草生城(くさわじょう)
城名 | 草生城 |
読み | くさわじょう |
住所 | 津市 安濃町草生 |
築城年 | 不明 |
築城者 | 草生氏(くさわし) |
形式 | 平山城 |
遺構 | 曲輪、土塁、空堀、説明板 |
規模 | 東西250m×南北90m |
城主 | 豪族、歴代の城主の記録はなく一部が垣間見られる。 |
永享年間(1429~1440)草生大和守 | |
天文年間(1532~1554)草生式部少輔 | |
永禄年間(1558~1569)草生越前守 | |
他に草生民部少輔の記述がある。 | |
標高 | 130m |
比高 | 70m(現況は道路が脇まで通っている) |
歴史 | 大和守から越前守まででも130年から140年の経過をたどる。 |
経緯 | 藤氏を祖先とする長野家与力(長野工藤家、長野藤房--豊藤(とよふじ)--) |
環境 | 経ヶ峰の東麓にある。尾根がくびれた所を城域の西端とし東に向かって郭が展開する。標高130mの所に本郭を備え3方を深い堀が巡る。 |
本郭に接する東側の一辺は二の郭が一段低く接続する。その境界には石積された痕跡が見うけられる。 | |
一族 | 長野工藤家の一族。永禄年間に信長により落城。 |
家臣 | 侍三百人馬上五十小人二百都合五百大将也 |
現地 | 北と南は谷が迫り、西は尾根が細くくびれている。東は伊勢湾を望むことができ安濃の穀倉地帯が眼下に迫る。城郭はその東に向けて展開される。草生城と同様の環境下である数キロ圏内に十数個の城が存在することも重点事項である。 |
考察 | 草生城も織田信長伊勢侵攻の際に安濃城らとともに落城した。 |
感想 | 本郭を三方(北・西・南)から囲む深い空堀が見事である。 |
その他 | 平成29年4月5日訪城 |
地図 | https://www.google.com/maps/d/edit?hl=ja&authuser=0&mid=1sE7i85-3qeA10HRT1ZDejbj3Ddw&ll=34.763419506629475%2C136.4133256604523&z=16 |
スライド
http://www.digibook.net/d/c555c557a0889fddb7b61744b7ec970f/?viewerMode=fullWindow
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