自信喪失、価値観の崩壊を起こし何もやりたくなくなり、廃人になってしまった人

③     好奇心や一時の寂しさを埋めるためや快楽を追求するために、アルコール、シンナーや覚せい剤乱用による薬物、物質依存によって、脳機能が壊れてしまった人

④     大企業や政府、国家権力に楯突く人(反体制的思考を持つ政治犯、社会活動家、戦争、原発稼動反対運動家)

⑤     働かなくても食べていける人。(生活保護)

が挙げられる。

「犯罪まではしないが、治安を乱す世の中の厄介もの」だとお分かりだろうか?

 そして彼らに共通するのは、社会性が欠如しており、自分の正しいと思うことしか言わない、それにしたがってでしか行動できない、自己主張しかしていないことが特徴であるといえる。

 「わがままに育ってしまった大きな子ども」である。

 社会の一員として働くには、必要な能力が決まっている。それは我慢して受け入れていくものである。社会が悪い、世の中が悪いという人のせいにするが、自分は何一つ行動に移さない、開き直った卑怯者、根性が曲がっている、福祉が、医療が公費制度をいう甘い汁を吸うために、甘やかす、これで精神障害者一丁あがりである。

 それでは、幻聴や妄想はどう説明するのか?

 「幻聴」という言葉を使って、もっともらしく言っているが、これは単なる「空耳」であり、「思いすごし」である。

 そして、妄想は単なる「現実逃避」である。

妄想もプラスとマイナスがある。

科学者やクリエイターのように「空想」をして、空想したものを形にかえていく、また綺麗な小物を見て「このアクセサリーをプレゼントしたら彼女喜ぶだろうな」と言うように考えが浮かぶ…、これも立派なプラスの「妄想」である。

反して、マイナス妄想とは何だろう?

「きっと、あの人は俺のことが嫌いに違いない」

「さっき、目があった。俺のことを罠にはめようとしている」

「土地の権利書や財産を奪われてしまうかもしれない」

そして、「きっとそうに違いない」と勝手判断して行き、恐怖が山積し突拍子も無い行動に出る、反対に自宅から一歩も出れなくなるのである。

 私の臨床経験から鑑みて、所謂、分裂や躁鬱と診断される人の殆どが「過去に何らかのイジメを受けてきており、克服できていない」タイプの人が多い。

 それは、職場や学校で日常茶飯事に行われるいじめ、パワハラ、モラハラ等である。

 「価値観を押し付けられて、言い返せないお人よしさん」「争うことができない弱虫さん」「生活全てをお母さんにやってきてもらったアマちゃん」である。 

自分の主張は100%全面的に正しいと勝手に思っている人である。

国民からの視点と、大企業からの視点は違う。親の視点とこどもの視点は違う。サラリーマンの視点と経営者の視点は違う。金持ちや富豪と庶民の視点は違う。

視点、価値観の違いは、相互においてコミュニケーションを図り理解を深めていくしか解決の方法はない。地道に対話する機会を設けて歩み寄ることしか解決方法はない。争うこと、対立し攻撃することで解決したものは歴史上存在しない。

社会常識から逸した考え方を「妄想」とし考え方が病気であると捉え、その妄想的な信念や考え方により、社会と上手くやっていけない、生き辛さを「社会性の障害」があると考える。

「発言が周囲と違う」=「病気」これが精神障害者の実態である。

そういう視点から考えると、「犯罪まではしないが、治安を乱す世の中の厄介もの」=精神障害者は、「著しくコミュニケーション能力が欠如しているもの」といえる。

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