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保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

危機管理産業展へ参加し、見えてきた日本の姿を考える。

2011-10-24 03:03:40 | 船頭の目・・・雑感・雑記
今回の東京行きの主な目的はビックサイトで開催された「危機管理産業展」へ
​行くことだったのですが、そのお誘い下ったのが独立総合研究所の
研究員で水産資源学博士の青山千春さんでした。

京都で行われた独立総合研究所の時局勉強会に参加した時に招待状をいただきました。

千春博士は、日本の海洋資源であるメタンハイドレートの研究の第一人者で、
日本周辺海域の海底資源探査システム及び海底​資源探査方法において、
日本をはじめアメリカ、ロシア、オースト​ラリア、韓国、中国から
国際特許証を取得されている海洋資源がご専門の学者さんで女性で初めて船長の
資格も取った正真正銘の船乗りでもあります。

ご主人は独立総合研究所社長の青山繁晴さん。

また、青山氏からは東京地学学会が出版している「地学雑誌​」という論文集を
プレゼントとしていただきました。

論文には、千春博士が今年の7月、スコットランドで開催された国際地学学会で
発表された日本海側のメタンハイドレートの観測報告とメタンシープサイト内部構造と
分布状況についての詳しい内容が書かれていました。

国際学会では青山メソッドとして世界中の科学者から強い関心を集めているのに、
日本から参加した科学者は誰一人として千春博士に接触する人がいなかったといいます。

もちろん日本マスコミも完全に無視。

お隣の韓国や中国では相当な関心があつまる研究なのに不思議ですね・・・

事実、韓国は竹島周辺の海底に大量に埋蔵されているメタンハイドレートの
研究発表を、日本海ではなく東海という自国の名称で積極的に行い、世界へ
強烈なアピールをしています。
また、中国政府も20名超える科学研究者陣を組織して、学会に乗り込んできて
日本海側のメタンハイドレートについて研究報告をしていたという。

アメリカなどは「なぜ、日本はもっと積極的に採取にかからないのか?」と
不思議がり、結局、韓国政府と共同で日本海側のメタンハイドレートの
開発を行うことを締結してしまいました。

原発が衰退していく今日、エネルギー確保は国家の緊急課題であることとは
論を待たない事実。なのに自前エネルギーとして期待できるメタンハイドレート
を、世界の流れに逆行するがごとく、全く無視する日本政府の姿勢には
強い不信感を覚えずにはいられません。
さらに理解不能なのは、まだ全く実用化のメドすら立たない南海トラフなどの
太平洋側のメタンハイドレート研究には200億円もの研究調査予算が出されて
いるのです。もちろん、太平洋側のプロジェクトには東京大学を中心とした
学閥や大手企業などが参画しており、予算をふんだんに使っているのです。
百歩譲って、これで少しでも成果があがればもちろん構わないのですが、
まだ、結晶のかけらすら採取することができていないのが現状です。

それにひきかえ、日本海側は越前沖・佐渡島沖で、すでにメタンハイドレート
の結晶、実物を採取することができており、火力発電所で今すぐにでも
実用化できるところまで研究は進んでいるのです。
しかし、今年、日本政府は千春博士ら進めるプロジェクトに全く予算を付けず、
あろうことか、海洋船を出し調査研究することすら許可を下さないという
強行措置が取られています。国際学会でも評価され、国際特許をあの中国政府
すら認めた最先端の研究に対する政府の措置は、いったいどうしたことでしょうか?

また、マスコミをこのことを国民には一切、伝えない。

原発に代る安価で安定した次世代エネルギーとして注目され、
現実に手を伸ばせばすぐに届く、日本海沖の海底に露出している
状態だというのに、なぜなのでしょう?

一体、誰に、どこの国に遠慮しているのでしょう。
巨大な既得権益組織か?それとも・・・

ただ一つ確かなのは、今の真の国益や、日本は国民の安定した暮らしを
確保することよりも優先する、物事が存在するということでしょう。


千春博士からのお誘いで行くことになった東京でしたが、この旅は、
想像していた以上に勉強することや思考するきっかけが多い、
非常に内容の濃い時間を過ごすことができました。

感謝申し上げます。

まさかの休日に考えた、我々の今後。

2011-10-17 16:56:02 | 船頭の目・・・雑感・雑記
10月も下旬を迎え、京都は秋の観光シーズンの到来を迎える時期です。

我々、保津川下りにとってもこれからが年中で一番忙しい日々が始まる・・・予定でしたが、
今日、私はお客さんをお乗せして舟を操船することが叶いませんでした・・・

つまり、予想に反し来客数が伸びず、就労する順番が回らなかったのです。

この時期、雨が降っているわけでもなく、気温が低いわけでもないのに
仕事が回らない日があるなんて、数年前には考えられなかったこと。

よく、保津川下り内部では「営業利益は天候に左右される」という考え方が
まるで不動の定説の如く語られています。
「天候に左右されるのでどんな営業努力も無駄」という思考停止の考え方が。

しかし、その説は本当か?

昨日の日曜日といい、今日といい、けして悪天候ではない。
が、流船数は伸びず、事実、昨年の同時期の対比をみても、
昨年実績の約70%にしか達していないのです。

そして、今日もまさかの休日。

原因はいろいろあるだろう。そして、それもけして一つではないはず。

未曾有の天災やヨーロッパの経済不安、留まることを知らない円高と深刻なデフレ経済の
影響もあるでしょう。
さらに、増税政策や年金制度改革の不透明さなども、国民の多くに一層の貯蓄意識を
助長させるだろうし、観光業は今後、益々厳しい状況下に置かれることは容易に想像できるところです。

我々の今すべきことは、しっかりと現実を踏まえた営業戦略を練り直すことは
いうまでもありませんが、なによりまず、現場の船頭たちがこの状況を
しっかり受け止め、仕事に対する意識レベルを上げてもらうことが大切だと感じます。

船頭の服装や頭髪、そして言葉遣いなども洗練されるように
自らが400年以上続く伝統ある産業の継承者だという自覚と誇りを持って、
確かな操船技術の研鑽とおもてなしの心情あふれる接客サービスを
心掛けいかねばと思います。

我々は企業組合であり、一般の企業のような、ヒエラルキー的な構造ではありません。

だからこそ、組合員一人ひとりの意識改革が企業経営に与える影響は著しく大きく、
改善方向へ向かうためには、何にも増して大きな力になると確信します。

上記したように、世上は今後、観光レジャー業界へ向かい、強い逆風が吹き始める兆しが見えます。

素晴らしい保津峡の景観と迫力のある美しい保津川、そして伝統の匠の技である操船術と
最高の接客サービスで、暴れ川のような激流と厳しい時代の強風に立ち向かって
舟を力強く漕ぎ続けなくてはいけません。


組合員一同のさらなる奮起を期待したいと思います。


子供心に深く刻まれる楽しい思い出「地蔵盆」。

2011-08-25 17:13:08 | 船頭の目・・・雑感・雑記
私の住む京都府亀岡市でも23~24日は各町内で「地蔵盆」が行なわれていました。

町内の大人たちが、子ども達のすこやかな成長を願い、町内上げて運営企画する
伝統行事でもあり、京都では親しみを込めて「おじぞうさん」と呼ばれ、
子どもたちにとっては夏休み最後のお楽しみ行事でもあります。

私の子供の頃は夏に旅行などいく機会も少ない時代だったので、
夏休み一番の楽しいイベントといえば「お地蔵さん」でした。

町内の道路を通行禁止にして、地蔵さんの前にテント屋根の簡易的な座敷を
つくり、上は中学生のお兄さん、お姉さんから下は幼児まで、町内の子どもが
一同に集まって、丸々2日間、家にも帰らず、ず~っと入りびたり、将棋やトランプ
などのゲームや卓球などの遊びをしていた思い出があります。

ここで町内の大人の人達と知り合い、将棋や囲碁などを教えて貰った記憶があります。
また、野球盤などは最新型のゲームで順番を待っているのが大変でした。


さて「お地蔵さん」について宗教的うんちくを少し。
地蔵さんは仏教でいうところの「地蔵菩薩」がその本尊で、その縁日である
毎月24日に行われていた祭典が「おじぞうさん」のルーツと云われています。

「地蔵菩薩」は子供の守り神さんで、賽(さい)の河原で石を積む幼子の霊が、
鬼にいじめられて苦しめられる時に、救いに来てくれる存在です。

昔の日本では、子供の死亡率が高く、子を亡くした親の悲しみを
慰める話として、民衆の心に伝わったといいますから深い行事です。

元々、宗教的な行事ではありますが、子供を愛しく思う、親の切なる
気持ちの発露から、自然に始まった行事だと思います。

こんな楽しい思い出ばかりある「地蔵盆」ですが、現代では「一宗教の行事だ」と
の理屈で、縮小簡素にされる傾向にあるのはとても残念です。。

事実、私の住んでいる町内では「おやつを配り」半日で終わります・・・

そんな杓子定規な感覚で狭小に考えるのではなく、時代に左右されることない
子を思う、親の心情の奥深さに思いを寄せ、親子の情を再認識する
大切な行事にしてほしいと思います。

町内の人や友達とゴザを敷いて遊んだ、楽しい「お地蔵さん」の思い出は
私の経験上、子供心に深く刻まれることは間違いがないと思います。


宗教、宗派など関係なく、子供を思う親の心は万国共通なのですから・・・

雨の渓谷、山の呼吸を感じながら、耳を澄ますと・・・

2011-08-22 16:48:34 | 船頭の目・・・雑感・雑記
昨日、保津川に約一ヶ月ぶりとなる本格的な雨が降りました。

連日、38度を上回る猛暑!

その厳しい暑さの中を、お盆休暇の6日間をフル稼働で対応した
船頭たちにとっては、まさに「恵みの雨」となりました。

天気も、舟の運航時間内はそれほど大きな崩れもなく、気温もぐっと下がり、
ご乗船下さったお客さんにも涼しい保津川下りを体験して頂けたのではないでしょうか?

今年の日照り続き・・・苦しんでいたのは船頭だけではなかったようです。

実は保津峡の山々と木々、そこに生息する動物や昆虫、植物等に至るまで、
心待ちにしていた「恵みの雨」だったと思います。

山々はこの猛暑と厳しい日光を受け、水分を蒸発しまくり、木々も喉が
乾いていたことでしょうし、谷川もカラカラに日干しあがっていたので、
小さな淡水魚たちもイキイキと元気になったのではないでしょうか?

今回の雨は山という大きな自然が待ちに待った雨だったようです。

渓谷を舟で下る間、山から上がる白い湯気のような靄を見てると
さらにその気持ちが増してきます。

雨を体一杯に受けて、山が大きく呼吸しているようです。
そう、山の深呼吸です!

小雨降る山々に靄が立ち込め、木々の葉っぱから水滴が落ち、苔が
緑色に光輝く、潤いある渓谷の風景を眺めていると、確かに
「山が喜んでいる!」「自然は確かに生きている!」と実感できます。

耳を澄ますと、山の声と山に棲む者たちの笑い声が聞こえてくるような気がします。

私達人間もこの地球という大地に生きる者です。

その大地が山であろうと、家の地面であろうとコンクリートの道であろうと
すべてそれは地球の大地であり、今、確かに生きている自然の上に我々の生活が
成り立ち存在するのだということを忘れたくないですね。

まさに、私達は生かされているのですね!
私はその自然の大きな働きを、日々、リアルに感じ気づくことが
できる場所が仕事場であることをとても幸運に思うのです。

京都創造者大賞を受賞して、今、思うこと・・・

2011-08-20 08:56:49 | 船頭の目・・・雑感・雑記
私達、船頭の熱い思いから始まった「小さな活動」だった保津川の美化活動。

最初は「船頭がええかっこして~」とか「自分の職場をきれいにするのは当たり前やん」
「新手のPR活動じゃないか?」などと私達の活動に、多くの人々が懐疑的な白い目を向けた。

「所詮、船頭の集まり。続かないやろう・・・」と地元の方々の評価も
けして高くないところからのスタートだった。

そんな雑音にも、なんら語ることなくもくもくと活動を続けた。

また当初は社内でも手放しに協力してもらえた訳ではなかった。

増水毎に上流や支流から流れてくる河川ゴミに「イタチゴッコで無駄やろ~」
と先輩たちに言われながらも、何とか円滑な活動体制が構築できる様に、
毎日、組合事務所へ足を運び、理事との交渉を続けた。

時には「若い船頭たちを扇動している!」や「その活動経費はない!」など
の厳しい批判の矢面にも立ち、心折れそうな日々もあった。

「でも、この美しい自然を借りて我々は生きていけるのだ」という強い気持ちと
志を同じくする本当に僅かな船頭仲間たちを頼りに、ここまでやってこられた。

保津峡の桜再生をめざして、あたらに植樹事業も始めた。
地権者から了解ももらう交渉や植樹経費捻出のため組合の理解にも汗をかいた。

河川の漂着ゴミを回収する為の「ラフティングボート」も組合に頼み込み
購入して貰えた。

そして「NPO法人プロジェクト保津川」の設立初期メンバーの皆様や
同じ保津峡で生きる嵯峨野観光鉄道の強力な協力バックアップ体制もあり、
あれから6年・・・「京都に保津川あり!」と注目されるほどまでになった。
最初は遠巻きに私達の活動を傍観していた地元住民の方々へも保津川美化活動は
広がりをみせ、筏の復活プロジェクト等による保津川水運の歴史的検証と
河川流域文化の価値を高めることにもつながっていった。


「人は生きることで‘なに’を残すことができるのか・・・」

その答えを求めて、手探りにはじめた活動には、
先日、京都商工会議所主催の「京都創造者大賞」をいただくことになった。
しかも私達の活動を後方で支えてくださった嵯峨野観光鉄道(㈱)とともに。

私達の地道な活動をしっかり見ていてくれた人達が確かにいたのだ。

感激である。

私たちは確かに今「保津川下り400年の歴史」に
その足跡を残すことができた!と感ずる。

まさに感無量だ!



表彰式は9月20日に左京区の京都大学百周年時計台記念館で開かれます。

 この賞は「京都府、京都市、京都商工会議所と顕彰委員会」が創設し
 毎年、表彰者を決定しています。
 各部門は「おもてなし、環境部門」「アート・文化部門」「企業部門」
 「未来への飛翔部門」があります。

 「京都創造者大賞」はその「最優秀大賞」です。

悲しい出来事が起こるたびに思う、川は危ないのか・・・

2011-08-02 12:38:13 | 船頭の目・・・雑感・雑記
この月末の休日、私の仕事場である保津川で、尊い命が失われる
悲しい出来事が起こりました。

家族や友達と一緒にゴムボートとカヌーで川を下ろうとした方が、
急流の波に弾かれ、ボートから掘り出され川へ転落したとのことです。

場所は保津川で最初の激しい急流部となる瀬で発生しました。
翌日の新聞記事によると、ボートから落ちたその方は波にのまれ川底まで沈み、
底岩に足を挟まれた状態で発見されたとのこと。

この時使用していたゴムボートが、海水浴などに使用するレジャーボート
だったことが原因だといわています。

ラフティングが使用する激流対応型ではなかったことが本当に悔やまれます。

近くにいたラフティングのインストラクターの方なども協力して人口呼吸など
懸命の救命処置を行いましたが、力及ばず、誠に残念な結果となりました。

この川を仕事場とし、川の恩恵を受けて暮らしている私にとって、
この川で起こるこのような事故を見聞きすることは、誠にやりきれない気持ちになり
心が締め付けられる辛いことです。

夏になると川の涼やかさに誘われ、水辺や川中の遊びに興じたくなるのは
人間なら当たり前のことです。

川とのつながりを日常に持つことで人は、太古より川の恵みと畏怖の念を持ちながら
身近なものとして暮らし、流域の川文化を綴ってきました。

しかし、近年「川は危ないところ、近づかないように・・・」などと
川と人のつながりを「安心・安全」至上の考え方で、引き離しています。

わたしは思います。

「川が危ないのではなく、体験的な川とのつながりを遮断したから、
川が危ない所になった」のです。

川は生き物です。

毎日、微妙にその表情を変えます。その僅かな変化を読み取り、
川の秩序に沿いきるのは本当に難しいことです。
まして、日ごろから川の表情を見る機会や遊ぶ経験に乏しくなった人たちにとっては、
そこまで理解するのは無理な状態ともいえるでしょう。

川に近づくときには、事前に十分な情報と周到な用意をすることが大切です。
川との付き合いというのは、注意して注意し過ぎることはないと思います。
しかし、この知識とルールされ守れば、川はけして恐い場所ではないはず。

自然との直に触れ合うことは、先端科学社会で暮らす現代人にとって、
今後益々、大切なな気づきの体験をできる機会となります。
しかし、川に限らず、自然には少なからず危険が潜んでいます。
まず、自然とのふれあいを求める方は、ぜひとも、しっかりとした
知識と情報を踏まえて、秩序に沿って楽しい川のレジャーを過ごしてほしいと思っています。

そして、二度とこのようなことが保津川はもちろん、世界の川や水辺で起こらないことを
心より祈らずにはおれません。

お亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

お客様に教えられた「生きている」ことについて。

2011-07-31 23:13:49 | 船頭の目・・・雑感・雑記
お昼間に保津川下りをされたお客さんと偶然、夜の会食の場で再会しました。

その方は「保津川下りは初めての体験でしたが、本当に素晴らしかったです!」
と私が船頭であることがわかると、真っ先に挨拶に来てくださったのです。

「ありがとうございます。どこに魅力を感じていただきましたか?」
と私があらためて質問するとその方は

「自然や舟の下る迫力ももちろんよかったですが、私はなにより
船頭さんの仕事ぶりがなにより素晴らしかった!」と仰ってくださったのです。

「船頭がよかった」これは我々船頭にとっては「この仕事をしていてよかった!」
と本当に思える最高の言葉です。

うれしくなった私は「私たちの仕事をどんな風に感じていただけましたか?」
さらに聞くと

「肉体的にも大変なのに、私たちお客を退屈させてはいけない、
といろんな楽しい会話をされ、心を和ませてくださったり
笑わせてくださる‘おもてなしの心’をリアルに感じたし、
なにより、そんな中、急流や難所に差し掛かった時にはお顔が一変し、
厳しい職人の顔になられる、これぞ『本物のプロ』なんだと思いました」と。

なんと、これほどまでに我々の仕事ぶりを観察をして下っている方が
おられるなんて、まさに「船頭冥利」につきるというものですが、
その方はだんだん目に涙を溜めながら、こう話を続けられました。

「実は私、先日発生した東日本大震災の被災者です」と身分を明らかにされたのです。
そして続けて

「今回京都に来て、素晴らしい保津川下りまで体験できて・・・生きていてよかった・・・」と。

聞けば自宅被災者だったらしく、震災発生の瞬間から電気、ガス、水道
などのインフラはもちろん水や食べるものまで事欠く事態に陥ったと
いうのです。そして、食や灯油・石油を求めて、自転車で何軒もの
お店を回ったという体験も話して下さったのです。

「じっと何もせず、誰かが助けてくれるのを自宅で待っていたら、
間違いなく私たちは死んでいたでしょう・・・」と極限的とも
いえる当時のことを涙ながらに話してくださいました。

「本当に生きててよかった!」と再び、‘今、ここ’に
生きていることの喜びを声に出し、うなずかれました。

死は誰にでも、いつかは不公平なく訪れるものです。

しかし、死をリアルに意識することは、そうあることでありません。

天災という、何の前ぶれもなく突然やってきて、死を極めて
現実的に意識させるような出来事と遭遇した人に感じられる
「死生観」があるのです。

死を現実のものとして意識することは、生を強く意識する
ことでもあります。
「強く意識した『生きる』ということは、多くの支えがあって
初めて可能となる。自分が『生きている』という事実は、
その他の支えがあるからこそ。
だから、私は生きる意義をしっかり感じて、遭遇すること
経験することの、全てのことに喜べるし、感謝できる」
「そのことをしっかり、体感できたのが今回の保津川下りでした」
と話を締めくくられました。

話を聞き終えた時、私はうなずくことが精一杯で
なんも言葉を発することができませんでした。

「本当にありがとう」と握手を求められる手を
強く握り返しながら
「こちらころ、ありがとうございました」と深く
頭を下げました。

その方とお別れしたあと、この船頭という仕事への
心構えを新たにし、そして真の「やりがい」というものを、
心から強く実感しました。

観光に携わること、なんて素晴らしいことでしょう!

今、生きていること、生かされていること、そして
人様に喜んで貰える仕事に就いていることに
深い‘感謝’の念を抱かずにはおれないのでした。

今、教育者に求められる新島襄の精神。

2011-07-25 13:59:26 | 船頭の目・・・雑感・雑記
京都にある同志社大学の創設者・新島襄先生のことばに

‘人間の偉大さは、その人の学問にあるのではなく
 
 自分自身にとらわれないことにあります。

 自己を忘れ 真理という大目的のために 進んで身を捧げ

 しかも謙虚であること 

 私はそれを人間の偉大さ 真の自由だと呼ぶのです ’

読めば読むほど、心に深くせまってくる言葉です。

そして自分自身の心に問いかけてみる・・・

至らない所だらけの自分の姿が見えてきます。

この言葉が口だけでないことは、明治13(1880)年に起こった
学級統合制に端を発した学生のボイコット事件の時の先生の
とった態度に表れています。

朝礼に全校生徒と教師全員を集めた,先生は、こう話した。

「このたびの事件は、教師の罪でも、生徒諸君の罪でもありません。
 すべて私の不徳から生じたものです。しかし校則は厳としたものです。
 されば校長である私はその罪人を罰します」と述べて、
 自身が右手に持っていたステッキで,自らの左手を打ち据えたのです


咄嗟のことで、思いもしない出来事に、誰もが呆然として見ていると、
唸り声を上げて左手に何度も繰り返し振り落とされるステッキは、
真っ二つに折れてしまうのです。

それでも新島先生は、短くなったステッキで、なおも左手を打ち続けます。
ボイコット事件を起した生徒たちは、頬が引きつり青ざめてうなだれていきます。
そして嗚咽する声も・・・

見かねた生徒の一人が壇上に駆け上がり、先生が降りあげたステッキを
持つ右手を必死で抑えます。
そして
「校長、もうやめてください」。でも言葉はでない。
ただ、涙を流しながら、首を横に振り続ける。

その生徒は事件の首謀格の生徒でした。

折れたステッキを持つ手を押さえられたまま、先生は生徒たちに
「諸君、同志社がいかに校則を重んずるところかわかったでしょう?」
とステッキを投げ捨てて降壇しました。

これが有名な、新島の自責事件です。


教育にかかわる者は、今一度、新島先生のこの言葉と行為、
そして「人を育てる」という真剣な熱情に学ぶ必要があると思います。

すぐ、社会環境が悪いとか、生徒の親がわかっていないとか、
子どもの質が悪いなどと、すぐ分析という名の、他者への責任転化へ
意識が向かいがちですが、自分自身が「教育者」の責任として
どうなのか?自身を謙虚に見つめ直す必要があると思います。

私も空手道場という「人を育てる」活動をしている者の端くれとして、
誰かのことではなく、自分自身のこととして、子どもたちに
接していかねばならないと強く反省させられた次第です。

近代日本の礎を作り出した先人には、本当に学ぶところが多いと感じます。

保津川下りの船頭さんブログ・・・開設8年目を迎え。

2011-07-24 14:35:10 | 船頭の目・・・雑感・雑記
「保津川下りの船頭さん」を開設して今年の7月で8年目を迎えます。

よくここまで続いたものです。

これもひとえにこのブログを読み続けて下さっている皆々さまのおかげだと
深く感謝する次第でございます。

この8年間、綴ってきたことを改めて読み返してみると、本当にいろんなことが
あったのですね。妙に懐かしくもあり、感慨深いものを感じます。

最近は更新回数も少しづつ減りつつあります。

これは、新しいソーシャルネットワークである「facebook」の
勉強に時間を割いていたことが原因なのですが、一通り目途もついたと
感じているので、ブログ再開に精力を注ぎたいと思っています。

顔の見える人たちや世界の友人たちと、一方通行でなく直接コンタクトできる
「facebook」は次世代の情報発信ツールとして話題でもあり面白いのですが・・・

7年前にこのブログを開設した当時、ほとんどの人が「ブログってなに?」って
いわれるほど、認識も低く先駆的な取り組みで、私もひとりで「保津川下りのPR]
のため、毎日、貴重な時間を割いて頑張ってきました。この頑張りが
保津川下りの知名度UPや、宣伝効果を生み出し、近年の保津川での様々な活動の
火付け役となったことは誰も否定できないでしょう。
そしてこのブログこそが、保津川の生き字引ともいえる記録であると自負します。


しかしながら、このブログを始めた7年前とは時代も異なり、
社オフィシャルのブログも開設された今日、若手船頭たちがあの時の私のように、
自身の感性で、川下りの仕事で感じる様々な思いや出来事について書き込むこと
がはじまりました。そちらも注目してあげて下さい。


今後は「保津川下りの生き字引」ということではなく、
「保津川下りの船頭をしているはっちん」という個人が、
生きた記録として書き綴っていきたと考えております。

facebookでは保津川下りの船頭をしているはっちんこと豊田知八の
ありのままの姿を綴り、世界中の友人たちとお互い相互的に
いろんなことを共有できれば素敵なことだと思っています。

facebookをされている方、もしくはこれからされる方、
もしよければ気軽に「友達」の申請していただければ
嬉しいので、そちらでのお付きあいもよろしくお願いします。


今日から「地デジ難民」にもなったことだし、夜も静かになり
じっくり書きものに向かい、表現できればと考えています。

これからも末永いお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。



保津川遊船企業組合 船士 豊田 知八

世界各地で起こる自然災害、NYの子どもたちの心に学ぶ。

2011-05-01 23:55:23 | 船頭の目・・・雑感・雑記
日本では未曽有の地震と大津波で東北地方の太平洋沿岸部は壊滅的な
打撃を受け、その影響で原発事故が発生し今だ打開策が見いだせない
事態となっていますが、海の向こうアメリカでは先月末から南部を
中心に各地で大竜巻が発生し、民家などを次々となぎ倒し甚大な被害
が出ております。

我々日本人もまだまだ大変な時ではあるが、東北大震災と津波被害の際に
多くの温かい支援をしてくれたアメリカの人々の心に、そして受けた恩を
このときにお返しするべく、我々日本人に今できることを考えていきたいものだ。

震災発生時から日本に温かいメッセージと支援をしてくれているメンバーに
私の友人で、以前同門だった鈴木師範がアメリカNYで開いている
空手道場の生徒さんたちがいます。

道場内には子どもたちが書いた日本を応援するメッセージの横断幕が
飾られ、定期的に義援金を集め、日本へ送金してくれています。
子どもなので金額的には多くはないですが、僅かな小遣いの中から
ほしい物や買いたかった物を我慢して、義援金に回してくれてるのでしょう。

その心がうれしいです。

また、道場生の道着の袖にも「絆」と日本語で書いた刺繍が縫われています。

まだ見ぬ日本。空手発祥地の日本への熱い思いを込めて、遠くNYの地からも
空手を通じた人間同士の心の交流が結ばれています。

アメリカでは大竜巻、中国南部ではひょうや豪雨で大きな被害が報告されています。

地震、大風、豪雨・・・地球は我々に何を伝えたいのか?
それは神のみぞ知るということですが、大自然の前には人は
あまりにも無力過ぎます。

無力なお互いだからこそ、困難の時はともに助け合わねばなりません。

高度な情報技術にの発達や交通機関の発展により、世界はますます
狭く近くなってきています。

私たちも、日本だけでなく、世界の人々への関心をもっと強く
持たないといけないことを、この子どもたちに教えられた気がします。