■黒い睡蓮/ミシェル・ビュッシ 2018.4.9
2018年版 このミステリーがすごい!
海外篇 第5位 黒い睡蓮
ある村に、三人の女がいた。
ひとり目はいつも黒い服を着て、二人目は好きな男のために化粧をし、
三人目はおさげ髪を風になびかせていた。
三人とも、旅立ちを夢見ていたのだ。
夢見ることは罪かもしれないと、わたしは認めよう
この物語に決着をつけるのはわたしだ。がっかりさせないわ。
わたしを信じなさい。
あの少女が、こんなにも気難し屋の老女となって死んでゆくなんて、
そんなことがあっていいわけない。
震える指が、二枚の銀のリボンに触れた。
そのとたん、思い出が目の前にまざまざとよみがえった。
二度読みすれば、今度は、ゆったりと、この物語の世界で遊べるような気がします。
とにかく面白い大人の童話、堪能しました。
例え、童話の世界でも人生はいろいろです。
文句のつけようがない男と暮らす女の耐えがたい倦怠……言いわけもできなければ、アリバイもない。ただ倦怠が、本当の人生はもっとほかの場所にあるのだという確信が続くだけ。完璧な共感は別なところにある。そう、気まぐれは取るに足らない心の迷いではなく、とても大事なものなのだ。
それでもたぶん幸せに、あるいは不幸せに生き続ける。そしていつしか、幸せ不幸せの区別もつかなくなる。結局、もっと単純なんだ、あきらめることは。
少なくとも、光は手に入らない。かの有名なジヴェルニーの光もこれで最後。あとは黒い穴が待つばかりだ。何でもかでも、お金で買えるわけじゃないわ。結局それは、神様が存在するという徴(しるし)なのだろう。
童話の世界では、魔女も空想癖も突然思い出す記憶も大切なアイテムだ。
「実を言うと、村人たちはあの建物を、魔女の水車小屋と呼んでいるそうです」
「むしろ幽霊屋敷と言ったほうが、ぴったりだろうがね。」
明日の満月を機に、魔女は姿を消すことになるわ……翌朝早く、桜の木の下で死んでいる魔女を見つけ、みんな空を仰いで思うだろう。ああ、またがっていたほうきから落っこちたんだって。あたりまえよね。とても年寄りの魔女なんだから。
ママにいつも言われてたじゃない、おまえは空想の世界に生きている。ありもしないものを見てる、自分の願望に合わせて現実を歪めているんだって。
記憶というのは奇妙なものだ。思いがけないきっかけでよみがえる。
色の不思議について。
「モネが自分の絵から排除し、決して使おうとしなかった色。それは色の不在であると同時に、すべての色を混ぜ合わせた色でもあるのです」
「黒ですよ、警部さん。黒です! 」
色をすべて混ぜ合わせると「黒」になる。
ぼくは、これはなんとも地上的だと感じます。
では、光は混ぜ合わせると。
なんとも「天上的」と思われませんか。 自然の不思議。
愛犬、ネプチューンは何とも愛らしい。
「犬はいつになく、ぴったりと身をすり寄せてくる。」
「いつもは桜の木の木陰で寝そべっているのに、今日はずっとまとわりついてくる。
「行くわよ、ネプチューン」
「そうでしょ、ネプチューン」
「ほら、おとなしくしなさい、ネプチューン」
ミシェル・ビュッシは、犬の扱いが上手ですね。
eテレ日曜美術館の 「ルノワールが描いた絶世の美女/イレーヌ」 の番組は面白かった。
『 黒い睡蓮/ミシェル・ビュッシ/平岡敦訳/集英社文庫』
2018年版 このミステリーがすごい!
海外篇 第5位 黒い睡蓮
ある村に、三人の女がいた。
ひとり目はいつも黒い服を着て、二人目は好きな男のために化粧をし、
三人目はおさげ髪を風になびかせていた。
三人とも、旅立ちを夢見ていたのだ。
夢見ることは罪かもしれないと、わたしは認めよう
この物語に決着をつけるのはわたしだ。がっかりさせないわ。
わたしを信じなさい。
あの少女が、こんなにも気難し屋の老女となって死んでゆくなんて、
そんなことがあっていいわけない。
震える指が、二枚の銀のリボンに触れた。
そのとたん、思い出が目の前にまざまざとよみがえった。
二度読みすれば、今度は、ゆったりと、この物語の世界で遊べるような気がします。
とにかく面白い大人の童話、堪能しました。
例え、童話の世界でも人生はいろいろです。
文句のつけようがない男と暮らす女の耐えがたい倦怠……言いわけもできなければ、アリバイもない。ただ倦怠が、本当の人生はもっとほかの場所にあるのだという確信が続くだけ。完璧な共感は別なところにある。そう、気まぐれは取るに足らない心の迷いではなく、とても大事なものなのだ。
それでもたぶん幸せに、あるいは不幸せに生き続ける。そしていつしか、幸せ不幸せの区別もつかなくなる。結局、もっと単純なんだ、あきらめることは。
少なくとも、光は手に入らない。かの有名なジヴェルニーの光もこれで最後。あとは黒い穴が待つばかりだ。何でもかでも、お金で買えるわけじゃないわ。結局それは、神様が存在するという徴(しるし)なのだろう。
童話の世界では、魔女も空想癖も突然思い出す記憶も大切なアイテムだ。
「実を言うと、村人たちはあの建物を、魔女の水車小屋と呼んでいるそうです」
「むしろ幽霊屋敷と言ったほうが、ぴったりだろうがね。」
明日の満月を機に、魔女は姿を消すことになるわ……翌朝早く、桜の木の下で死んでいる魔女を見つけ、みんな空を仰いで思うだろう。ああ、またがっていたほうきから落っこちたんだって。あたりまえよね。とても年寄りの魔女なんだから。
ママにいつも言われてたじゃない、おまえは空想の世界に生きている。ありもしないものを見てる、自分の願望に合わせて現実を歪めているんだって。
記憶というのは奇妙なものだ。思いがけないきっかけでよみがえる。
色の不思議について。
「モネが自分の絵から排除し、決して使おうとしなかった色。それは色の不在であると同時に、すべての色を混ぜ合わせた色でもあるのです」
「黒ですよ、警部さん。黒です! 」
色をすべて混ぜ合わせると「黒」になる。
ぼくは、これはなんとも地上的だと感じます。
では、光は混ぜ合わせると。
なんとも「天上的」と思われませんか。 自然の不思議。
愛犬、ネプチューンは何とも愛らしい。
「犬はいつになく、ぴったりと身をすり寄せてくる。」
「いつもは桜の木の木陰で寝そべっているのに、今日はずっとまとわりついてくる。
「行くわよ、ネプチューン」
「そうでしょ、ネプチューン」
「ほら、おとなしくしなさい、ネプチューン」
ミシェル・ビュッシは、犬の扱いが上手ですね。
eテレ日曜美術館の 「ルノワールが描いた絶世の美女/イレーヌ」 の番組は面白かった。
『 黒い睡蓮/ミシェル・ビュッシ/平岡敦訳/集英社文庫』