三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

デジブック 『ノーマルダート4耐久』

2014-07-17 16:15:42 | ダートの会

デジブック 『ノーマルダート4耐久』

2014・7・13 三重県松阪市山室町「山室山ダート」において

ディクセルカップ ノーマルカーダート 4時間耐久レースシリーズ 第3戦が行われた。その様子をデジブックにまとめた。

出場9チーム中2位の成績で納得のいくレースとはならなかったが今期チャンピオン争いの最中でありまだまだ予断は許さないが次回こそ確実性を上げて内容も結果も納得のいくレースにしたい。

次回は9月28日(日)今回と同じく「山室山ダート」コースで行われる。

 

 

 


取手山砦

2014-07-08 14:24:47 | 古城巡り

取手山砦

とりでやまとりで

城主;橘宗忠(鳥羽宗忠、本性・原)

築城時期;永生年間(1504-1521)

住所;三重県鳥羽市鳥羽一丁目

標高;61m

遺構;曲輪、堀切、土塁、石垣

位置づけ;鳥羽駅の南に位置する。

経緯;鳥羽は保元(1156-1158)以来、国人・橘氏が代々住みついた所であった。

  時は永生年間・橘宗忠に至って北畠家に属し志州二郡を領し鳥羽殿と称された。

  橘宗忠は岩崎山に砦を築き鳥羽港を出入りする船から関銭を徴収していた。

  この砦を取手山と云った。(志陽略志)

  永禄12年(1568)、織田信長の南伊勢侵攻によって九鬼嘉隆が橘氏を攻略した。

  橘成忠(宗忠の父)は娘を九鬼嘉隆の正室に差し出したので宗忠と嘉隆は義兄弟となる。

  北畠材親の討伐勢・野呂実高らを破り九鬼勢として戦功を挙げた。

  後、嘉隆の大阪梅田近くの野田・福島7千石と橘氏6千石を交換し一時大阪に移った。

  まもなく鳥羽に戻り橘称寺を建立し隠居した。慶長10年6月21日没。

地図;https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zMB0lt7eZPVw.kfXn7gkwAAkU