城名 |
大仰城 |
読み |
おおのきじょう |
住所 |
津市一志町大仰 |
築城年 |
応永年間 |
築城者 |
小泉藤能 |
形式 |
山城 |
遺構 |
郭、井戸 |
規模 |
東西120m×南北70m |
標高 80m 比高 43m |
城主 |
藤能は紀氏の16世の孫にあたる。 |
藤能は1495年2月、伊賀の西蓮寺で48日間の念仏途中にわかに発病し53才で死去。 |
歴史 |
藤能の子・宝珠丸(後の真盛上人 注1)は始めから僧侶になるべく育てられた。14才で出家天台律宗を究めのちの真盛宗を大成した。北畠政具、材親に仕えた。 |
北畠材親をいさめた話が伝えられている。 |
書籍 |
参考文献:一志町史上下卷 三重の中世城館 |
一族 |
北畠に属し小倭党の一族 |
現地 |
真盛上人の誕生寺が大仰城のある山の麓にある。 |
城山の山上には明治初期の宝篋印塔や多数の石仏が祀られている。 |
地図 |
|
真盛上人のこと |
真盛上人は円戒国師・慈摂大師真盛といい、滋賀県にある西教寺の中興開山の祖師である。 |
幼名を宝珠丸といい1443年に大仰で生まれた。 |
父は小泉左近尉藤能といい紀貫之の17世末で、伊勢の国司北畠教具に仕え大仰城の城主。 |
1495年2月、伊賀の西蓮寺で48日間の念仏途中にわかに発病し、53才で亡くなった。 |
真盛上人が生まれた大仰には、生まれたときに使ったという「産湯の井戸」が誕生寺にあります。 |
真盛上人にまつわる話は各地に伝わり大仰の「傘着き地蔵」さんもその一つ。 |
傘着き地蔵」さん |
今からおよそ550年ほど昔の嘉吉3年(1443年)、大仰の上出に一人の子が生まれた。 |
この男の子はお母さんのお腹にいる時、お母さんがお地蔵さんから宝の珠をさずけられた夢を見たので、宝珠丸という名前がつけられた。 |
宝珠丸は大変かしこい子どもだったので、お父さんは宝珠丸をお坊さんにしようと思っていた。 |
そこで、宝珠丸が七才になったある日、宝珠丸に「お寺に行って、お坊さんの勉強をしなさい。りっぱなお坊さんになるまでは家に帰ってはなりません。」ときつく言った。 |
宝珠丸はお母さんとわかれるのがつらくてぐずって泣きだした。 |
お父さんは怒って半分おどすつもりで、下男に「むずかる子は川にすててこい。」と言った。 |
下男はその言葉を本当のことだと思って、宝珠丸を家にあった笠に乗せ権現ぶちへ捨てた。 |
すると、ふしぎなことにどこからともなく紫の雲がむくむくとわいてきて、笠ごと宝珠丸を包んだ。 |
そして雲出川の上へ上へと押し上げて行き、地蔵ぶちの大きな岩で止まった。 |
流れ着いたところがこのお地蔵さんの場所だった。 |
そして宝珠丸は川口光明寺から仏門の世界へ・・・・・ |
さてこの続きは一志町教育委員会編「一志町のむかしの話」文化財シリーズ第三号をお楽しみください。 |
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