桑の実を 食(は)みて野を駆(か)く 昭和の子等
悔(く)いることなく 老いを生きしか
夢 蔡
戦後の跡がまだどこかに残っていた、昭和30年以前は、農村は、
貧しく、子供たちは、いつも野原を走り回っていた。
消費文化は、まだ遠い将来の事であった。
子供たちは、腹が減れば、”桑の実”を食ったものである。
実った小枝を、折り取って、頬張った。
子供たちは、”桑の実”なんて、洒落たことは言わない。
*【 ド ド メ 】と呼んでいた。
”赤痢”なんていう言葉が、実感として、生活の場にあった。
そういう時代である。
あたりかまわず走り回りまわり、泥だらけで遊ぶ子供たち。
そんな姿の子達の食べ過ぎは、親にえらく怒られた。
それでも、見つければ、かまわずに食った。
しかし、たくさん食べたことは、すぐにばれる。
口の周り、前歯が、濃紫色に染まっているからである。
*注 【 ド ド メ 】=「土留め」である。
「土留め」とは、その昔、”桑の木”を土手の”土留め”にした。
「土留色」=「ドドメ色」は、「黒紫色」を指す。(関東)
この地方は、養蚕が盛んで、広い面積の桑畑が、
あちこちにあった。
桑畑を、”桑原”(くわばら)と呼んでいた。
本当に、桑は、原野のように広がっていた。
【 ド ド メ 】は、いたるところにあった。
桑の実の思い出は、美しく濃紫色に列して実っていた、
とか言う、情緒感ではない。
それを、「 おもいきり、食った--」である。
その頃の思い出は、いつも何かが足りなくて、
どこか貧しさを引きずっている。
それから、数年して、「もはや、戦後ではない」時代が来る。
あっと言う間に、農村地帯も、消費文明化して行く。
「 過ぎ去ればいつだっていい時代である。」
『後退的実体の法則』
-----<了>-----