城名 |
城山城 |
読み |
しろやまじょう |
住所 |
津市久居戸木町(へきちょう)城山 |
築城年 |
天文年間(1554頃か) |
築城者・城主 |
木造具正(具政) |
形式 |
平山城 |
遺構 |
曲輪、土塁、空堀 |
規模 |
70×70m |
標高 |
31m |
比高 |
8m |
歴史 |
戸木本城と同時期、出城(北の備え)として天文年間(1554頃か)に築城された。 |
小牧長久手の戦いの時城山城は落城し秀吉方の軍に乗っ取られ、戸木城攻めに利用されたと思われる。4月12日付けの秀吉から家臣達への書状の中に「戸木城攻めの為の砦四つを造るよう」という指示が出ている。 |
書籍 |
三重の中世城館 木造軍記 |
一族 |
木造一族 |
家臣 |
木造家臣(柘植彦次郎、田中道京、海津、川原田ら) |
現地 |
風早池の南東に位置し北からの進入を警固している。 |
考察 |
秀吉軍に乗っ取られたとき城は増強されたようだ。 |
このタイミングでの宮山城との関連は定かではない。 |
秀吉の命令に「戸木城攻めの城を四つ造れ」とある。宮山城(家所帯刀隊)・城山城(不明)・久井陣屋(蒲生氏郷隊)・上野遺跡(榊原刑部少輔隊)の4か所と考えられる。 |
感想 |
歴史から城山城は(同時に宮山城も)戸木城の出城という位置づけから「砦」的存在だと思われる。両城ともコンパクトな城だ。北からの敵をいち早く察知することや短時間引き留めるくらいのものではないだろうか。 |
その後、羽柴秀吉側の隊によって現在見られるような縄張に増強された。宮山城と城山城は縄張の特徴から同じ時期に増強されたと考えられる。 |
そして、南西1.6kmにある上野遺跡の南東隅の遺構は戸木城攻めのため羽柴秀吉側、榊原刑部少輔隊によって、もともとの居館を巨大な堀や土塁で増強して砦にしたという可能性が指摘されている。 |
地図 |
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