ゆめ未来     

遊びをせんとや生れけむ....
好きなことを、心から楽しもうよ。
しなやかに、のびやかに毎日を過ごそう。

「覗くモーテル 観察日誌」 出歯亀! あるいは本人曰く、先駆的性科学研究者

2017年08月28日 | もう一冊読んでみた
覗くモーテル 観察日誌/ゲイ・タリーズ  2017.8.28

覗くモーテル 観察日誌』 は、あるモーテルの経営者が、「覗き穴」を作り、利用客の夜の生態を20年以上も覗き続け、ご丁寧にも、克明に日誌として記録したものです。

男なら「覗き」にだれしも興味があるでしょう。機会があれば、チョット出来心で.......。 しかし、克明な記録を何十年にわたってと云うとこれはもう、ビョウキ。

    書評/高橋伸児 編集者・WEBRONZA

「覗き体験」の回想は、この作品以前にも出版されていることが紹介されている。
我が秘密の生涯』である。

 この紳士は一八八〇年代のなかばより、自身の男女関係や過去の覗き体験の回想などを記した性的回顧録の執筆を開始した。数十年ののち、紳士の努力は全十一巻、総ページ数四千の作品として結実する。『我が秘密の生涯』という作品だ。
 紳士は身元を隠して、この作品をアムステルダムで私家版として刊行するように手配した。そこからこの作品はしだいに悪名を広めていき、やがてヨーロッパやアメリカの地下出版の世界で海賊版や縮約版が出まわるようになった。二十世紀中盤に猥褻出版関係の法律が緩和されると、一九六六年にグローブ・プレスから最初の合法的なアメリカ版が刊行された。マーカス教授はこの著作を、当時の社会史を知るうえで貴重な洞察と事実が記載された作品だ、と称揚している。


この『我が秘密の生涯』から、ぼくにとっては興味深い話が数々紹介されています。

 同時に『我が秘密の生涯』の作者がわたしたちに教えてくれるのは、個人の衛生観念やヴィクトリア朝の人々のトイレ習慣である。一八〇〇年代中盤以前、ロンドン市内には公衆便所がないも同然であり、人々は男女の別なく、ハンプコート公園のような場所の茂みのなかで用を足しており、さらに夜間になると市内の道路においても用を足していたという事実だ。
 「警官は、往来の多いところでする以外は、そんな些細なことには目もくれなかった(だが、私は、夜、ストランド通りの溝で女たちが堂々と用をたしているのを目撃した)。それどころかある通りで、女たちが列をなして放尿しているところさえ見たことがある。大体、二人一組になって、一人が終わるまで、もう一人は立って衝立となり、交代にするのだ」


 『我が秘密の生涯』から引用の一節。こんな大胆なことを、このヴィクトリア朝時代に生きた紳士はおっしゃる。

 「男も女も、子供でさえ、機会さえあったらそうするに違いないのに、男と女がファックしているのを見ることが、けがらわしいと。一言われるのはどうしてだろう? 性交とは、すべきではないことなのだろうか。そうでないなら、それをしているのを見て、何のさしさわりがあろう?」

それでは、本題 『覗くモーテル 観察日誌』 で、ぼくが人間の癖でおもしろいと感じた一節です。 トイレの座り方。

 客室内にはいった女はすぐさまテレビをつけたのち、バスルームへ行き、騒々しく音を立てて排尿した。女は横ずわり族の一員だった----これは、トイレの便座に横向きに腰かける人々のことだ。通常の前向きずわリ族とくらべ、斜めをむいたすわリ方である。
 トイレの便座のすわり方は個人個人で大いに異なっている。水のタンクに寄りかかる者もいる。
上体を前へ傾ける者もいる。なかにはかなリ前へ傾ける者もいるし、さらに度を越して傾けた結果、排泄行為をしているその箇所のまん前まで顔を近づけていた者も、これまでに少なくともひとり見ている。もっとも奇妙なすわリ方をしていたのは、つねにタンクのほうを向き、足を広げて便器にまたがる姿勢をとっていた人物だ。この男性はその姿勢で両腕をタンクに預けることができた。なかにはトイレの便座に決してすわらない人々もいる----彼らは便座にしゃがみこむ途中のような姿勢で腰を浮かせたままだ。徽菌が肌につくのを避けようとしているのだろう。このように便座を使用するにあたってのありとあらゆる姿勢が、これまでに観察されてきた。


この覗き魔クン、何が楽しくて続けるのか......分からない。

 今回の観察対象者のカップルは決して幸せを得られず、いずれ離婚するしかないだろう。夫はセックスの初歩も知らず、適切なやりかたも知らない。知っているのは明かりを消して体を覆い、挿入して出し入れしてオーガズムを得ることだけだ。
 覗き趣味のおかげで、わたしは万事がむなしいと信じる無益論者になってしまった。そんな自分の魂の現状が悲しくてならない。

さらに覗きを続けた、その先には........。

 社会はわたしたちに嘘と盗みと編しの手管を教えた。そして欺瞞は、いまや人間の諸要素のうち最重要かつ必要不可欠なものになっている……。人々の観察をはじめて五年になろうかといういま、わたしは社会がこの先どんな方向へむかうのかという点について悲観的になっているし、なにもかも無益だということがわかるにつれ、気分はますます落ちこむばかりだ。

この作品を読んいて、気になる言葉があった。

    ディルド
    抽送


 『 覗くモーテル 観察日誌/ゲイ・タリーズ/白石朗訳/文藝春秋 』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする