三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

津の城一覧

2019-08-23 21:43:42 | 日本の城

 

三行城 津市 河芸町三行 長野氏の一族工藤が伊藤と改姓し助重が築城
伊勢上野城 津市 河芸町上野 元亀元年に信包がはいる。
黒田城 津市 河芸町北黒田 長野家家臣。信長により落城。
秋葉城 津市 河芸町南黒田 天正12年に秀吉により落城。
楠原童子谷城 津市 芸濃町楠原 応仁期に築城。信長に属した。
楠原向市場城 津市 芸濃町楠原 楠原城の支城。
林館 津市 芸濃町林字殿町 長野氏の一族。天文5年に関氏に敗れた。
林城山城 津市 芸濃町林字城山 天正11年に秀吉と合戦。
忍田城 津市 芸濃町忍田 忍田氏の居城。
雲林院城 津市 芸濃町雲林院 長野氏の一族。雲林院氏の居城。
椋本城 津市芸濃町椋本  
野呂氏館 津市 芸濃町椋本(椋岡神社跡) 雲林院家家臣。信包に謀殺された。
前山城 津市 芸濃町安西 雲林院家家臣。
萩野城 津市 芸濃町萩野 北畠家家臣。
岡本城 津市 芸濃町岡本 若菜五郎らと元久元年に乱を起こし落城
安濃城 津市 安濃町安濃 長野氏の一族。細野城よりうつる。
太田城 津市 安濃町太田 北畠家家臣。永正年間に築城。
山出城 津市 安濃町山出 草生家家臣。草生城の支城。
草生城 津市 安濃町草生 長野氏の一族。永禄年間に信長により落城。
前田城 津市 安濃町前田 草生氏の臣 字城屋敷にある
二子城 津市 安濃町二子 城山、丘頂にあった。
藤ヶ森城 津市 安濃町岡南 連部城の支城。対岸にある。
浄土寺城 津市 安濃町浄土寺 秀吉の木造城攻撃に際し築城
連部城 津市 安濃町連部 秀吉の木造城攻撃に際し築城
今徳城 津市 安濃町今徳 北畠家家臣。永禄年間に落城。
長野氏城 津市 美里町北長野 文永11年(1274)に築城。長野氏の本城。
長野城 津市 美里町桂畑 3つの曲輪群
細野城 津市 美里村細野 長野氏にはん反し北畠氏に属して津に移る
井面城 津市 美里村井面字大石 文明16年に築城。家所氏の分家。
家所城 津市 美里村家所 貞治元年(1362)に築城。家所氏の居城。
今峯城 津市 美里村足坂 土岐氏光の子 北畠氏に属す
外山城 津市 美里村五百野 土岐弾正の子 天正年間織田軍により滅ぶ
高野尾城 津市高野尾町三月田 元久元年の三日平氏の乱の城。
高野尾里城 津市高野尾町 土豪赤塚氏の居城 削平地残る
川北城 津市大里川北町 長野氏の一族、川北氏の居城。
大古曽城 津市一身田町大古曽 丘陵にある。
峯治城 津市一身田町上津部田 永禄11年に信長により落城。
上津部田城 津市一身田町上津部田 城屋敷と言うところが3個所ある
栗真中山城 津市栗真中山字南垣内 上野の移るまでの分部氏の居城。
乙部城 津市中河原字城内 長野家家臣。
安濃津城 津市丸之内 のちに元亀2年に織田信包が再築城。
渋見城 津市渋見町 乙部から移動。
分部城 津市分部字東垣内 長野家家臣。分部氏代々の居城。
殿村城 津市殿村字井尻 応永年間に築城。
浜垣内城 津市野田字浜垣内 地頭の城。伊藤氏と戦う。
片田城 津市片田久保町平尾 北畠氏の臣 別名秋山出城という
神戸城 津市神戸字小世口 中尾内蔵允の子 半田城の支城
半田城 津市半田字上寺 長野家分家で家臣。
池ノ谷砦 津市垂水字池ノ谷 前方後円墳を利用した砦。
垂水城 津市垂水町井戸谷門田 垂水城は、半田丘陵の東端部に位置し、現在は、宅地、道路、ショッピングセンターなどになり、遺構は消滅しています。平成五年から六年に掛けて発掘調査が行われ、城の概要が確認されていますが、城主や歴史については不明です。
藤方城 津市藤方 「勢陽五鈴遺響」に記載あるが不明
小森上野城 津市小森上野字城山2丁目 北畠氏の臣 工藤氏と合戦 後に除封
小森城 津市高茶屋4丁目 昭和18年頃土塁取り壊した
久居陣屋跡 津市 西鷹跡町 寛文9年 藤堂高虎の孫 分封5万石
宮山城/城山城 津市 戸木町敏太 戸木城の支城。天正12年に落城。
戸木城 津市 戸木町桃里 天正12年に秀吉により落城。
大塚氏館 津市 戸木町大塚 「伊勢名勝志」に記載あるも不明
田中氏館 津市 戸木町桃里 「伊勢名勝志」に記載あるも不明
川方城 津市 川方町里ノ内 木造氏の分家。天正12年に落城。
牧城 津市 牧町西馬場山 木造城の支城。天正12年に落城。
須賀瀬城 津市 須賀瀬町大通 北畠家家臣。赤堀氏を討った。
木造城 津市 木造町城 木造氏の本城。
七栗一色館 津市久居一色町馬屋敷 北畠氏の臣 大河内合戦で活躍
森城 津市 森町森垣内 大河内・戸木籠城戦に出陣。
庄田城 津市 庄田町上出 三日平氏の乱で落城。
榊原城 津市 榊原町赤部谷 仁木義長の裔 一族に榊原康政が知られる
矢野城 津市 香良洲町地家 北畠家家臣。矢野氏の居城。
波瀬館 津市 一志町波瀬 北畠氏の分家。天正5年に落城。
波瀬城 津市 一志町波瀬 北畠氏の分家。天正5年に落城。
出丸城 津市 一志町波瀬 波瀬氏の分家。信長により落城。
岩ノ谷城 津市 一志町波瀬  
上出城 津市 一志町波瀬 斎藤実盛の子孫。平氏の居城。
大仰城 津市 一志町大仰 北畠家家臣。
八太城 津市 一志町八太 北畠家家臣。滅亡後は秀吉家臣。
小山城 津市 一志町小山 永禄12年に信長により落城。
小原城 津市 一志町小原 北畠氏の分家。
真見城 津市 白山町真見 山頂にあった。
家城城 津市 白山町南家城 北畠家家臣。家城氏の居城。
川口城 津市 白山町川口 丘陵にあった。
山田野城 津市 白山町山田野 北畠家家臣。北畠具教を暗殺した。
八対野城 津市 白山町八対野 市川氏の居城。
稲垣城 津市 白山町稲垣 北畠家家臣。
上ノ村城 津市 白山町上ノ村 北畠家家臣。
口佐田城 津市 白山町佐田 天正12年に蒲生氏郷と合戦。
奥佐田城 津市 白山町佐田 北畠家家臣。
倭城山城 津市 白山町中ノ村 永禄年間に築城。
南出城 津市 白山町南出 天正12年に蒲生氏郷により落城。
三ケ野城 津市 白山町三ケ野 小倭七党に満賀野氏が数えられるので関係者かも
川上城 津市 美杉村川上 北畠家家臣。日置大膳の弟。
御嶽城 津市 美杉村三多気 天正4年に織田信雄と合戦。
中森氏城 津市 美杉村太郎生 北畠家家臣。
今井氏館 津市 美杉村太郎生 「伊勢名勝志」に記載あるも不明
安藤氏館 津市 美杉村太郎生 「伊勢名勝志」に記載あるも不明
八鉢城 津市 美杉村八知 伊勢・伊賀の境界の城。
霧山城 津市 美杉村下多気 北畠氏の本城。天正4年に落城。
北畠氏館 津市 美杉村下多気 北畠氏の居館。現在の北畠神社。
六田館 津市 美杉村下多気 北畠氏の分家。天正4年に落城。
伊勢地城 津市 美杉町石名原  
椿原城 津市美杉町下之川  
三谷城 津市美杉町下之川  
経ケ峰城    
城坂城 津市安濃町戸島 詳細不明。東西200m×南北80mの巨大城館か。
北畠満雅陣地    
長谷砦 津市一志町井関・井生  
林北浦城    

片野館      津市一志町片野 北畠具教の母の館。北畠氏代々の別荘地。

椎木城      津市美里町北長野 伊賀街道を抑える砦か。

剣ヶ峰城     津市美杉町川上/奥津上多気 難関の山深い要害、御所を護る大和口の見付け城。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


連部城

2019-08-18 14:03:26 | 古城巡り

 

 

 

 

 

城名
  連部城
読み
 つらべじょう
住所
 津市安濃町連部
築城年
 天正12(1584)
築城者
 家所帯刀正藤高
形式
 平山城
遺構
 郭、空堀、土塁
規模
 東西50m×南北80m
城主 不明  家所帯刀か
標高 20m 比高4m
経緯
 天正12年(1584)小牧長久手の戦い。羽柴秀吉は伊勢攻めに関して戸木城を攻めるために家所帯刀正藤高に命じて築かせた城。
書籍
 三重の中世城館 勢陽五鈴遺響
環境
 穴倉川と北大谷川の合流地点を守るようない位置にある。
 連部城や今徳城は段丘でもない川の際にあることがヒントとして考えられる。水運を利用していたのであろうか。
現地
 植林された林に守られて土塁が良く残っている。
考察
 藤ケ森城、浄土寺城、連部城、今徳城が近接してある姿は伊賀の国人領主の世界を見るようである。
感想
 川の際に位置するだけに堀には水が張られていたのかもしれない。
その他
 今徳城と連部城は二つで一つという説がある。
 平成29年4月5日訪城
地図

 

 

 

 

 

 


中森氏城

2019-08-07 10:38:00 | 古城巡り

 

☝ 主郭櫓台

☝ 同、愛宕神社境内

☝ 主郭

主郭南東隅の土塁と堀切道

☝ 主郭西の土塁と空堀

北曲輪の虎口

☝ 同、外から見る虎口付近 

 

城名
 中森氏城
住所
 津市美杉村太郎生
築城年 不明
形式
 山城
遺構
 郭、土塁、空堀、水場跡
規模
 東西50m×南北200m
城主
 中森数馬之助
一族
 北畠家臣。詳細は分からないことが多いが家臣帳には伊賀口の加番となっており多気に入る街道を抑えていたと考えられる。家系は弓に強かったらしく弓組に従事する者が多く見られる。(権之助、掃部佐、外記丞)
標高 480m 比高 65m
書籍
 日本城郭体系 三重の中世城館
環境
 多気から伊賀へ抜ける街道と木津川の上流名張川が北に流れるのでこれらを抑える拠点として築かれたと思われる。これらは城から眼下に一望できたはずである。
現地
 城は南の詰城の曲輪群と北の館の曲輪群に大別された縄張である。
 城の長辺側、南北の一辺、東側は急な斜面と展望を狙ってか防御の土塁が無い。西側は緩斜面となり、土塁が二重に築かれている。これらを踏まえて方形の屋敷跡が複数造られている。
考察
 山頂は防御の曲輪と館の曲輪が明確に分かれそれぞれが完成度が高く、多くの人が長年に渡って住まいしていたことが想像される。
 水場以外ほとんどの施設は郭の中に備えられ一兵卒も城外にはいなかった様子が垣間見れる。
感想
 城は街道及び名張川と平行に長く接する立地条件にあり、その東に向けて縄張りの長辺方向に土塁が無く街道と名張川の監視と村の様子をつぶさに見れるという解放感にあふれた城である。
地図

 

 

 

 


城阪城

2019-08-06 23:18:02 | 古城巡り

☝ 主郭跡

主郭西の土塁

主郭西の切岸と下方に曲輪

堀切道

Ⅱ郭の土塁

Ⅱ郭の虎口

Ⅱ郭の切岸

Ⅱ郭南の谷

古墳を利用した土塁の片りんかもしれない

丘陵の中心部、奥の竹林はⅡ郭

主郭に咲くハナカタバミ

北から遠望

GPS軌跡

城名
 城阪城
読み
 じょうさかじょう
住所
 津市安濃町戸島城阪
築城年 築城者 城主 
 不明
形式
 丘城
遺構
 郭、堀切、土塁、土壙(どこう:土葬された穴)、住居跡
規模
 東西200m×南北80m
標高 56m 比高 20m
経緯
 昭和57年の町道改良工事のため第一次発掘調査が行われ土塁や空堀、掘立柱建物跡などが確認された。
 その後、第二次発掘調査の城阪古墳調査時には、二か所の堀切(幅4~5m、高さ3m以上)と土塁が丘陵を横切る形で南北に遺存していることが確認された。
書籍
 津市史
 知られざる郷土史・津とその周辺(浅生悦生著)
環境
 東700mに安濃川、足元に安濃の美田を一望する、東西に延びる丘陵に築かれている。主郭は丘陵の東先端にある。南北には谷地が横たわる。
現地
 丘陵の西以外は急崖に囲まれている。
 グリーンロードの脇にある溝はかつての堀切の跡かもしれないと考えられている。
 発掘調査時の現地の人の話として。「ここは他に比べて水はけがいい」と言った場所は堀切が発掘された場所であった。
考察
 発掘調査によって相当規模の城館であることが推定されるようになってきた。今後の調査によっては西に向けて更に拡大する可能性があるとのことだ。
感想
 事前調査なしで現地を訪れると丘陵最東端の主郭跡を垣間見る程度となり得る。
 実際はこの丘陵全体が城郭であったと「津とその周辺」の著者、浅生氏は語られている。
 古墳を利用した縄張や、丘陵を3か所で切る堀切の先に60m四方の略方形館を持つなど、規模の大きい実力者の城館であることが考えられる。
その他メモ
 家所城から7km北。
 2017-11-01訪城
地図