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保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

震災の‘あの日’に思う・・・生きること。

2009-01-17 23:24:37 | 船頭の目・・・雑感・雑記
また‘この日’がやってきました。。

14年前の今日、多くの尊い命を奪った「阪神淡路大震災」。

毎年、この日が来るたびに当時のことが
思い出され私の心を強く締め付けます。

14年前の‘あの日’前日、私は‘あの場所’にいました。
震災最大の被害があった神戸市長田区に。

成人式の振り替え休日を利用し、長田区にあった
親類の家に一泊で遊びにいっていたのです。

前夜は皆で近所の居酒屋に繰り出しワイワイ一杯
やりながら楽しい会話に花が咲きました。
その後起こる悲劇など頭の片隅にも想像できず、
楽しいひととき。
柱が剥き出しになった町家造りの店内は確か満員。

一杯飲んだ後の九州ラーメン屋さんの味も忘れられない。

近所の銭湯へも行き、一日の疲れを癒しました。
年季のある絵が描かれる壁タイル、ライオンの給水口、
レバー式のシャワーなど昔懐かしい情緒ある湯に
身も心も温まったことを思い出す。

ごく当たり前の日常、楽しく幸せな時間・・・
その約30時間後にやって来る悲劇など
想像すら出来ませんでした。

約18時間後には崩壊することになる「JR新長田駅」
から電車に乗り京都へ帰った私はその悲劇から逃れた。

その数時間後、テレビの画面に映し出されたのは
確かに数十時間前に自分がいた神戸市長田区でした。

崩れた駅、黒い炎をあげ燃え上がるアーケード商店街、
そして倒壊する住宅地、目を覆いたくなる様な映像。

そこには昨日いった居酒屋やラーメン屋、銭湯があり、
なにより親戚の家がある。

泊まらせてもらった親戚の家は、地震から数十秒で
2階部分が崩れ倒壊したそうです。

遊びにいくのが一日遅ければ・・・
いや地震が一日早く起これば・・・

私は間違いなく今この世にいないだろ・・・、

楽しく語らい飲んだ町家風の居酒屋も美味しかった
九州ラーメン屋も、そして昔情緒いっぱいの銭湯も、
この世から永遠に消えてなくなったことを、あとから
知りました。

当たり前に来ると思っていた「明日」が実はとても
不確実であること‘生きている’ということのは
けして当たり前の事ではないと初めて実感したあの日。

いのちの大切さと生きていること素晴らしさよ。

人生の価値観を大きく変えた‘あの日’のことを、
私はけして忘れることはでしょう。

震災前に見た、あの長田の風景とともに・・
しあわせはこべるように

子供には夢の一日です。メリークリスマス!

2008-12-25 12:29:03 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今年もクリスマスがやってきましたね。

まったくキリスト教の信仰がある訳でもない私ですが、
クリスマスになると心がウキウキしてきます。

私の子供の頃、クリスマスはまさにスペシャルデーでした。

私の少年時代は今の子供たちの様に物が溢れているような
時代ではなく「欲しい」と思った物が簡単に手に入る
時代ではありませんでした。

そんな子供の‘希望の日’がクリスマスだったのです。

「今年はこんなオモチャが欲しいな~」と願ったら
その翌朝、枕元に置いてあり、叶っているのですから
まさに夢のような話です。

また、ケーキーなども当時は高級な食べ物で、
誕生日以外に食べられる日など無かったと思います。

夕飯も、今でいうところの‘おばんざい’ばかりで
子供の好きな食べ物が食卓に並ぶことがすくなった時代、
肉類を中心とする高級な食材を使った料理が並ぶ‘この日’
は、クリスマスのおとぎ話も素直に信じられるほどの
夢のスペシャルデーでした。

「イエスとかいう人、本当にいい奴やな~」と不謹慎にも
感謝したい気持ちでいっぱいでした。

大人になった今、当時の楽しかったクリスマスの記憶を
思い起こすたびに、このような演出をしてくれた両親に
ただただ感謝するばかりですが、今の様に物に恵まれていた
時代でなかったからこそ「物をもらう時の喜びと感謝の気持ち」
を強く身近に感じることができたのだと思います。

ある意味、幸せだった時代だったとも感じます。

今の時代に生きる子供たちの心を揺り動かすような、
感激のクリスマス体験をさせてやるにはどうしたらいいか?
このことを毎年考え、趣向を凝らす演出をしてやることが
何よりのプレゼントだと思ったりもしますが、
本当に難しくなってきました。

とにかく子供たちがいつか成人した時‘今日のこの日’のことを
を楽しい思い出としていつまでも忘れないそんな‘一夜’
にしたいと思い、我が家のサンタの奮闘は今夜も続きます・・・


イブの昨日は家族で亀山城跡のお堀前にある「南郷公園」
のイルミネーションを見に行きました。

トナカイやサンタのイルミがとてもきれいで子供は大はしゃぎ。
デジカメ片手に写真を撮りまくっていました。

地元のイルミネーションもいいものですね~
絵本作家のたんぽぽさんやイケメン議員のKさん
ともお会いし楽しいひとときでした。

‘いのち燃ゆる’もみじが問いかけてくること・・・

2008-11-29 22:51:15 | 船頭の目・・・雑感・雑記
一雨ごとに深まりをみせる晩秋の頃。
山々の紅葉の赤さも色濃くなり
保津峡は錦絵を思わす風景になってきた。

数日前には少葉の先が少し赤み掛かっただけだった
もみじが、一夜明けるとすっかり艶やかな赤色に
染められ、木々の紅葉が色づく早さには
目を見張るものがある。

河畔という自然環境の厳しい条件下で育った‘もみじ’には、
上品に育った社寺仏閣の‘もみじ’にはない、荒々しさと
力強さを感じさせる野趣に富んだ赤みがある。

洪水や日照りという自然の猛威に耐え抜き、しっかり山深く
根を張って赤く染まっていく保津川のもみじの堂々と姿は
観る者に ‘逆境’に耐え抜き生きることの大事さと
生きることへの勇気を与えてくれるような
気がしてならない。

深く切り立つ渓谷の隙間から差し込む日差しに照らされて、
赤く染まったもみじが、一段と力強い暖色を映し出させる。
日光の当る角度によって、赤色の見せ方を変えるのも
渓谷の紅葉の特長か。

大事なのは「スポットライト」があたることではない。
自らが‘本物の色’を出してさえいれば、他者にどの様に
見られようとも構わないのだと‘もみじ’が語りかけてくる。

峡谷中のもみじすべてが紅葉し、山が燃えあがるような
美しい姿をあらわすのはもうすぐ。

5月に新緑の葉を出した‘もみじ’
いよいよあと数日で‘いのちの炎’を真っ赤に
燃え尽かせ終焉の時を迎える。

しかし、葉は落ちても、また来年になると芽を出すのだ。

そう‘死’は終局を意味しないのだ。

いのちは生まれ変わり、出変わりを続け
永遠に‘いま、ここ’にある。



☆《明日30日の保津川下り予報》

明日の予約数 46隻(午前中に30隻)

待ち時間予想 午前中に限り1時間以上(的中率90%)

天気予報 曇り(川下り日和85度%)

川気温  最高9℃ 最低6℃
     明日は寒くなる模様。
     午前、午後ともに船は‘防寒’対策の必要あり。
     特に午後からの船は防寒グッズをお忘れなく!
     雨具の用意もお願いします。
    (雨降りの場合は船に屋根があります)

保津川下りの『流派』にみる伝統文化の可能性。

2008-10-30 19:51:36 | 船頭の目・・・雑感・雑記
古来日本には同じ分野を極めるにも‘流派’という
技術の創造と伝承方法が存在します。

剣道や空手道など武道はもちろんのこと茶道や華道に至るまで
およそ‘道’と呼ばれる日本人の精神文化的な側面には、
必ず独自の技術継承過程で流派を生み受け継がれています。

約400年という歴史を有する川下り業である
私達の「保津川下り」でも‘流派’なるものが生まれ、
今もなお存在しています。

川船を流すことが出来ない自然の要害・保津川を
角倉了以が開削して通航できるようにしたのが
慶長11年(1606)のこと。
当時筏師はいたものの、川船を流す技術を有する船頭という人種は
保津川には存在していませんでした。
そこで了以は瀬戸内海「村上水軍」の流れをくむ船乗りたちを
京都嵯峨に呼び寄せ、保津川での操船技術を開発させたのが
保津川下りの操船技術の始まりです。

生み出された操船技術は、川沿いの集落である保津や山本
または上流地域に住む村人に教えられ、ほぼ変わることなく
今に伝えられています。

今私がいる保津川遊船企業組合もその地域性を残しながら
「4つの支部」に分担され運営されています。

しかし、実はこの「4つの支部」に操船技術に関する『流派』なるものが
存在し微妙に異なる技術が伝承されていることはあまり知られていません。

たとえば私が所属する3支部と2支部とでは船を流れに乗せていく
「瀬(流れがある所)の取り方が違うし、山本支部とは流す型は
ほぼ同じですが、舳先から棹を差し降りてくる時の「歩幅」が
異なります。私達は4~5歩で降りてくるのですが、山本支部は
7歩半という小股で降りてくるのが基本です。
「小股の方が船を長く蹴ることになり進み具合がいい」と
いうのが山本支部の主張。それに反し私達3支部は
「力強く勢いを付けて降りてくる方が進み具合はいい」
と譲りません。
自らの主張を絶対として譲らず後世に継承していく。
まさにこれこそ「流派」なるものの定義にほかなりません。

また3支部は「抜き棹」という舳先で止まって間髪入れず
棹を差す型を多用しますが、2支部は止まらず「下り棹」と
いう常に走りながら差す方法を多用します。
底岩が並ぶ狭い場所では下り棹は船への抵抗が
掛かり過ぎるというのが我々の主張ですが、後者は「棹の角度次第」
とこれまた正反対を主張するというわけです。

また、それぞれが使用する棹にも違いがあります。
1支部の持つ棹は長くて太いのに比べ、2支部の持つ棹は
それより一回りは細いものを使用します。
船の進路を決める舵を巻く緒も同様で、山本支部は極端に狭いし、
2支部は遊びがたくさんある広巻きです。

同じ川の同じ箇所を通る保津川下りでも、
これだけ操船技術に違いが存在するのです!

それぞれの主張には「なるほど理に適っている」と思われるところ
も多く発見でき、学ぶべきところも多いのですが、やはり、
最初に指導を受けた支部技術が基本となるのも事実。

また各自ともに自らの流派の正当性は譲れないところとも思います。

この流派なるものがどうして創始されてきたのか、詳しい背景
については明確には不明ですが、私は、それぞれの地域性や
歴史的な要因が大きく影響しているのではないかと考えています。

山本、3支部は純粋に船屋として創始されたのに比べ、
2支部は筏師転職組や今の航路に入っていない流れが異なる上流から
船を流した地域出身の者が中心となって創られた支部、
1支部は荷船としての重量の効率性や採算性、または
船の操船速度を重視したのか?
強い力を棹に掛けても折れず、更に他の支部の棹では
深くて届かない川底にも差せる利点のある長い棹を
使用していたのではないかと見ています。

これはあくまでも私の自説であり、裏づけも含めもっと深く
検証していく必要がありますが、今後の「保津川下り研究」に
面白い視点を与えてくれる分野だと思い、
今後のライフワークにしたいとも考えているところです。

私の自説はともかく、保津川下りに「流派」」と
いうものが存在しているのは事実。

「流派」という異なる操船技術を生み出しながら、
川の職人技として伝承されてきた「保津川船頭の操船技術」。

古来日本の伝統文化と呼ばれるものの、成り立ちと継承過程で
例外なく創始されてきた「流派」。

これを日本の伝統文化の一面を表すものと定義するなら
「保津川下り及び船頭」もまたまぎれもない日本の伝統文化と
呼ぶに値する存在であろうと確信する次第であります。

ますます、技術の研鑚に精進していかねばと、
意を強くするはっちんなのであります。


「桜井よしこ」さんの講演会が京都ホテルオオクラで開催。

2008-10-20 10:19:05 | 船頭の目・・・雑感・雑記
一昨日、京都ホテル・オークラでジャーナリスト
桜井よしこさんの「今こそ国益を問え」と題した
の講演会が開かれ、昨年に続きはっちんも
聴講してきました。

柔和で上品な語り口から、問題の核心部を
鋭く付く評論と解説で定評のある桜井さん。
ジャーナリストとしての独自の行動力と豊富な情報網
から分析される具体的な提言には説得力があり、
日本言論界には珍しい、国家戦略としての正論を
述べられる論客です。

講演では六ヶ国会議を完全勝利でおさめた北朝鮮問題から
中国とアメリカの「ステークホルダー」関係の強化、
中国とロシアで設立した「上海協力機構」へのアジア諸国
の参加動向などを分析しながら、変化する国際政治の中で
今の日本が置かれている危険な現状を指摘された。

特に衝撃的だったのは「中国とアメリカの軍事力は
ほぼ互角に戦えるレベルにまで達してきた」という
分析の上から、その軍拡の目的は中国共産党が国家第一目標
に掲げている「第一列島奪還計画」にあるという指摘です。

ここで詳しく述べるスペースがないのが残念ですが、
もしこの分析結果が正しければ、近い将来、日本にも
大きな危機がおとづれる可能性が高い。

日本は世界一といわれる技術力と経済力をを有するものの、
外交や安全保障のことになると極めてナイーブな発想をする
国民性を持つことも世界各国の知るところとなっているようです。

米中、またロシアなどの厳しいかけひきに挟まれ、
カネと技術をカツアゲもどきにむしり取られるだけ
の国として生きるか、それとも国益をきちんと分析し
主張する国として、その延長線上で、真の世界の幸福に
貢献し、新たな世界の生き方を提言できる国になるのか、
それは私達、国民ひとりひとりの意志にかかっている
と桜井さんは訴えられました。

複雑極まりない国際関係をこの講演会だけで
把握することは、もちろん無理なことでしょう。
しかし、無関心でいて問題ではないはず。

平和を愛する国民のひとりとして、今後もしっかりと
動向から目を離さず勉強していきたいと思った次第です。

「深く、淡々と生きる・・・」青山繁晴さんのサイン会で。

2008-10-17 15:31:48 | 船頭の目・・・雑感・雑記
過日、ジャーナリストで国家安全保障の専門家でもある
青山繁晴さんが、新刊本のサイン会で京都の某書店に
お越しなると聞き、行ってきました。

青山さんは長年のジャーナリスト生活で培った独自の情報網を
元に、国防から政局に至るまで緻密で正確な現状分析で定評が
あり「FNNスーパニュースアンカー」や「たけしのTVタックル」
など数々のテレビやラジオで活躍されています。
複雑で冷酷な国際政治の狭間で犠牲なる人々の声なき声を代弁する
など祖国を想う愛国の情にも熱い方で、私はっちんがもっとも信頼し
期待しているジャーナリストのおひとりです。

そんな青山さんのサイン会とあって、少しでもお話が
できれば幸いと参上したのですが、行ってみると
サイン会は人、人、人、のお大盛況!
なんと150名以上いたのではないでしょうか?

私はっちんに順番が回ってきたのは、サイン会が
始まってから約2時間が経過したころです。

私は青山さんを前にして
「実は私、保津川下りの船頭をしています」と話し掛けると
かなり興味を示して下さり、
「僕も共同通信の京都支局の時、支局員全員で保津川下りを
したことがありますよ~」と仰ってくださり、それから
自分が前職、記者であったことや保津川の環境問題のことなど
いろんな話を多くの時間を割いて語って下さいました。
そして、私がいつも持ち歩いている「保津川案内パンフ」を
差し上げあげました。

保津川下りのファイルケースに亀岡観光協会とトロッコ列車、
NPOプロジェクト保津川そして保津川下りのパンフレット
が入れてあります。

「お忙しくで観光なんてするお暇はないかも知れませんが、
休暇で京都にお越しなる時は是非、保津川へお越しください」
となんか、最後は保津川の営業みたいなってしまいましたが、
青山さんは「是非寄らせて頂きます」と快く受け取って
下さいました。

ご一緒に写真を撮ったときに
「さすがに、凄くいい体をされてますね~」と仰ったので
「この体、国のため、平和のために役立たせていただきます!」
と私が力強く言うと、笑っておられました。

青山さんからは

「深く淡々と生きる」という言葉を戴きました。

青山繁晴さんは12月1日(月)に大阪市中央公会堂で
北朝鮮の拉致問題について講演をされます。
興味のある方は是非、ご参加ください。

参加された方の入場料が拉致被害活動の資金になります。
祖国に見捨てられ、アメリカに見放された拉致被害者。
ただ一度きりの人生を拉致という非人道的な犯罪で
奪われた方々のため、我々に何が出来るのか?
お互いに考える機会になれば幸いです。

☆「青山繁晴氏が語る拉致問題」講演会

・ 日時:平成20年12月1日(月)午後6時30分開場、午後7時開演
・ ところ:大阪市中央公会堂大集会室(地図)
 (地下鉄御堂筋線、京阪「淀屋橋」①号出口徒歩5分)
・ 講師:青山繁晴さん、横田早紀江さん、有本嘉代子さん
・ 入場料:前売り一般1,000円(当日券1,200円)、大学生・高校生500円
  〔入場券前売りは9月15日から:電子チケットぴあ受付
                            TEL 0570-02-9999〕
  〔Pコード:614-286 http://pia.jp/ チケットぴあ店頭、ファミリー  
   マート、サークルKサンクスでお求めになれます。〕
・ 主催:大阪ブルーリボンの会
・ 後援:大阪府、大阪市、㈱産経新聞社
・ お問い合わせ先:大阪ブルーリボンの会事務局 TEL06-6203-6230

保津川の船頭に受け継がれる‘川根性’とは?

2008-10-13 23:29:01 | 船頭の目・・・雑感・雑記
私達の保津川下りは観光船です。

観光船の役目はお越し下さった御客様に、素晴らしい
自然景観を眺めて貰いながら楽しい船旅を演出すること。
我々現場の船頭もそのために最高のサービスを提供するべく
日々、操船技術の向上に余念がない。
と、ここまでは‘観光船’として当然の心がけなのですが・・・

保津川下りの場合は少し変わった伝統?心構えがあるのです。

それは・・・‘川根性’・・・呼ばれるもの。

川根性とは?・・・船の操船中「他の船に遅れをとらない 」
という精神のことです。
つまり‘競争’負けない根性です!

保津川下りの船は2艘分~6艘分が一斉に
乗船場から出船するケースが多くあります。
そのような場合は、前をいく船、また後ろから来る船に
レースでけして負けてはいけない!・・・遅れをとるまい!
とお互いの船で壮絶なデットヒートを繰り広げながら
嵐山までの1時間半、闘い続けるのです!

この‘川根性’は新人の時に叩き込まれます。

私も新人の頃、先輩から
「前の船が見えたら追いつけ!後ろの船が見えたら離せ!
それが保津川に生きる男の伝統や!」
と教えられました。
そしてただひたすら1時間半、力の限り船を操船させられます。
まだ一端の技術もない新人はただただ船の上でもがくだけ。
途中、航路の半分くらいで体力が尽き、めまいや吐き気を
もよおし、倒れそうになりながら船を操船する日々の中で
船を早く進ます技術と精神を叩き込まれるというわけです。

バテたら、先輩船頭の罵声が容赦なく飛んできます。
帰りの電車を待っている駅でも、また電車の中でも
徹底的に今日出来なかったことを先輩に叱られ続けます。
ヒドイ時は夜に師匠や先輩の家に呼び出されて、
夜中まで眠い目を擦りながら講義を受けるのです。

ここまで読まれた方はおそらく???・・でしょう。
まさに楽しく優雅で乗られる人に癒しを提供する観光船
では想像もできないことと思いますが、まぎれもなく
保津川では約400年の長きに渡り、このような
新人教育で船頭たちに‘川根性’を叩き込んだのです。

人は程度の差はあるものの、総じて自分に優しいものです。
厳しい外部からのプレッシャこそが、自分を大きく成長
させる要素となることが多い様に、船頭も厳しく鍛えられて
体力、気力を兼ね備えた総合的な技術力が養われると
思います。

自然は我々に多大な恩恵と癒しを与えてくれる一方で、
恐ろしい牙を剥き襲い掛かってきます。

川も豪雨や強風で船頭たちに向かってきます。
船頭の最も大事な仕事はどんなに悪天候の中でも、
乗船下さっているお客さんを嵐山まで安全に送り届ける
‘技術’とそれを支える心構え‘根性’だというのは
私も身を持って体験するところです。

川という自然の中で生きてきた先人たちも、この厳しい自然に
対峙し立ち向かう気迫のようなものを技術以上に必要とした、
それを‘川根性’と呼び‘競争’というかたちで、
鍛え上げていったのではないでしょうか?

しかし最近では、このような精神主義的な教育方法は
お客様の手前、敬遠される傾向にあり「優しく合理的に教える」
という風潮に変わりつつあります。
川という厳しい自然の中で生きてきた先人の精神も
今では「全く時代遅れ」ということでしょう。

特に「ほめて育てる」という今の教育方針で育ってきた
世代には、このような保津川の新人教育はおそらく
受け入れ難いもので、もしかしたら今後‘川根性’なる
言葉も死語になり、精神性も消えてなくなる日が来るかも
しれません。
しかし400年の長き渡り、船頭という川で生きた男達が
代々受け継いできた心意気‘川根性’という
その心の奥底で脈々と息づいてきた精神とは何だったかの?
どうしてその精神を必要としたのか?
そこのところに焦点を当てる意味が必ずあると思います。

そのことに心を馳せず、ただ「時代遅れ」という言葉で
忘れ去ってほしくはないと思うのは私だけでしょうか?

京都の夜・祇園で‘友’と語る。

2008-09-08 00:57:19 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先週はやたら‘京都の夜’に繰り出すことが多かった私はっちん。

5日には、京都祇園にあるお料理屋「ととや」さんで、MBS毎日放送の報道記者をしている友人・米田さんと久しぶりに再会し熱く語ってきました。

報道番組「voice」の敏腕記者ぶりが認められ、昨年からドキュメント番組の制作担当に抜擢された米田氏。

春に放送された「映像’08・家族の再生」がこの度、ドキュメンタリー番組の賞を受賞すると聞き、二人で祝杯をあげたのです。

映像08は一時間ものドキュメンタリー番組を企画し交渉から取材、撮影編集までを一人でまかなうハードなもの。

しかしその分、作り手の視点と切り口が色濃く番組内に反映されるという点では、まさに作者の手腕が試される番組でもあるのです。

米田氏の視点はいつも、複雑で深刻な問題を取り上げながらも、ただ悲惨や同情を伝えるだけで終わるのではなく、そこに必ず‘希望’があるのだという視点を最後に視聴者に投げかけるのが特徴です。

「人間は誰も一人では生きていける者はいない、みな誰かを支え、また支えられ生きている」という事実に周囲の人々が気づくことに焦点を当て、問題解決の糸口を探ることを忘れない。

そんなところが評価されたのか、ドキュメント制作2作目という異例の早さでの受賞となった様です。

この賞、なんでもドキュメント制作部門では日本一と評される
価値ある賞というから凄いことです!

一流のジャーナリストへの階段を順調に駆け上がる
友を頼もしく感じました。

私の空手道場に通う子のお父さんが経営するお料理屋「ととや」さんの松茸ずくしの上品な京料理に舌鼓を打ちながら、家族のこと、仕事のことなど積もり積もった話を語り合いながら「祇園の夜」は更けていきました。

帰り道、祇園のネオンの灯が私達二人の未来を照らす光のように、やたら眩く温かく感じられる夜でした。

京都の夜、「街の風景」・・・

2008-09-04 00:24:11 | 船頭の目・・・雑感・雑記
過日、久しぶりに‘夜の京都’に繰り出し目撃した
      「街の風景」です。

四条河原町の辻、高島屋正面入り口前での路上ライブの模様です。
男性二人組のフォーク系ディオを大勢の若いファンが
取り囲み、熱い声援を贈っていました。

夜10時を過ぎるとすっかり街が寝静まってしまい
人の姿も見れない亀岡とは異なり、やはり‘京都’です!

夜も若いエネルギーに溢れている感じですね。

初めて目にする「街の風景」に小学生の娘は
目を白黒させて見物していました。

♪追い立てる街の中、アスファルトに耳をあて、
雑踏の下埋もれてる歌を見つけ出したい~♪

♪人生はキャンパスさ 人生は五線紙さ 
   人生は時を演じる舞台さ     ♪

‘青春’と呼ばれる時代に京都の街を闊歩していた頃
よく口ずさんでいた尾崎豊の「街の風景」を思い出しました。

音楽にしろ、ファッションしろ、その時代の最先端を読み
‘感性’を磨くにはやはり「都会」に出て触れることが
大切なのか?

私はこのまま、亀岡に住んでいていいのか?
これから多感な時期を迎える子供らをこの地で育てていいのか?

真剣に考える今日この頃です・・・

♪ 心のハーモニー 奏でよう 
  ガラスつくりの歌 奏でよう
  無限の色をちりばめた 街の風景・・・♪

アフガン日本人拉致事件で悲報が・・・

2008-08-27 23:49:48 | 船頭の目・・・雑感・雑記
昨日からアフガニスタン東部のジャララバード近郊で
拉致された日本のNGO(非政府組織)「ペシャワール会」
(本部・福岡市)所属のボランティア伊藤和也さん(31)
(静岡県掛川市出身)の事件について、最悪の結末を迎える
という悲報が届いた。

今日(27日)午後に開かれた緊急記者会見で、山本一太外務副大臣
は、拉致現場近くで発見された日本人らしい男性の遺体は
伊藤和也さんであるとの「現地から連絡があった」と発表した。

タリバン政権崩壊後、混乱を極めるアフガンの自立支援の為
農業指導に情熱を注いでいた方の身に起こった悲劇。

以前、カブール大学と天理大学地域文化研究センター、
NPO法人クロスアーツとの共同制作された今のアフガンの
現状を3つの角度から活写したドキュメンタリー映画
「カブールトライアングル」を観てアフガン自立支援活動を
視野に入れていた私にとっても衝撃のニュースであり、
この最悪の結末に言葉もありません。

今はただ伊藤さんのご冥福をお祈りし、ご家族の方へお悔やみを申し上げます。

アフガニスタン当局も含めて犯人側との接触はないらしく、
またイスラム原理主義勢力「タリバン」が犯行を認めたとの
報道もされているが、今回の事件が今後のアフガニスタンでの
自立支援事業を進める日本のNGO活動にどのような影響が
でるか、とても心配である。