保津川下りの船頭さん

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恵みの秋、「祭り」をみる古の心。

2009-10-22 23:37:25 | 船頭の目・・・雑感・雑記
季節は実りの秋に移り「五穀豊穣」など自然の恵みを
祈願・感謝する祭りが日本各地で行なわれています。

京都でも今日22日に「時代祭」と「鞍馬の火祭り」が催され
多くの見物客で賑わいを見せていたようです。

私の住む亀岡でも明日から「亀岡祭」が行なわれます。
保津川の水害氾濫封じを祈願するために始めたと云われいます。

「祭り」は古の人たちの「自然」とのかかわりを今に伝える行事でもあります。

昔の人たちは自然の恩恵に与り「いきることができる」という事実を
無意識に理解していたことが「祭り」で伺い知ることができます。

時折、牙をむく自然の力に畏怖しながらも、豊かさをあたえてくれる自然に祈り、
命の恵みを支えてくれる感謝の念を強く持っていたのだと思います。

しかし、近代科学文明の発達により人が自然を見る目も変化し、合理的な思考と
理論的な目線により‘感謝や祈り’といった感性が弱まり失われつつあると
感じるのは私だけでないでしょう。
科学万能主義の幻想は「どんなことでも科学で解決できる」
「科学的でないことは無知のあらわれ」だと自惚れ、自然を敬う心情の根底に
ある「信心」を嘲り笑う風潮を築いてきたようです。
そしてますます傲慢になった人は自然を支配しようと試んだ。
その結果が今の環境問題となって現れています。

科学技術の発達は確かに多くの便利・快適という希望をもたらせてくれました。
しかし反面、人間のすべての物事が解決できるという錯覚を生み出したのではないでしょうか?
「何をいまさら神や仏に祈るのだ?」「科学がいずれ神にとって変わる時がくる」と
多くの人の心の片隅に少なからずあると思います。

しかし現実は、台風や地震などの天変地異の強大な力にはなすすべもなく、
未だに細胞ひとつ、葉っぱ一枚すら創ることができないのが人間です。
そしてなにより‘いのち’は自然の中からしか生まれず、自然の中でしか
育てていくことはできません。

古の昔から人は豊かな自然のあるところでしか生きることができないことを
知り、海や川、山など自然に祈りをささげ生きてきたのです。

その精神を高度科学文明にいきる現代人に、伝え教えてくれるのが
「祭りではないか?」と私は思っています。

勇壮さや華やかさばかりに目を奪われがちになる「祭り」ですが、
その本質である古の人が持ち続けてきた宗教的な精神に、思いを
馳せてみるのもわるくない「祭り」の楽しみ方だと思うのです。


☆鍬山神社秋季大祭「亀岡祭」
23日(金)宵々山
24日(土)宵山 午前10時から山鉾巡行・奉納囃子
25日(日)本祭 午前10時から城下町山鉾巡行

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