諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

昭和 遥(はる)けし

2020-06-06 15:42:08 | 日記・エッセイ・コラム

 

     桑の実を 食(は)みて野を駆(か)く 昭和の子等

              悔(く)いることなく 老いを生きしか

                                   夢 蔡

 

 戦後の跡がまだどこかに残っていた、昭和30年以前は、農村は、

 貧しく、子供たちは、いつも野原を走り回っていた。

 消費文化は、まだ遠い将来の事であった。

 

 子供たちは、腹が減れば、”桑の実”を食ったものである。

 実った小枝を、折り取って、頬張った。

 子供たちは、”桑の実”なんて、洒落たことは言わない。

  *【 ド ド メ 】と呼んでいた。

  ”赤痢”なんていう言葉が、実感として、生活の場にあった。

   そういう時代である。

   あたりかまわず走り回りまわり、泥だらけで遊ぶ子供たち。

   そんな姿の子達の食べ過ぎは、親にえらく怒られた。

   それでも、見つければ、かまわずに食った。

   しかし、たくさん食べたことは、すぐにばれる。

   口の周り、前歯が、濃紫色に染まっているからである。

   

   *注 【 ド ド メ 】=「土留め」である。

   「土留め」とは、その昔、”桑の木”を土手の”土留め”にした。

   「土留色」=「ドドメ色」は、「黒紫色」を指す。(関東)

 

  この地方は、養蚕が盛んで、広い面積の桑畑が、

  あちこちにあった。

  桑畑を、”桑原”(くわばら)と呼んでいた。 

  本当に、桑は、原野のように広がっていた。

 

  【 ド ド メ 】は、いたるところにあった。

  桑の実の思い出は、美しく濃紫色に列して実っていた、

  とか言う、情緒感ではない。

  それを、「 おもいきり、食った--」である。

  

  その頃の思い出は、いつも何かが足りなくて、

  どこか貧しさを引きずっている。

  

  それから、数年して、「もはや、戦後ではない」時代が来る。

  あっと言う間に、農村地帯も、消費文明化して行く。

 

    「 過ぎ去ればいつだっていい時代である。」

                    『後退的実体の法則』

            

 

  

            -----<了>-----