イザベラ・バードは白沢で日食があった13時間というもの、どしゃぶりがつついて、二日間宿に足止めをされていたが晴れてきそうだったので正午に馬二頭と馬子三人で白沢を出発する。
出発したときの白沢の景色を
「景色は美しく、自然のままの谷があり、その上にはいくつもの横に伸びる尾根が下がってきており、鬱蒼としたピラミッド形の杉の林があって息をのむほど画趣に富んでいます。これこそ本当に日本の美観です。」と景色をたたえている。
しかし、降り続いている雨のため、川を渡る瀬は深くて流れが速くなっているし、道と小さな橋はすべて流れ、根こそぎにされた樹木や丸太がぶつかって折れた木がバリケードのように積み重なったり、川の流れが変わってしまい、慎重に川を渡るために、一か所に半時間も待たされることになる。
5マイル(約8キロ)移動したところで、馬で通れなくなり、馬子が荷物をかついで、先を目指して進む。そしてもっと高くて鬱蒼とした尾根に近づくと、やがて新しい立派な道路にでる。この新しい立派な道路は現在の旧矢立峠旧道(明治新道)であると思われる。
「馬車も充分に通れるだけの車幅があり、立派な橋をわたって峡谷をふたつ越えると、この道はみごとな森の奥へと入っていきました。それからいくつも連続する、勾配のゆるやかなすばらしいつづら折りを下って矢立峠をこえました。峠のてっぺんには砂岩の深い切通しに秋田県と青森県の県境を示す立派な碑がありました。」と秋田県を越え青森県へと進んでいった。このいい道路は4マイル(約6,4キロ)のみであり、この前後は粗末な馬道であるとも書いている。
この矢立峠の景色を次のようにあらわしている。
「わたしは日本で見たほかのなによりもこの峠には感動しました。もう一度行けるなら、まぶしい青空のもとで見たいものです。この峠はブリューニック峠〔スイス〕の最も素晴らしい個所を彷彿とさせ、またロッキー山脈の峠のいくつかをいくぶん思い出させもしましたが、木々がこのふたつよりももっとすばらしのです。この峠は寂しく、荘重であり、鬱蒼としていて、厳かなのです。」と世界を旅したバードが峠のすばらしさ、特に木々を褒めたたえている。
しかし、この荘厳な景色に佇んでいる最中に小降りだった雨がざあざあ降りにかわる。ここから碇ヶ関まで、またしても大変な行程をたどることになる。
「水の勢いよく流れる音がいたるところでしています。大木が他の木にぶつかりながら滑り落ちていきます。岩が割れ、木々を巻き添えにして転がり落ちています。川はみるみる水嵩を増しました。地震のようなうなりや轟音とともに山腹がはじけ、山の半分が堂々たる杉林もろとも突き出て、樹木はその根を張った土を道連れに真っ逆さま倒れ、川の流れを本来のコースから逸らしてしましました。」
「あの立派な新しい道路が数か所、いまわたしの目の前で、急に現れた奔流で切断されたり、土砂崩れでふさがったりしています。もう少しでは何百ヤードかにわたって一瞬のうちになくなってしまいさらに下の川に斜めに架かっていた立派な橋もそれといっしょに流出してしまいました。」と先ほどまでの荘厳な雰囲気が一瞬にして土砂崩れが発生して、大木が流され、立派な道路(明治新道)も寸断されてしまう様子を実況放送のように記述している。川を下っていくとさらに状況はひどいことになっていて、青森側から来た荷馬と馬子に出会い、秋田側からの馬と馬子を交代する。青森から来た馬子は腕がよく勇気があったが、急げば自分たち通ってきた村にたどり着けると先を急いだ。しかし、「わたしたちは人間は肩まで、馬は背まで水につかり、よろよろ川を渡りました、何度も何度も渡りました。」
「ちょうどそのとき、目に火花が散ったかと思うと、なんともことばに言い表せないものを感じ、のどが詰まって体を打ち、息ができなくなりました。やがて馬子と伊藤が三人がかりでわたしを溝から引き上げてくれ、わたしは急な山道を下っているときに馬が転んだのだと気づきました。わたしは馬の頭から滑り落ちたのです。」とバードは馬が転び落馬してしまう。
馬子は先を急いで走りながら馬はよろけながらまだ残っている橋を通って平川を渡って、碇ヶ関に入る。宿に入り落ち着いたところで増水した平川を見ていると、その後、渡った立派な橋も300本以上の流木が流れてきて、その流木が橋の橋脚に激突して残っていた橋も壊れ流されてしまう。
バードが通過した時期の秋田~青森は30年来の大雨であったことで、大変な苦労をしたわけだが、強烈な意思と、なにか肝が据わったとでも表現しえるような心境をもって旅をつづけて山形県から雄勝峠を通って秋田に入り、矢立峠を越えて青森県にと進んでここ碇ヶ関にたどり着いた。その後碇ヶ関から黒石、大釈迦、新城を経て青森から蒸気船にのって函館へと進み、北海道のアイヌ族を訪ねてイザベラ・バードの旅は続くが、秋田の旅が終ったところでその先は他県に譲ることに「秋田ぐらし」の私のブログは終わる。なお、青森には高畑美代子さんというイザベラ・バードの研究者がおられるようである。
出発したときの白沢の景色を
「景色は美しく、自然のままの谷があり、その上にはいくつもの横に伸びる尾根が下がってきており、鬱蒼としたピラミッド形の杉の林があって息をのむほど画趣に富んでいます。これこそ本当に日本の美観です。」と景色をたたえている。
しかし、降り続いている雨のため、川を渡る瀬は深くて流れが速くなっているし、道と小さな橋はすべて流れ、根こそぎにされた樹木や丸太がぶつかって折れた木がバリケードのように積み重なったり、川の流れが変わってしまい、慎重に川を渡るために、一か所に半時間も待たされることになる。
5マイル(約8キロ)移動したところで、馬で通れなくなり、馬子が荷物をかついで、先を目指して進む。そしてもっと高くて鬱蒼とした尾根に近づくと、やがて新しい立派な道路にでる。この新しい立派な道路は現在の旧矢立峠旧道(明治新道)であると思われる。
「馬車も充分に通れるだけの車幅があり、立派な橋をわたって峡谷をふたつ越えると、この道はみごとな森の奥へと入っていきました。それからいくつも連続する、勾配のゆるやかなすばらしいつづら折りを下って矢立峠をこえました。峠のてっぺんには砂岩の深い切通しに秋田県と青森県の県境を示す立派な碑がありました。」と秋田県を越え青森県へと進んでいった。このいい道路は4マイル(約6,4キロ)のみであり、この前後は粗末な馬道であるとも書いている。
この矢立峠の景色を次のようにあらわしている。
「わたしは日本で見たほかのなによりもこの峠には感動しました。もう一度行けるなら、まぶしい青空のもとで見たいものです。この峠はブリューニック峠〔スイス〕の最も素晴らしい個所を彷彿とさせ、またロッキー山脈の峠のいくつかをいくぶん思い出させもしましたが、木々がこのふたつよりももっとすばらしのです。この峠は寂しく、荘重であり、鬱蒼としていて、厳かなのです。」と世界を旅したバードが峠のすばらしさ、特に木々を褒めたたえている。
しかし、この荘厳な景色に佇んでいる最中に小降りだった雨がざあざあ降りにかわる。ここから碇ヶ関まで、またしても大変な行程をたどることになる。
「水の勢いよく流れる音がいたるところでしています。大木が他の木にぶつかりながら滑り落ちていきます。岩が割れ、木々を巻き添えにして転がり落ちています。川はみるみる水嵩を増しました。地震のようなうなりや轟音とともに山腹がはじけ、山の半分が堂々たる杉林もろとも突き出て、樹木はその根を張った土を道連れに真っ逆さま倒れ、川の流れを本来のコースから逸らしてしましました。」
「あの立派な新しい道路が数か所、いまわたしの目の前で、急に現れた奔流で切断されたり、土砂崩れでふさがったりしています。もう少しでは何百ヤードかにわたって一瞬のうちになくなってしまいさらに下の川に斜めに架かっていた立派な橋もそれといっしょに流出してしまいました。」と先ほどまでの荘厳な雰囲気が一瞬にして土砂崩れが発生して、大木が流され、立派な道路(明治新道)も寸断されてしまう様子を実況放送のように記述している。川を下っていくとさらに状況はひどいことになっていて、青森側から来た荷馬と馬子に出会い、秋田側からの馬と馬子を交代する。青森から来た馬子は腕がよく勇気があったが、急げば自分たち通ってきた村にたどり着けると先を急いだ。しかし、「わたしたちは人間は肩まで、馬は背まで水につかり、よろよろ川を渡りました、何度も何度も渡りました。」
「ちょうどそのとき、目に火花が散ったかと思うと、なんともことばに言い表せないものを感じ、のどが詰まって体を打ち、息ができなくなりました。やがて馬子と伊藤が三人がかりでわたしを溝から引き上げてくれ、わたしは急な山道を下っているときに馬が転んだのだと気づきました。わたしは馬の頭から滑り落ちたのです。」とバードは馬が転び落馬してしまう。
馬子は先を急いで走りながら馬はよろけながらまだ残っている橋を通って平川を渡って、碇ヶ関に入る。宿に入り落ち着いたところで増水した平川を見ていると、その後、渡った立派な橋も300本以上の流木が流れてきて、その流木が橋の橋脚に激突して残っていた橋も壊れ流されてしまう。
バードが通過した時期の秋田~青森は30年来の大雨であったことで、大変な苦労をしたわけだが、強烈な意思と、なにか肝が据わったとでも表現しえるような心境をもって旅をつづけて山形県から雄勝峠を通って秋田に入り、矢立峠を越えて青森県にと進んでここ碇ヶ関にたどり着いた。その後碇ヶ関から黒石、大釈迦、新城を経て青森から蒸気船にのって函館へと進み、北海道のアイヌ族を訪ねてイザベラ・バードの旅は続くが、秋田の旅が終ったところでその先は他県に譲ることに「秋田ぐらし」の私のブログは終わる。なお、青森には高畑美代子さんというイザベラ・バードの研究者がおられるようである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます