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保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

恵みの秋、「祭り」をみる古の心。

2009-10-22 23:37:25 | 船頭の目・・・雑感・雑記
季節は実りの秋に移り「五穀豊穣」など自然の恵みを
祈願・感謝する祭りが日本各地で行なわれています。

京都でも今日22日に「時代祭」と「鞍馬の火祭り」が催され
多くの見物客で賑わいを見せていたようです。

私の住む亀岡でも明日から「亀岡祭」が行なわれます。
保津川の水害氾濫封じを祈願するために始めたと云われいます。

「祭り」は古の人たちの「自然」とのかかわりを今に伝える行事でもあります。

昔の人たちは自然の恩恵に与り「いきることができる」という事実を
無意識に理解していたことが「祭り」で伺い知ることができます。

時折、牙をむく自然の力に畏怖しながらも、豊かさをあたえてくれる自然に祈り、
命の恵みを支えてくれる感謝の念を強く持っていたのだと思います。

しかし、近代科学文明の発達により人が自然を見る目も変化し、合理的な思考と
理論的な目線により‘感謝や祈り’といった感性が弱まり失われつつあると
感じるのは私だけでないでしょう。
科学万能主義の幻想は「どんなことでも科学で解決できる」
「科学的でないことは無知のあらわれ」だと自惚れ、自然を敬う心情の根底に
ある「信心」を嘲り笑う風潮を築いてきたようです。
そしてますます傲慢になった人は自然を支配しようと試んだ。
その結果が今の環境問題となって現れています。

科学技術の発達は確かに多くの便利・快適という希望をもたらせてくれました。
しかし反面、人間のすべての物事が解決できるという錯覚を生み出したのではないでしょうか?
「何をいまさら神や仏に祈るのだ?」「科学がいずれ神にとって変わる時がくる」と
多くの人の心の片隅に少なからずあると思います。

しかし現実は、台風や地震などの天変地異の強大な力にはなすすべもなく、
未だに細胞ひとつ、葉っぱ一枚すら創ることができないのが人間です。
そしてなにより‘いのち’は自然の中からしか生まれず、自然の中でしか
育てていくことはできません。

古の昔から人は豊かな自然のあるところでしか生きることができないことを
知り、海や川、山など自然に祈りをささげ生きてきたのです。

その精神を高度科学文明にいきる現代人に、伝え教えてくれるのが
「祭りではないか?」と私は思っています。

勇壮さや華やかさばかりに目を奪われがちになる「祭り」ですが、
その本質である古の人が持ち続けてきた宗教的な精神に、思いを
馳せてみるのもわるくない「祭り」の楽しみ方だと思うのです。


☆鍬山神社秋季大祭「亀岡祭」
23日(金)宵々山
24日(土)宵山 午前10時から山鉾巡行・奉納囃子
25日(日)本祭 午前10時から城下町山鉾巡行

大型連休で気づく‘親子の絆’の強さ。

2009-09-28 16:33:29 | 船頭の目・・・雑感・雑記
私達船頭の仕事は人が遊んでいる時こそ、稼ぎ時!となり、
行楽シーズンを家族で過ごした記憶は殆どありません。

この仕事を「生涯の仕事」と定めたのですから致し方のないことですが、
家族、特に子供達にとっては淋しい思いを強いる‘因果な商売’です。

先日のシルバーウィークも超多忙でした。

この連休中、中学生の息子は自由に遊びにいきますが、小五の娘は
家でひとりお留守番をしてくれていました。

特に連休の初日(土曜日)は娘の運動会でした。

「運動会の日は仕事休める?・・・」
運動会の前々日あたりから、顔を会わすごと同じ問いを繰り返す娘。

「80m走を走るね、練習も頑張ってる!」
「騎馬戦もあって、面白いよ~」とアピール。

しかし、当日は私と同じく観光業の妻もどうしても休暇の都合が付かず、
両親揃って運動会で活躍する彼女の姿を応援してやれない状況に・・・

前日の朝、いつもより早起きして私に「今日、休める?・・・」
淋しそうな顔をして最後のお願いです。

私は娘のベットに腰掛けながら行けない理由を話しました。
「本当は飛んで行って応援やりたい…でも多忙を極める連休に穴を空けることは
会社や仕事仲間に迷惑がかかるし、大人としてしてはいけないこと。
わかってほしい・・・」
彼女の手を握りながら、何度も何度も繰り返し自分の
本当の気持ちを打ち明けました。

目にいっぱいためた涙が溢れ、一すじの雫が頬をつたいました。
その涙を腕でぬぐいながら、うなずいた彼女の顔を私は生涯忘れることがないでしょう。

周りの人たちが遊ぶ時に仕事をしなければならない‘商売’。
子供たちは生まれた時から、この環境に育っているので、 「当たり前のこと」
だと思ってくれているだろと見ていたのは私のミスかもしれません。
休みに何処にも連れて行けなくても「親の後ろ姿を子供は見ていてくれる」と思いながら仕事をしてきましたが、
実はいつも淋しい思いをさせていたのですね。

娘はひとりで運動会を頑張りきったようです。

「80m走のスタートの時、お父さんの『マリ、頑張れ!』という
声援が耳元に聴こえてきたよ!」と笑って話す娘に、
心で侘び、泣きました。
そして親子の‘絆’の強さも感じました。

たとえ、身は離れていても‘心’はいつも寄り添い、見守っていたい・・・
いつもそのように思っています。

親の心はいつも子供の幸せを願っているものです。

自分の両親もきっとこのような気持ちで私を育ててくれたのでしょう。

連休の翌日、妻と仕事をお休みして京都の北にある「宝ヶ池」に
娘を連れて遊びに行きました。

それにしても、今回はわが子に‘親の絆’の大事さと‘親孝行’の大切さを
あらためて教えてもらった気分です。


そのことを気付かせてくれた今回のシルバーウィーク。

この大型連休で一番意味があったっことは、保津川下りが盛況であったことなど
ではなく、実は‘親子の絆’の大切さを再認識できたことだと、今、感じているのです。

櫻井よしこさんの「講演会」を聴講して・・・

2009-09-07 19:32:52 | 船頭の目・・・雑感・雑記
昨夜、京都ホテル・オークラでジャーナリスト櫻井よしこさんの
講演会「この国の行方~日本のあるべき姿~」が開催され
私はっちんも聴講して参りました。

柔和で上品な語り口ながら、日本が抱える問題の核心部を
冷静に鋭く突く評論と解説には定評のある桜井さん。
ジャーナリストとしての独自の行動力と豊富な情報網から分析される
一次情報による具体的な提言には説得力があり、日本言論人には珍しい、
国家戦略として正論を述べられる論客でもあります。

自身が設立された民間シンクタンク「国家基本問題研究所」活動は
全国に広がり、大勢の会員数を有するとともに、今や海外の国際関係研究機関や
メディアにもその提言が注目をあつめています。

昨夜の講演会では「オバマ政権のアジア政策」を軸に
日中関係の現状と今後の展開についてお話されました。

具体的な事例やデーターに基づき話される内容にはシークレット情報も多く
ここでは明らかにすることは出来ませんが、日本にとってはかなり厳しい
状況になってきていることは確かなようです。

オバマ米国大統領が公言されている様にこれからの世界、特にアジアは
「米国・中国」両国による分割統治で秩序づけられていく中、新たな
民主党政権はどのような舵とりを考えているのか?
注意深く見定めていかねばならいと強く感じじた次第です。

自由と民主主義の旗を掲げ、日本と同じ価値観にある欧米諸国が、
対極の価値観により国を統治している中国になびいていく様は
聴いていて残念であり悲しくなりました。
国民の生命財産を守り、意志を尊重しながら進める政治体制の国と
国民や少数民族を抑圧して、その犠牲の上に世界最大の軍事大国化
を進めていく政治体制の国では、ある国の政府高官が言う様に
「最終的には太刀打ちできない」のかも知れませんが、
「人類はそんな愚かではない、人間の尊厳は必ずそれを許さない」
という希望を信じて、これからも考察していかねばならいと感じます。

軍事力を背景にしない外交はありえない。
しかし、この軍事力はけして武器装備力だけではない。
国家を思う国民ひとりひとりの精神力こそ最大の防御だと信じます。

今、中国ウイグル自治区で何が起こっているのか?

2009-07-08 23:54:26 | 船頭の目・・・雑感・雑記
6月26日未明、中国広東省にある玩具工場で、漢人労働省による
ウイグル人労働者への残虐な暴行襲撃事件が発生した。

この暴行はこの玩具工場を解雇された漢人労働者が腹いせに
「ウイグル人が漢人女性をレイプした」というデマをネットに
流したことが発端となった訳だが、当初、中国政府は
「この情報はデマである」と正式に発表したにもかかわらず
襲撃事件は起こってしまった。

深夜労働を終えたウイグル人労働者200人に、6000人の漢人労働者が
一斉に襲いかかったのだ。

逃げ惑うウイグル人を大勢で追いかけ囲み、鉄パイプや棍棒で殴り倒す漢人たち。
頭から血を流し倒れてぐったりしているウイグル人に、なおも執拗に殴り付ける漢人たち。

こんな凄惨な事態にもかかわらず、何故か?警察が出動したのは
ウイグル人たちが叩き倒された2~3時間後だった。

この模様はYouTubeで全世界に発信された。
       ↓
http://www.youtube.com/watch?v=YEko0KL2Jc4&feature=related
(観ると気分が悪くなるので、あまりオススメしませんが・・・)

後日、この事件をあやふやに処理しようとする政府当局に
7月5日、中国ウイグル自治区ウルムチで、ウイグル人大学生たち
1000人が抗議のデモを行った。
デモには徐々にウイグルの一般市民も参加し、その数は3000人規模へ。
もちろん、みんな非武装のデモ行動である。

そのデモに当局は特殊部隊である武装警察を出動させ、威嚇なしで
いきなり直接射撃したのだ!
156人が死亡1436人が拘束(新華社通信発表)とされているが、
情報筋では400人近くは殺され、負傷2000人にのぼるといわれる。

ウイグル人が自動車や商店を破壊する模様が中国メディアから世界に発信され、
中国当局は「これは世界ウイグル会議の扇動による暴動である」と発表し
鎮圧の大義名分を得ると、2万人の人民解放軍と武装警察を投入し鎮圧した。

ウイグル人たちは中国の「民族同化政策」が実施されても、まだ政府を
信じようとしていたが、これが現実である。

国家による過剰な実力行使であるにもかかわらず、どこの国からも何の声明も出されていないは何故なのか?
もちろん我が日本も例外ではない。
百歩譲って中国当局の見解が正しいものとしても、非武装のデモに
発砲し、150人以上の市民を撃ち殺したのは事実だ。

一人を殺害すると犯罪だが、大勢の人を抹殺すれば何の罪にも問われない
政治の世界の冷酷さをみる。
当局はいくら主張しようと、もともと歴史も文化も異なる独立民族であった
少数民族の国土を侵略し、民族同化の名のもとに、少数民族の青年男子を
中国各省の工場などの労働力として自治区から追い出し、漢民族の青年男子を
移植する政策を進める中国政府のやり方は容認し難い。

チベット自治区などは「後、二~三十年で‘純粋チベット人’は存在しなくなる」
といわれるほど「同化政策」が進んでいることは、世界中の識者が認めるところだ。

ヒットラーは乱暴な民族抹殺計画で頓挫したが、胡錦濤はしたたかに
同様の政策を進めているのかもしれないという想像すると背筋が寒くなる。

「海外メディアの取材を許可する」とする当局だが、流される映像は
「暴漢に襲われ負傷した漢人の病人」だけだ。
明らかに公平ではない中国の報道規制体質は何も変わっていない。

「連行された夫や息子を帰せ」と武装警官に抗議するウイグルの女性たち。
その連行先や、状態はまったく明らかにされていない。

その女性たちのデモに対し、武器を手に自警団を組織する漢人たち。
まさに事態は一触即発の緊張感が高まっている。

くしくも昨日はマイケルジャクソンの「追悼音楽葬」だった。
「肌の色、民族の違いを越えて、同じ人間という‘種’である」
という意識に目覚め、みんな‘兄弟姉妹’だから一緒に
「世界を治療しよう より良い場所にしよう
 僕と君と そしてすべての人類のために」
という理想があまりも遠くに感じられる出来事なのだ。

アジサイが教えてくれた「光と影」そして「自分の居場所」

2009-06-29 23:56:29 | 船頭の目・・・雑感・雑記
「絵画を描くときに一番難しいのは‘影’の部分なのです。でも影が上手く描けた
ときほど‘光’の部分が一層、輝くのです」
と以前、ある画家さんに聞いたことがあります。

「鮮やかな絵を描きたければ‘影’を大事にしろ」ということ。

今日、我が家の庭にアジサイがきれいな花を咲かせました。

じめじめとして、なんとなくユウウツな気分になる梅雨。そんな気分を
吹き飛ばしてくれる花がアジサイでしょう。

アジサイは晴れの日よりも、雨の日がいい。

そして燦燦と太陽の光が降り注ぐ場所よりも、少し日陰のほうが美しいのです。

アジサイにとっては日陰こそ一番居心地がよくて、美しく咲き誇れる場所なの
ですね。


対して人は「陽のあたる場所」を求めるもの。

でも、陽のあたる場所が輝くのは「影の部分」があるからこそ。
人は影がみせる美しさに気がつかず「光の場所」へ行こうとする。

光ある場所には必ず影がある。影に支えられてこそ「光」は輝きを増すこと
にも気付かない。

自然界が教えてくれる「光と影」との関係、そして「支えあい生きる」という
真理に気付き、「生かされている」という‘感謝する心’を涵養したい。

「木が美しい花を咲かせるのは‘根’がしっかりしているから。‘根’はけして
 表には見えない。人も陰徳こそが大事」とある宗教家の先生に聞いたことを
思い出しました。

自然の世界は、それぞれの居場所でそれぞれの「輝き」を放ち、共生しています。

アジサイは太陽が燦燦と照りつける場所では輝きを弱め、最後には萎れて枯れてしまいます。

(晴れ間に撮ったアジサイ)

人にも自分に適した場所でこそ輝ける。
それは自分が一番「居心地がいい~」と思う所が、実は一番輝ける場所。

その真理をアジサイが教えてくれている様に感じました。





衝撃!M・ジャクソンさん死亡報道=呼吸停止で病院へ-米通信

2009-06-26 08:44:52 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今日、早朝から衝撃のニュースがアメリカから飛び込んできました。

【ロサンゼルス25日時事】米紙ロサンゼルス・タイムズや芸能ニュースサイトTMZは25日、
米歌手マイケル・ジャクソンさんが同日、死亡したと報じた。
死因は明らかになっていないが、心臓まひとの情報もある。
ジャクソンさんはこの日、自宅で呼吸停止状態で発見され、
ロサンゼルスの病院に運び込まれていた。
同紙によると、救急隊員が自宅に到着した際、息をしていなかった。
隊員らは、蘇生(そせい)措置を施したが、ロサンゼルス市当局や司法筋は
死亡を確認した。〔時事通信〕

これは本当のことでしょうか!

マイケルが1991年にアルバムの中で発表した
「HEAL THE WORLD」(ヒール・ザ・ワールド)が
私の頭の中にひたすら流れています。

争いの絶えない世界。その犠牲になる弱き者たち。
人の尊厳は冷たい銃の前に踏みにじられていく。

♪世界を治療しよう より良い場所にしよう
 僕と君と そしてすべての人類のために
 人生を注意深く見つめれば
 死んでいく人々がいることがわかる
 より良い場所にしよう 
 僕と君のために・・・  ♪

♪ 僕らは空高く翔き 永遠の魂を手に入れよう
  僕の心の中では君達みんなが兄弟なんだ
  恐れのない世界を築き 共に幸せの涙を流そう 
  世界の国々が剣を 鍬に持ち換える様子を思い描こう ♪

http://www.youtube.com/watch?v=2ocrEEFNb_s&translated=1

マイケルが理想とし、夢見た世界が訪れる日を望み、
彼が歌に託した心を我が心としたいと思います。

ひとは殺し合うことの愚かさに早く気が付かねばなりません。
神から与えてもらったこの‘いのち’と地球を大切にすることが
生まれてきたことの意味。

マイケル・ジャクソン・・・その‘魂’よ、永遠なれ!



インフルエンザの暗い影、保津川にもじわり・・・

2009-05-23 21:23:31 | 船頭の目・・・雑感・雑記
三日ぶりに晴れ渡り、爽やかな五月晴れとなった今日の保津川。

今年は集中豪雨もなく、近年まれにみる安定した天候が続いています。

そんな、五月の京都を突然、襲った「新型インフルエンザ」

観光のまち、京都では修学旅行を中心にキャンセル・延期が相次ぎ、
その数は約600校、約9万人に上り、前代未聞の打撃を受けています。

この非常事態に市内の観光業界からは経営支援などの対策を求める声が出され、
22日から、市中小企業支援センター(下京区)に観光業界向けの経営相談窓口
を開設など、府と連携して今後の対策を検討しています。

私たち保津川下りにもジワジワとインフルの影響が出始めています。
今日も修学旅行がすべてキャンセル、その流れは一般の団体予約にも及んできました。
今後の事態を憂慮しならが見守るしかないのが歯がゆいところです。

今回のインフルはウイルスが弱毒性の上に、通常の季節型抗インフルワクチン
も効果的があるとの発表がなされていたものの、感染者が発生すると
「新型・・・」という免疫がなく、感染力が異常に強いとの情報に、
小・中・高に加え保育園にまで一斉休校を実施し、各イベントの中止という
少し冷静さを欠いた対応と過剰な報道ぶりに、関西地方は「感染地域」
のイメージが固定化され、地域経済も大きな打撃を受けてしまいました。

この風評が拡大し、観光業を中心に地域経済に甚大な影響が出だしたことに
衝撃を受けた政府は今日「総理大臣による安全性の強調と冷静な行動」を
呼びかける緊急のテレビCMが流され事態の沈静化に向けて動き出した様ですが、
「時すでに遅し」の感は否めません。

また「安全宣言と冷静な対応」を呼びかける市や府のトップ方々も、
自らの主催も含め、街の各種イベントをすべて中止する決断を下している
ことをみると、他地域への呼びかけも、いま一つ説得力がないですね…

もちろん、急に当然変異を起すウイルスという未知の存在への警戒は緩めては
なりませんが、今回のインフル被害には、極端から極端に走るパニック的な
潔癖性やイベントそのものに原因の責任転嫁する日本的な心理作用が
働いているように思えてなりません。

私たち京都の人間はインフルが発症する前も、そして今も
いつもと変わらない生活を営んでいます。

今後とも正確な情報の把握と冷静な報道姿勢に基づいた、
具体的で効果的な対応策と行動をお願いしたいと思います。

桜舞い散る姿に・・・舞いもどる記憶。

2009-04-15 23:12:01 | 船頭の目・・・雑感・雑記
桜の花びらが舞い散る季節。
潔さと儚さを観る人の心に映し、散っていく花びら。

散る桜の姿は、いつも幼い日の追憶へと私を誘い、
記憶の奥に仕舞い込んだ感情を甦らせてくれる。

今から33年前、私には3歳違いの妹がいた。
享年7歳、本当に短い生涯だった彼女。

子供離れしたすっきりした顔立ち、利発で早熟なところもあったが、
それでいていつも愛嬌を欠かさない女の子。
年の近い私とはいつも一緒に遊んでいた相棒だった。

そんな妹に悲劇は突然やってきた。
6歳へ後数ヶ月というある日。急激に体調が悪くなり、食欲もなくなっていく
彼女を心配した両親は、知り合いの医師の紹介で京都大学病院の診察を受けた。

その結果は・・・「脳腫瘍」

医師の口から出た言葉は「余命は半年…」との衝撃的な宣告だった。

私はその日のことを今でも鮮明に覚えている。

病院の検査を終え、家の布団で疲れて眠る妹の姿。隣の部屋で涙を流す母の姿。
親の泣き顔を見るのははじめてだった。
私はスヤスヤと眠る彼女の寝顔を見ながら「この子が死ぬ???」
にわかには信じられず現実の話とは思えなかった。
昨日までいつもと変わらず話をし、いつもの様に遊んでいたのだ。
今日「あと半年で死ぬ…」なんて言われても幼い私には簡単に受け入れられる
ことではない。
おそらく両親もそうだっと思うが「死」などという現実が、当時の私の世界に
存在することすら想像したことがなかったのだ。

ただ、母親の泣いている姿にその現実が紛れもない事実であることを
幼いながらも理解していった。

その夜、いつもの様に私は妹の隣で寝た。
なかなか寝付けなかった。「半年で彼女は死んで私の前からいなくなる・・・」
「明日からどんな顔をして彼女と接すればいいのか?」など、いろんな事が
頭をよぎり眠れなかった。
ふと目をやると隣で寝ている彼女の寝顔はいつもと変わらないのに・・・
そして無性に寂しさが込み上げて悲しくなった。涙が溢れてきてとまらなかった。

こんな歳で死ななければならない妹が可哀想過ぎた。

それから程なくして彼女は京都大学病院に入院し治療に専念することになった。
入院前に私に言った彼女の一言が忘れられない。「私、死ぬの?」
誰もが気付かれない様に細心の注意を払っていたが、本人はうっすらと自分の
運命を感じとっていたのかも知れない?

「何言っての、大丈夫、すぐに帰ってこれるって」子供だった私が言える
精一杯の励ましだった。

入院後、家族には厳しい決断が待っていた。
「手術をしないと3ヶ月、手術の成功率は20%と低い難しい手術。
幸い成功したとしても今までの娘さんではありません。」
担当医の言葉が両親の心を鋭く突き刺した。
当時、脳腫瘍の手術は頭蓋骨を切り取り、脳細胞に直接メスを入れるため、
神経が傷つき各機能に障害が残った。体の機能はもちろん思考能力についても
同様だ。
幼い女の子の人生にとってあまりにも厳しく辛い決断をしなくてはならなかった。
このまま何もせず天命に任すか?それとも少しの確率に賭け手術をするか?

『どのような姿になっても‘生きてさえ’いてくれればそれいい・・・』
両親は僅かな可能性に賭け手術をする決断をした。

「生きてさえいれば…」私が同じ立場でもそう決断するだろう。

手術当日。家族全員で祈る長い一日。幼い妹はよく頑張った。

そして手術は成功だった!
メスを入れるのに難しい箇所にあった腫瘍をきれいに摘出できた。
幼い私が生まれてはじめて味わう‘本当の喜び’だった。

手術室から帰ってきた彼女はそれまでの彼女ではなったが、そんなことは
どうでもよかった。
私のところに生きて戻ってきてくれただけで満足だった。

それから一年半、彼女と家族の壮絶な闘病生活が続く。
その中で『今日、お茶が飲めたよ』『立ち上がって歩けたよ』
『うどう玉を一つも食べられたよ』そんな当たり前のことが出来る事に
うれしくて、感激することがいっぱいある毎日だった。
心身は不自由だったが「生きてればこそ!」できることがうれしかった。
「今、生きている…」それだけでよかった。幸せだと感じられた。

そして小学校に入学する春を迎えた。

腫瘍の転移が見つかり入退院を繰り返す彼女には‘式’に出ることは
かなわなかった。
「春が来て桜が咲いたら1年生。赤のランドセル背負って学校へ行きたいな~」
よく彼女は私に話してくれた。私も学校のことをいろいろ話した。
「病気を治して早く行きたい!」そう言った彼女の瞳はキラキラと輝いていたのを覚えている。

結局、その願いは叶うことはなかった・・・

その春の穏やかなある日。家の縁側に座り、暖かい日差しを受けながら
日向ぼっこをする彼女を見つけた。彼女は何も言わず、ず~っと外の風景を
眺めていた。
私も隣に座り何も言わず同じ風景を眺めていた。

穏やかで静かな、ゆっくりとした時間がやさしく流れていた。

それから間もなく、彼女は再入院し二度と家に帰って来ることは無かった。


桜の花びらが散るように‘彼女’は逝った。
享年7歳。本当に短い生涯だった。

家族が見守る中、閉じたままの目をさらに「ぎゅっ」と強く瞑り返した時、
一滴の涙が彼女の頬をつたった、その瞬間、私の妹は静かに息をひき取った。

あの春の日は私たち兄妹にとって生涯忘れることのできないものとなり、
永遠の日となった。

今でも思うことがある。
あの暖かい春の日差しに包まれながら、彼女の小さな瞳には
何が映っていたのだろう?
その映る景色の中に何を感じ、何を思っていたのだろう・・・

あの日、あの時の穏やかでやさしい時間と彼女の‘面影’・・・私は忘れない。

満開の桜が咲く木の下で撮った古い写真、無邪気に笑う幼い兄妹の姿。

目をつぶれば、あの時の君が たしかにいる。




♪ 花びら舞い散る 記憶舞い戻る・・・ ♪
(ケツメイシ さくら)から。


死期を知り咲き誇るのか?保津川乗船場の桜たち・・・。

2009-04-10 21:58:40 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先日「桜守」16代目・佐野藤右衛門さんがテレビの番組で
「桜は人の心がわかるのです」と話されいた。
自分の父親である15代佐野藤右衛門さんが生前こよなく愛され育てていた
桜のお話で、その桜は先代が亡くなられる前年にこれまでに見たことがないくらい
‘鮮やか’に咲き誇り、先代が亡くなられた年から一切咲くことなく寿命を迎えたという不思議な話でした。

自分を愛してくれた桜は、先代の魂とともに旅立った。
藤右衛門さんは『私はその桜を見て真剣に「桜守」を継ごうと思った』と
話されていました。

桜は人の心がわかるのですかね?

保津川下りの乗船場にも今年、近年稀に見る鮮やかで美しい桜が
咲き誇っています。
そして・・・この桜の風景を見られるのも今年が最後になる?…のです。


今の遊船乗船場周辺は京都府が推進している「桂川河川改修工事」計画により
取り壊され遊船事務所も移転を迫られています。
それにともない堤防の桜並木も全て切り倒される運命にあるのです。

保津川下り乗船場内には、乗船場事務所と待合室・売店の
前・堤防沿い約20m間を桜並木として整備しており
ソメイヨシノや八重桜など約10数本が植えてあります。
これらの桜並木は、今の「保津川遊船企業組合」が
大手資本から独立し「自主運航」果たした昭和45年に
、当時の先輩組合員達が記念に植えたもので、
樹齢にして38歳。
毎年、満開時には可憐で優美な花をたくさん咲かせ、
全国からお越し下さった観光客の人たちの目を
癒し楽しませてくれました。


桜たちは乗船場一帯を美しく覆ってくれ‘春’を感じさせてくれた…

また時には近所の人たちがお弁当を持って花見に訪れるスポットとして…

また時は木の股をテコにして船頭が使う竿の曲がりを直したり
櫂の紐を作る時の作業台として…
また、出航を待つ間の休憩場として…


そして桜並木は嵐山へ向かい出航する私達の舟をこの38年間
いつも見守り続けてくれました。

そんな桜たちと来年出会うことが出来ないと思うと寂しい限りです。

桜たちは自分たちに待つ受ける、これからの運命を知っているかの様に
華麗に優美に咲き誇っています。
まぶしい春の日差しを体一杯に浴び、近年にない美しさで咲く桜たち。
自分たちが「美しかった」ということを多くの人の記憶に永遠に
留めてもらおうとするかの様に輝いてます。

藤右衛門さんによると「だいたい桜の寿命は100年ほど」らしいです。
ということは保津川下りの桜たちはまだ青年期です。
無念なことでありましょう。

治水対策という名のもとに、桜と同じ位の年月から計画変更
することなく進められている河川改修工事事業。
保津川上流には関西屈指の大規模ダムもある。
河川幅を拡張する工事も長い歳月をかけて完成している。
なのにまだ、この上に保津川乗船場の堤防かさ上げ工事が
なお本当に必要なのか?
草すら生えないコンクリート打ちぱなしの高い堤防。
近年、この手の工事が本当に治水対策に唯一無二の工法
なのか、多くの専門家が疑問を投げかけているとことだ。

桜が育つまで約40年という長い歳月を費やした。
しかし切り倒すのはわずか10分もあればできる。

人の心がわかるという桜や木々たち。やはり‘生きているのだ’
何とか、他の場所に移してやりたいと思っているのですが、
現実問題かなり難しいとのこと。

自然を制圧してつくりあげたヨーロッパ・キリスト教文明
は今、地球環境を考える上で限界に来ているということは
多くの識者の訴えるところだ。
‘自然との共生’こそがこれらからの人類に残された
ただ一つの選択であるといわれる今日。
このような計画は時代に逆行してはいないのか?
そのように想像出来る感性こそが、これからの公共事業に求められる要素の
様な気がしてならない。

精一杯咲き誇る保津川の桜がそのことを‘いのち’を懸けて
私たち人間に語りかけているような気がするのです。

このようなブログで訴えようとも、おそらく計画は変わることなく
実行に移されることでしょう。
利害渦巻く現実の前には、言葉はあまりにも無力であることは
骨身にしみて知りすぎるほど知っている。

最後の‘いのち’の輝きを放つ保津川乗船場の‘桜’。
今、満開のときを迎え、明日以降、散り行く時を迎える桜たち。

多くの皆さんで暖かく見送ってやろうではありませんか。

バレンタイン・デーは愛を学ぶ‘記念日’?

2009-02-14 21:16:54 | 船頭の目・・・雑感・雑記
さてさて、今年もやって参りました。

女子のLOVE‘記念日’バレンタインデー~

我が家の女子、小学4年になる娘にも、今日は
とても大切な‘スペシャル・デー’のようです。

毎年、義理チョコなし、本命チョコ一本勝負で
意中の‘男子’に熱い愛情を込めた甘いチョコを
プレゼントしているみたいです。

でも、今年は少し様子が変で朝から妙に‘そわそわ’
落ち着きがないのです。

「毎年、同じ子にあげているようだが、あらためて
渡す時はやはり緊張するものなのかな?」

など、遠巻きに眺めていると・・・

「今日って土曜日なんやな~」
とボソッと独り言・・・。

そうなのです!今年のバレンタインデーは土曜日、
学校が休みの日なのです・・・

チョコを渡したい子と顔を合わす機会がないのです!

学校では許されてはいないのでしょうが、子供達は
結構、学校や登下校時に渡している様です。

チョコを渡すのはバレンタイン・デーの2月14日
今日でなくては意味がありません。
昨日や明日では‘ダメ’なのだそうです。

さてさて、我が家の女子である娘はどうしたのでしょう?
無事、今日中に甘い本命チョコを渡せたのでしょうか?

あえてここでは書かないでおきますが、本当に
バレンタイン・デーの力はすごいなと感じます。

いつもはおてんばであわてん坊の我が娘が、
好きな人の事でいろいろと思いを巡らせ悩むことで、
少しですが‘女の子’に変わっていくのがわかります。

まだまだ小さい子供だと思っている親にとって、
異性を好きになることで、成長していく姿を
発見することは、とても新鮮な驚きと戸惑い
と併せて嬉しさのようなものも感じさせてくれます。

人は誰かを好きになり、その人に好きになって
貰いと自らを高めることで、成長していく
ものなのですね。

自分の中で忘れかけていた‘遠い記憶’
懐かしさとともに少しよみがえる感覚がします。
自分も多くの愛情に支えられてきたことと一緒に。

子供たちもこれからいろんな‘愛情’と出会うことで
多くのことを学び、人としての豊かさと深みを
身につけていくことでしょう。


今、目の前に見る、娘の満面の笑みに‘愛の力’
の強さを感じずにはいられません。

バレンタイン・デー・・・愛を学べるとても
大切な‘記念日’なのかもしれないですね~