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保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

保津川って桂川なの?

2004-09-10 22:37:12 | 船頭
お客さんからの質問の中に「保津川は何処で桂川に合流するのですか?」
と聞かれることがよくあります。

意外と保津川の本名が‘桂川’であることは知られていないみたいです。
保津川は桂川の支流ではなく、桂川そのもの、ズバリ本流なのです。

桂川は、丹波高地の東はずれの京都市左京区広河原・佐々里峠に源を持ち、
いったん南下したあと、西に大きく蛇行しながら京北、日吉町の山峡や盆地を
経て、保津川下りの出発地・亀岡市に流れ下ってきます。
その後、船下りのコースである保津峡から嵐山に出、京都市内に戻ります。
その終点は宇治川、木津川との三川合流地点で総延長百十キロ。
この総延長は京都府下随一の長さなのです。

流域地域の生活に密着してきた川だけに、‘桂川’という統一名は
上流地域では馴染めないらしく、いまだに上桂川、保津川、大堰(おおい)川、
桂川と、その地域によって使い分けられているのです。

保津川という呼び方も亀岡流域の保津地区から保津峡の
区間に限ってのことであり、嵐山に入ると渡月橋の下流までを大堰川と呼んでいます。
亀岡流域でも上流の方は、流域地域の名を取り、大井川と呼ばれているのです。

この様に、古くから広大な流域地区をうるおし、豊な耕地を育み、
運河としての産業も支えてきた‘川’への親しみと、恵への感謝が
代々、地域の名前を守り受け継がれ、今も親しみを込めて流域名で呼ばれているのです。

保津川という呼び名も、地域の人々の川への熱い思いと、
保津峡の自然美が滅ばない限り、未来永劫消えることはないです。





川底が変わるの?

2004-09-10 00:24:38 | 船頭
このたびの度重なる台風の通過により、保津川の水位は異常な上昇を
繰り返し、川の底も大きく変化してしまいました。

このことを私達船頭が、会話の中でお客さんに話すと、
大抵のお客さんは「川底って変わるんですか?」と驚かれます。

渓流釣りなどされる人意外は、川に入る機会など無いですものね。
川底などに気が回らないのが当たり前ですね。

しかし、私達船頭は、川底を常に意識しておく必要があります。

川の氾濫は、河原や中洲の砂利を流し、そっくり下流へ持っていきます。
また、縦横直径1m以上もある岩などもゴロゴロ流れていくのです。
それらは最も流れが急な瀬である、船を流す水路に集まって来る事が多いのです。
そして、川の流れ自体を大きく変えてしまうのです。
この時点で船の操縦技術を変えなくてはなりません。

以前なら深かった場所にも砂利が運ばれ足首までの浅さに、
緩やかだった瀬も、本流のごとく急流となり勘が狂ってきます。
岩などは最も厄介者で、川の水位が安定してきた頃、川面に顔を出し始めてきます。
当然、避けて行くか、船底にすって行く事になってしまうのです。

更に浅くなると、これは許っては置けませんから、私達が退かしに行きます。
岩にワイヤーを掛けチルという手作業の機械で引っ張り上げます。
また、浅くなった砂利も鍬のようなもので掘り深くします。

これが安全運行する為に私達に出来る最大限の作業なのです。
出来きれなかった所は?・・・それは船頭の技術で補いかわして行くだけです。

川は太古の昔から、絶えずこれらの変化を繰り返し
現在の姿を現しているのです。

私達船頭はたえず、この自然の変化に自らを合わして流していくだけです。

本当に自然の力の大きさを知る瞬間なのです。