百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

【【開聞岳】さんに登りました】【100q南国すっ飛び旅(4)】 H26.3/23

2014-04-03 11:55:02 | 日記
 旅行初日 3/21 は 宇和島のホテル、二日目は 佐田岬半島突端の 三崎港→佐賀関フェリー で九州に渡り 南下、宮崎・青島のホテルに泊まり、いよいよ この日は、最大の目的地【開聞岳】さんに向かう日であります。

           青島のホテルの駐車場から見た ↑ 日の出 です
で、高速道を すっ飛ばし、美しい【霧島連山】を見遣りながら、ひたすら【開聞岳】を目指しました

                  ↑ 『指宿スカイライン』からの 【桜島】です

               開聞岳さん が 見えてきました ↑ 

                  ↑ いよいよ 登ります
     
                   ↑ 大隅半島 の突端部 が見えています   

  何とか かすかに見えるのですが  ↓ 種子島?       屋久島? ↓


                                 

                  ↑ 北西方向 【枕崎】方面の 眺望です
             

  【開聞岳】さん 924 m 頂上 ↑ です    見えるは【池田湖】 です

大or中or小の石が ゴロゴロ 転がっている登山道には 見事な ↑ 自然の トッテ もあります

 登山後となりましたが 開聞岳さんがご神体の ↑ 【枚聞(ひらきき)神社】さんに お参りしました

           ↑ 宿泊地 『枕崎』へ向かう道途中からの 開聞岳さんです
      ↓ 登山口の施設内に展示されていた 素晴らしい 薩摩焼の壺 です
  
ここまで来た甲斐あって、この後 かぶる帽子が アレンジできました。『松井秀喜ミュージアム』さんで求めていた帽子に、『アンパンマンミュージアム』さん および『開聞岳事務所』さんで買った バッジを くっつけました。たいへん 気に入っております。

はるばる ここまで来て 登って ほんとうに良かったです。これで、南北の対称的な場所に ほとんど同じ佇まいで そびえ立つ、お岩木山 開聞さん とも 登ったこととなりまして、たいへん嬉しく感じるのでございますが、この開聞さんの場合、大東亜戦争末期、このお山さんの上を 南の空へ向かい飛び立ってゆかれた 特攻隊員の方々、そのとき開聞さんは おそらくは、いつしか 隊員各位の故郷に立つ 『ご当地富士』となりて、その近くのご実家まわりの 山河・田畑・家並み の織り成す情景が、そしてその中での ご両親・恋人・兄弟・祖父母・恩師等々との あまりにも短か過ぎる 来し方を思い浮かべられ、で 人生最大の覚悟を決められ ゆかれたのではないか と思うのでありますが、思えば思うほど 泣けてくるのであります。衷心より衷心より 合掌、ほかの手立ては何も 思い浮かばず です。


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