かたのやかた
👆 東から入る
👆 北側 土塁
👆 北西隅 堀 👆 北西隅 土塁
👆 西外から見る館跡 👆 西 外堀
👆 南西 堀 👆 南 虎口
👆 南 土塁 👆 南 土塁と堀
👆 敷地 👆 かすかに区割りの溝
👆 神社の様子 👆 片野館跡 南東より遠景
城名 |
片野館 |
住所 |
津市一志町片野 |
形式 |
居館 |
遺構 |
土塁、空堀 |
規模 |
東西50m×南北100m |
標高 12m 比高 0m |
歴史 |
古代、この地に交野物部氏(かたのもののべうじ)が居住したことが、『旧事紀(くじき)』の天火明命(あめのほあかりのみこと)天降(あまくだり)の条に記されており、神明神社は交野物部氏の創建でその氏神であったと伝えられている。 |
経緯 |
伊勢 国司北畠教具(とものり)の母(細川高国の娘)の館があった。また北畠家代々の別荘地であった。 |
情報 |
一志町歴史語り部の会 |
環境 |
縄文時代から室町時代までの多量の遺物とともに、集落の一部が検出されている一志町最大の遺跡があり、大和と伊勢を結ぶ交通の要所にあたり、いち早く先進文化が取り入れられたところ。浄泉寺跡・班光寺跡・天花寺廃寺・一志廃寺・上野廃寺・嬉野廃寺など古代寺院が集中していたところである。 |
現地 |
雲出川右岸に位置し、雲出川の南を流れる支流・波瀬川との合流点付近からほぼ南へ約0.8kmにあたる標高12mの中位段丘上にある。初瀬街道から100mの地点にあり、現在は住宅地が接近し遺構の一部は改変されているようである。 |
考察 |
居館跡で空堀(水堀かも知れない)が三方向に2重に施されている例を見るのは珍しい。またそれが現在でもほぼ推察できる程度に見られるのは貴重である。 |
感想 |
1500坪(50m×100m)の敷地周囲を2重の空堀と土塁で囲った施設を想像するとやはり国司の別荘地として立派だったと思われる。 |
地図 |
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