真盛上人(しんせいしょうにん)
嘉吉三年(1443.2.27)正月二八日、現三重県津市一志町大仰(おおのき)にて生誕。
父;小泉左近藤能(ふじよし)は紀貫之の末孫で北畠教具に仕える。
母;家城の西川家出身。
幼名を宝珠丸といい、7歳で寺に入る。14歳で真盛を名乗る。
19歳で比叡山に上り20余年天台宗の奥義を極め天台真盛宗の開祖となる。
宮中や公家や女官、守護などに「無欲と慈悲」を説いて歩いた。
晩年の10年は近江坂本の西教寺を再興して真盛派の本寺とした。
政治を行うものには「無欲と清浄」を求め、このころ南勢地方の権力者の
北畠材親(大石館主)の無謀ぶりを諌めたというエピソードがある。
世俗に出ては「念仏弘通(ぐつう)」に生涯をささげ明応四年(1495)旅先の伊賀
西蓮寺で往生した。(53歳)
現住所には
三重県指定史跡「真盛上人誕生地」と明治時代に誕生寺として再興された
寺院が、また裏山に「大仰城跡」が面影を残す。
真盛上人ゆかりの地として白山町の成願寺がある。「十念名号」は訳あって
真盛のもとに来れない信者に授けて縁を結ばせた真盛独自の書という。
真盛上人生誕地