三重県松阪市飯南町粥見にある「粥見井尻遺跡」を訪ねた。
この遺跡は全国的にも非常に珍しい縄文時代の初め頃(約12,000~11,000年前)の竪穴住居4棟や土偶2点と共に、多数の土器や石器が発見されました。
空から住居跡を見る。丸く見えるのが住居の跡。直径4m~6m。穴の深さ60Cm位。
日本最古の土偶。全長6.8Cm
下の絵は粥見井尻遺跡の様子を想像したもの。森はドングリのなる落葉広葉樹を中心に針葉樹や常緑広葉樹も混じっていたようだ。櫛田川に面して1・2軒の家があり、数人から数十人が住んでいた模様。家のまわりの森は次第にひらけ、草地や広場ができてきたと思われる。森でドングリを拾い、水辺で保存の仕事をした。櫛田川ではサケ漁が行われ、土偶や土器を作っている。石器は目の前の河原や遠くから適した石を手に入れて作った。狩は弓矢が中心で槍も使ったようだ。しかし、主な食べ物は植物質であり、狩の獲物は時々手に入るごちそうだったようだ。
この遺跡は全国的にも非常に珍しい縄文時代の初め頃(約12,000~11,000年前)の竪穴住居4棟や土偶2点と共に、多数の土器や石器が発見されました。
空から住居跡を見る。丸く見えるのが住居の跡。直径4m~6m。穴の深さ60Cm位。
日本最古の土偶。全長6.8Cm
下の絵は粥見井尻遺跡の様子を想像したもの。森はドングリのなる落葉広葉樹を中心に針葉樹や常緑広葉樹も混じっていたようだ。櫛田川に面して1・2軒の家があり、数人から数十人が住んでいた模様。家のまわりの森は次第にひらけ、草地や広場ができてきたと思われる。森でドングリを拾い、水辺で保存の仕事をした。櫛田川ではサケ漁が行われ、土偶や土器を作っている。石器は目の前の河原や遠くから適した石を手に入れて作った。狩は弓矢が中心で槍も使ったようだ。しかし、主な食べ物は植物質であり、狩の獲物は時々手に入るごちそうだったようだ。