知覧特攻平和記念館

2013-04-18 | Weblog

今日は鹿児島県最南端の南九州市まで来ました。

清き名をとわにのこして 国のため 身をささけけむ 若きもののふ

いさきよく風に散りにし 花のこと 御国のためと たた進むらむ  (北白川房子さま)

知覧特攻平和記念館

昭和20年 20歳前後の若い隊員が 家族やお国のため 飛行機の右下には 重さ250kgの爆弾を、 左下には片道の燃料だけを積み もろとも敵艦に体当たりし自ら命を落としたのです。  それこそ 『有人ミサイル体当たり戦法』 ですよね。 439名、知覧から沖縄までの2時間半 どんな気持ちで飛んでいったのでしょうか?

 隊員たちの遺影、遺品、記録などの展示品を見ますと どの人も(17歳くらいでも)素晴らしい文章を丁寧な字で両親宛に遺書・手紙を書き残してました。

必死必中、必死轟沈、必中心沈、必中必殺、・・・こう言う熟語があらゆる物に書いてありました。

『必死』 って必ず死ぬことです。 私は必死に何かしたことがあるでしょうか・・・・・・・

地に生まれ 天に死す 昭和20年5月20日午後沖縄島出撃に際して 速水少尉・・・・この遺書を読んだら涙があふれました。 

速水少尉を検索してみましたがありませんでした。でも多くの方の遺書がありました。http://samurai.kt.fc2.com/tiran.htm 

 外には三角兵舎と平和の鐘がありました。

 戦争のむなしさ、平和の大切さ、ありがたさ、命の尊さを身に沁みて感じました。

戦争なき恒久平和な地球になって欲しいと思います。