■戻り川心中/連城三紀彦 2017.8.15
『ミステリ国の人々』(有栖川有栖)紹介の古典、その3は、連城三紀彦氏の 『戻り川心中』 です。
『ミステリ国の人々』の紹介文。
世の中は行きつ戻りつ戻り川水の流れに抗ふあたわず
先に引用した歌を読んで「これが天才歌人の傑作か。ピンとこない」と思われた方がいるかもしれないが、素晴らしいのはやはり散文だ。効果を吟味した文章の力によって、読者は幻想の川を流されて行く。真相を超えた真実へと。
絢爛たる作り物が授けてくれる感動がここにある。読むほどに、ドキドキするようなミステリ国の風景が広がっていく。
ちなみに、戻り川というのも作者の造語で、辞書には載っていませんからね。
『戻り川心中』(光文社文庫)には、花に絡めて五つの短編が収められています。
まず、「戻り川心中」を読みました。
美しい文章である。内容もおもしろい。
苑田は短い生涯の晩年とも呼べる時期に「情歌」と「蘇生」という連作歌集の二代傑作を生み出しているが、これは苑田が二度に亙(わた)ってひき起こした心中事件を題材にしている。
この文だけで読みたくなります。
登場する女性の描写も巧みです。
文緒と朱子は色の白さが似ていた。ただ文緒の方は、どんな男の穢(けが)れた手もはねのけてしまう潔癖な白さだったが、朱子の方は、男の手で染めかわるのを待っているような、男の生々しい雫(しずく)が滲(にじ)むためにあるような、濡れた白さだった。文緒の方は穢したくない白さだが、朱子の方は穢してみたい白さだった。
美しい文章である。流れるようさっと読んでしまう。しかし、よく考えてみると下線部など、具体的にはどんな情景なのか、ぼくには思い描くことが出来ないぞ。
月が雲に隠れ、闇が深まると、水の流れが意外に早いことがわかる。それまでさほど感じなかった水音が、周(まわ)りでいっせいに湧(わ)きあがった。.......
天空にも流れがある。
隠した月を逆光に浴び、雲の影はさまざまな濃淡に染めわけられ、墨色の切り紙細工を捨てたように、空の流れに漂っていた。
風に吹きはらわれ、星は地平線近くに落ち、人家の燈と区別がつかない。その淡い光の屑(くず)は蛍火を追うようである。そんな蛍火の儚(はかな)さで、自分と朱子の二つの命もまだ、燃えつきることなく、天と地が一つになり、果てしなく広がった闇の世界に、引っ懸っているのだ。
5編とも時代は、大正時代です。
その時代と探偵小説の雰囲気が多いに楽しめます。
色街には、通夜の燈(ひ)がございます。
今ではもう跡形もなく消え果ててしまいましたが、大正の末のころ、瀬戸内の狭い海に突き出した小さな湊(みなと)町に、まあ当時でさえ、どことなく寂(さび)れた色里がございまして名を常夜坂と申しました。
その色街に一晩中、灯されておりました白い色冷(さ)めた燈が、この齢になりましてしきりに懐しく思い出されるのですが、思い出すその燈には、不思議に生命(いのち)がないんでございます。
千街晶之氏は、「解説」で次のように述べているが、肯けます。みなさんもご一読下さい。どっぷりつかります。
本書『戻り川心中』は、わが国ミステリの歴史において、最も美しくたおやかな名花である。流麗な文章、纏綿(てんめん)たる情緒、鮮やかなトリックが、恋愛小説と探偵小説を両立させ、読者を底深い酔いへと導く。
『 戻り川心中/連城三紀彦/光文社文庫 』
『ミステリ国の人々』(有栖川有栖)紹介の古典、その3は、連城三紀彦氏の 『戻り川心中』 です。
『ミステリ国の人々』の紹介文。
世の中は行きつ戻りつ戻り川水の流れに抗ふあたわず
先に引用した歌を読んで「これが天才歌人の傑作か。ピンとこない」と思われた方がいるかもしれないが、素晴らしいのはやはり散文だ。効果を吟味した文章の力によって、読者は幻想の川を流されて行く。真相を超えた真実へと。
絢爛たる作り物が授けてくれる感動がここにある。読むほどに、ドキドキするようなミステリ国の風景が広がっていく。
ちなみに、戻り川というのも作者の造語で、辞書には載っていませんからね。
『戻り川心中』(光文社文庫)には、花に絡めて五つの短編が収められています。
まず、「戻り川心中」を読みました。
美しい文章である。内容もおもしろい。
苑田は短い生涯の晩年とも呼べる時期に「情歌」と「蘇生」という連作歌集の二代傑作を生み出しているが、これは苑田が二度に亙(わた)ってひき起こした心中事件を題材にしている。
この文だけで読みたくなります。
登場する女性の描写も巧みです。
文緒と朱子は色の白さが似ていた。ただ文緒の方は、どんな男の穢(けが)れた手もはねのけてしまう潔癖な白さだったが、朱子の方は、男の手で染めかわるのを待っているような、男の生々しい雫(しずく)が滲(にじ)むためにあるような、濡れた白さだった。文緒の方は穢したくない白さだが、朱子の方は穢してみたい白さだった。
美しい文章である。流れるようさっと読んでしまう。しかし、よく考えてみると下線部など、具体的にはどんな情景なのか、ぼくには思い描くことが出来ないぞ。
月が雲に隠れ、闇が深まると、水の流れが意外に早いことがわかる。それまでさほど感じなかった水音が、周(まわ)りでいっせいに湧(わ)きあがった。.......
天空にも流れがある。
隠した月を逆光に浴び、雲の影はさまざまな濃淡に染めわけられ、墨色の切り紙細工を捨てたように、空の流れに漂っていた。
風に吹きはらわれ、星は地平線近くに落ち、人家の燈と区別がつかない。その淡い光の屑(くず)は蛍火を追うようである。そんな蛍火の儚(はかな)さで、自分と朱子の二つの命もまだ、燃えつきることなく、天と地が一つになり、果てしなく広がった闇の世界に、引っ懸っているのだ。
5編とも時代は、大正時代です。
その時代と探偵小説の雰囲気が多いに楽しめます。
色街には、通夜の燈(ひ)がございます。
今ではもう跡形もなく消え果ててしまいましたが、大正の末のころ、瀬戸内の狭い海に突き出した小さな湊(みなと)町に、まあ当時でさえ、どことなく寂(さび)れた色里がございまして名を常夜坂と申しました。
その色街に一晩中、灯されておりました白い色冷(さ)めた燈が、この齢になりましてしきりに懐しく思い出されるのですが、思い出すその燈には、不思議に生命(いのち)がないんでございます。
千街晶之氏は、「解説」で次のように述べているが、肯けます。みなさんもご一読下さい。どっぷりつかります。
本書『戻り川心中』は、わが国ミステリの歴史において、最も美しくたおやかな名花である。流麗な文章、纏綿(てんめん)たる情緒、鮮やかなトリックが、恋愛小説と探偵小説を両立させ、読者を底深い酔いへと導く。
『 戻り川心中/連城三紀彦/光文社文庫 』