春夏秋冬 思いのままに

春夏秋冬東西南北右往左往の過去現在、そしておそらく未来も

絹さやで日陰を作る試み

2011年05月05日 | 私の季節
この夏は電気が不安だと言うので
絹さやの苗を窓際に植えたのです。
背の高さが何処までになるのか
そこが問題ですがとりあえずの試み
もちろん収穫優先であります。

絹さやがさらに育つとグリンピースに
なるのでしょうか、そうなると
一石二鳥ならぬ1豆2豆
これでは何のことか分かりませんな
先人は色々な熟語をどんなふうに
作り上げてきたのでしょうね。
一石二鳥のはずはないですもんね。

インドネシアに居たときに
ブーゲンビリアで日陰を作って
生活したことがあったのであります。
日陰には良かったのですが
風が入らず一長一短でありました。

あそこの太陽は朝一回り小さくて
スコンとのぼって
その代わり日中の大きさは4倍はあって
そして夕方はまた一回り小さくなって
ポトンと沈むのです。

そんなのが良くて一時田舎に住んだのですが
最後には街の中に住みました。
侘びしくなって困ったからです。




国を守るということ

2011年05月05日 | 誇りに思うこと
国を守るに組織力は何としても必要です。

率直に自衛隊のことです。
存在を違法だという人たちがいます。
成り立ちからそう言うのでしょうか。

復興の作業に感謝しない方はいない筈です。
国を守るという行為にです。
それでも違法の存在という人はいるかもしれませんが

自衛隊が軍隊と言う人がいます。
言いかえればそう言えると私も思うのです。
言いかえればです。

それで軍隊の本質は何かと考えたのです。
暴力集団なのでしょうか。
むしろ平和集団と思えるのです。
今までの活動を見る限りそのように見えるのです。

専守防衛と言っています。
守ることを専らにするという事なら
誰に対し暴力を振るうのでしょうか。

異常事態に活躍するのが自衛隊なり軍隊なら
こんなに力強く思う組織はないと思うのです。


今度の悲惨は
論議の為に架空の悪を作って
それを現実に置き換える奇妙な
トリックに気づくことの機会になった
のかも と思うのです。

甘いでしょうか

携帯電話のこと

2011年05月05日 | 祭りだわっしょい
朝、メガネをかけて
携帯電話を片手で持ち
シャツと靴下を選んで
ズボンをいずれかの手で持ち
必要であれば自作のバックも持ち

そしてきょうは何をするんだったか
などと考えながら下に降りて行くと
階段の下にももが
階段に尻を向けて伏せの状態で
尻尾をのったりと振りながら
首を私の方に向けるのです。

一日の終わりにふと携帯電話のことが
頭に浮かんだのです。
きょうは一度もならなかったのです。
ポケットにもありません。
家じゅうを探しまわり無くて
車に行ってみます。

農園に行ったからです。
でもあの時 アッ携帯忘れたと思った。
車にはないという確信。
確信は裏切られず往復15分を
期待とがっかりで歩いて

上の子が上にあるんじゃないの と
私のベッドを探索して
ここに有るじゃないのと少し強い声で
私と言えば何とも情けなく
照れくさくて サンキュウなどと言って
そのあと ありがとうと繰り返したのです

携帯には下の子の着信、上のこの着信、嫁さんの着信
多数がありました。

夜中に携帯電話を読む癖があって
その時着信音を小さくしたようなのです。 無意識に
それで聞こえなかったのです。

それにしても一度に色々なことを
やってはいけません。
朝のことです。


何とも情けない一日の終わりでありました。
今朝は農園での疲れのせいか
夜中に一回も起きず
それですっきりしております。


携帯電話は充電中でありますから
有る場所はしっかり分かっております。
確信を持って充電中で
それはベッドの脇であります。


見せられませんが