秋田ぐらし akita life

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イザベラ・バード 白沢(秋田県大館市白沢)で宿の交渉 皆既日食にあう

2017年06月01日 | 日記

 朝早く、雨雲はなくなり、まぶしい青空がひろがるいい天気になったので、二日泊まった大館の宿を出発して先に進むことになった。川が渡るれるようになるまで昼まで待たなければならず、更に先は水が引かなければ進めないので行程を七マイル行く予定で出発した。  雇った馬子は歌を歌ったり、しゃべったり、飛び跳ねたりのほろ酔いで、馬は足の運びに難があり、気の滅入るような馬であった。
ここでバードは酔っ払いについて「これまでずいぶん酔っ払いをみてきましたが、いささかでもけんか腰の酔っ払いは一度も見たことがありません。」と陽気な酔っ払いの馬子に気を悪くした様子はない。
晴れた大館の風景をバードは次のように書いている。
 「太陽はさんさん耀き、大館のある丘陵に囲まれた谷間を照らして実に美しいものでした。細い川には緑や赤の砂利の上をまぶしく光る水が流れ、円錐形の山々のあいだにちらちらきらめいて見えます。その山々は針葉樹にびっしりと覆われたものもあれば、灌木しか生えていないものもあり、ごた混ぜになって目を引きます。日本では陽光を浴びると森に覆われた山々や庭のような谷間が楽園に変ります。600マイル〔約960キロ〕の旅で日差しを浴びても美しくなさそうな地域はおそらくひとつもありませんでした。」バードが言うように天候によって、出会う町の印象が左右されるとはいえ、大館の風景の美しさをたたえている。さらにバード一行が進んでいく過程で、陽気な酔っ払いの馬子が急流に足をとられ、馬に岸まで引っ張ってもらったりするアクシデントがありながらさらに進むと10マイル(約1.6キロ)のあいだに橋は一本もなくこの地域の大部分が石や根こそぎ抜かれた樹木や山から流れてきた丸太で覆われている。とまるで災害後の悲惨な状態である。その中でもすでに、この地方の勤勉な農民たちはすでに堆積物をどけ、災害再発防止のため堤防の補修を始めていた。その働く婦人の野良着として着ている服の様子を「このあたりの農婦が野良着として着ている服の具合のよさにわたしは大いにうれしくなりました。明るいブルーのズボンの上にゆったりとした上着を着て、帯を締めるのです。」とほめている。
苦労してたどり着いた宿で、バードたちは宿のあるじに宿泊をことわられる。
「先週警官が巡回してきて、外国人を泊めるときは先に最寄りの警察に知らせなければならないとの通達があった、最寄りの警察はここから三時間もかかるというのです」
そして、
「当局の許可なく外国人に宿泊設備を提供した者、または宿泊させた者は罰金と科せられ、罰金をしはらわない場合は鞭打ちの刑に処せられるのです。」宿の主が断るのも理解できる。バードの通訳の伊藤はいらつきながら交渉し、バードは通行証の写しを取り、特別の使者を送ったことであるじは狼狽しながら部屋を用意してくれた。
 バードは戸数七一の小さな静かな村の通りを眺めて気持ちのよい夕べをすごしましたと書いている。
ここでは前日の大館の宿のドンチャン騒ぎもなく、バードを見学に来る野次馬もない静かな時間が流れる様子が伺える。おちついたせいなのかどうか、バードはこれまで旅した日本を総括する。そのなかで、日本の礼儀作法について記述し秋田の人々にもふれている。
「秋田の人夫は田舎者でも、東京の人夫と同じく他人とのつきあいにおいて礼儀正しく丁寧です。白沢の娘たちは日光の娘たちと同じく落ち着いていて品位があり、礼儀正しいのです。子供たちは同じ遊びやおもちゃに興じ、同じ年齢で同じ節目を迎えます。だれもが同じように社会的身分の厳しい枷に束縛されています。害はままあるとしても、この伝統的な礼儀作法は非常にうまく機能しているので、もしもこれが西洋式の礼儀や習慣をへたに真似たものに取って代わられるとすれば、わたしは胸が痛くなるにちがいありません。」と書いている。「秋田の人夫は田舎者」の表現は少しいただけないが、礼儀正しさや娘たちの品位や子供たちについてこれまでの旅で出会った人々と同等に良い印象であったのであろう。バードの向かい側の部屋には重い眼病の男性が二人いて江戸の近くの目の見えない人が見えるようになるご利益があるという目黒不動まで巡礼に行く途中であるという。この時代東北から重い眼の病気の個人が江戸まで行く旅費の蓄財があり、旅を可能とする環境がととのっていたことに注目する。
 この宿でバードは日食にあう。
 「昨夜11時にふたたび落ちはじめた雨がけさは5時から8時までぽつぽつならぬざあざあと降り、その最中に闇の重たい帳(皆既日食のことか)が一切のものを不気味な薄暗闇で包みこみました。」とあり明け方に日食があったことが記述されている。
 バードたちが泊まった宿は伊藤孝博著の『イザベラ・バード紀行』によると白沢村の肝煎だった「山内喜兵太」家の可能性が考えられるとする。山内家は後に「笹嶋」家に変っており、笹嶋家には戸長役場や小学校、郵便局が併設されたそうである。ここには幕末の吉田松陰も泊まっているといわれており、バードたちもここに泊まっていたと思いたい。



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