■ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力/塩野七生 2018.4.2
朝日新聞 2018.3.21
社説は次のように述べている。
一日にまったく本(電子書籍を含む)を読まないと答えた大学生が53.1%----
全国大学生協連合会が先頃、そんな調査を発表した。
「本を読まない」と「文章を読まない」とは違う。若い世代はSNSを使いこなし、ネット上の様々な文章に親しむ。玉石混淆との批判もあるだろうが、それは本の世界も同じだ。一冊を読み通さない「つまみ食い」も含め、読みの多様化をまず認めることが大切だ。
本を読まない皆さんは、自身で自ら体験することの出来ない知識を何から学ぶのでしょうか。
例えば、歴史。
確かに、TV番組からという声もあるかも知れませんが、十分でない気がします。
なぜなら、自主的でないからです。
ぼくが、本を好きになるきっかけは、「教科書」でした。
特に好きだったのは、「現代国語」と「世界史」。
教室の机のなかに、教科書は置きっ放しだったが、現代国語と世界史の教科書だけは、何時も薄い鞄のなかに存在しました。
本好きになるきっかけは、何処にでも転がっています。
チャンスさえつかめば、誰でも本好きになります。
あなたも豊かな感動の世界を楽しんで下さい。
楽しむための読書であって、ためになるためにする読書ではありません。
塩野七生さんが、「十七歳の夏---読者に」で述べています。
あれから十一年が過ぎようとしている。今の私には、エンドユーザーたちへの感謝を述べてまわるだけの、体力はもはやない。
と言っても、調べ、考え、それを基にして歴史を再構築していくという意味での「歴史エッセイ」は、この巻を最後に終えることに決めたので、何かは言い残す必要はある。それで、この巻の最後に載せるこの一文で代えることを許してほしい。
ほんとうにありがとう。これまで私が書きつづけてこられたのも、あなた方がいてくれたからでした。
本は、「著者と読者の共同作」 このことを、改めて感じさせる一文です。
さて、 「ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力」 の登場人物の話をします。
ぼくは、この物語を読んでいて、ダリウスがなぜか憎めなかった。
彼は、きっと気の弱いペルシアの王様だっのでしょう。
・ダリウス
ダレイオス3世の画
Wikipedia/よきものを保持する者を意味する古代ペルシア語 ダーラヤワウ
ダリウスだが、この人は、大帝国のトップであることの他にオリエント人の気質もあって、常に多数の顧問、ないしは御意見番、に囲まれていた。
しかも、穏やかな性格の持ち主でもあったらしく、この人は何であろうと、決定する前にあらかじめ、彼ら全員の聴取のほうを先行するのである。聴いた後で決定を下すのはダリウスなのだが、確固とした考えもない前の意見聴取になるので、決断した直後から、彼自身に迷いが生じてくる。
思い悩む王を見て、配下の将たちとて「様子見」の体制にならざるをえない。命令がいつ変更されるかは予想できず、それでも走り出して失敗すれば、ペルシアでは裁判なしの死刑が待っているのだった。
・アレクサンドロス
愛馬ブケパロスに騎乗したアレクサンドロス
Wikipedia/アレクサンドロス3世
アレクサンドロスの考えるリーダーとは、部下たちの模範にならねばならない存在であり、率先してリスクを冒している様を見せることで、彼らが自分たちのモデルと納得する存在でなければならなかったのだ。
アレクサンドロスは、過去を振り返ることはほとんどしなかった男でもあった。
・ソクラテス
ソクラテスには、質問されてもそれに直接は答えない、というクセがある。
このときも、デルフォイに行ってアポロンの神託を受けたらよい、としか答えなかったのだが、それは、自分で考えて自分で決めよ、ということでしかない。ただしこれには裏がある。人間には、自分で考え自分で決めても神さまのOKがあると安心して先に進めるという性癖があり、それを見透しての忠告なのであった。
・キュロス
王弟キュロスの決起の理由からして、説得性が微弱だった。
現王は、キュロスにとっては、同じ母から生まれた実の兄である。その兄が先に生まれたというだけで王位に就いているのは人倫に反するから決起して、王位には自分が就くというのがキュロスの言い分だが、その根拠が、父がまだ王でなかった時期に生まれたのが兄で、父が王位に就いてから生まれたのが自分、というのだから、ギリシア人ならずともその「理由」には、首をかしげた人が多かったろう。
ギリシアのスパルタとローマ人
・スパルタ
一言で言ってしまえば、スパルタには、他国の人々までも引きつけずにはおかない魅力がなかったのだ。軍事力以外は、何も創造しなかったからである。
・ローマ人
ローマ人は、自由を阻害しないで国内の統一を実現する策として、この二大党派を融合することを考える。
ギリシア人が作り出した「デモクラツィア(民主派)」と「オリガルキア(寡頭派)」に対し、貴族と平民の間で抗争が絶えなかったローマは、「レス・プブリカ」(Res Publica)と名づけた新しい概念を創り出したのである。「パブリック」を考えれば、「対立」よりも「融合」で行くべきだ、と。
師の業績は弟子しだい、と思っているが、ローマはギリシアの弟子になったのだ。師を、ことによっては反面教師にするのも、優秀な弟子である証しなのだから。当時の西地中海では第一の強国であったシラクサはギリシアの混迷にまったく学ばなかったが、いまだ強国でもなかったローマは学んだのであった。
・人生の教訓について
寛容とは、理性的に考えたから実現するのではない。
自信を持った側が決めた場合に実現するものなのだ。
迷いは勝利への足を引っぱるが、確信は勝利への後押しをする。
蛮族とは、なぜか常に南を目指す。
ここに、フィロータスが犯した誤りがあったのだ。
情報とは、すべてでなければ情報にはならない。下にいる者がふるい分けたものを上にあげるのでは、真の意味の情報にはならない。
ふるい分けは、トップがするのである。
▼ここで面白いクイズをひとつ。
デルフォイは、一年中、御神託を受けにくる人でにぎわっていた。それゆえにデルフォイは、情報収集地にもなっていた。地中海世界で起こったことのほとんどは、デルフォイに行けばわかる、と言われたくらいに。
そのうえ、このデルフォイにあるアポロン神殿には、もう一つの存在理由があった。
「デルフォイにあるアポロン神殿には、もう一つの存在理由があった。」とありますが、さて、アポロン神殿にはどんな存在理由があったのでしょうか?
ギリシア人にとっては、貸金庫の役割も果たしていたのである。神さまが見ている前で盗みを働く不とどき者はいないだろう、と思われていたからだが、これがけっこう効果があった。デルフォイの神殿に預けられていたカネが盗まれたと記した史料はない。
「ローマ人の物語」や「ギリシア人の物語」を読んでいて、何時も気になっていたことがありました。
それは、「会戦によって戦場で倒れた兵士たちは、どのように葬られたのだろうか」、との疑問です。
それが、今回分かりました。
どの時代でもこうだったわけではないでしょうが、その一部は分かりました。
まず、戦死者たちの埋葬が行われる。ギリシアでは、戦死者はその戦場で火葬に付され、その戦場に葬られる決まりになっていた。
死者の埋葬は、彼らを率いた最高司令官が行うのも慣例になっている。ペルシアではそのようなことはしないが、ギリシアではするのだ。また、ローマでもする。
ぼくに豊穣な楽しい時間をもたらしてくれた 「ギリシア人の物語」 と 「ローマ人の物語」 でした。
至福の時間をありがとう。
『 ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力/塩野七生/新潮社 』
朝日新聞 2018.3.21
社説は次のように述べている。
一日にまったく本(電子書籍を含む)を読まないと答えた大学生が53.1%----
全国大学生協連合会が先頃、そんな調査を発表した。
「本を読まない」と「文章を読まない」とは違う。若い世代はSNSを使いこなし、ネット上の様々な文章に親しむ。玉石混淆との批判もあるだろうが、それは本の世界も同じだ。一冊を読み通さない「つまみ食い」も含め、読みの多様化をまず認めることが大切だ。
本を読まない皆さんは、自身で自ら体験することの出来ない知識を何から学ぶのでしょうか。
例えば、歴史。
確かに、TV番組からという声もあるかも知れませんが、十分でない気がします。
なぜなら、自主的でないからです。
ぼくが、本を好きになるきっかけは、「教科書」でした。
特に好きだったのは、「現代国語」と「世界史」。
教室の机のなかに、教科書は置きっ放しだったが、現代国語と世界史の教科書だけは、何時も薄い鞄のなかに存在しました。
本好きになるきっかけは、何処にでも転がっています。
チャンスさえつかめば、誰でも本好きになります。
あなたも豊かな感動の世界を楽しんで下さい。
楽しむための読書であって、ためになるためにする読書ではありません。
塩野七生さんが、「十七歳の夏---読者に」で述べています。
あれから十一年が過ぎようとしている。今の私には、エンドユーザーたちへの感謝を述べてまわるだけの、体力はもはやない。
と言っても、調べ、考え、それを基にして歴史を再構築していくという意味での「歴史エッセイ」は、この巻を最後に終えることに決めたので、何かは言い残す必要はある。それで、この巻の最後に載せるこの一文で代えることを許してほしい。
ほんとうにありがとう。これまで私が書きつづけてこられたのも、あなた方がいてくれたからでした。
本は、「著者と読者の共同作」 このことを、改めて感じさせる一文です。
さて、 「ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力」 の登場人物の話をします。
ぼくは、この物語を読んでいて、ダリウスがなぜか憎めなかった。
彼は、きっと気の弱いペルシアの王様だっのでしょう。
・ダリウス
ダレイオス3世の画
Wikipedia/よきものを保持する者を意味する古代ペルシア語 ダーラヤワウ
ダリウスだが、この人は、大帝国のトップであることの他にオリエント人の気質もあって、常に多数の顧問、ないしは御意見番、に囲まれていた。
しかも、穏やかな性格の持ち主でもあったらしく、この人は何であろうと、決定する前にあらかじめ、彼ら全員の聴取のほうを先行するのである。聴いた後で決定を下すのはダリウスなのだが、確固とした考えもない前の意見聴取になるので、決断した直後から、彼自身に迷いが生じてくる。
思い悩む王を見て、配下の将たちとて「様子見」の体制にならざるをえない。命令がいつ変更されるかは予想できず、それでも走り出して失敗すれば、ペルシアでは裁判なしの死刑が待っているのだった。
・アレクサンドロス
愛馬ブケパロスに騎乗したアレクサンドロス
Wikipedia/アレクサンドロス3世
アレクサンドロスの考えるリーダーとは、部下たちの模範にならねばならない存在であり、率先してリスクを冒している様を見せることで、彼らが自分たちのモデルと納得する存在でなければならなかったのだ。
アレクサンドロスは、過去を振り返ることはほとんどしなかった男でもあった。
・ソクラテス
ソクラテスには、質問されてもそれに直接は答えない、というクセがある。
このときも、デルフォイに行ってアポロンの神託を受けたらよい、としか答えなかったのだが、それは、自分で考えて自分で決めよ、ということでしかない。ただしこれには裏がある。人間には、自分で考え自分で決めても神さまのOKがあると安心して先に進めるという性癖があり、それを見透しての忠告なのであった。
・キュロス
王弟キュロスの決起の理由からして、説得性が微弱だった。
現王は、キュロスにとっては、同じ母から生まれた実の兄である。その兄が先に生まれたというだけで王位に就いているのは人倫に反するから決起して、王位には自分が就くというのがキュロスの言い分だが、その根拠が、父がまだ王でなかった時期に生まれたのが兄で、父が王位に就いてから生まれたのが自分、というのだから、ギリシア人ならずともその「理由」には、首をかしげた人が多かったろう。
ギリシアのスパルタとローマ人
・スパルタ
一言で言ってしまえば、スパルタには、他国の人々までも引きつけずにはおかない魅力がなかったのだ。軍事力以外は、何も創造しなかったからである。
・ローマ人
ローマ人は、自由を阻害しないで国内の統一を実現する策として、この二大党派を融合することを考える。
ギリシア人が作り出した「デモクラツィア(民主派)」と「オリガルキア(寡頭派)」に対し、貴族と平民の間で抗争が絶えなかったローマは、「レス・プブリカ」(Res Publica)と名づけた新しい概念を創り出したのである。「パブリック」を考えれば、「対立」よりも「融合」で行くべきだ、と。
師の業績は弟子しだい、と思っているが、ローマはギリシアの弟子になったのだ。師を、ことによっては反面教師にするのも、優秀な弟子である証しなのだから。当時の西地中海では第一の強国であったシラクサはギリシアの混迷にまったく学ばなかったが、いまだ強国でもなかったローマは学んだのであった。
・人生の教訓について
寛容とは、理性的に考えたから実現するのではない。
自信を持った側が決めた場合に実現するものなのだ。
迷いは勝利への足を引っぱるが、確信は勝利への後押しをする。
蛮族とは、なぜか常に南を目指す。
ここに、フィロータスが犯した誤りがあったのだ。
情報とは、すべてでなければ情報にはならない。下にいる者がふるい分けたものを上にあげるのでは、真の意味の情報にはならない。
ふるい分けは、トップがするのである。
▼ここで面白いクイズをひとつ。
デルフォイは、一年中、御神託を受けにくる人でにぎわっていた。それゆえにデルフォイは、情報収集地にもなっていた。地中海世界で起こったことのほとんどは、デルフォイに行けばわかる、と言われたくらいに。
そのうえ、このデルフォイにあるアポロン神殿には、もう一つの存在理由があった。
「デルフォイにあるアポロン神殿には、もう一つの存在理由があった。」とありますが、さて、アポロン神殿にはどんな存在理由があったのでしょうか?
ギリシア人にとっては、貸金庫の役割も果たしていたのである。神さまが見ている前で盗みを働く不とどき者はいないだろう、と思われていたからだが、これがけっこう効果があった。デルフォイの神殿に預けられていたカネが盗まれたと記した史料はない。
「ローマ人の物語」や「ギリシア人の物語」を読んでいて、何時も気になっていたことがありました。
それは、「会戦によって戦場で倒れた兵士たちは、どのように葬られたのだろうか」、との疑問です。
それが、今回分かりました。
どの時代でもこうだったわけではないでしょうが、その一部は分かりました。
まず、戦死者たちの埋葬が行われる。ギリシアでは、戦死者はその戦場で火葬に付され、その戦場に葬られる決まりになっていた。
死者の埋葬は、彼らを率いた最高司令官が行うのも慣例になっている。ペルシアではそのようなことはしないが、ギリシアではするのだ。また、ローマでもする。
ぼくに豊穣な楽しい時間をもたらしてくれた 「ギリシア人の物語」 と 「ローマ人の物語」 でした。
至福の時間をありがとう。
『 ギリシア人の物語Ⅲ 新しき力/塩野七生/新潮社 』