■ミステリ国の人々/有栖川有栖 2017.8.1
ぼくは、ブログを書きながら、長い間 「ミステリーかミステリ」 どっち? と悩んでいたのだが..........
この本の冒頭で、解答を見つけた、目から鱗とはこのことか。ぼくは、ミステリ国の住人ではないことを思い知らされたのだが。
ミステリーというのは推理小説以外の意味でもよく遣われる範囲の広い言葉で、徳川埋蔵金やUFOの謎から床に落とした消しゴムがどうしても見つからないことまで「ミステリーだ」と表現できてしまう。
そういう日常的な用法とは区別するために、推理小説ファンは音引きを省いてミステリとすることが多く、ふだん私もそうしている。
そうなんだ!
その世界には、その世界固有の常識というものがある。
そこで、「ミステリ国の常識」を拾い、住人となるべく、少し勉強することにした。
退屈は本格ミステリの苗床である
金田一耕助が初めて登場したのは、太平洋戦争が終結してまもない昭和二十一年。戦時中、探偵小説はアングロ・サクソン的な適性文学として弾圧されていたから、作者の横溝正史は捕物帳で糊口をしのぎ、こそこそとディクスン・カーなどを読み耽る。
退屈は本格ミステリの苗床である。興味のない人からすれば本格ミステリなど手の込んだ絵空事にすぎず、暇人が頭の中でちまちまとこしらえた玩具に等しいだろう。ただ、それは本気で遊ばなくては創れないものだ。退屈の中でこそ、人間は想像力を駆使してとことん遊ぼうとするのだと思う。
本格ミステリを誤解していないか
名探偵が怜悧な頭脳をフル回転させ、複雑なトリックを見破ったり意外な手掛かりから推理をめぐらせたりして犯人をつきとめる------というのが本格ミステリ(本格もの)だ。作者が本腰を入れて書いた会心のミステリという意味ではない。
本格ミステリというのは「オーソドックスな謎解きを中心にしたミステリ」の意なのだが、「作者が本腰を入れて書いたミステリ」と誤解されがちである。そのように誤解させたがっているのか、と疑いたくなる本の宣伝文句も以前はよく見掛けた。
ハードボイルドを誤解していないか
ハードボイルドにも似た事情があり、「タフな主人公が拳銃を撃ち合ったり殴り合ったりするミステリ」と思っている人がいる。本来は、感情表現を押さえ、固く茹でた卵のごとき硬質の文体を指す文芸用語だ。ミステリにおけるハードボイルドとは、その文体で書かれた「主人公(多くは私立探偵)が主に行動によって真相に迫るタイプのミステリ」が正しい。
倒叙ミステリは、なぜ魅力的なのか
探偵ではなく犯人が主人公であり、彼らが殺人計画を練り上げ、実行に移し、どうなるかという顛末が犯人の生々しい心理とともに描かれている。
こういうタイプのものを倒叙ミステリと呼び、......
犯人捜しの興味はなくなるが、この形式をとると犯行動機、計画殺人なら緻密な計画と準備、犯罪者の心理を克明に描けるし、読者が犯人に感情移入すれば強烈なサスペンスを味わえる。
本格ミステリの名作は、計画殺人
彼が相対するのは偽装アリバイなので、事件はいつも計画殺人である。ここが大きなポイントだ。
巧妙な計画殺人を盛り込むと、えてして作り物っぽさが出て現実味は低下しがちだが、本格ミステリでは探偵と犯人の対決色が鮮明になり、熾烈な頭脳戦が描けるのである(犯人は鬼貫への手紙に「君に智恵の戦いを挑んだ」と書く!)。
私は、この形が<本格ミステリの華>だと考えている。「あれは面白かったなぁ」とあなたの心に残る本格ミステリの名作を思い出してみたら------あれもこれも、計画殺人ではありませんか?
ミステリの怪盗は、快盗?
怪盗という言葉は辞書にもちゃんと載っているいて、「正体不明で、手口が巧みな盗賊」(大辞林)とされている。なるほど。
私がイメージする怪盗は、前記の定義に加えて「つい肩入れしたくなってしまう盗賊」だ。それだと快盗と書く方が適切かもしれない。
ゴシック小説と女性作家登場の訳
十八世紀のイギリスで発生したゴシック小説(超自然的な怪異を扱う)がそれを崩し(少数の男性だけが小説を書けた時代)、多くの女性作家が誕生した。古城をさまよう亡霊や人造人間など、見た者がいないのだから描くのに男も女もない。そして、ゴシック小説はミステリの先祖でもある。
捕物帳はミステリ
「捕物帳とは季の文学である」
捕物を通して江戸の町と人と四季折々の風物・風俗を楽しむのが捕物帳の本質であるの意。そういう小説、そういう読み方は確かにあるだろう。
ミステリが大嫌いな国と人たち
この共和国は、私たちと無縁の世界でもない。不寛容と相互監視の風潮が蔓延し、国家により強くあって欲しいと熱望してそれに忠誠を誓いたがる者が増えれば、日本だって共和国にみるみる接近するだろう。
その際、ミステリは必ず「不健全で有害である」とやり玉に挙がる。戦時下、つい七十数年前の日本がそうだった。将軍も<彼ら>も、ミステリが大嫌いなのだ。
あなた、「ミステリなんて読んでも糞の足しにもならない!」 と考えていませんか。
『 ミステリ国の人々/有栖川有栖/日本経済新聞出版社 』
『ミステリ国の人々』で紹介されていた「ミステリの名作」所謂、古典をこれから少しずつ読んでみたいと思う。
遠い昔に、夢中で読んだなずなのだが、きっと覚えていない。
ならば、新鮮な気持ちで、初めて読む楽しみがある。
ぼくは、ブログを書きながら、長い間 「ミステリーかミステリ」 どっち? と悩んでいたのだが..........
この本の冒頭で、解答を見つけた、目から鱗とはこのことか。ぼくは、ミステリ国の住人ではないことを思い知らされたのだが。
ミステリーというのは推理小説以外の意味でもよく遣われる範囲の広い言葉で、徳川埋蔵金やUFOの謎から床に落とした消しゴムがどうしても見つからないことまで「ミステリーだ」と表現できてしまう。
そういう日常的な用法とは区別するために、推理小説ファンは音引きを省いてミステリとすることが多く、ふだん私もそうしている。
そうなんだ!
その世界には、その世界固有の常識というものがある。
そこで、「ミステリ国の常識」を拾い、住人となるべく、少し勉強することにした。
退屈は本格ミステリの苗床である
金田一耕助が初めて登場したのは、太平洋戦争が終結してまもない昭和二十一年。戦時中、探偵小説はアングロ・サクソン的な適性文学として弾圧されていたから、作者の横溝正史は捕物帳で糊口をしのぎ、こそこそとディクスン・カーなどを読み耽る。
退屈は本格ミステリの苗床である。興味のない人からすれば本格ミステリなど手の込んだ絵空事にすぎず、暇人が頭の中でちまちまとこしらえた玩具に等しいだろう。ただ、それは本気で遊ばなくては創れないものだ。退屈の中でこそ、人間は想像力を駆使してとことん遊ぼうとするのだと思う。
本格ミステリを誤解していないか
名探偵が怜悧な頭脳をフル回転させ、複雑なトリックを見破ったり意外な手掛かりから推理をめぐらせたりして犯人をつきとめる------というのが本格ミステリ(本格もの)だ。作者が本腰を入れて書いた会心のミステリという意味ではない。
本格ミステリというのは「オーソドックスな謎解きを中心にしたミステリ」の意なのだが、「作者が本腰を入れて書いたミステリ」と誤解されがちである。そのように誤解させたがっているのか、と疑いたくなる本の宣伝文句も以前はよく見掛けた。
ハードボイルドを誤解していないか
ハードボイルドにも似た事情があり、「タフな主人公が拳銃を撃ち合ったり殴り合ったりするミステリ」と思っている人がいる。本来は、感情表現を押さえ、固く茹でた卵のごとき硬質の文体を指す文芸用語だ。ミステリにおけるハードボイルドとは、その文体で書かれた「主人公(多くは私立探偵)が主に行動によって真相に迫るタイプのミステリ」が正しい。
倒叙ミステリは、なぜ魅力的なのか
探偵ではなく犯人が主人公であり、彼らが殺人計画を練り上げ、実行に移し、どうなるかという顛末が犯人の生々しい心理とともに描かれている。
こういうタイプのものを倒叙ミステリと呼び、......
犯人捜しの興味はなくなるが、この形式をとると犯行動機、計画殺人なら緻密な計画と準備、犯罪者の心理を克明に描けるし、読者が犯人に感情移入すれば強烈なサスペンスを味わえる。
本格ミステリの名作は、計画殺人
彼が相対するのは偽装アリバイなので、事件はいつも計画殺人である。ここが大きなポイントだ。
巧妙な計画殺人を盛り込むと、えてして作り物っぽさが出て現実味は低下しがちだが、本格ミステリでは探偵と犯人の対決色が鮮明になり、熾烈な頭脳戦が描けるのである(犯人は鬼貫への手紙に「君に智恵の戦いを挑んだ」と書く!)。
私は、この形が<本格ミステリの華>だと考えている。「あれは面白かったなぁ」とあなたの心に残る本格ミステリの名作を思い出してみたら------あれもこれも、計画殺人ではありませんか?
ミステリの怪盗は、快盗?
怪盗という言葉は辞書にもちゃんと載っているいて、「正体不明で、手口が巧みな盗賊」(大辞林)とされている。なるほど。
私がイメージする怪盗は、前記の定義に加えて「つい肩入れしたくなってしまう盗賊」だ。それだと快盗と書く方が適切かもしれない。
ゴシック小説と女性作家登場の訳
十八世紀のイギリスで発生したゴシック小説(超自然的な怪異を扱う)がそれを崩し(少数の男性だけが小説を書けた時代)、多くの女性作家が誕生した。古城をさまよう亡霊や人造人間など、見た者がいないのだから描くのに男も女もない。そして、ゴシック小説はミステリの先祖でもある。
捕物帳はミステリ
「捕物帳とは季の文学である」
捕物を通して江戸の町と人と四季折々の風物・風俗を楽しむのが捕物帳の本質であるの意。そういう小説、そういう読み方は確かにあるだろう。
ミステリが大嫌いな国と人たち
この共和国は、私たちと無縁の世界でもない。不寛容と相互監視の風潮が蔓延し、国家により強くあって欲しいと熱望してそれに忠誠を誓いたがる者が増えれば、日本だって共和国にみるみる接近するだろう。
その際、ミステリは必ず「不健全で有害である」とやり玉に挙がる。戦時下、つい七十数年前の日本がそうだった。将軍も<彼ら>も、ミステリが大嫌いなのだ。
あなた、「ミステリなんて読んでも糞の足しにもならない!」 と考えていませんか。
『 ミステリ国の人々/有栖川有栖/日本経済新聞出版社 』
『ミステリ国の人々』で紹介されていた「ミステリの名作」所謂、古典をこれから少しずつ読んでみたいと思う。
遠い昔に、夢中で読んだなずなのだが、きっと覚えていない。
ならば、新鮮な気持ちで、初めて読む楽しみがある。