いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は未だに疑似科学扱いか・・・

2008-06-29 05:45:05 | 一般法則論
○潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は未だに疑似科学扱いか・・・
 新聞の記事から考えました。

○秋葉原殺傷事件に関する石田衣良氏の見解を紹介する記事を読む
 読売新聞の2008/06/28 の朝刊に、秋葉原殺傷事件について著名人の見解を紹介している連載記事で、作家の石田衣良氏のお考えが載っています。

○一般法則論者としてあるべき態度の再確認
 念のために再確認すると、そんなことはもう二度とあってはならない事件だと確認したら、もうその事件から離れて、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒト本来の正しいあり方に心の目を向けて、目をここから離さないことだ、というのが、潜在意識の法則/引き寄せの法則を知る者への忠告です。
 このことを再度確認したうえで、本題に入ります。

○石田氏の見解
 石田氏の見解を乱暴に要約すると、『一度負けたらおしまい。再チャレンジは無理』という風潮がはびこるなかで、親も教師も官僚も失敗を恐れ何事も無難に過ごそうとする。「失敗してもはい上がれる『柔らかな粘り』のようなものを子どもたちが学べる環境を作るべきだ」ということです。

○なぜ潜在意識の活用法に話をもっていかないのだ!
 これを読んで、私は、そんな遠まわしの言い方をしないで,石田氏は、なぜ、小説を書くことで活用されているはずの「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」についてずばりふれないのだ! と思いました。
 実際、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は、ヒトとしての生き方の原理があることを知らずに、生きるのがつらく難しくなっている人々の実用になるからです。
 石田氏は、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法が世間で疑似科学あつかいされていることに配慮しているのでは!?
 こう、かんぐりました。

○石田氏の小説作りの現場 NHKの番組をみた
 石田氏の小説は読んだことがありません。
 しかし、半年くらい前のNHKの番組で、石田氏の小説作りの現場を紹介するのをみました。
 その方法は、小説のネタになる言葉をパソコンに登録した後は、潜在意識に任せ切りにして、潜在意識に小説を造らせて、後はこれを意識化してパソコンで文字にする、というやり方です。

○小説家は潜在意識を活用して小説を書いているのは明らか
 このときに、確か、石田氏の口からは潜在意識という言葉は出なかったと記憶します。
 潜在意識ではなくて、「小説の神様」みたいな言葉だったかも・・・。
 しかし、東西の小説家の物語作りの方法では、潜在意識の活用法が広く一般的に行われていることは、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知っているヒトならば、すぐに発見することが出来るくらいに、明白なことです。
 そこで、石田氏の小説作りの現場を紹介するその番組をみて、すぐに、石田氏も潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を使っていることを発見したわけです。

○番組の中で潜在意識を使って絵本の物語を作る実験をした
 その番組の中では、石田氏が、書斎にある辞書を手に持って三度適当に開いたページから目に付いた三つの言葉を使って、自殺しようと考えている少女をして自殺を思いとどまらせることが出来る内容の短い絵本の物語を、確か三日のうちに書くという課題に挑戦する様子も紹介していました。
 これを石田氏が行った過程は、正に潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法そのものに則った方法でした。

○出来た物語の批評―――余談
 この結果できた物語は、番組がお願いしたと思われる、何処かの女子高のクラスの皆に読んでもらって、批評してもらう、ということまでしていました。
 この中で、「説得力がなく、自殺を止められない」という意見がありましたが、私もそう思いました。

○無意識の意識化を左右するそのヒトの人間的な出来具合―――余談
 石田氏が作った絵本の物語はいま一つだった。
 この原因は何だったのか・・・。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則は、「求めよ。さらば与えられん。」の形で働く因果必然の法則です。これは、求めたとおりの結果を得る、ということです。
 これを言い換えて、「入ったもの/入れたものが出てくる」原理、山に向かって叫んだ通りにこだまが返ってくる「やまびこの法則」で働くと説明しています。
 このときに、実際に、潜在意識/無意識から何が返ってくるのかは、その人個人の「意識のある心」と「無意識の心」の中身次第です(この中身は何でも広く見聞きして自分なりに考えてみることや自分が直接体験して見ることで鍛えることができます。この場合、トースターの使い方の全体像のような良いモデルが役立ちます)。
 なぜならば、無意識の意識化は、常にその人らしくされるからです。
 無意識の意識化も、その人個人の意識と無意識の心が、絶対的な無意識の存在に繋がっている無意識からの情報を受け入れ、受けとめる準備が出来ていないと、日常生活で見聞きした通り一遍の世間的な常識や風潮等に沿ったものしか得られないものです。
 あなたもやればできる、と諭されても、「一度負けたらおしまい。再チャレンジは無理」という考え方を強固に持っていたら、この通りに考え行動することに自然になるでしょう。
 一言で言えば、無意識の情報の意識化は、その人の体験と知識と人間的な出来具合で決まります。
 こういう一般的な原因に加えて、説得力が今一つ無かった物語を作った石田氏は、自殺を決意したヒトの世界観や人間観や人生観を認識し理解する思考の枠組みとこれを訂正する知識と経験が不足しているからだ、と推測できます。
 話を、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は未だ疑似科学扱いである話に戻します。

○世間体を憚ってか中々いわゆる超能力的なことを認めたがらない人たちの存在
 石田氏は、小説家という自らの仕事を、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に自覚的に意図的に則ってされていることは、NHKの番組の映像で判断しても明らかです。
 しかし、秋葉原で事件を起こした人物は、ヒトとしての生き方(の原理があること)が分からず、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないから、そんなことをしたのだ、と小説家の石田氏の立場では当然に出てきて良いはずの一言がありませんでした。
 大槻某教授も、自らが持参したスプーンを、目の前で清田某氏がいわゆる超能力で曲げるのを見て、そのときには、立会人の漫画家のつのだじろう氏も同席しているところで、清田某氏の超能力がインチキではなくて、本当にそういうことが在り得ると認めたのに、後になって全てのことが無かったことにする、と大槻某教授から一方的に言ってきた、という話もあります。
 この話は、次の本に載っています。
 森 達也(2001) スプーン 超能力者の日常と憂鬱 東京 飛鳥新社

 なお、この本の読後感を述べているブログをいくつか読みました。
 その感想は、超能力の科学的な根拠となるこの世界の成り立ちと仕組みと超能力の源になるヒトの心の起源と中身とその役割について、まったくご存知ではない方々がここにおられる、という一言にまとめることができます。

○一般法則論で変わることを期待
 森達也著の「スプーン」を読んだ方々の感想について、それは、超能力の科学的な根拠となるこの世界の成り立ちと仕組みと超能力の源になるヒトの心の起源と中身とその役割をまったくご存知ではないことに基づいている、と申し上げました。
 要するに、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みについても、ヒトの心とは何かについても、無知である、無意識にある生得的な知識の意識化が未だされてない、ということです。
 ということは、一般法則論が世の中の常識になれば、特に科学者の常識になれば、今の状況は変わり得る、ということです。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないで生きるのは、誰にとっても人生における最悪かつ最大の悲劇だ、と申し上げることができるからです。

○この世界を科学的にみるということを知らない科学者たち
 一般法則論では、私たちが生きているこの世界の中で接する全ての現象/森羅万象は、例外なく、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのものの現われであるか、あるいはこれに根拠が正しくある方法でヒトが行動している結果が存在しているか、または、これを知らない人たちが自分たちで勝手にでっち上げた規則/ルールや方法で間違ったことをしている状態が出現しているか、の何れかだ、と理解しています。
 言い換えると、そこに働く何らかの法則の存在が無いという意味の「偶然」や「混沌」など、この世界には何処にも絶対に存在しない、ということです。
 この点に関して、法律家ならば、人間社会があるところには必ず法律の類が存在し絶対的に行われていて、そこには偶然など無いことを知っています。
 オカルト的な迷信家と世間から見られている神秘主義家の人たちも、この世界は因果必然の法則で全て造られていて、偶然のことなど何も無い、とよく知っています。
 しかし、科学者は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが宇宙大で絶対的に普遍的に存在し働いている自然の世界に直接接していながら、これを疑い続け、偶然の法則もこの世界には存在し働いている、と何かというと言います。これを、科学的な謙虚さと錯覚しているみたいです。

 この世界の現象を、すべて、そこに何かの法則が存在して働いた結果として見る。
 特に、その法則を、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きだと知る。
 これが、私たちが存在し生きているこの世界を科学的に見る方法です。
 これは、科学者たる者の常識、絶対常識であるはずです。

 しかし、物質的な、唯物論的な科学の信奉者であり、かつ、ヒトの心の起源とその中身と役割についてもまったく知らないことも知らない科学者は、例えば次のような現象を目の前にしたり、人の体験談として聞いたりすると、すぐにそれを否定し偶然であると言い張ったり、まったく聞かなかったことにして無視する態度にでます。
●いわゆる超能力を使った超常現象
●全身にガンが転移してもはや西洋医学では治療のしようが無い患者が、しばらくして元気になって現れて、医学検査でガンなど患者の体の何処にも無いことが分かったあと、それは神に祈ったら治ったと聞かされた場合など
 ガンが治った例は、「神に祈って病気が治せる」科学的な仕組みを自分が発見する機会にし得る、「セレンディピティ」の例に該当しそうです。
 しかし、西洋医学=唯物論的な科学では不治の病が、ヒトが生得的に持つ自然治癒力を活用する色々な代替医療で治っている体験談を幾らきかされても、多くのお医者さんが、それをただ無視し続けるのが、実情のようです。
 この事実は、医学界の外にいる私が知っている以上に深刻な問題らしい。
 これは、一重に、科学とは何か、科学的な世界観とは何かについて、科学者自身が、未だ一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に知らない、ということにあるに違いありません。

 一般法則論を人類の常識にしなければなりません。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。