いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

今一つの超常識 ヒトの目に見えなくても在るものは在る

2008-06-26 09:28:04 | この世界の成り立ちと仕組み
○今一つの超常識 目に見えなくても在るものは在る
 三つの常識がある話をしたばかりですが、今一つ、もう当たり前すぎる常識=超常識がありました。
 それは、たとえヒトの目にはまったく見えなくても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、それ自体の独自の存在理由、存在目的があって、存在しているものがある、ということです。

 そもそも、天然自然の存在の創造主である神、自然法則、エネルギ一の存在と、この三位一体不可分の働きは、目には見えません。
 これが働いた結果の現象については、ヒトの五感で感知可能ですが・・・。

  しかし、私たちが観察できる現象から、これを結果した天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに気が付き、これを特定化して発見することは、誰にでも出来る容易なこと、ではありません。
 そもそも、人類が、観察できる現象の裏に、これをもたらした何らかの原因があり、この原因は普遍的な自然の法則の働きだと認識し理解できるようになったのは、そんな昔ではない、と言って良いでしょう。
 見えている現象を幾つか組み合わせて、現象を説明する間違ったことも広く行われていますね。

 例えば、2+3=? の答えは5と一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に決まります。
 しかし、5=? になる答えは無限に存在するように、ある現象・結果から、これをもたらした原因を特定するのは、一般的にとても難しいものです。
 犯罪捜査で、科学的な捜査を動員して、初動捜査をしっかりしないと、犯人を特定するのがとても難しくなってしまうのも、このためですね。
 また、現象・結果から、これをもたらした原因を特定しようするとき、無限の可能性の中に自動的かつ必然的に迷い込んでしまい、例えばエイズが社会的に知られるようになってすぐにそれは「アメリカの陰謀説」をマスコミで宣伝して歩いたお医者さんが現れたように、デマ宣伝が跋扈する事態にも成り易いものです。これを知っておく必要がありますね。

 天然自然の存在の創造主である神については、これが天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の関係で実在しているものだと申し上げても、全ての神という存在はヒトが勝手にでっち上げたもので実在するわけが無いと言い張るヒトが沢山いることを、一般法則論を書いてよく知りました。

 細菌なども、小さすぎてヒトの目には直接見えません。
 目には見えないから、それは無いものとしてその存在を一切否定したり無視したりして済むものではないことは、先日、前日から作り置きの点滴液に繁殖した細菌で点滴を受けたヒトが死亡するという事件が報道された例一つでも分かるというものです。
 私たちの五感ではその存在もその働く過程もまったく感知できない、天然自然の存在の創造主である神、自然法則、エネルギ一のように、この三位一体不可分の働きで、私たちの存在をふくめて、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている例もあります。

 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているヒトの心の存在とその働く過程も、ヒトにはまったく見えません。

 たとえ目には見えなくても、存在するものは、この世界に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで自動的かつ必然的に存在するものは、その通りに存在している。
 このことを、しっかりと自覚的な知識にしておく必要があります。

 大切なものは目には見えない。
 これは、サンテクジュペリの「星の王子様」の中にもでてくる言葉。
 愛とか志とか決意とかも目には見えません。

 最近は、仕事を協同してする者同士の間で、一緒にしている仕事が皆に見えないと困るので、それを自覚的に意図的に「見える化する」ことが推進されているようですね。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。

一様に造られている全体でただ一つの世界 今一つの常識について 附 多世界解釈は間違い

2008-06-26 05:17:41 | この世界の成り立ちと仕組み
○この世界は全体でただ一つの世界であることについて
 一般法則論を理解するのに役立つ知識の枠組みとして、「この世界の成り立ちと仕組みを理解するための二つの常識」(6月5日) の中で、次の二つの事実を挙げました。

○この世界は私たちがこの世界に生まれる前からそれ自体で既に独自に造られ存在していた
 一つ目は、私たちが生きているこの世界は、私たちがこの世界に生まれてくる遥か大昔から存在している、という事実。
 二つ目は、私たちがこの世界に生まれてくる遥か大昔から存在しているこの世界は、偶然にでたらめに造られている混沌とした世界ではなく、原因=結果の因果必然の働きを持つ天然自然の存在の自然の法則で造られ支配されている世界である、という事実。

 なお、天然自然の存在の法則=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き、と一般法則論では説明しています。

○いまひとつの常識 この世界は何処も一様に造られている全体でただ一つの世界
 以上の二つに加えて、いま一つ、私たちが無意識の内に承認し、しかも、そのとおり正しい事実がありました。そして、これを自覚的な知識にすることが、一般法則論の理解にも直接役立ちます。
 なお、ここでいう「一般法則論」は、私たちが生まれ住んでいるこの世界は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている、という事実について説明しているものの事です。

 三つ目の事実とは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているこの世界は、何処も一様に造られている、全体で唯一つの世界である、ということです。

○アインシュタインのいう四次元の時空連続体という世界
 アインシュタインの言う、この世界は縦と横と高さに加えて時間の四つの次元からなる時空連続体という世界、一般法則論では創造主である神の存在を発見して居ますので、これを加えて五次元の時空連続体の世界と言います。
 これは、この世界は、何処も一様に造られている、全体で唯一つの世界である、ということの別の言い方です。

○多世界解釈説でも話は同じ
 「多世界解釈」という、私たちが知っているこの世界の他に、私たちが住んでいる世界に居ては絶対に知りえない多数の宇宙が同時に存在しているという並行宇宙存在説や、更にこの説の中には、この世界の中で何かが一つ造られたり行われたりする過程で幾つもの並行宇宙が同時に自動的かつ必然的に発生するという説もあります。
 この説を仮にそのまま認めて受け入れたとしても、即ち、多世界解釈の立場に立っても、私たち全てにとって等しく、私たちが生きているこの世界は、常に全体でただ一つの、その何処を取り出しても一様に出来ている世界であることにはいささかも変わりが無いわけです。
 そもそも、私たちが生まれ住んでいるのとは異なる平行宇宙は、私たちが住んでいる世界を造っているのとはまったく異なる天地創造の原理で造られているかもしれない、という説明がされていますから、この意味することは、私たちが住んでいる世界を造っている原理を私たちの心の中身にすることで、この世界を認識し理解することを可能にしているのですから、異なる天地創造の原理で造られている平行宇宙は私たちには誰も原理的に認識することが出来ず、理解しようが無いわけです。

 私たちが住むこの世界の成り立ちと仕組みを造っている天地創造の原理=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き=この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解する原理=私たちヒト全ての心の中身とその働き。

○多世界解釈が誤って生まれた原因 エネルギーとは何かを知らない
 なお、このブログの別の所で簡単に説明しているように、この世界の全てを造っている唯一絶対的かつ普遍的な素材になっているエネルギーが、これ自体で振動する波の性質を持っているものですら、電子のような小さな存在では、電子を造っている素材のエネルギーの振動が観測されてしまう現象が発生して、電子という粒子の形をしていながら、同時に振動する波であるのが不可解だという誤解から、多世界解釈は間違って生まれたものに過ぎません。
 言い換えると、エネルギーとは何かについて、自然法則の機能と働き方の原理とこの関係を含めて、これまでの科学的な常識が不完全だった、ということです。

○多世界解釈が間違って生まれた根本の理由は創造主である神の存在を知らないことにある
 多世界解釈が間違っているもっと根本的な真の理由は、この世界の成り立ちと仕組みが天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているのに、天然自然の存在の創造主である神を未だ知らず、これを認めず、自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけで、この世界の成り立ちと仕組みを説明しようとしていることにあるのです。
 そもそも、エネルギーは、これ以上分解することが絶対にできない唯一絶対普遍の創造主である神の不生不滅の永遠の存在の心身そのものを起源にしています。そこで、天地創造の過程で、唯一絶対普遍の創造主である神の心身そのものであるエネルギーが、私たちが生まれ住んでいる世界とは異なる平行的に存在する別の宇宙を造る素材として二つ以上の存在に分割され分裂することは原理的にありえないのです。
  客観的かつ唯一絶対的かつ普遍的な存在の創造主である神の下では、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きにより、ただ一つの世界しか創造されえなかったのです。
 これは、多世界解釈説/平行宇宙説を思い付いたヒトやこのヒトを支持する人たちだけの問題ではなくて、自然科学を含む全ての学問が、未だ一般法則論でいう意味の天然自然の存在の創造主である神を知らないことに問題があるといえます。
 そして、学問が未だ天然自然の存在の創造主である神の存在を知らず認めないものですから、学問を基礎にして行われている学校教育でも、天然自然の存在の創造主である神について公的に教えることがなく、この結果、創造主である神の存在は迷信家のみが信じている架空の存在だという間違った社会常識が罷り通ることになっているわけです。
 そこで、人類の神を名乗る宇宙人を認めたり、多世界解釈説を真理だと思い込む市井の人たちが少なからず存在することになるわけです。
 確認をしますが、この世界の何処を取り上げても同じなのは、この世界の何処も、万物と万人に等しく存在する唯一絶対普遍の創造主である神の心身=エネルギーで造られているからです。
 平たく言えば地球上の何処か特定の所にのみ創造主である神が存在している聖なる場所がある式の言い方は、一般法則論的には、嘘だ、ということになります。
 この説明は、唯一絶対普遍の創造主である神という存在から自動的かつ必然的に演繹して出来るものです。自然科学は、この世界の一様性を別の形で説明していますが、その説明はどうだったか、今、思い出せません。

○創造主である神の存在が持つ意味を再確認
 一般法則論において、創造主である神の存在証明はすでにしました。
 ご存知で無い方は、このブログの過去の文を検索してください。
 ここでは、今一度、創造主である神の存在が果している役割り、機能を説明します。
 創造主である神は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを通して、ヒトという存在(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが住むこの世界のインフラとなるこの世界の成り立ちと仕組みの創造主としての役割を唯一担う存在です。
 同時に、創造主である神の化身かつ分身の存在に造ったヒト(宇宙大では宇宙人一般)にその存在目的と存在理由と生き方の原理を与え、これを守り、ヒトをして、この地上に神の国を造る歴史を歩ませようとしています。
 そして、これに辻褄が合うように、ヒトという存在の資質(例えば意識のある心と無意識の心からなる心の仕組みや、ヒトの心が、創造主である神がこの世界を創造する原理として使ったのと一つ同じもので出来ていることなど)やこの世界の成り立ちと仕組みのすべてを造っています。
 なお、ヒトの生き方の原理は潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に具体化されています。
 簡単にいえば、これだけの話です。
 しかし、この簡単な事を、創造主である神の存在を含めて、学問的な常識するために、ヒトを、一般法則論を必要としているわけです。

○私たちの日常感覚の確信
 世界は一つ、人類は地球上で一種類の生物、われら地球市民、私がいる今ここから夜空を見上げて見る宇宙の果てまで世界は一つに続いているし、昔、菅原道真が見た配所の月も今私たちが見る月も一つ同じ月であり、またいま腕にはめて使っている時計は、国内や外国の何処に行ってもそのまま使えるし、飲む水は世界中どこでもすべてH2Oという化学式が当て嵌まる、と多くの人達が殆んど何の疑いもなく思っている、と言って良いでしょう。
 即ち、この世界のどこでも、今、私が居るここと一つ同じ世界である=世界中一様に造られている世界である、と誰もが直感的に/生得的に/無意識の内に知っている、ということです。
 言い換えると、同じ世界観と同じ人間観と同じ生き方の原理を共有し合っている者同士の間でしか、原理的に共生はできない、ということです。
 同じ伝で、同じ発想で、同じ理屈で、一般法則論が説明している事とも、地球大、宇宙大に当て嵌めて考えることができる、なぜならば、この世界は、全体でただ一つの一様の世界であるから・・・。

○三つの常識はその根拠が説明されなければならない
 もちろん、私たちが生きている世界は、私たちがこの世界に生まれる前から、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て一様に造られている、全体で一つの世界であることが、一般法則論の前提としてあるのではありません。
 これら三つのことは、一般法則論では、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きでその根拠について全て説明できることですし、また、説明をしなければなりません。

○無意識にある事実=知識は意識化され自覚化される必要があるしこれが役立つ
 それでも、一般法則論で以上の三つのことを説明する前も説明した後も、この三つの常識は常に意識化され自覚化された知識として持っていることが役立ちます。
 直感的に、生得的に、無意識の内に知っていることは、自覚的に意図的に意識化して確認されない内は、その無意識の知識の自覚的で意図的な活用は難しいし、意識化し自覚的な知識を持っているヒトと、未だこれが出来ていないヒトとの間で、話が通じない、ということもよく起こります。
 一般法則論が説明していることに関しても、現にこのようなことが発生しています。

○地球人類が共有できる根本哲学の一つの候補としての一般法則論
 そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みは、全てのヒトが、全地球人類が、等しく客観的かつ唯一絶対的かつ普遍的に共有すべき、意識化され、自覚化された知識にすることが出来て初めて、年齢や性別や人種や民族や言語や地域や文化や宗教や思想・信条等の違いを全て超越して、一つ同じ地球に生まれ住むヒト同士として仲良く共生できる哲学的な共通基盤が確立する、というものです。
 一般法則論的な全人類が一つに共有し得る普遍性のある根本哲学を抜きにして、地球人類の共生はありえません。
 これが無いままで、「神などくそ食らえ! 人間様が一番偉いのだ!」という間違った思想の「人道主義」にしばしば基づいて、多文化の共生を説くのは、既にアメリカや欧州でこれをして、異なる文化を生きる人/民族同士の間で深刻な摩擦と対立を引き起こしている実例があるとおり、既に実験済みで最初からうまくいかないことが分かっていることを勧める無責任なことだと言えるでしょう。
 一般法則論は、この自覚の下に、地球人類の共有哲学たらん、と名乗りを挙げているものです。
 ダカラこそ、今、ここで、直ちに、一般法則論の真偽とその可能性を真面目に真剣に検討していただきたい、と申し上げているわけです。

○天然自然の存在の創造主である神が人類的に認知されるまで後一歩!
 あなたも既によくご存知のように、(天然自然の存在の創造主である神+)自然法則+エネルギ一一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを説明する自然科学に基礎を置いた科学技術が、年齢や性別や人種や民族や言語や地域や文化や宗教や思想・信条等の違いを難なく超越して、地球大で人々に受け入れられている事実があります。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きと一体不可分で存在し働いている天然自然の存在の創造主である神が、全人類に発見され、認められるのは後一歩の所に来ている、ということも出来るかと思います。
 これには、まず、自然科学/学問一般とは、この世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明し尽くそうとする理論である、という定義を、まずは科学者/学者一般の自覚的な知識にする必要があるかも知れませんね。

○あなたのお持ちになる哲学は一般法則論以上のものですか?
 あなたの信仰しておられる宗教や信奉しておられる思想やあなたが支持しておられる政治家や政党が掲げる信条やあなたが専攻しておられる学問(科学を含みます)は、世界観と人間観において、その世界認識の方法論も含めて、一般法則論以上のものですか?

○一般法則論の真偽の検証法の再確認
 なお、繰り返していいますが、一般法則論の真偽の判断は、これを説明しているこの私の出自の正しさや信用できる人物であるかどうかで決まるのではないことです。
 ましてや、詐欺師かも知れない私に、一般法則論が正しいことの証明を求めるのは、自殺行為に等しいものでしょう。しかし、世の中には、騙している相手の所に単身で乗り込んで、「世間はあなたを詐欺師だと言っているけれどもそうではないと言ってください!」とお願いしたり、「よくぞ俺をだましたな! 警察に訴えてやる!」と息巻いて返り討ちになる人たちが後を絶ちませんね。
 一般法則論の真偽は、この世界は天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て出来ているという一般法則論の説明=地図の、その信憑性、正確さ、実用性を、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで現に全て造られている筈のこの世界そのもの=現地に、あなたが自ら照らし合わせて確かめるべきものです。
 この実際のやり方は、「この世界そのものに自ら語らしめる」形の方法、即ち、自然科学が現に採用している方法になるはずです。
 そして、この世界の成り立ちと仕組みを発見する自然科学の方法の正当性は、一般法則論が説明しています。具体的には、全てのヒトの心が、この世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで出来ている、という「理解の原理」の存在です。

○一般法則論が同義語反復の形式になっているわけ
 あなたもお気付きのように、一般法則論は、これ自体で論理が自己完結しているがゆえにこれ自体で自助自立した仕組みを作っている、同義語反復の論理になっています。
  私たちは、誰も、私たちが生まれる前から天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを無視して、この世界の外に出て、万物と万人に等しく現に存在しているこの世界の成り立ちと仕組みを超越して、勝手な世界観と人間観を述べることは出来ないのです。
 そもそもこの世界の成り立ちと仕組みを説明する全てのヒトの心は、この世界の成り立ちと仕組みを唯一絶対普遍的に造っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのもので出来ているのですから・・・。

○まとめ
 私たちが生きている世界は、私たちがこの世界に生まれる前から、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている、全体で一つの世界であることが意識化され、自覚的な知識になっていれば、例えば、この世界がどう見えるかはヒトの見方次第で相対的に決まるという社会構成説とか、これに基礎を置いているジェンダー・フリー説などに、最初から騙されないで済みます。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。