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「水時計」 いつでもあとひとつ質問がある

2018年07月31日 | もう一冊読んでみた
水時計/ジム・ケリー  2018.7.31

 神はすべてをご存じだ。われわれはちがう

先週、英国作家ジム・ケリーの 『凍った夏』 を読みました。
ぼくは、まだ、彼のデビュー作 『水時計』 を読んではいません。
今週は、このミステリーを選んでみました。

彼の処女作品ですから、主人公フィリップ・ドライデンが描写されている部分を拾ってみました。

 ドライデンは腕時計を見ていった。「もう着いててもいいころなんじゃないか」たいていの記者同様、彼も苦い体験をつうじて、忍耐は美徳でないことを学んでいた。

 スタップズはしゃべることにした。自分の得になりそうだと思ったからではなく、ドライデンに好意を抱いていたからである。というか、より正確にいうと、彼を羨んでいた。組織や責任にとらわれていないところ、自由なところ、束縛されていないところを。そしてまた、彼を憐れんでもいた。まさにその自由さゆえに。彼の美しい妻は、一生、病院のベッドから解放されることはないのだ。

 彼女はその砂時計のような姿態に注意をひきつけるべく、しゅなりしゃなりとした歩き方を身につけていた。豊満で、すでに砂がかなり落下しているとはいえ、きちんとくびれのついた砂時計だ。その動きには軽い睡眠作用があり、ドライデンはちかづいてくる車のヘッドライトに魅入られたウサギのように、その場に固まっていた。

 フリート・ストリートで記者をしていた彼の経歴が、彼女の尊敬を勝ち得ていたのである。それは彼をいっそう魅力的にしていた。彼女はドライデンのよそよそしさ、意識していないハンサムさ、六フィートを超える長身にまとう大きすぎるみすぼらしい服、くしゃくしゃの黒髪が気に入っていた。だが、なかでもいちばん心惹かれているのは、その経歴だった。

 ドライデンは、“怒り”を嫌っていた。それを自制心の敗北ととらえていた。

 タヴァンターはドライデンのなかに、自分とおなじ部外者を見出していた。人生を一般人のために考案されたゲームととらえ、傍から眺めている部外者だ。ドライデンはタヴァンターのなかに、社会から疎外され、かならずしもそれに不満を抱いていない人物らしい、斜にかまえた態度を認めていた。


 ドライデンのモットー---いつでもあとひとつ質問がある。

著者、ジム・ケリーの思いと思われるものをひとつふたつ拾ってみました。

 このおべっか野郎が、とドライデンは思った。自尊心をくすぐられた相手がどれほどのたわごとを鵜呑みにするのかは、じつに驚くべきものがあった。電話線のむこうでスタップズがごろごろと喉を鳴らすのが、実際に聞こえそうな気がした。

 ドライデンは写真を裏返した---<ニューマーケット 一九六五年八月 ジプシーと>。
市長夫人は写真を取り返し、それを大切そうに写真入れにしまった。
 「ご主人の写真は?」きついひと言だったが、彼女は笑った。

 「ダーツ盤に貼ってあるやつだけよ。人間、誰しも過ちを犯すわ。その過ちが人生を台無しにするものだと、悲劇だけど」

 ジョン・タヴァンター牧師は聖ヨハネ教会にきてからの数年間に、何度も貧者の葬式を執り行っていた。...そこには、彼が説教のなかで説いている死の安らぎなど、どこにもなかった。生の喜びをそっけなく否定しているという意味では、聖書に似ていた。

地味ですが、 “推理小説” を心ゆくまで堪能できます。

      『 水時計/ジム・ケリー/玉木亨訳/創元推理文庫


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