三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

大仰城

2017-09-13 11:28:27 | 古城巡り


城名
 大仰城
読み
 おおのきじょう
住所
 津市一志町大仰
築城年
 応永年間
築城者
 小泉藤能
形式
 山城
遺構
 郭、井戸
規模
 東西120m×南北70m
標高 80m 比高 43m
城主
 藤能は紀氏の16世の孫にあたる。
 藤能は1495年2月、伊賀の西蓮寺で48日間の念仏途中にわかに発病し53才で死去。
歴史
 藤能の子・宝珠丸(後の真盛上人 注1)は始めから僧侶になるべく育てられた。14才で出家天台律宗を究めのちの真盛宗を大成した。北畠政具、材親に仕えた。
 北畠材親をいさめた話が伝えられている。
書籍
 参考文献:一志町史上下卷 三重の中世城館
一族
 北畠に属し小倭党の一族
現地
 真盛上人の誕生寺が大仰城のある山の麓にある。
 城山の山上には明治初期の宝篋印塔や多数の石仏が祀られている。
地図
 
 
真盛上人のこと
 
 真盛上人は円戒国師・慈摂大師真盛といい、滋賀県にある西教寺の中興開山の祖師である。
 幼名を宝珠丸といい1443年に大仰で生まれた。
 父は小泉左近尉藤能といい紀貫之の17世末で、伊勢の国司北畠教具に仕え大仰城の城主。
 1495年2月、伊賀の西蓮寺で48日間の念仏途中にわかに発病し、53才で亡くなった。
 真盛上人が生まれた大仰には、生まれたときに使ったという「産湯の井戸」が誕生寺にあります。
 真盛上人にまつわる話は各地に伝わり大仰の「傘着き地蔵」さんもその一つ。
 
傘着き地蔵」さん
 
 今からおよそ550年ほど昔の嘉吉3年(1443年)、大仰の上出に一人の子が生まれた。
 この男の子はお母さんのお腹にいる時、お母さんがお地蔵さんから宝の珠をさずけられた夢を見たので、宝珠丸という名前がつけられた。
 宝珠丸は大変かしこい子どもだったので、お父さんは宝珠丸をお坊さんにしようと思っていた。
 そこで、宝珠丸が七才になったある日、宝珠丸に「お寺に行って、お坊さんの勉強をしなさい。りっぱなお坊さんになるまでは家に帰ってはなりません。」ときつく言った。
 宝珠丸はお母さんとわかれるのがつらくてぐずって泣きだした。
 お父さんは怒って半分おどすつもりで、下男に「むずかる子は川にすててこい。」と言った。
 下男はその言葉を本当のことだと思って、宝珠丸を家にあった笠に乗せ権現ぶちへ捨てた。
 すると、ふしぎなことにどこからともなく紫の雲がむくむくとわいてきて、笠ごと宝珠丸を包んだ。
 そして雲出川の上へ上へと押し上げて行き、地蔵ぶちの大きな岩で止まった。
 流れ着いたところがこのお地蔵さんの場所だった。
 そして宝珠丸は川口光明寺から仏門の世界へ・・・・・
 
 さてこの続きは一志町教育委員会編「一志町のむかしの話」文化財シリーズ第三号をお楽しみください。


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