保津川下りの船頭さん

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シリーズ・保津川を下ろう!その8「下浜」

2004-12-20 23:54:15 | シリーズ・保津川を下ろう!
沈下橋である保津小橋を潜ってしばらく行くと、
川が大きく右に折れていく箇所が見えてきます。
ここの左岸側にあたる湾曲した岸を「下浜」と呼びます。
今では何のへんてつも無い河原となっていますが、
ここが昔の船着場だった場所なのです。

「下浜」とは丹波材を筏にして流していた当時から、
中継地として利用されていた浜で、上流の宇津根浜
からみて下流部にあったことからそう呼ばれたそうです。
ここでは上流用の平川造りの筏を、急流の荒川造りに組み変える
ことを主に行っていたそうで、筏問屋の詰所も存在していた所でした。

慶長11年に当時の嵯峨の豪商・角倉了以が今の保津川下りの
前進にあたる荷物舟を開通してからは、舟に荷持を積み込む
浜として使用され、大堰川水運発展の拠点として栄えた浜でもあります。

当時の船は今の乗船場ではなく、この下浜から出発していたのです。
今では保津川下りの乗船場が約700~800m上流に出来ていることから
この下浜を「古浜」という通称で呼ぶこともあります。

荷持船が下っていた当時の「下浜」には、亀山藩(今の亀岡)所轄の
倉庫や事務所が建ち並び、この地域の農産物や薪、炭などの物資を保管し
随時、舟に積んで保津川渓谷を下り、京や大阪まで大量運搬していたのでした。

ちなみにこの水運を開削した角倉了以は、その功績により徳川幕府から
許可を得て「下浜」に角倉事務所を置いて通運料を取り、嵯峨には運上所を
置いて倉敷料も徴収するという今でいう有料道路の制度を導入し、
有料河川として莫大な利益をあげたのでした。

保津の船頭達はほとんどがこの浜の上部に住処を持っていたことから、
坂を降りて浜に出勤する小さな道が今でも残っています。
その途中には船頭達が行き帰りに、運航の安全を祈願したであろう
「水神さま」の祠(ほこら)がひっそりと建ててあり、当時を偲ばせてくれます。

今でもこの浜の周辺には、材木屋さんや倉庫の後を残す民家がいくつか
点在しており、船下りの最中からも見ることが出来ます。

*写真は「下浜」の上から見た川の風景です。
 左の舗装されている道に、昔は荷持をもった
 牛や馬が行き交いしていたのでしょう。