峠への思慕

2010-04-02 | Weblog
峠への思慕  
         作 真壁仁


峠は決定をしいるところだ
峠には訣別のためのあかるい憂愁が流れている
大きな喪失に耐えてのみ
あたらしい世界が展ける
道は答えない
道は
かぎりなく誘うばかりだ
たとえ行手が決まっていても
ひとはそこで
ひとつの世界に別れねばならぬ
峠に立つとき
過ぎ来し道はなつかしく
ひらけくる道はたのしい
峠のうえのそらは
あこがれのように
あまい
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする
水はそこで分かれ
水に沿うて道はくだる
未知の世界を踏みさぐる道




真壁仁(まかべ じん、1907年3月15日 - 1984年1月11日)山形生まれの詩人であり この「峠の思慕」は彼の代表作でもある。
真壁仁は、山形県内の小学校から高校まで 数校の校歌も作詞している。

この真壁仁作の校歌を歌いついでいるある学校の卒業式に校長は「峠の思慕」を引用された。

 「卒業にあたって、山形の詩人 真壁仁の「峠の思慕」という詩を贈ります。 
真壁仁は本校の校歌を作詞をしてくださった方でもあります。
峠とは漢字の示すとおり、 山道を登りつめて上りから下りになる境目のところです。この詩には、まさに羽ばたこうとする君たちの心と重なるものがあるように思います。

峠に立つとき過ぎ来し道はなつかしく ひらけくる道はたのしい・・・
水はそこで分かれ 水に沿うて道はくだる 未知の世界を踏みさぐる道

 詩にうたわれている<峠>は君たちが一つ一つ乗り越えてきた<峠>の象徴です。
人の一生には、これまで君たちが越えてきたとは比べものにならない辛く苦しい幾つもの<峠>があります。努力し、励んでようやくその<峠>を乗り越えると、もっと高い大きな<峠>が現れてきます。目の前の<峠>を乗り越えなければ、次なる更に高い<峠>は見えてきません。けれども目前の<峠>が見えていれば、それを乗りこえられる時が必ずきます。
大きな夢と志を掲げ、新しい生活に大きな一歩を踏み出してください。」と祝辞を述べられました。


また、先月(H22年3月31日)国立大学を定年退官された教授の最終講義の締めくくりにも これと似たような本からの引用が話されました。
それは島田洋一著の「がばいばあちゃんの幸せの教え」からでした。
「山あり、谷あり」の本当の意味は
○山の頂上は目指すところ。気分がいい、視界はいいし、いろんなことが分かる。
○でも、頂上は住むところじゃない。ご近所さんもいないし、電気も水もないやろ。
○旗を立てて、記念写真を撮ったら下りてこい。
○住むには水のきれいな谷すじがいい。魚も鳥もいて、なによりみんな集まってくるところや。
○清水で顔を洗い英気を養ったら、また頂上を目指せ!
○登り下りのプロセスこそが人生や!

どちらも 「前途洋々たる未来 夢に向かって頑張りなさい」と言うことを話されているのですね。