○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) ヒト 生・孫・化史 ↓
唯一絶対 Z→→→Z
この文は、図解化された一般法則論の世界観の説明を、図解に基づいて行います。
この文は、Ω神とヒトとの関係について説明します。
文の目的は、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を簡単に説明するための準備です。
○Ω神とヒトとの関係
ヒトは、意識のある心と無意識の心と物質的な身体を一つに合わせ持つ存在です。
宇宙大で言えば、多分間違いなく宇宙人一般も、意識のある心と無意識の心と物質的な身体を一つに合わせ持つ存在です。ついでに付け加えれば、男女の性別も宇宙大で普遍的な筈です。
ヒトは、絶対的無意識の存在のΩ神が、自らの化身かつ分身の存在を無数に無限に造って、その一人一人になって様々に生まれて、様々に生きて、様々に遊び楽しむことを目的の為に造ったものです。
即ち、Ω神は、正に自らの化身かつ分身の存在を無数に造って、その一人ひとりになって生きる意図で、私達が知っているこの世界の成り立ちと仕組みを造ったのです。
そして、私達が天然自然の世界と呼んでいるのは、ヒトが住む為の生活基盤/インフラとして造ったものです。
これが、Ω神とヒトそして世界との基本の関係です。
○Ω神とヒトがそれぞれに造る世界の範囲
Ω神が天地創造によって自ら直接造った世界は、図解化された一般法則論の世界観で言えば、世界Ⅰから世界Ⅴ(Ω神の化身かつ分身の存在のヒト)までです。
ヒトが自覚的に意図的に或いはそれと自覚しないで作った世界は、世界Ⅵ(ヒトが物質世界の中で生きることで作った世界)~世界Ⅶ(ヒトが生きた記憶)~Z(妄想)です。
○自然改造ができるヒトの存在根拠とこの世界の成り立ちと仕組みに於ける地位
ヒトによる「自然の改造」という言葉があります。
天然自然の世界は、Ω神が自ら直接造ったものです。
ヒトは、天然自然の世界を改造し、Ω神が造った天然自然の世界には存在して無かった文物を沢山作りだして、これを天然自然の世界に付け加えています。例えば、川の堤や貯水池。
では、これを可能にしている原理は何にあるのでしょうか?
この答えはこの世界の成り立ちと仕組みに於ける「意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在のヒト」という言葉の理解の中にあります。
○図解の中の「意識のある心を持つΩ神」のヒトの位置
ヒトは、意識のある心+無意識の心+(無意識の心に属する神の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより造られた、その殆どの存在と働きがヒトの無意識の心に属している)物質的な身体を持つ存在です。
ヒトという存在=意識のある心+無意識の心(潜在意識)+物質的な身体(殆んどが無意識の支配下)
ヒトは、絶対的無意識の存在のΩ神の意図により、自然科学では「進化」として知られている過程を踏んでこの世界に誕生した者です。
そして、ヒトは、物質で造られた世界(世界Ⅳ)に物質的な身体を持って生まれつつ、Ω神の絶対的な無意識の心の一部が「意識のある心」として働くようになった心を持つ存在です。全てのヒトが、Ω神によってこのように造られています。
Ω神がその全てを造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では、私達が「心」/「精神」と呼ぶものは、無次元(無時間で無空間)の世界Ⅰに「Ω神の心」/Ω神の魂として存在するものです。
但し、Ω神の持つ心は、絶対的無意識の心です。
「意識のある心」は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)が「意識のある心を持つΩ神」として世界Ⅴに誕生するまでは、この世界に存在していなかったのです。
念のために再確認すると、絶対的な無意識の存在のΩ神は、自らの化身かつ分身に造ったヒトに「意識のある心」を持たせることによって、自らの在り方と生き方を自覚的に意図的に主体的に自由に考え選び決めることができる能力を持つようにした訳です。
そして、意識のある心を持つ存在として生まれたヒトは、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中で、意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在として、常に世界Ⅰに絶対的無意識の心を持つΩ神と一緒に存在することになったのです。
かつ、ヒトの抱く、「自分はΩ神の化身かつ分身の存在」、「私はこの世に生きている存在」、「自己意識」、「自我意識」(注記1)等の気付き/自覚は、世界ⅠにΩ神と一緒に存在するヒトの「意識のある心」の働きとして自動的かつ必然的に生まれるものです。
つまり、ヒトのヒトたる存在証明は、ヒトの持つ「意識のある心」の働きにこそあることになります。
この意味で、ヒトは、無意識にその大部分が属する物質的な身体や物質的な身体に伴う「五感」とこの結果の快・不快感や喜怒哀楽等に、ヒトとしてのその存在証明や存在根拠があるのではないことになります。これを、イエスは、「人はパン(物質的身体の象徴)のみにて生きるに非ず」(ヒトの本質は非物質的な存在の「心」とその働きがある)という訳です。
なお、ヒトの物質で出来た身体は、物質世界の世界Ⅳの中に誕生し(世界Ⅴ)、ここに一生涯留まっています。
○意識のあるΩ神のヒトが存在する世界Ⅰの世界の位置について再確認
この世に生きて存在するヒトは、意識のある心+無意識/潜在意識の心+物質的身体を一つに合わせ持つ存在です。
ヒトは、意識のある心を持つΩ神として、絶対的無意識の存在のΩ神と共に、世界Ⅰに存在しています。
ところで、世界Ⅰは、「図解化された一般法則論の世界観」の中で見て分かるように、世界Ⅲ以下から絶対的に超越して存在し、この世界の成り立ちと仕組みを創造する源になった所です。
この故に、世界Ⅰに存在するΩ神と意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身のヒトは、世界Ⅲ以下より先に存在し、Ⅲ以下の世界(注記2)を創造することができる存在として在るわけです。
注記1 ヒトの自己存在意識の範囲を決めているのは、ヒトというシステム
ヒトの自己存在意識の範囲は何で決まるのか?
この答えは、ヒトは、自然法則的に既に決まっている「ヒトの原理的な仕組み」を素にして造られるヒト・システムの存在範囲によって自動的かつ必然的に決まります。
注記1の終わり
○注記2 ヒトはΩ神に代わり法則を作れる
世界Ⅲは、本来、Ω神の天地創造の原理/自然法則+エネルギー一体不可分の働きのことです。
しかし、ヒトは、Ω神が直接造った天然自然の存在の法則にはない、例えばテレビの原理的な仕組みの発明のように、複数の天然自然の存在の法則を組み合わせて、新しい法則を作ることができます。
但し、天然自然の存在の自然法則がするような、原理的な仕組みを基にした自己修復能力を持つシステムを作ることが出来ません。しかし、これによって時代遅れの人造のシステムを、天然自然の存在の法則の一つである「エントロピー増大の法則」に任せて廃棄することが可能になります。
また、倫理・道徳の法則や法律など、社会生活に必要な人工の法則を作ることができます。
ヒトは意識のある心を持つΩ神として、自分が生きている社会の創造主である神だからです。
問題は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに一切根拠の無い法則をでっち上げて、それを他人に強制することです。
注記2の終わり
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) ヒト 生・孫・化史 ↓
唯一絶対 Z→→→Z
この文は、図解化された一般法則論の世界観の説明を、図解に基づいて行います。
この文は、Ω神とヒトとの関係について説明します。
文の目的は、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を簡単に説明するための準備です。
○Ω神とヒトとの関係
ヒトは、意識のある心と無意識の心と物質的な身体を一つに合わせ持つ存在です。
宇宙大で言えば、多分間違いなく宇宙人一般も、意識のある心と無意識の心と物質的な身体を一つに合わせ持つ存在です。ついでに付け加えれば、男女の性別も宇宙大で普遍的な筈です。
ヒトは、絶対的無意識の存在のΩ神が、自らの化身かつ分身の存在を無数に無限に造って、その一人一人になって様々に生まれて、様々に生きて、様々に遊び楽しむことを目的の為に造ったものです。
即ち、Ω神は、正に自らの化身かつ分身の存在を無数に造って、その一人ひとりになって生きる意図で、私達が知っているこの世界の成り立ちと仕組みを造ったのです。
そして、私達が天然自然の世界と呼んでいるのは、ヒトが住む為の生活基盤/インフラとして造ったものです。
これが、Ω神とヒトそして世界との基本の関係です。
○Ω神とヒトがそれぞれに造る世界の範囲
Ω神が天地創造によって自ら直接造った世界は、図解化された一般法則論の世界観で言えば、世界Ⅰから世界Ⅴ(Ω神の化身かつ分身の存在のヒト)までです。
ヒトが自覚的に意図的に或いはそれと自覚しないで作った世界は、世界Ⅵ(ヒトが物質世界の中で生きることで作った世界)~世界Ⅶ(ヒトが生きた記憶)~Z(妄想)です。
○自然改造ができるヒトの存在根拠とこの世界の成り立ちと仕組みに於ける地位
ヒトによる「自然の改造」という言葉があります。
天然自然の世界は、Ω神が自ら直接造ったものです。
ヒトは、天然自然の世界を改造し、Ω神が造った天然自然の世界には存在して無かった文物を沢山作りだして、これを天然自然の世界に付け加えています。例えば、川の堤や貯水池。
では、これを可能にしている原理は何にあるのでしょうか?
この答えはこの世界の成り立ちと仕組みに於ける「意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在のヒト」という言葉の理解の中にあります。
○図解の中の「意識のある心を持つΩ神」のヒトの位置
ヒトは、意識のある心+無意識の心+(無意識の心に属する神の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより造られた、その殆どの存在と働きがヒトの無意識の心に属している)物質的な身体を持つ存在です。
ヒトという存在=意識のある心+無意識の心(潜在意識)+物質的な身体(殆んどが無意識の支配下)
ヒトは、絶対的無意識の存在のΩ神の意図により、自然科学では「進化」として知られている過程を踏んでこの世界に誕生した者です。
そして、ヒトは、物質で造られた世界(世界Ⅳ)に物質的な身体を持って生まれつつ、Ω神の絶対的な無意識の心の一部が「意識のある心」として働くようになった心を持つ存在です。全てのヒトが、Ω神によってこのように造られています。
Ω神がその全てを造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では、私達が「心」/「精神」と呼ぶものは、無次元(無時間で無空間)の世界Ⅰに「Ω神の心」/Ω神の魂として存在するものです。
但し、Ω神の持つ心は、絶対的無意識の心です。
「意識のある心」は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)が「意識のある心を持つΩ神」として世界Ⅴに誕生するまでは、この世界に存在していなかったのです。
念のために再確認すると、絶対的な無意識の存在のΩ神は、自らの化身かつ分身に造ったヒトに「意識のある心」を持たせることによって、自らの在り方と生き方を自覚的に意図的に主体的に自由に考え選び決めることができる能力を持つようにした訳です。
そして、意識のある心を持つ存在として生まれたヒトは、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中で、意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在として、常に世界Ⅰに絶対的無意識の心を持つΩ神と一緒に存在することになったのです。
かつ、ヒトの抱く、「自分はΩ神の化身かつ分身の存在」、「私はこの世に生きている存在」、「自己意識」、「自我意識」(注記1)等の気付き/自覚は、世界ⅠにΩ神と一緒に存在するヒトの「意識のある心」の働きとして自動的かつ必然的に生まれるものです。
つまり、ヒトのヒトたる存在証明は、ヒトの持つ「意識のある心」の働きにこそあることになります。
この意味で、ヒトは、無意識にその大部分が属する物質的な身体や物質的な身体に伴う「五感」とこの結果の快・不快感や喜怒哀楽等に、ヒトとしてのその存在証明や存在根拠があるのではないことになります。これを、イエスは、「人はパン(物質的身体の象徴)のみにて生きるに非ず」(ヒトの本質は非物質的な存在の「心」とその働きがある)という訳です。
なお、ヒトの物質で出来た身体は、物質世界の世界Ⅳの中に誕生し(世界Ⅴ)、ここに一生涯留まっています。
○意識のあるΩ神のヒトが存在する世界Ⅰの世界の位置について再確認
この世に生きて存在するヒトは、意識のある心+無意識/潜在意識の心+物質的身体を一つに合わせ持つ存在です。
ヒトは、意識のある心を持つΩ神として、絶対的無意識の存在のΩ神と共に、世界Ⅰに存在しています。
ところで、世界Ⅰは、「図解化された一般法則論の世界観」の中で見て分かるように、世界Ⅲ以下から絶対的に超越して存在し、この世界の成り立ちと仕組みを創造する源になった所です。
この故に、世界Ⅰに存在するΩ神と意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身のヒトは、世界Ⅲ以下より先に存在し、Ⅲ以下の世界(注記2)を創造することができる存在として在るわけです。
注記1 ヒトの自己存在意識の範囲を決めているのは、ヒトというシステム
ヒトの自己存在意識の範囲は何で決まるのか?
この答えは、ヒトは、自然法則的に既に決まっている「ヒトの原理的な仕組み」を素にして造られるヒト・システムの存在範囲によって自動的かつ必然的に決まります。
注記1の終わり
○注記2 ヒトはΩ神に代わり法則を作れる
世界Ⅲは、本来、Ω神の天地創造の原理/自然法則+エネルギー一体不可分の働きのことです。
しかし、ヒトは、Ω神が直接造った天然自然の存在の法則にはない、例えばテレビの原理的な仕組みの発明のように、複数の天然自然の存在の法則を組み合わせて、新しい法則を作ることができます。
但し、天然自然の存在の自然法則がするような、原理的な仕組みを基にした自己修復能力を持つシステムを作ることが出来ません。しかし、これによって時代遅れの人造のシステムを、天然自然の存在の法則の一つである「エントロピー増大の法則」に任せて廃棄することが可能になります。
また、倫理・道徳の法則や法律など、社会生活に必要な人工の法則を作ることができます。
ヒトは意識のある心を持つΩ神として、自分が生きている社会の創造主である神だからです。
問題は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに一切根拠の無い法則をでっち上げて、それを他人に強制することです。
注記2の終わり
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。