いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

緊急の事態での祈り方

2009-01-29 22:46:58 | 祈り方
 ○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z


 この文では、緊急の事態に直面した時の祈り方について、私の体験を例に説明します。

○緊急の祈りが必要になりました
 昨日、1月28日(水曜日)は、寝る前に、ラジオ(受信機)のスイッチを入れて、NHKのラジオ深夜便の午前2時台の放送を聴きました。
 内容は、1950年代のポップス音楽の特集でした。
 最初の曲「ケ・セラ・セラ」は聴き逃しましたが、2曲目の「テキサスの黄色い薔薇」から最後の曲の「エデンの東」までを聴きました。
 まあ、気持ち良く聴いたのなら問題はありませんでした。
 実際には、ポール・アンカの「君は我が運命(さだめ)」や映画音楽の「慕情」を聴いている途中から懐かしい感情が込み上げてきて、これがいても立ってもいられない焦燥感に変わり、息苦しくなり、最後の「エデンの東」を聞いているときには、寝床に横になっていた身を起こして布団の上に正座しました。
 しかし、強い焦燥感で息苦しい気分の方はいっこうに収まりそうもありません。
 で、布団に正座した儘で祈ることにしました。

○緊急事態に陥った原因の分析
 焦燥感は、一般法則論の世界観の図解で言えば、世界Ⅵ(現在の状態)~世界Ⅶ(過去の体験の記憶)の中に、私の心が閉じ込められてしまった状態だ、と理解しました。
 ここから抜け出すには、世界Ⅵ~世界Ⅶを一方的に絶対的に超越して存在し機能する世界Ⅰに立ち帰って、この世界の成り立ちと仕組みの全てを造った絶対超越的存在のΩ神の心で、世界Ⅵの中で、焦燥感で苦しんでいる私の状態をリセットするしかありません。
 こう考えました(注記1)。

○神に祈ることがよって立つ根拠の説明 心理学的な方法との違い
 神に祈るに当たって、その前提となり、祈ることが効果を出すことを保障する根拠になるのは、このブログの2008年12月3日の文で図解化している一般法則論の世界観です。
 大事な点は、私個人の存在を絶対的に超越する視点、即ち、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中(私はこの一部)で、Ω神の存在を持ち出して、これに任せて癒す仕事をしてもらう、ということです(また注記1)。
 言い換えると、祈るに当たって、第一に、過去の(間違った)原因設定の結果の現在の状態は一切無視し、これと闘わないことです。祈るのは、今、ここで過去の間違った原因設定を取り消し、あたらしい正しい原因設定をすることです。
 身体的な症状では、身体に自動的かつ必然的に伴う五感からの情報が、例えば痛みが伴うときには、身体感覚が現在の身心の状態を有りの儘に認めることを強く執拗に迫ることがよくあります。
 しかし、その痛みももし麻酔を掛けられていたら感じることがないのだから、また、例えば怒っている自分を「今、私は怒っているな」と判断している自分(世界Ⅰに居る本当の私)は全く怒ってはいない事実もありますから、更にまた、他人から見れば私の身体の痛みは全く他人事であるように身体の痛みは私にとって変えることが出来ない絶対的な現実では無い、と理解すべきものです。
 第二に、私個人の意思の力や思考力や努力や過去の体験や経験や諸々の知識・教養などは、自覚的に意図的に一切無視し頼りにせず使わない、ということです。
 つまり、Ω神に祈るに当たっては、祈る私も、祈られる私も、まったく「しっかりする」必要が一切無いということです。 私は、自分の存在を無にして、Ω神が自動的かつ必然的にしてくれる治療(自然治癒力の働き)に、私の心身を自覚的に意図的に積極的に肯定的に絶対的に全面的に開けっ広げにし、絶対的に開放して(Ω神の全知全能の絶対的に癒す治療に私の心身を)絶対的に委ねるのです。
 この点が、Ω神の存在を知らず、これを利用することを知らず、治療は治療される本人に基礎を置き、治療される本人から出発し、治療される本人が「しっかりする」/「心をしっかりと保つ」ことを頼りにし、これを要求する心理学や精神医学に基礎を置いた心理療法と異なる点です。

○Ω神に頼ることはヒトして未熟の証拠ではなくこの反対
 あなたや私を絶対的に超越して存在し、あなたや私を実際に造った存在=Ω神が実在しているのです。
 しかも、ヒトがこの世で生きることは、Ω神が全て造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では、最初からΩ神の造ったこの世界の成り立ちと仕組みに依存し、これを基礎にし、これに頼って生きるようにΩ神によって仕組まれています。
 現に科学技術は、Ω神の天地創造の理法=自然法則+エネルギー一体不可分の働きが持つ宇宙大で普遍的で絶対的な支配とこれに伴うこのせかいのが持つ性質を頼りにし、これに絶対的に全面的に頼ることで成り立っています。そして、この成果の科学文明の著しさは誰の目にも明らかである筈でるす。
 しかし、この事実/真理を知らず、この事実/真理を未だ意識化し自覚的な知識にすることが出来ず、この世界の中で生きる為にこの世界の成り立ちと仕組みを知るという技術を未だ自覚的な知識にしておらず、神仏の存在を否定し、物と金と政治的権力がヒトがヒトとして生きる為の装置/道具/手段の殆ど全てという唯物論的な考え方が正しいと思い込んでいる人達がいます(注記2)。
 彼らの「唯物論」的な考え方を一般法則論的な用語で説明すれば、次のようになるでしょう。←2009年1月18日 「聖なる世界と俗なる世界の関係の図解」参照

 ヒトが生きている世界は「俗世界」が世界の全てである。
 全てのヒトの生は、俗世界の中で自己完結しているし、またそう在るべきだ、と考え行動するのが、迷信などには一切騙されず、非現実的な理想や原理原則を採らず、空想や妄想を排して現実的に理性的に科学的に合理的に生きることができる「成熟した大人」の「印」となる。
 唯物論者にとって、Ω神の存在はもちろん、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法も迷信の一つに過ぎません。しかし、どういう訳か、その原理の解明をしないで、「暗示の法則」は絶対的に認めたりしていますが・・・。
 唯物論者には困ったものです。

○Ω神とは
 この祈りの中でΩ神とは、図解化した一般法則論の世界観の中で、この世界の成り立ちと仕組み全体の絶対的かつ普遍的な創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在の創造主である神のことです。
 そこで、次のような言葉を心の中で繰り返して唱えました。

○祈りの中身の概略
 この祈りは、私自身の為に向けられたものだ。
 この効果は、祈ると決めて祈り出したときに既に望み通りの結果が出ていることを、一般法則論が明らかにしている祈り方の原理で既に知っている。
 祈った効果は、必ず出る。
 で、祈り出した時に望んだ通りに私の心と体が癒される結果が既に得られたことを予め感謝しておく。
 ・・・・・
 私の思考/私の思い/私の頑張りで、この事態を何とかしようという一切の計らいを止める。
 Ω神は、自らの化身かつ分身の存在の私を含めて全てのヒトの心身を完全完璧で絶対的健康のものとして造っている。
 Ω神は、私の健康さを含めてヒトの健康さとは何かについて、完全完璧に知っているのだ。
 そこで、私の心身の全体を、Ω神の完全完璧な絶対的な思考に委ね、リセットする。
 私は、癒すΩ神の理法の働きにヒトである自分の意思の力や自分が持っている知識等で助力しようとは決してしない。
 癒す力を持つΩ神の理法はこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造った全知全能の智慧と力と威力であり、この宇宙全体の中でも私の心身の中でも他に比肩し得るものが一切存在しない万能でオールマイティなのだから。
 今、Ω神の完全完璧な思考が私の心身の全体を通して自由に巡って流れ、私は、Ω神の化身かつ分身の存在本来の心身の絶対的健康さとこれに自動的かつ必然的に伴う心の平穏さで満たされつつある。
 この通りである。

 この祈りの間、身体を脱力させ、私の思考を止めて何も思わず心配せず、Ω神の絶対的思考が私の心身を通して自由に流れ、私の焦燥感を自然に癒すことに任せました。

 祈り出してから約30分、正座している足が痺れて来た頃には、すっかり気分は楽になりました。
 このあと、変な夢を見ることもなく朝まで眠りました。
 私にとって、多分もうこの類のことで、祈ることが必要になることは無いものと思います。

 あなたに、このような祈り方が参考になり、お役に立つことがあると良い、と思います。

○マーフィー本に載っている祈り方の実例を参考にすること
 祈る実際の方法や何に祈ることが使えるかに関して、この技術の初心者は経験不足です。
 少なくとも一般法則論がその理論的な基礎を一義的/一意的に明確に確定的に提供することはできます。
 しかし、これだけでは未だ足りません。
 そこで、「眠りながら成功する」の著者J・マーフィーさんの一連の本に載っている祈り方の実例を参考にされることをお勧めします。
 なお、マーフィーさんの言う「神の国の秩序」=Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの絶対的秩序です。

○注記1 各種依存症にも使える
 アルコール、ニコチン、麻薬、ギャンブル、インターネット、買い物などの依存症の克服の方法も、原理的には同じです。
 注記1の終わり

○注記2 唯物論者の結婚
 結婚することや結婚相手を選ぶ場合にも唯物論的な発想が全てという男女がいます。
 また、唯物論的な結婚観に異議を唱え、社会制度としての結婚を否定する人達が同じくガチガチの唯物論的な発想の持ち主だったりするから話がややこしい。
 本物の真実の結婚は、常に必ず世界Ⅰから始まります。
 唯物論者の結婚は、世界Ⅳ~Ⅶ→Zに根拠を置きます。
 全ての子供は、本来、世界Ⅰに存在するΩ神の直系の子孫として、完全完璧な心身を持つ聖なる子供として生まれてきます。
 唯物論者の子供は、聖なる世界からではなくて一般法則論の世界観の図解で言えば、Z界から生まれてくることもあるようです。
 注記2の終わり

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。