百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

白洲正子さんと車谷長吉さん~「かくれ里」&「特別展 作家 車谷長吉。魂の記録」図録より

2017-09-04 20:17:39 | 日記

 上も下も 7月4日付けブログで載せてます H29.6.22 NHK-BSプレミアム放送 プレミアムカフェ(選)(初回放送 H28.12.15)の一場面ですが、これを見て老生は、白洲正子さんの「かくれ里」という本を購入しました。


                  
その本は、S46年12月 発行の初版から 39年を経た H22年9月 、写真と地図を更改・増補の新版。依然として高い人気を保つ白洲さんの代表作で、オイラには「西行」以来の白洲本、例え 眠り薬になるにしても、とにかく目を通そうと思いました。

かくれ里について、「秘境と呼ぶほど人里離れた山奥でなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも「隠れ里」の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである」とありますが、この本は、近江 京都 大和 越前 美濃の、白洲さん好みの そういった神社仏閣の佇む風土 の見聞録であります。

読んでみまして まず第一に思うことは、高貴なるご出自ゆえのことでありましょうか、白洲さんの 天皇家を中心とした歴史・文化・芸術 および 地理・風土に対する造詣の、並々ならぬ 広さ・深さ でありまして、とにかくスゴイのヒトコト、オイラのような凡人は、一通りそこら読んだだけでは とてもじゃないが、ほとんどのとこがアヤフヤのまんま というのが本当のところですが、

そんな状況で、特に ココロに残ったところは と言いますと、

・ P45,46,47 にある記述。万葉集にある「東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡」を「ひむがしの野にかぎろひの立つ」と詠む現在の読み方に定着するまでには、長い間の万葉学者たちの努力があってこそ成り立っているのである。昔は「東野のけぶりの立てるところを見て」と読まれていたのであるから、今私たちが口なれている歌を引きだすのに、実に 千年の年月がかかっているということだ
・ P60 にある記述。新道は無性格だが、旧道には 人生の十字路めいた面影が残っている(ここまでは同感ですが)。自然というものは不思議なもので、どんなに景色が美しくても、歴史のない土地(歴史のない土地というクダリに反撥を覚えまして載っけてます。書物に残ってなくったって庶民の暮らしは息づいとるわいと)は、私には無性格な、たとえば絵葉書みたいなものに見えてならない  
・ P62 庭石は、その三分の二を地下に埋めるという
・ P333~345にかけての 役小角(えんのおづぬ)さんに関する記述。神事を司どった葛城地方の賀茂氏(父)と葛城氏(母)を両親に持つ小角は、13歳のときから自らの神を求め、狂人のように山野を 全国の高山を駆け巡った。その途上で仏教に触れたことで方向性を得、最初 インドの仏教僧、次にお釈迦様 観音様と遭遇。されど それらはいずれも、求めているものではなく さらに行を推し進めた結果、不動明王の進化した 独自の 蔵王権現 の出現を見、ついに得心できるものと出会えたのだと。国土の76%以上を山が占める日本であり、山に憑かれ 山に恋した 生まれながらの 天才的自然児 小角にとって、山は産なり、万物を生む神であり、山を女体とみたのではなかったか。(この項は オイラの意訳です。更に付け加えますと、オイラは金峰山寺で蔵王権現様と対面したことがありますが、平野部とは違って、厳しく激しい山中での修行(暮らし)は、想像を絶する恐怖心に襲われるはずで、これに打ち克つ ココロの安寧を保つには、巨大で恐ろしいぐらいの形相の 蔵王権現様のようなお方が、後ろ盾として必要だったのではなかろうかと思ったりしてるのですが。でも じぃ~っと見ましたら 蔵王権現様は実のところ、恐ろし顔のようでありながら、アンタの味方だよと、ニヤっと教えてくれているような感じすら受ける 愛嬌たっぷりのお方のように思えるのは、オイラだけ抱く感覚ではないような気がしますが。)
・ 次いでに オイラは思います。日本人の宗教観というものは、江戸時代までが そうであったように、現代にしたところで、お寺もお社も すなわち神様も仏様も 同じようなものではあるまいかと。寺社のあるところは 平地であっても山と言うように、その大元(おおもと)は「山」にあって、結局 双方とも同じところに帰するのではあるまいかと。だから、古き日本人が、永い年月かけこさえていた、神仏融合という世界に戻すのが、イチバン日本人の情緒に見合っているのではないかと。

でありまして、そして、この本を読んで 行ってみたいところが 二つできたのであります。
一つは カバーを飾ってる 金剛寺さん所蔵「日月山水図屏風」との拝面を叶えること。
二つ目は 特にココロ惹かれた 天野という土地 および 近在の丹生都比売神社さんへの参拝。
白洲さんは、「西行」という本の中の「長石道を往く」という章でも、天野について記されてます。

また「かくれ里」という本を読んで、つくづく思えたことがあります。それは、この本で紹介されているような 由緒ある地域に代々住まってらっしゃる方々は、高貴なるお方か 歴(れっき)とした血筋のお方 あるいは そのような方々と親しく付き合ってられる 近い 謂わば選ばれし方たち ばかりだということ。

したがって それら人々の持っておられるプライドや価値観というものは、オイラのような 名も無き庶民が持ち合わせている感覚とは、当然ながら、まったく違ってるはずであって、同じような属性をお持ちでられる白洲さんだからこそ、何の違和感もなく、今流コトバで言えば バリアフリーに、すぅっと 溶け込んで行けたのではないか ということであります。



そして、姫路文学館に行ったのは、この本を読んでる最中のことでして、そのとき買って帰った 特別展図録「作家 車谷長吉。魂の記録」の中に、白洲正子さんと車谷長吉さんの親しい関柄を示すモノが いろいろ出てまして、こういったものとの遭遇は ファンとしたら堪(こた)えられない嬉しいことですから、それらをまとめ 悦に入ったらどうかと 思い付いた次第です。
              
             以下写真は この本 ↑ の当該ページを撮影したものであります。          



これで、クルマタニさんの「抜髪」という小説を白洲さんが絶賛されているのを知ったオイラは、それが収録されている この ↓ 「漂流物」という本の古本文庫本を購入し読んだのですが、こういった資料や本を通して 繋がりが より拡がるということは、まさに読み人の妙味と言えるものであります。



これは ↓ モノへの執着が丸っきりない車谷長吉さんが、白洲正子さんの遺品を買い入れられたウツワとあります。


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 以下は、H30.12.30付ブログ 冒頭部分のコピペです。( H31.2.16 追加)
 H30.12.20,21 と続けて NHK-BSP『プレミアムカフェ』於、白洲正子さんに関する再放送がありまして、それに 3年前 69という若さで逝ってしまわれた車谷長吉さんが出てられました。同い年で、モノの捉え方に共感が持て、かつ 近隣で 同じような風土 姫路のご出身ということもあり、オイラは大好きなものですから、タイトルに関係ございませんが、テレビ登場は滅多にないことだけに、ここで その映像を掲げ、偲ばさせていただきたく存じます。













なお 番組司会は 広瀬修子さん、他の出演者は 歌人の水原紫苑さん、演劇評論家 渡辺保さん、コピーライター 仲畑貴志さん。収録場所は、白洲さんが晩年 住まわれた 町田市内『武相荘』であります。





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