無線日和

交信もぼちぼちのJH4BWJの更新もぼちぼちのブログ。

夏の星空

2024-08-13 17:08:33 | 日記

昨晩から今朝にかけてのペルセウス座流星群、観られたでしょうか~

山口盆地は猛暑日が16日間続いているとかで、夏バテ気味なので自宅で観ることにしました

 

12日午後11時、家の裏に出てみると、北東の空は、まあ!明るいこと~

それもそのはず、家の倉庫の街灯、道路の防犯灯、北側新興住宅地のあかりなど、

とてもとても、星空を観測するような環境じゃあありません~(笑)

 

それでも、とりあえず10分間立っていたら3個の流れ星を確認できました

しかし、ほどなく首が痛くなってきてリタイア~!

 

13日午前0時に再び外に出てみると、北側の空を雲が覆っていたので、

これにて夏の星空観測は断念して寝ることにしました

午前3時頃には1時間に40個観られるという話だったけど見逃しました(笑)

 

夜空を眺めることは滅多にないので、星も星座も分かりません

そんな自分の強い味方は、立山・弥陀ヶ原ホテルで教わったスマホアプリの星座盤

スマホをみながら、夜空の北極星やカシオペヤ座を頼りに、ペルセウス座が探せました

 

ちなみに、ペルセウス座流星群は14日夜明け前まで観測のチャンスがあるそう~♫

 

 

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夏の思い出 fin

2024-08-13 00:04:10 | 山口

夏が来れば思い出す~、真夏の大冒険のつづきは最終編です

8日目は旅行条件の施設へ泊まる日、熊本のユースホステル泊です

ちゃんとした宿に泊まった時は、あまり思い出はありません(笑)

 

9日目は福岡県へ入って、夜は久留米駅の屋根の下を借りることに~

ところが、運悪く土曜日で駅前ロータリーを爆走する暴走族の日

観客?も大勢来ていてお祭り騒ぎで朝方まで寝られず~!

 

10日目は福岡・津屋崎のユースホステルに泊まりました

実はここだけ覚えておらず、同行した友人に確認して思い出しました

もう廃業されているようですが、あの光の道!で有名な宮地嶽神社の参道あたり~


11目は、北九州市の若松から戸畑に架かっている若戸大橋を渡り山口県をめざします

若松側から勢いをつけて橋を上って、戸畑へ下って来たらストップがかかりました

料金所では、なんと!自転車は車道は走れない、ということで叱られてしまいました!

とりあえずは無罪?放免となりヤレヤレ~

 

いよいよ山口県を目前にして、関門国道トンネルは学習効果を発揮?して歩道です(笑)

関門海峡の下をとおるトンネルを自転車を押し歩いて本州へ上陸

あとは国道2号をひた走って家路へ、お盆前に帰宅できました

腕と脚の水ぶくれはすっかり治ってお袋が驚かないキレイな体になりました(笑)

それにしても、備忘録としてイザ書いてみると半世紀前のことながら、

結構覚えているもんだと我ながら感心しました~

 

まあ、高校時代の一番の思い出でもありますし、

老化が進んでも昔のことは良く覚えているらしいですからね

ただ、食事をどうしたのか、何を食べたのかは全く覚えていません


なにはともあれ、無事に九州一周ができたのは良き友人のおかげです

なにしろ中学校を卒業して間もない高校1年坊主が2人で二人三脚、

いや二人四輪で真夏の大冒険、素晴らしい経験ができました

 

ちなみに、彼は自転車好きが高じて自転車関連へ就職、

好きなことが仕事にできるなんて幸せですね~♫

 

そもそも母校の記念館の話題のハズでしたが脱線、

ダラダラとした長文にお付き合いありがとうございました<m(__)m>

四輪、いや五輪ともども fin

 

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夏の思い出Ⅲ

2024-08-12 11:04:28 | 山口

夏が来れば思い出す~、真夏の大冒険のつづきです

5日目は鹿児島の鹿屋、たまたま見つけた市民プールへ暑さしのぎに

ところがなんと!氷水のごとく冷た過ぎるプールで1分と泳げず~(笑)

 

夜は友人の親戚の家に泊めていただき大御馳走~♪

翌日は、車で内之浦の宇宙基地を案内していただきました

そのあと鹿屋をあとにサイクリングに復帰~、桜島の火山灰が積もった道路、

ゴツゴツした溶岩などを眺めながら走ったのは記憶に鮮やかです

そして桜島フェリーに自転車ごと乗って鹿児島のまちへ渡りました

 

ちなみに、自転車は普段使う通学用、炎天下を毎日100キロ以上よく走ったものです

まあ、高校時代は岩国までの往復約200キロを日帰りで走るほど元気でした

6日目は鹿児島市内でユースホステル泊です

それにしても、九州の都市はどこも山口よりまちが大きいのにビックリ!

山口が都会とも思ってなかったけど、改めて井の中の蛙だと認識~

7日目は国道3号をひた走って水俣で宿探しのため放浪~

結局、駅舎の屋根を借りてその下で野宿することにしました

すると、大阪から来たという自転車のお兄さんに飲食店へ誘われ、

ドリンクをおごってもらいました(歯切れの悪い書き方ですみません、笑)

なお、画像の方は引き続き母校の記念館~、つづく

 

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夏の思い出Ⅱ

2024-08-11 09:56:56 | 山口

夏の思い出のつづき~、とりあえず母校の記念館を正面からご覧ください

令和3年には創立150周年事業で改修工事が行われキレイによみがえりました

 

さて、半世紀前の夏の思い出~、九州一周サイクリングは友人と2人旅です

初日はフェリーで国東半島へ渡り別府へ、灼熱のアスファルトで焼かれました(笑)

激しい頭痛に襲われたのは、きっと熱中症にかかっていたのでしょう

また、露出した腕や脚などは日焼けで真っ黒、そして水ぶくれになりました

 

1泊目は、別府駅前で声をかけて来たおばちゃんに案内された怪しげ?な宿、

今にして思えば別府温泉の湯治宿だったようです(笑)

大分から宮崎へ県境はカーブの連続で登っても登ってもへ峠に着かず疲労困憊

 

2泊目は延岡市のお寺に泊めてもらいました

翌日は寺に泊っていた大分の高校生と宮崎まで一緒に走りました

宮崎に入ると南国情緒あふれる道端の景色に、ここは日本?かと感動しました

 

3泊目は学校の条件により宿泊施設、宮崎市のユースホステルへ

宮崎市大淀川の鉄橋を確かSLが走っていたように記憶しています~!?

水ぶくれは破れて体液が皮膚へしみ出してきました

 

涼しい午前中に100キロ少々走り、午後はデパートで涼をとることにしましたが、

水ぶくれで荒れた腕や脚におばちゃんたちの熱い視線を感じました

 

道路沿いの商店で飲み物などを調達していましたが、

水ももらますかと言うと快く水筒をいっぱいにしてくれるのがありがたい

すれ違うサイクリストと手の合図で挨拶するのがなんとも励みになりました

 

4日目は鹿児島県、志布志湾の海岸でテント泊にしました

地元の人に山口から来たと答えると、スイカ1玉持って来てくれました

おかげで、しっかり水分補給ができ元気が出ました

 

さて、記念館の赤いモニュメントは創立150周年事業で卒業生が製作されたものだそう

そもそも学校の講堂として建てられたようですが、バルコニーなどもあって立派ですね

夏が来れば思い出す~、真夏の大冒険ですが記録したものはなにも今残っていません

全て記憶が頼りで記憶違いもあると思いますがご容赦下さい、つづく~♫

 

ちなみに、この年4月の国試で電話級を取得して局免許を申請中でした

出発までにコールが来れば2mポータブル機を持って行こうと楽しみにしてましたが、

当時は開局までおよそ4か月、九州から帰宅したあとやっと免許が来ました

 

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夏の思い出

2024-08-10 20:43:28 | 山口

山口盆地、鴻ノ峰の麓の我が母校、至誠剛健の校訓、ちゃんとした高校です~(笑)

今からおよそ半世紀前、目前に見える職員室での出来事を思い出しました~♫

職員室での先生の言葉は、「2日に1度はちゃんとした宿泊施設に泊りなさい」です

 

当時、夏休みの旅行やアルバイトは学校の許可を受けることになっていました

十数日間の九州一周サイクリングを申請しましたが、夜は野宿で計画したので

上記のような条件付きで許可をもらいました

 

さらに、もう一つ条件があって、ヘルメットをかぶって行くことでした

当時はヘルメットで自転車に乗る人なんかいませんでしたが、条件なんで仕方ありません

 

アルバイトの方は無条件でOK、トレーニングを兼ねて自転車でデパートのお中元を配達

約10日間のバイトのおかげで九州行きの資金は全額自己負担で賄うことができました

 

8月上旬、山口から徳山へ、周防灘フェリーで大分へ渡り国道10号を南下し鹿児島、

国道3号を北上し福岡、関門トンネルを通って帰宅するという計画で出発~♫

 

話がすっかりそれてしまいましたが、駐車場そばには記念館と呼ばれる建物があります

左手には正門、母校のシンボルで馴染み深い木造建築物です

記念館での一番の思い出は、高校野球の応援歌「熱球」の練習です

新入生は怖~い応援団!の指導により、否が応でもしっかり覚えます!

半世紀たった今、もの忘れもずいぶん多くなりましたが、熱球は忘れません(笑)

 

大正11年の完成で、平成11年には登録有形文化財に登録されました

夏が来~れば思い出す、遥かな尾瀬~♪、じゃなくて九州はつづく~

 

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