○今一つの超常識 目に見えなくても在るものは在る
三つの常識がある話をしたばかりですが、今一つ、もう当たり前すぎる常識=超常識がありました。
それは、たとえヒトの目にはまったく見えなくても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、それ自体の独自の存在理由、存在目的があって、存在しているものがある、ということです。
そもそも、天然自然の存在の創造主である神、自然法則、エネルギ一の存在と、この三位一体不可分の働きは、目には見えません。
これが働いた結果の現象については、ヒトの五感で感知可能ですが・・・。
しかし、私たちが観察できる現象から、これを結果した天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに気が付き、これを特定化して発見することは、誰にでも出来る容易なこと、ではありません。
そもそも、人類が、観察できる現象の裏に、これをもたらした何らかの原因があり、この原因は普遍的な自然の法則の働きだと認識し理解できるようになったのは、そんな昔ではない、と言って良いでしょう。
見えている現象を幾つか組み合わせて、現象を説明する間違ったことも広く行われていますね。
例えば、2+3=? の答えは5と一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に決まります。
しかし、5=? になる答えは無限に存在するように、ある現象・結果から、これをもたらした原因を特定するのは、一般的にとても難しいものです。
犯罪捜査で、科学的な捜査を動員して、初動捜査をしっかりしないと、犯人を特定するのがとても難しくなってしまうのも、このためですね。
また、現象・結果から、これをもたらした原因を特定しようするとき、無限の可能性の中に自動的かつ必然的に迷い込んでしまい、例えばエイズが社会的に知られるようになってすぐにそれは「アメリカの陰謀説」をマスコミで宣伝して歩いたお医者さんが現れたように、デマ宣伝が跋扈する事態にも成り易いものです。これを知っておく必要がありますね。
天然自然の存在の創造主である神については、これが天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の関係で実在しているものだと申し上げても、全ての神という存在はヒトが勝手にでっち上げたもので実在するわけが無いと言い張るヒトが沢山いることを、一般法則論を書いてよく知りました。
細菌なども、小さすぎてヒトの目には直接見えません。
目には見えないから、それは無いものとしてその存在を一切否定したり無視したりして済むものではないことは、先日、前日から作り置きの点滴液に繁殖した細菌で点滴を受けたヒトが死亡するという事件が報道された例一つでも分かるというものです。
私たちの五感ではその存在もその働く過程もまったく感知できない、天然自然の存在の創造主である神、自然法則、エネルギ一のように、この三位一体不可分の働きで、私たちの存在をふくめて、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている例もあります。
天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているヒトの心の存在とその働く過程も、ヒトにはまったく見えません。
たとえ目には見えなくても、存在するものは、この世界に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで自動的かつ必然的に存在するものは、その通りに存在している。
このことを、しっかりと自覚的な知識にしておく必要があります。
大切なものは目には見えない。
これは、サンテクジュペリの「星の王子様」の中にもでてくる言葉。
愛とか志とか決意とかも目には見えません。
最近は、仕事を協同してする者同士の間で、一緒にしている仕事が皆に見えないと困るので、それを自覚的に意図的に「見える化する」ことが推進されているようですね。
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
三つの常識がある話をしたばかりですが、今一つ、もう当たり前すぎる常識=超常識がありました。
それは、たとえヒトの目にはまったく見えなくても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、それ自体の独自の存在理由、存在目的があって、存在しているものがある、ということです。
そもそも、天然自然の存在の創造主である神、自然法則、エネルギ一の存在と、この三位一体不可分の働きは、目には見えません。
これが働いた結果の現象については、ヒトの五感で感知可能ですが・・・。
しかし、私たちが観察できる現象から、これを結果した天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに気が付き、これを特定化して発見することは、誰にでも出来る容易なこと、ではありません。
そもそも、人類が、観察できる現象の裏に、これをもたらした何らかの原因があり、この原因は普遍的な自然の法則の働きだと認識し理解できるようになったのは、そんな昔ではない、と言って良いでしょう。
見えている現象を幾つか組み合わせて、現象を説明する間違ったことも広く行われていますね。
例えば、2+3=? の答えは5と一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に決まります。
しかし、5=? になる答えは無限に存在するように、ある現象・結果から、これをもたらした原因を特定するのは、一般的にとても難しいものです。
犯罪捜査で、科学的な捜査を動員して、初動捜査をしっかりしないと、犯人を特定するのがとても難しくなってしまうのも、このためですね。
また、現象・結果から、これをもたらした原因を特定しようするとき、無限の可能性の中に自動的かつ必然的に迷い込んでしまい、例えばエイズが社会的に知られるようになってすぐにそれは「アメリカの陰謀説」をマスコミで宣伝して歩いたお医者さんが現れたように、デマ宣伝が跋扈する事態にも成り易いものです。これを知っておく必要がありますね。
天然自然の存在の創造主である神については、これが天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の関係で実在しているものだと申し上げても、全ての神という存在はヒトが勝手にでっち上げたもので実在するわけが無いと言い張るヒトが沢山いることを、一般法則論を書いてよく知りました。
細菌なども、小さすぎてヒトの目には直接見えません。
目には見えないから、それは無いものとしてその存在を一切否定したり無視したりして済むものではないことは、先日、前日から作り置きの点滴液に繁殖した細菌で点滴を受けたヒトが死亡するという事件が報道された例一つでも分かるというものです。
私たちの五感ではその存在もその働く過程もまったく感知できない、天然自然の存在の創造主である神、自然法則、エネルギ一のように、この三位一体不可分の働きで、私たちの存在をふくめて、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている例もあります。
天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているヒトの心の存在とその働く過程も、ヒトにはまったく見えません。
たとえ目には見えなくても、存在するものは、この世界に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで自動的かつ必然的に存在するものは、その通りに存在している。
このことを、しっかりと自覚的な知識にしておく必要があります。
大切なものは目には見えない。
これは、サンテクジュペリの「星の王子様」の中にもでてくる言葉。
愛とか志とか決意とかも目には見えません。
最近は、仕事を協同してする者同士の間で、一緒にしている仕事が皆に見えないと困るので、それを自覚的に意図的に「見える化する」ことが推進されているようですね。
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。